蟲の力
「……ただいま」
「おかえ……どうしたんですその表情」
――――その後。結局クラインに到着してなお、どこか得体のしれない感情の正体を理解できないままで、パンを購入して山小屋に戻ってくることとなった。
帰ってきた後、ミリアムもレーネも誰も彼もこちらを見て訝しげにしていたあたり、何とも言えない微妙な表情をしていたのは間違いないだろう。俺にも自覚はある。
「自分で自分の事がよく分からない……!」
「帰ってきて早々に何わけの分からないことを仰っているんです。配膳終わってますから食べませんか?」
「うん……」
自分の感情が自分で分からないなんて、本当に何なんだろう。今頃になって、俺。
そりゃ、子供の頃からまともに感情が醸成されるような環境に無かったことは確かだけど。だからってここまで自己分析が上手くいかないほど取り乱したことがあったか?
ミリアムは俺のことをよく分析できている割にこんなだし。聞いたって答えてくれると思えないんだけども。いや、そもそも、状況の全貌が見えていないのに予見しろというのが無理か。
「何やってんだよ。食うんならとっとと食いたいぞ」
「ああ、待ってろ待ってろ」
急かすネリーを宥めつつ、一人一人にパンを一つづつ手渡していく。
流石に一時間も待たせたのは申し訳なかったが、今まで待っていてくれたのは……まあ、多分ネリーが睨みを利かせていたんだろう。これだけ急かすんだから相当腹をすかしていることだろう。
――と、同時に、何か言うことも無く、我先にと食事を始めていく。
なんだか、日本にいた身としてはちょっと味気ない。
「……いただきます」
多分、誰も知らないだろう一言を呟きつつ、シチューを口に運ぶ。どこか懐かしい味が、口の中に広がった。
元々「いただきます」という言葉を使うようになったのが昭和の頃と聞く。だから言わなくてもいいじゃない――なんて言っているのを聞いたから、こんな無駄知識を持っているわけだが……まあ、こっちにそういうようなことを言うような習慣が無くたって、別に不思議なことじゃない。
なんだか寂しいことには変わりないが。
「リョーマさま、その『いただきます』って、どういう意味のことばなんですか?」
「え?」
唐突に、レーネがそんなことを訊ねてきた。
どういう意味――と言われても。
「俺の元いた国で、食事の前に言ってたんだよ。今から食べる命に感謝して、『いただきます』って。語源は知らないけど」
元々は仏教に関連した用語であるとか、戦後、日本の道徳教育の一環として言われるようになった――とか、色々な説がある。とはいえどれが正解かなんてことまでは知らないし、正直、それほど興味も無い。これだけ幅広い解釈があるのだから、自分の中で納得がいくものがあればそれでいい。
「へぇ……じゃあ、いただきます」
「……別に無理に言わなくてもいいんだぞ」
「そういうのって大事なことだと思いますから、ムリはしてないですよ」
「そっか」
なら、いいか。別に悪い言葉ではないのだし。
こちらの世界に似つかわしいかと言われると、だいぶ首を傾げないといけなくなるが。
「あ、そうだ。ところでオスヴァルト。ちょっと聞いていいか」
「は! ン何なりとッ!」
「おい今何かとんできたぞ!?」
……食事中にも関わらず、俺が呼びかけてしまったせいだろう。被害を受けたネリーには申し訳ないが、これも大事なことだ。少し我慢してもらおう。
「お前、さっきアンナに見られてたらしいが」
告げたその瞬間、オスヴァルトは青ざめた顔で恐ろしい形相をして見せた。
……あ、この分だと気付いてなかったな、こいつ。
「ぬおおおおお申し訳ありませぬ王よ!! こうなればこの首切り落としてでも詫びを」
「おいやめろ! ツバがとぶ! きたない!」
「ネリーが被害受けてるから落ち着け!」
――と、言いながらも、その辺に置いてあった布巾で華麗にガードしているんだが。まあ、それにしたって嫌なものは嫌だろう。俺だって好ましいとは思わない。
ともあれ。
「言われた時は面食らったが、大したことじゃない。いざとなれば例の術師がそうだということにすればいいだけだ。顔の違いは――見間違いということにしてしまえばいい」
「中々に卑劣なことを仰いますな」
「自分でも卑怯なことくらい分かってるから言ってくれるな」
自分の悪性というものを、他人から指摘されるのはなかなかに、こう、キツいものがある。
俺だって別に好き好んでそういうことをしたいわけでもない。ただ、状況がそれを許してくれないというか……。
