第5章
(1)
出版社に原稿を持ち込んだ帰り、相田家へ向かう道を歩いていると、背後から車のクラクションが2回、鳴った。驚いて振り返ると、それは洋介だった。
「乗っていけよ。すぐだけどさ」
洋介が、窓を開けて声を掛けてくる。
「サンキュ」
私は助手席の方に回り込み、ドアを開けた。
「相変わらず、年代物ねえ」
乗り込むと、車の天井は落ちかけており、後部座席は所々、シートがはがれて綿が出ている。
「ああ。でも、まだ十分走ってくれるから、捨てられないんだよなあ」
これでも、お金持ちの大学教授の一人息子なのだ。なぜ、こんなに貧乏性に育ってしまったのか、時々、首を傾げたくなることがある。
「近い将来、買い換える時が来るわよ」
断末魔のようなうなり声を上げて走る車に揺られながら、私はつぶやいた。
「今日も取材か?」
洋介が尋ねる。
「ううん。今日は、原稿を届けに行ってきたの。夕べ、徹夜で書き上げたから」
「例のケーキ屋の分か?」
「うん」
私は頷いた。
「ところで、探偵さんの方はどうなったの?」
私の質問に、洋介は待ってましたとばかりに鼻を鳴らす。
「すっごいネタを仕入れたよ。まあ、後でゆっくり教えてやるから、慌てるなって」
誰も慌ててはいないが、あえて言い返すことはせず、微笑んでおいた。
次の角を曲がると、すぐ相田家だ。きれいな夕焼けを見ながら、私は大きくあくびをした。
「何だよ。眠いのか?」
洋介が、横目でちらっと私を見る。
「だから、徹夜したって言ったでしょ?」
私は、ぶっきらぼうに答えた。
「俺の報告を聞いたら、その眠気も吹っ飛ぶぞ」
ハンドルを回す洋介の手に、力が入る。
「楽しみにしてるわ」
私は答えると、再びこみ上げてくるあくびをかみ殺した。
(2)
着替えを済ませて居間に入ると、洋介は既にソファに腰掛け、コーヒーを飲んでいた。
「早く、座れよ」
彼は手帳を開きながら、目で向かいのソファを示す。
「はいはい」
私は、ゆっくりとソファに腰を下ろした。
「コーヒーでよろしいですか?」
キッチンから、孝子が顔を出した。
「うん、うんと濃いヤツ、入れてやってくれよ」
私が言う前に、洋介が答えた。
「はい。かしこまりました」
孝子が、笑いながら首を引っ込める。私は呆れて、洋介の顔を見返した。
「何で洋ちゃんが答えるのよ。今日は、緑茶が飲みたい気分だったのに」
「何を言ってるんだよ。眠いときは、濃いコーヒーが一番なんだ。シャキッとするからな」
私は思わず溜息をついた。
少しして、孝子がお盆にカップを載せて現れた。私はお礼を言って、それを受け取った。
「目が赤いですよ。大丈夫ですか?」
孝子が心配そうに尋ねる。洋介も、顔を上げて私の目を見つめた。
「大丈夫よ。ありがとう。今日は、早く寝るようにするから」
私の言葉に頷くと、孝子はキッチンへと戻っていった。夕食の準備があるのだろう。
「今日の報告、させてもらっていいか?」
私がカップを置くのを見て、洋介が言う。
「いいわよ。お願い」
私はきちんと座り直すと、洋介を見た。
「お前、真由美さんの前の職業、何て聞いてた?」
「銀行員じゃなかったの? 伯父さんの研究室と取引があって、知り合ったって話だったじゃない?」
洋介は首を横に振った。
「違うんだよ。真由美さん、銀座の高級クラブでホステスやってたんだ」
「え?」
私は聞き返した。
「ホステスって……。そのこと、伯父さんは知ってたの?」
「ああ。言えばややこしくなると思って、俺達には黙っていたんだろう」
「なるほどね。まあ、伯父さんが知っていたんなら、何の問題もないと思うけど?」
私は、腕を組んだ。
「それがさ、親父に真由美さんを紹介したの、誰だと思う?」
「さあ」
首を傾げる。
「友川さんなんだよ、友川さん。何でも、もともとそのクラブに通い詰めていたのは、友川さんだったらしいんだ。真由美さんにぞっこんでさ。でも、友川さんには奥さんがいる」
