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最後の宿題  作者: 深月咲楽
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第4章

(1)


 翌朝、7時に起きて居間に向かうと、既に朝食が整えられていた。

「悪かったわね、孝子さん。昨日までのことで疲れているだろうに、こんな早くに起こさせちゃって」

 私は、スープを持って居間に入ってきた孝子に、お礼を言った。

「何を水臭いことを。お嬢様のためなら、えんやこらですよ」

 孝子は、楽しそうに笑った。

「他の人達は、もっと遅いの?」

 テーブルには、1人分の食事しか出されていない。

「ええ。友川先生が、9時頃お召し上がりになるとかで。後のお2人は、特にお聞きしていません」

「孝子さんも大変ね。じゃあ、いただきます」

 私は、フォークを手に持った。

「ハムエッグ、半熟にしておきましたからね」

 孝子はそう言うと、キッチンへと戻っていった。

「美味しい」

 トーストの焼き加減もちょうどいい。

 私は幸せな気分に浸りながら、口を動かし続けた。

「コーヒー、お持ちしましょうか?」

 ほぼ食べ終わった頃、キッチンから孝子が顔を出した。

「うん。お願いするわ」

 私は、トーストの最後の一欠片を口に放り込みながら、頷く。

 孝子は、すぐにお盆を片手に現れた。

「ミルクだけでよろしかったですね」

 孝子が、私の前にカップを置きながら確認する。

「うん」

 コーヒーを置き終わっても、孝子はなぜか、私の後ろに立っていた。

「どうしたの?」

 私が孝子の顔を見て尋ねると、彼女は何か言いたげに、指をせわしなく組み替えている。

「こんなこと、申し上げてよいかどうか」

 孝子が、うつむいたままつぶやく。

「いいわよ。言ってみて」

 私は隣にある椅子を引くと、そこに座るよう手で促した。

「失礼します」

 孝子がそっと、その椅子に腰を下ろす。

「去年の4月頃の事なんですが」

 彼女は、一度大きく深呼吸をすると、続けた。

「旦那様のお部屋にお茶をお持ちしました時、旦那様がじっと、窓の外をご覧になっていました。私も気になりまして、後ろからそっと、覗いてみたんですが……」

 そこまで言うと、目を閉じる。話したものかどうか、まだ迷っているようだ。

「ええ。それで?」

 優しく促すと、孝子は意を決したように口を開いた。

「私、見てしまったんです。裏庭の木の陰で、奥様と友川先生が抱き合っておられるのを」

 言い終わると、彼女は目を閉じてうなだれた。

「そう。そんなことが……」

 思いがけない告白に、私はしばらく、話す言葉が見つからなかった。

「とりあえず、このことは、私と孝子さんの2人の秘密にしておきましょう。今回の事件と何か関係があるようなら、またその時に考えたらいいことだから」

 言葉を選びながら孝子にそう言うと、彼女は黙って頷いた。

「家政婦は、見たことを秘密にしておかなければなりません。そのことは、よくわかっているのですが、旦那様があんなことになってしまって。私、どうしたらよいものかと、夜も眠れなくて……」

 私は、孝子の肩にそっと手をのせた。

「辛い思いをさせちゃって、ごめんなさいね。でも、教えてくれてありがとう。後は、安心して私に任せて」

 顔を上げた孝子の目に、涙が光っていた。

「コーヒーを飲んだら、出かけるわ。ハムエッグ、美味しかった」

 私が言うと、孝子は目元を拭いながら立ち上がった。

「お嬢様には、何でもお話しできるような気がしてしまって。甘えてしまって、ごめんなさい」

 昨日、洋介にも同じようなことを言われた。相田家での自分の立場が、何となくわかった気がする。

 私は軽く頷くと、微笑んだ。


(2)