……なんて言い訳したって、物事は基本的に結果以外で語ることができるわけでもなし。正直に言って、かなり辛いものがある。
「……ともかく、次は気を付けてくれ。皆も、できるだけ人間に見られないように。特にネリー」
「そこまで言われなくってもわかってる」
「うむ。余も自重はできる性格だ。任せよ」
ネリーと、リースベットとアンブロシウスの三人に向けて、注意を促す。
アンブロシウスは元から弁えているだろうからあまり心配はしていないが、何かやらかす可能性があるとするなら――ネリーかオスヴァルトだろうし、先に釘を刺しておかないと。
「ところで冥王よ。余の方からもう一つ頼みがあるのだが良いか?」
「またか。いや、悪いとは言えないけど――何だ?」
「うむ。蜂の巣を取ってきてほしい」
「蜂の巣――ああ、分かった」
確か、リースベットは虫を使役することができる、と言っていた。
その能力自体は相当に破格なものだが、流石に元になる虫がいないと話にもならないということだろう。
「うむ、任せるぞ。何せ余は見ての通りの華奢で無力な童女。虫を使役できなければ何もできぬからな」
「きゃしゃ……? 無力……?」
訝しげにリースベットの腕やら脚やらを見つめるレーネ。
うん――気持ちは分かる。あれだけ強固な腕や足で「無力」というにはいささか苦しい。魔族としての身体能力もあるのだから、尚更だ。
「うむ、レーネが疑う気持ちも分かる。だが余は致命的なほどに戦いにも狩りにも向いていないのだ。そもそもそういう風に生まれているのでな。こればかりは致し方ないと諦めよ」
「何それ」
……俺やミリアムのような、明確に目上と認めている相手以外と話すときのレーネってあんな風なのか。思ったよりだいぶ普通――いや、多少辛辣な感じはあるが、まあ、普通の女の子と言って問題ない反応を見せてくれているのは……いい、のだろうか。
正直、できればもっと仲良くしてほしいものだが、そこまで求めるのは酷か……。
「この手甲も具足もただの見栄ということだな! ふははは!」
「……耐久力はあるがな。それでもほぼ無意味と言っていい」
「うむ。守ってもらわねば死ぬな!」
「偉そうに言えることですか?」
「偉そうに言わねば気を遣わせるであろう馬鹿者」
リースベットの返答に、ミリアムが肩をすくめる。
確かに、殊勝な態度でいられるとこちらも色々と対処に困る。そちらの方が気を遣うことは間違いないし、本人からするとそういう対応は堅苦しくて嫌いなのだろう。なら、今の方が互いに気が楽だ、ということだろうか。
「その上、余にできるのは『使役』までだ。支配とまでは行かぬ」
「どうちがうんだ……?」
「意思を縛って、強制的に行動させるようなことはできない、ってことでいいか?」
「うむ、概ねそれでよい。更に言うならば、相応の対価があって初めて成り立つ関係だということでもある」
社会人か何かか。
いや、普通主従関係とか使役するされるとかって、そういうものだけども。
「彼奴らも生きているのだからな、食う、寝る――最低限それが保証されねば動きはせぬ。しかし、逆に言えばその環境さえ整っているならば、十全な働きを約束してくれよう」
「分かった。住居と、食事だな」
リースベットとアンブロシウスの住居を建てることに比べれば、まだ簡単な話だ――と、考えはしたけども言葉にできることでもない。了承の言葉を告げたらそれ以上余計なことを口走ってしまわないようシチューを口に含んで何も喋らないようにしてしまおう。
……巣箱、作り方知らないけど大丈夫だよな。
「安請け合いして大丈夫ですか?」
「今すぐどうこうってのは難しいかもしれないけど、今日明日中にやってしまえば問題ないさ」
冷静なミリアムからの言葉が地味に痛い。いや、そりゃあ安請け合いなのは分かってるんだけど。分かってるんだけど。それでも断るわけにはいかないじゃないか。曲がりなりにも、今の俺は安請け合いと理解していても言ってしまわなきゃいけないような立場なんだし……。
蜂の巣箱を作ることそれ自体は、それほど難しいことじゃないはずだ。多分、俺一人でも十分にできる。知識を借りる必要はあるだろうけど。
「午後からはそれも目標に据えていこう。オスヴァルトは引き続き植樹を頼む。今度は、できるだけ見つからないようにな」
「承知致しましたッ! この身命にかえ」
「かえなくていい」
こいつ、死んだところから生き返ったようなものだからって自分の命を安く扱ってないか?