洋介が、私の顔を見る。
彼の奥さんは、どこかの大学の助手で、ロシア文学の研究をしていると聞いたことがあった。
「ある日、友川さんは、親父をそのクラブへ連れていった。親父が、友川さんの様子を見かねて、真由美さんと話をするためだったらしい。ところが、真由美さんの方が、親父に惚れこんじゃったらしいんだよ」
「真由美さんが? 何でまた、あんなおじいさんに」
私は、顎をさすりながら尋ねた。
「そんなこと、俺にわかるわけないだろう? もともと、友川さんの方が、一方的に真由美さんに入れ込んでいたって話だから、彼女自身は、友川さんのことは特別視してなかったらしいけどな」
「ふうん、それで?」
私に促され、洋介は続けた。
「親父は、初めのうちは断っていたらしい。でも、友川さんが真由美さんから手を引くと、真剣に考えるようになったんだろうな。お袋が死んで2年くらい経ってたし、寂しさっていうのもあったんだろうけど」
「で、今現在、友川さんと真由美さんはどうなってるの?」
私は、カップを手に尋ねた。
(3)
「どうって、何がだよ?」
「2人の関係よ。愛人だとか、そういう情報はなかったの?」
洋介が、何を言っているんだという目で、私を見る。
「さっき言っただろ? 友川さんが、一方的に真由美さんを想っていただけだって」
「でも、去年の4月頃、2人が抱き合っているのを目撃した人がいるみたいよ」
私はカップを置いた。
「何だって?」
洋介が身を乗り出す。
「いったい、誰が見てたんだよ」
「孝子さんと」
「と?」
「伯父さん」
洋介は、どさっと、ソファに身を沈めた。
「だから、真由美さんに遺産を残さないなんて言い出したんだな」
両手で顔を覆う。
「そればっかりではないでしょう? だって、真由美さんだけじゃなくて、洋ちゃんにも遺産は残さないつもりだったんだから」
「確かにな」
私の言葉に、洋介は腕を組んだ。
「しっかし、女ってのはわかんないな」
洋介が、ため息まじりにつぶやく。
「女っていっても、色々いるんだから」
私が言うと、洋介は腕をほどいて座り直した。
「いや、女ってのは、難しいよ」
「やけに実感がこもってるわね」
私が茶化すと、洋介は悪戯っ子のような表情で私を見た。
「俺が理解できる女は、真生だけさ」
「女の中に入れてくれて、ありがとう」
私は笑いながら答え、テレビのリモコンを手に取った。
「でも、何でそんな大事なこと、黙ってたんだよ」
洋介が不服そうに言う。
テレビを付けると、気象衛星が撮った写真が、大きく映し出されていた。
「1年近くも前の話だし、とにかく、洋ちゃんに余計な先入観を持って欲しくなかったの」
「先入観か」
洋介が頭を掻く。私は続けた。
「だって、洋ちゃんの調査によると、友川さんの片想いだったって結果しか出なかったんでしょ?」
「ああ」
洋介が、テレビの画面を見ながら答えた。
「確かに、お前に先に話を聞いていたら、違った調査結果が出たかもしれない」
私は微笑んだ。
「洋ちゃんの調査結果に重きを置くとすると、伯父さんと孝子さんが目撃したのは、友川さんが一方的に迫っていた現場だったのかもしれない。無理矢理、抱き寄せられたのを見て、抱き合っていると勘違いされたって可能性も出てくるじゃない?」
「となると、友川さんは、まだ真由美さんのことを諦めていなかったってことになるな」
洋介の言葉に、私は頷いた。
「つまり、友川さんにも動機があったってことになるわよね」
「そうだな。真由美さんをとられたと考えて、親父のことを恨んでいたとも考えられる」
洋介は立ち上がった。
「どこ行くの?」
「部屋だよ、部屋。ちょっとゆっくり、頭ん中、整理してくる。飯が出来たら呼んでくれ」
彼は、居間を出ていった。
(4)