「ただいま」

 仕事を終えて、相田家へと戻る。

 今日は、六本木に新しく出来たケーキ屋を取材した。甘いものは大好きだが、十数種類ものケーキを食べさせられると、例え一口ずつとはいえ、胸焼けがする。

「おう、お帰り」

 居間のドアを開けると、洋介がソファでのんびり、夕刊を読んでいた。

「あら、警察でお泊まりじゃなかったの?」

 カバンとコートを孝子に渡しながら、洋介に話しかける。

「無事、釈放されました」

 彼は新聞を畳みながら、私の方を見た。

「警察の方も、俺の身辺調査とやらをしてくれてさ。俺が、特に金を必要としていないことを、理解してくれたってわけよ」

「なるほどね」

 私は、洋介の向かい側に置かれたソファに腰掛けた。

「これで、とりあえず動機はなくなったわけだ」

「ああ。でも、まだ完全にシロってわけにはいかないみたいだな」

 洋介が、肩こりを治すように、首を回しながら言った。

「アリバイがないし」

「アリバイかあ」

 私は、洋介がテーブルに置いた夕刊を手に取り、テレビ欄を見た。

「あの郷田って刑事、俺に何か恨みでもあるみたいでさ。何としてでも、俺を犯人に仕立てようと、必死なんだよ」

 私は、昨夜の彼の鋭い目線を思い出し、吹き出した。

「確かに、洋ちゃん1人に絞ってるって感じだったわね」

「お前なあ、笑い事じゃないぞ。やってもいない罪で一生刑務所暮らしなんて、まっぴらだからな」

 洋介が身を乗り出す。

「大丈夫よ。洋ちゃんが捕まったら、庄野先生に弁護を頼んであげるから」

 私が答えると、洋介はソファに身を沈めて言った。

「優しい従妹を持って、俺は幸せだよ」

 今夜は、特にめぼしい番組もなさそうだ。私は夕刊を畳むと、立ち上がった。

「おい、どこ行くんだよ」

 洋介がこちらを見る。

「お部屋よ。これから、今日の取材分の原稿を書かなくちゃいけないの。誰かさんみたいに、ヒマじゃないのよ」

 私は、手にしていた夕刊をソファに置くと、キッチンに向かって声を掛けた。

「孝子さん、申し訳ないけど、胃薬とお水、お願いできるかな?」

「はーい」

 キッチンの奥で、孝子の声がする。私が、掛けてある上着とカバンを取りにハンガーの所まで行くと、孝子がお盆を手に現れた。

「胃の具合、お悪いんですか?」

 彼女が心配そうに言う。

「ううん、そうじゃないの。取材でケーキを食べ過ぎちゃってね」

「幸せなお仕事だよな」

 洋介が憎まれ口を叩く。

「そういうこと言ってるから、刑事さんに睨まれるのよ。自業自得ってやつね」

 すると、洋介が低い声で言った。

「俺さあ、自分で真犯人を見つけようと思うんだ」

 驚いて洋介を見る。彼は、いつになく真面目な顔をしていた。思わず、孝子と顔を見合わせる。

「親父がさあ、『日本のホームズって呼ばれるくらいの名探偵になれ』って、言ってくれただろ? まさかこんなことになるなんて、想像もしなかったけど。もしかしたら、この事件は、親父が残してくれた最後の宿題なんじゃないかって。そんな気がするんだ」

「最後の宿題?」

「ああ。俺を応援してくれた親父のためにもさ。親父を殺した真犯人を、この手で捕まえてやろうって、そう思ってるんだ」

「そう、頑張ってね」

 いつになく熱くなっている洋介を横目で見ながら、私は胃薬を飲もうと、グラスを手に取った。

「そういえばあの日、伯父さんも胃薬飲んでたわね」

 私が洋介の顔を見ながら言うと、彼は黙って頷いた。

「伯父さんが飲んでいたのって、カプセルだったわよね。私にくれた胃薬とは違うみたいだけど?」

 私の手に乗っているのは、錠剤タイプのものだ。私は孝子に尋ねた。

「ええ。旦那様は、かかりつけの日向医院で出していただいたお薬を、服用していらっしゃいましたから」

「そうなの。お医者さんにかかるなんて、相当、胃の具合が悪かったのね」

「よくはわかりませんが、軽い胃潰瘍だと、奥様からお聞きしていました」

「胃潰瘍か。そうか」

 孝子の答えに、洋介がつぶやくように言う。

「どうしたの? 洋ちゃん」

 私に尋ねられ、洋介は困ったように微笑んだ。

「言わないで済むなら、言わないでおこうと思ったんだけど」

 洋介は、迷っている様子で唇をかんでいたが、やがて口を開いた。

「親父の解剖所見、今日、改めて警察で見せてもらったんだ」

「何かあったの?」

 洋介は、ちらっと私の顔を見た。

「親父、胃ガンだったらしいんだよ。それも、かなり末期に近い状態でさ」

「えっ」

 私は驚いて孝子の顔を見た。彼女も、私の顔を見ている。

「坊ちゃん、ご存じだったんですか?」

 孝子が、震える声で尋ねた。

「いや、知らなかったよ。言われてみれば、最近、少しやせたようだったけど、気がつかなかった」

 洋介は、自分を責めるようにつぶやいた。

「洋ちゃんが責任を感じる必要はないわ。私だって、全然気がつかなかったもの」

 時計の音が聞こえる程、静かな時間が流れた。

「真由美さんは、知っていたのかもしれないわね。あの日も、時間をかなり気にしながら、薬を渡していたし」

 私はそう言って、胃薬を流し込んだ。と、その時、突然、洋介が大声を上げた。

「それだ! それだよ!」


(3)


