蠢動
――――夕刻。恐ろしいまでの振動音が、周囲に響いている。
蜂の羽音だ。数百、数千。どころか場合によっては数万のミツバチ。
……それが、俺一人の体をはい回るようにして取り囲んでいた。そう。なんというかまるで昔テレビか何かで見た蜂を体中に付着した人間のように。
俺の場合は顔まで囲い込まれているのだが。
一応目は見えているので、眼前にいるらしきミリアムの姿は見えて、いなくもない。
「何が起きているんですか」
「俺が聞きたい」
ところで、熱殺蜂球という言葉をご存じだろうか。
ニホンミツバチに固有の生態で、筋肉の収縮や翅の振動によって中心部を熱し、五十度近くにまで温度を引き上げ外敵を蒸し殺すという戦法である。
現在はセイヨウミツバチもスズメバチを窒息させる方法を編み出したという話を聞くが、まあそれはそれとしよう。
一言で言うと、俺の現状はそんな感じだ。
恐ろしく暑い。
「……蜂の巣を、冥王が回収していたらな。いつの間にかこうなっていた。姫様でなければどうにもならん」
一緒に戻って来ていたアンブロシウスだが、この男だけは蜂にたかられることも無く平然としていた。
虫という意味では同族だからだろうか。いや、単に針が刺さらないからという理由な気もする。まあ俺にも刺さりはしないんだけど。
でもこの暑いのどうにかなんないかな。
「下手に動いて殺しちゃうと悪ぐうぇ口に入った」
「いや下手に喋るのもやめてください。リースベット、リースベットー!」
……で。
ひとしきり笑われながら、服の中にまで入り込んだ蜂も含めて外に放り出し、全ての蜂をリースベットの管轄下に置いたその数分後。改めて、俺たちは地下に運び込んだ木材の前にいた。
「――――さっきのは忘れてくれ」
「別の意味で忘れられないのですが。夢に出てきそうなのですが」
「……そうだな。ともかくそろそろ真面目な話に入ろう」
いや、徹頭徹尾真面目な話で徹していた気はするが。絵面がおかしかっただけで。
「リースベット。さっきの蜂なんだが――少しだけ、偵察に貸してもらいたい。山の中に術師がいるなら、そいつを見つけないといけない」
「承知しておる。先程、既に放っておいた。結果がでるまではまだしばらくかかるだろうが……」
「十分だ。ありがとう。じゃあ問題は、見つけた後になるな」
「どうされるんです? やはり、すぐに取り押さえて……」
「いや。まずはできるなら対話する」
十中八九、どころか十中十くらいはもうほぼ確実に例の術師はクラインに対して害になる存在だ。
だとしても万が一の可能性がある。やはり、状況証拠だけで判断するのは良くない。後味の悪い結末を迎えないためにも、そこだけははっきりさせておかないといけない。
「対話というのは流石に……いくらなんでも」
「最終的にはどっちにしろライヒの憲兵にでも突き出すんだ。少しくらい大目に見てくれ」
「なら尚更に……」
「……相手の目的をはっきりさせとかないと、また同じことを繰り替えす輩が現れないとも限らないじゃないか。少なくとも、何もかも不透明なままでこの事件を終えることだけはしたくない」
「相手が応えなければ、どうする?」
ふと、俺のスタンスに不安を覚えたのか、アンブロシウスが問いかける。
それも想定している。どれだけ質問を投げ掛けたとしても、答えてくれなければどうしようもない……と言えば、その通りではある。普通なら。
「言葉以外を見る」
「……言葉以外……だと?」
「汗のかき方。手指や足の動き。視線。表情。言葉にしなくても見えてくるバックボーンっていうものは、いくらかある」
要は、嘘の見分け方の延長線上だ。
人間、焦れば汗をかく。恐れれば動揺して視線が泳ぐ。そうした僅かな手がかりを基に、背景を導き出す。絶対ではないまでも、何も無いよりいくらかマシだ。
そうして得られた情報で、同じことが二度と起きないよう対策を講じることができるならそれが最善。万が一相手に悪意が無く、複雑な事情のもとで行われたことだとすれば……説得して出頭してもらう。か細い可能性ではあるが、それを無いものとして扱ってしまえば本当に可能性は絶無になる。そうなると、間違いなく今後普通の人間との交渉や折衝に差し支えることになる。そうなることは避けなければならない。
……と。その言葉に何か不穏な要素を感じ取ったのだろうか。皆の表情が途端に曇る。
「……冥王……少し、休んだらどうだ……?」
「おいやめろ。人を病人扱いするんじゃない」
「病的には違いありませんよ……あの、鬱とか患っていませんか……?」
「びょ……病的とかじゃないし……こんなもん誰でもある程度はやってることだし……」
「度を越しておらんか? 大丈夫か?」
何で君たち口々に俺の人格面についての心配を述べるのかな?