……一言一句俺にも当てはまるな!?
どうしよう。俺、もうちょっと自分の行動を見直すべきなんだろうか。急に不安になってきたぞぅ。
「あ、そうだ。リースベットちゃん。いい?」
「な、何だ?」
不意に、レーネがリースベットに問いかける。
まだ苦手意識が抜けきらないのだろう。応えるその声は少しばかり震えている。
「畑にムシをちかづけさせないの、よろしく」
「わ、分かっておるぞ」
「……あ、それちょっと待ってくれ。葉っぱを食ったり、茎の養分を吸うような虫なら避けてもらっていいんだが、それ以外は通していい」
「む……む? んむ? どういうことだ?」
「いや、そのな。実のところ、何が益虫なのか、何が害虫なのかってのは、普通に見ても分からなかったりするんだよ」
時と場合による――という曖昧な表現が、しかし今のこの時点ではこの上なく正しい。
基本、害虫というのは徹頭徹尾害虫だが、益虫は状況次第では害虫ともなり得る。テントウムシなんかが良い例だ。あれは、アブラムシを食べて茎の養分を吸われることを防ぐが、アブラムシがいなくなると他の虫――益虫までもを食べてしまうことから、害虫と扱われることもある。草食性のものなんかは、そもそも草を食べてしまうため最初から害虫扱いだ。
ある程度は自然の向くままに任せる、というのもある程度までは重要なことだと思う。
……単に判別付けづらいだけとも言うが。
「冥王よ。どの虫がどう作物を傷つけるかくらいは見れば分かるぞ」
「何!?」
「ホントですか!?」
「ひえっ」
二人して思い切り食いついた。
いや、しかし、リースベットの特性を考えればそれができてもおかしくはない。俺個人としては、そこまでできるとは思っていなかったのだから嬉しい誤算だ。
加えて、もしもそれができるなら、できてしまうならば、畑作に関する様々な問題が一挙に解決されてしまう――どころか、場合によっては、質の良い野菜を村や酒場に卸すこともできるようになる。そうなれば定期的な収入が見込める……!
それだけじゃない。例えば「美味いけど虫害に弱い」ような種類の作物を何の憂いも無く育てることができるし――蜂を利用すれば作物の傾向的な品種改良も望める。
「ミリアム」
「は? はい」
「俺たちの勝ちだ……!」
「ご自分で何を仰っているか分かってます?」
「時々テンション上がりすぎて何言ってんのか分からなくなることはある」
俺何言ってんだろ。
いやでも、この調子で順調に行けば、それこそ日本で言う植物工場――安定供給と安全性を両立し、何より早いスパンで作物を収穫できるほどの設備を整えることができる。かもしれない。更に、それだけの設備があれば、就業の確保も容易くなる。いずれ手勢を拡大していくことになるならば、それはまず間違いなく俺たちの助けになる。
だからこそ、そう。勝った。いや何にという話だが。多分生存競争だ。どちらにせよ大きな収穫だ。
まだ計画段階であるからしてそもそも実現できるかは分からないわけだが、いずれもしかするととんでもない発展を遂げるかもしれないという光景が徐々に見えてきている。来年のことを言うと鬼が笑うと言うが、魔族だって鬼みたいなものだ。今すぐに笑いだしてしまいたいね!
「笑わないのですか?」
「俺の思考を読むな」
そりゃ笑い出してしまいたいと思いはするが、周囲の目を考えると流石に無理だ。
あと、何の前触れもなく笑い始めるのはオスヴァルトの専売特許だし。
「……さて」
パンで最後の最後までさらに付着したシチューを掬い取り、口に運ぶ。
……意地汚いし、レーネとネリーがなんだか真似し始めているような気もするが、シチューなんて滅多に食べられもしないんだ。皿を洗うのも楽になるし。問題ない。問題ないのだ。だからそんなにも渋い顔をしないでくれミリアム。
というか注意したそうにしているわりにお前もやってるじゃねえか。
「そろそろ、行くか。ミリアム、午後からは見張りのためにもオスヴァルトについて行ってくれるか?」
「了解しました。ですがリョーマ様も誰かに見つかったりしませんよう」
「ああ。分かってる」




