空目空耳
「ちょっと買ってこようか。戻るまでしばらくかき混ぜながら見ててくれるか、レーネ」
「はい、まかせてくださいっ!」
「ありがとう。何かあったら、ミリアムを呼ぶようにな」
「わかりました!」
嬉しそうに笑うレーネに見送られ、俺はそのまま村へと向かって歩き出す。
クラインまではそう遠くはない。普通に歩くだけでも、二十分とかからないだろう。買い足す時間と合わせても四十五分ほど……・戻ってくれば、ちょうど完成している頃だろう。
普段なら、金銭的な問題もあって主菜無しでパンだけとか、主菜のみで主食無しとか、そういうこともあるにはあるが、折角アンブロシウスとリースベットが傘下に加わったんだ。少しばかり贅沢しても悪いことはあるまい。俺も食べたいし。
クラインでパン――というと、まず思い浮かぶのはアンナだったが、そもそもアンナはパン屋の娘なだけだ。昨晩作ってくれたのは、気まぐれとお礼の代わりに過ぎない。本人が乗り気でも無いのに無暗に頼みに行くのは流石に迷惑だろう。
じゃあどうするか、と言っても別段大したことも無い。酒場に行って、取り置きのライ麦パンを貰えば済む話だ。
……久しぶりに、一人で――それも、急ぐようなこともなく、普通に村まで歩いていく。
いや、別に久しぶりというほど長いこと一人になっていなかったわけじゃない。ただ、ここ最近は息をつく間もなさすぎた。深く考えれば今だって、息をついているような暇は無いんだが……英気を養うためと思うことにしよう。
ともかく、ようやく訪れた一人の時間だ。たまには周りの風景を見て、道の様子を確かめて、四季の移り変わりを確かめていったりするのも悪くない。
夏も近づきつつある今は、もう花の季節というわけでもないが、深緑に染まる葉を見て目を休めるというのも一興――――。
「あれ、リョーマ」
「げ」
――――こんなタイミングで来るのかアンナは!!
手に持っているのは鴨だろうか。突き刺さった矢が痛々しいが、既にこと切れているせいか動き出すような感覚は無い。猟に行った帰りなのだろう。
……いや、問題はそこではなくて。
「何『げ』って」
「空耳じゃないかな?」
「そんなはっきりした空耳があるかっ!」
だろうな。俺もあわよくばと思ったけど、流石にこんなくだらない嘘に騙されてはくれない。
しかし……あれだ。こう言ってはナンだが、正直なところ今はアンナには会いたくなかった。俺たちが魔族だとバレないためには、言動にせよ態度にせよ、それと気取られないよう細心の注意を払う必要がある。要は、精神的に疲れるのだ。だというのにここで出会ってしまったのだから――もうだいぶキツい。
そりゃあ人格的に嫌う要素は今のところ無いが、それとこれとは別の話だ。
にしても――――。
「俺にだって一人になりたい時間があるんだよ。それより、どうしたんだこんな時間に。いつもはまだ山の中にいるだろ。もう帰るのか?」
「あ、うん、それ! さっきすっごい変なもの見ちゃって……怖くなってさ、早くうちに帰った方がいいかなって」
「変なもの?」
またグレートタスクベアの死体レベルの恐ろしい物体じゃないだろうな。
一抹の不安を抱きつつ訊ねる、と――――。
「うん、なんか土ごと木を引き抜いてる人! どうも精霊術師みたいだったんだけど、リョーマ何か知らない?」
「………………」
立ちくらみがした。
どう考えてもオスヴァルトだこれ。
もう完全に見られてるじゃないかあいつ。しかもよりにもよって木を回収してる場面とか、どうするんだこれ。
遠巻きに見ていたようだから、顔までは見られていないかもしれないが……!