そりゃあ、育ちも生まれも良くないかもしれないけど、だからってそこまで致命的な破綻は無かったはずだぞ。一応は、あっちの世界の人間社会で暮らしてはいけたんだから。
普通に暮らしてたかどうかは別にして。
ほら。友達とか、作れなかったし。
……あ、何だか目頭が熱くなってきた。
「……今は俺のことは置いておこう。ともかく、まずは話してみなきゃ始まらないんだから、俺一人で接触する」
「複数いた場合はどうするのです? その全員が敵対的だったときも……」
「方法は問わない。全員どうにかする」
それだけの苦境に陥れば、流石に自分の命が最優先だ。欲張っていいのは、あくまで一対一の状況で、自分の命の安全が確保できると確信が持てるときだけだ。
今までは一つ一つ命を拾っていって留めておくこともできたが、流石にそれが通じるのにも限界はある。
「ならば冥王。俺も同行しよう」
「アンブロシウスも?」
「ああ。他の連中よりも俺の方がいくらか戦闘向きだ」
確かに、アンブロシウスは……文字通りリースベットの「騎士」だ。その主な役割は外敵の排除。となれば、強くてもそれはある意味当然のことだろう。
少なくとも、レーネやネリーが付いて来ると言うよりは心強い。
……なのだが、いくつか問題がある。
「……見つかるんじゃないか?」
一つは、アンブロシウスの巨体だ。
おおよそ二メートル五十センチからそれ以上。木の影に隠れるしても限界はある――というか流石に無茶だ。
身を隠そうと思ったら、それこそ全身を隠すことができる岩陰とか……ないしは、高低差の激しい場所でもないと厳しい。
「それに、流石に見つかったら魔族だってバレるじゃないか」
もう一つは、その人間離れした外見だ。
正直に言おう。アンブロシウスは黒い鎧を着た騎士のようで、一見ものすごくカッコいい。特撮のヒーローのようでもある。だが、その一方でアンブロシウスには中の人がいないのだ。
……いや、表現が適切ではないか。何だ中の人って。
鎧を着ているように見えてはいるが、アンブロシウスの場合、その鎧こそが外皮であり、外殻だ。剥けばその下には筋肉の層が詰まっている。ミリアムのように人に化けることも今はできないし、その姿を見られれば即座に魔族と看破される。正直、外で活動するのは少しばかり無理があるだろう。材木を採取していた時でさえ、同行していた俺も一緒になって必死で周囲を警戒していたほどなのだから。
「俺が手を出すとすれば、それと知られた後だ。お前とて完璧ではない。人間にしては異常なその身体能力や魔力量を見れば、魔族と看破される危険性はどうしても付き纏うだろう」
「それは……そうだが」
そうなんだが、一応村の人間には誰にも知られていないし……多分。
間近で見たはずのアンナからも追及は無い。なら大丈夫――なんて、やっぱり楽観的な考えなんだろう。
となると、保険を用意しておくに越したことは無いか。
「……分かった。そういうことなら構わない。リースベット、アンブロシウスを少し借りていくけど」
「うむ、許す! 存分に使ってやるがよい」
曲がりなりにも、リースベットにとってはただ一人だけの騎士だというのに、こうもあっさりとこちらの申し出を受けてくれるというのは実にありがたい。
リースベット自身が頓着しない性格だということもあるんだけど。一応は、周りにミリアムたちのように護衛に成り得る人材がいるからでもあるだろうか。
と、そのような折に、一匹の蜂がリースベットの元に飛んできて、その手の中に収まった。
「む、戻ってきたか。ご苦労」
「その蜂は……偵察に出していた?」
「うむ。どうやら目的を達したらしいぞ」
「……!」
早い。指示して十分程度と言ったところだと言うのに、もう結果が来たのか。
しかし、ミツバチは遠くとも二キロ程度しか巣から離れられないと聞く。ならば、一体どうやって……。
「ふふん。どうだ、驚いたであろう。驚いたであろう! 余はその反応を欲しておったのだ。ほれ、どうだ?」
「あ……ああ、驚いた。でも、どうやってこんな短時間で?」
「うむ。今回飛ばしたこの蜂には、何種類かのフェロモンを付着させておいた」
元々、フェロモンを利用して虫の行動を操ることができる、というのがアドルトナントの女王の持つ特性だ。それを用いて、というのは理解できる話だが……だとして、そうなるに至った経緯が知れない。流石に、でたらめを言うような性格しているわけじゃあないし……。
「今の余は魔族ゆえ、発するフェロモンにも魔力が混ざるのだ。それに伴って命令の幅が広がっておる。例えばどんなものかと言われると答えに窮するが」
「窮するのですか」
「何せできることの幅が広すぎて余にもよく分からん!」
自分にできることについて把握している最中、という風に前向きに捉えておこう。
こうなったのも昨日の今日なのだし、実際その通りな面もあるだろうし。
「ともかくだ。この一匹を他の蜂に接触させ、少しずつこの周辺にいる蜂という蜂にフェロモンをバラ撒いていったわけだな」
接触によって化学物質を次々と他の蜂にも付着させ、行動を操る……まるで感染病か何かのようだ。
いや、そういうアレじゃないことは知っているが。
「こうして森中で、人間の発する特有の『におい』を辿らせてみたのだ。生物ならどうしても食事は取らねばなるまいし、排泄物も出るからな」
「それ、前にも俺たちでやったんだが……」
「うむ、しかしそれは個人個人でのことであろう。余の場合は文字通りの人海戦術よ。その数およそ三億。点在する蜂の巣の働き蜂を総動員したのでな。それはもうワケが違うというものだ!」
ああ――――うん。それは確かに、文字通りケタが違う。
虫は繁殖能力に長けた存在だ。ネズミ算、という言葉もあるが……一つつがいがいれば、それどころではなく爆発的な速度でその数を増やしていくことになる。一つの巣にどれだけの数の蜂がいるのかは分からないが……それこそ、先程想起したように、感染症の如くフェロモンの影響下に入る蜂は増えていく。なら、決して不可能なことではないのだろう。
「……どうされます?」
「すぐに出る。解決するのも早いに越したことは無い」
「そうですね。承知しました」
さて。
一つ、息を吐く。
ネリーの一件から始まり、おおよそ二、三週間ほど。どれだけ手間をかけさせられたか、どれだけクラインの住人が不安になったか、既に知れないが……ここに来てようやく、その影を踏んだ。
――――追いつめたぞ、と。思わず、心で呟いた声が、外に漏れだしたような気がした。