 私は、驚きのあまりむせ返った。孝子が、慌てて背中をさすってくれる。

「何なのよ、一体」

 涙目で振り返る。

「睡眠薬だよ、睡眠薬」

 洋介が興奮気味似立ち上がった。

「何の話?」

 私は、グラスを孝子に渡すと、腕を組んだ。まだ気管に水が入っているようで、落ち着かない。

「親父があの時飲んだカプセルの中身が、睡眠薬に入れ替わっていたとしたら?」

 洋介の質問に、私は思わず手を打った。

「眠たくなったって言って、私達を置いて寝室に上がった理由も、胃の中から睡眠薬が検出された理由も、説明がつくわね」

 洋介が顔を紅潮させて頷いた。

「親父は胃薬のつもりで、あのカプセルを飲んでいる。襲ってきた眠気は、アルコールによるものだと思ったはずだ。だから、寝室で少し横になれば、すぐ醒めると考えたんだろう」

「それで、後で降りてくるって言い残して、寝室に行ったのね」

 私は再び、ソファに腰を下ろした。それを見て、洋介も腰を下ろす。孝子は、その場に立ったまま、私達の話を聞いていた。

「でも、ピルケースの中から、必ずしも睡眠薬の入ったカプセルを選び出すかどうかは、わからなかったはずよね」

 私が言うと、孝子が口をはさんだ。

「旦那様は、細かく仕切られたピルケースをお使いでした。朝、昼、晩と3回に分けて、お薬を入れていらっしゃって。胃薬の他にも血圧のお薬とか、色々、服用されていましたから、間違えないようにと」

「それなら、飲むカプセルを特定できるわね」

 私は頷いた。

「その薬は、親父が自分で用意していたのかな?」

 洋介の質問に、孝子は言いにくそうに答える。

「いいえ。いつも、奥様がご用意されていました」

 私と洋介は、思わず顔を見合わせた。

「真由美さんは、お部屋かしら?」

 短い沈黙の後、私は尋ねた。孝子のかわりに洋介が答える。

「いや、しばらくゆっくり休みたいって言うから、実家に戻ってもらったよ。俺、今日の昼頃、駅まで車で送ってあげたんだ」

「そう。実家に。確か、鎌倉だったわよね」

 私は溜息をついた。孝子はうつむいたまま、キッチンへと戻っていく。

「真由美さんなら、胃薬と睡眠薬をすり替えることは可能だよな」

 洋介が、頭を掻きながら言った。

「でも、そんなすぐばれること、するかしら。それに青酸ガスだって、簡単に手に入るものではないだろうし」

 そう言いながら、友川助教授の顔がちらつく。薬学の知識があれば、青酸ガスを作り出すこともできたかもしれない。

 私は、ソファに身を沈めた。

「まあ、その点は確かに疑問だけど。それは後で考えるとして、とりあえず今は、睡眠薬についての話をしようぜ」

 洋介は続けた。

「お前は、すぐばれるって言うけど、放火による自殺だと判断される自信があれば、そう深くは考えないんじゃないか?」

「確かにね」

 私は頷いた。

「ただ、真由美さんが犯人だとしても、動機がわからないんだよな。財産分与の件を、本当に知らなかったらってことだけど」

 孝子から聞いた話をすべきかどうか迷ったが、今はまだ黙っておくことにした。余計な先入観を植え付けるのは、得策ではないと考えたからだ。

 洋介は、目を閉じて何やら考えている様子だったが、やがて、ゆっくりと目を開けた。

「気が進まないけど、彼女の身辺、調べてみるか」

「身辺を調べるって、洋ちゃん、そんなことできるの?」

 私が驚いて尋ねると、洋介は皮肉っぽく微笑みながら答えた。

「一応、探偵稼業をやらせて頂いておりますので」

 ああ、そうか。謝るかわりに、私はぺろっと舌を出しておいた。

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