「いや、流石に俺も知らないよ」
……思い切り嘘をついた。
仕方がないんだ。こうするほか無いんだ。
オスヴァルト本人にもアンナにも悪いんだけど、それと身の安全を守ることとは別だ。
ちくしょう。板挟みと罪悪感で胃が破裂しそうだ。
「そっかぁ。術師なんだし、何か知ってるかなって思ったんだけど」
「俺の方が教えてほしいくらいだよ、そんなの」
「じゃあ、ちょっと見に行ってあげよっか?」
「冗談でもやめろよそういうの。危険なヤツだったらどうするんだ」
あと万が一にも俺たちのことを知ってしまったらどうするんだ。
もしもそんなことになれば、俺が冥王である以上、口封じに動かざるを得ない。万が一にもそうなる可能性があるなら…………ああ、いや。無為無用な誤魔化しはやめだ。
確かに、バレれば殺さなきゃいけないのかもしれないが――そんなもの、真っ平ごめんだ。クソ食らえだ。記憶を消してでも、殺すことだけはしてやるものか。
……まあ、現状だと不可能なんだけど。精神に干渉する魔法はあるんだろうけど今の俺には使えないし。だからこそ、隠蔽を徹底するべきとも言えるんだが。こういう些細な言葉のやり取りも、その一つではある。
「前みたいに守れるわけじゃないんだぞ。近くにいるとも限らないんだから」
「うん……まあ、そうだよね。ごめんね。心配させた?」
「そりゃ……するさ。いやそもそも心配させるようなこと言うなよ」
……ああ、くそっ! ペースが掴めない!
オスヴァルトが見つかってしまったせいか、いやに焦る。なんというかこう――落ち着かない。
焦りに任せて村に向かって歩き出す。同時に、アンナもそれに追従するように歩き始めた。
「それより、リョーマはどうしたの? 今日はお休みするって言ってたよね」
「昼メシ作ったんだけど、パンが無いから買出しだよ」
「ふぅん、パンねー…………」
ふと、アンナが何かを思い出したような様子でちらちらとこちらを見始めた。
何だろう。こいつがこんな調子で気にするようなことというと――――。
「……ああ。アレ、美味かったよ」
「そう。美味しかった? ホントに?」
「こんなことで嘘つく必要あるかよ。美味かった。ありがとう」
「えへへ……そう言われるとちょっと照れるな……」
これが、パンを作るのがイヤだと言ったのと同一人物か、本当に。
俺の告げた礼に対してはにかむその表情からは、羞恥も嫌悪も感じられない。本当に照れているだけのようだ。
……変に可愛いところあるな、アンナは。
「人に食わすの嫌がって無かったっけか」
……俺の方も、照れというか、気恥ずかしさがあったのかもしれない。つい、意地の悪いことを口にしてしまった。
「……だって、不格好だし。本職でもないおばあちゃんが作った方がおいしいもん」
打って変わって意気消沈してしまうアンナ。
……しまったな。もしかしてこれ、アンナにとってはあまり触れてほしくないことだっただろうか。
確かに、パン屋を経営しているという両親よりも下手だというのなら納得もいくだろう――が、実際に携わっているわけじゃない祖父母……フリーダさんにも料理の腕において負けているというのは、パン屋の娘としての沽券にかかわるのだろう。だから、そちらの道を諦めた。そんな過去があったとしてもおかしくはない。
ただ、やっぱりそれは経験なのだ。そもそもアンナの両親にしたって別に未経験な時期から美味いものがつくれたわけじゃないだろうし、少なくともフリーダさんかハンスさんのどちらかが、アンナの両親のどちらかに料理を教えたわけで、フリーダさんが作ったパンの方が美味しいと思っても、それは別に不自然なことじゃない。
……と、理屈を設けて言ったところで聞いてくれるとも思えないし。
「俺は好きだけどな、アンナの作ったパン」
一言、肯定しておくことにした。
事実には変わりないし、それで溜飲が下がるなら構わない。
「そ」
一方、帰ってきたのはそんな素っ気ない一言だった。
――のだが、背け気味の顔には僅かに赤みが差していて、なんとはなしに照れているのだろうということが分かる。
ちくしょう、変な時に変に可愛い仕草とかしやがって。何だかこっちまで顔が赤くなってきそうだ。
「そ、それより! 今日は……その、結局、今から帰るんだろ?」
「う、うん。まあね! リョーマも危ないって言うし、あたしも危ないとは思うし、流石に帰らなきゃ」
「……じゃあ、送ってくよ。まだ危ないのは危ないんだからさ」
「ん……ありがと」
「どうせクラインには行くんだ。気にするな」
……俺も俺で、何を素っ気ないこと言って返してるんだ。
心配なことは間違いないし、そこはちゃんと言葉にして伝えるべきだったんじゃないだろうか。嘘を言っているわけでもないんだし。
何か言葉を告げるのならそうするで、もっと言うべきことがあるだろ――なんて、これじゃあ俺の言えた義理じゃない。
「……はぁ」
「……はー」
……何でか知らないが、二人して溜息が漏れた。