その翌日、真由美が相田家へ戻って来た。伯父の初七日の法要のためだ。火葬の後、続けてやってしまおうという話もあったのだが、警察の取り調べ等のおかげで、本来の初七日にあたる日に、執り行うことになったのだ。
お茶を飲みながら、明日の法要の打ち合わせを済ませると、真由美はすぐに自分の部屋へ入った。孝子は、夕食の用意をするため台所へと戻り、応接間には常連2人が残っている。
「真由美さん、相当参っている様子だったわね」
私がコーヒーを片手に話し掛けると、洋介は頷いた。
「ああ。俺もそう思ったよ」
洋介が、カップをテーブルに置きながら言う。
「本当に、親父のことを愛してくれていたとしか考えられないよな。ましてや、殺したなんて、どうしても思えない」
「そうね」
私も、コーヒーカップをテーブルに置いた。
「もしあれが演技だったとしたら、誰も信じられなくなりそうね」
「ああ」
窓辺に置いてある籠の中では、ジャンガリアンが走り回っている。
「この子達、何を見たのかしら」
言っても無駄だとわかっていても、つい口をついて出てしまう。
重苦しい沈黙が流れた。
「さて、と」
洋介が立ち上がる。
「真菜、見せたいものがあるんだ。俺の部屋に来てくれるか?」
私の返事を待たず、洋介が歩き出した。
「ええ。いいわよ」
私は慌てて立ち上がり、洋介の後を追った。
「あら、どちらへ?」
孝子が、気配を察して居間を覗く。
「洋ちゃんの部屋に行くから。お食事ができたら呼んでもらえるかな」
私が答えると、彼女は頷いた。
「わかりました。坊ちゃんのお部屋ですね」
私は軽く微笑み、居間を出た。洋介は、既に部屋へと入っているようだ。
「何かなあ」
色々考えてみるが、思い当たらない。私は、ゆっくりと階段をあがっていった。
(5)
「まあ、座れよ」
デスクの椅子を手で示され、私は言われるままにそこに腰掛けた。洋介は、ベッドに腰を下ろす。
「何? 見せたいものって」
私が尋ねると、洋介は手にしていた手帳から、1枚の絵葉書を取り出した。そこには、菖蒲の絵と共に詩が書かれていた。私は、黙ってそれを受け取った。
「これは?」
私の問いに、洋介が答えた。
「親父の日記の間から、お袋の写真と一緒に出てきたらしいんだ。この間、警察で事情聴取された時、見せられた。本物は、警察の方で保管されてるよ。昨日、色々店を捜し回ってさ、同じ絵葉書を見つけて買って来たんだ。星野富弘という人の『花しょうぶ』っていう作品だ」
「そう」
私は頷いた。
「大勢の人の愛の中にいながら、醜いことばかり考えてしまう自分が悲しい。そんな意味の詩かしら。それにしても、伯父さんが詩に興味を持っていたなんて、知らなかったわ」
「ああ。俺もだよ。警察でこの絵葉書を見せられた時は、不思議な気がした」
洋介が言う。
「でも、警察が保管してるって、どういうこと? この絵葉書が、何か事件と関係あるの?」
「この絵葉書の裏側に、親父の走り書きがあったんだ」
「走り書き?」
「ああ。『助けてくれ』って書いてあった」
洋介が、ため息まじりに答える。
「助けてくれ? 穏やかじゃないわね」
私の言葉に、洋介は頷いた。
「警察では、親父が自分の命を狙われていることを、察していたんじゃないかって、そう考えているらしい」
「そんなことって……」
「でも、詩の内容とも一致するだろ? 詩の中の『みにくいこと』っていうのが、自分が殺されそうだっていう、被害妄想的な考えだと解釈すれば」
「被害妄想ねえ」
私は、もう一度、その絵葉書を見た。
「助けてくれ、か」
「ああ。助けてくれ、だってさ。直接言ってくれなきゃ、わかんねえよな。お袋の写真に語られたってさ」
洋介がまた、ため息をついた。
「それで、これからどうするつもり?」
私は、絵葉書を洋介に渡しながら尋ねた。
「それなんだよな。どうしたもんかな」
洋介が、頭の後ろで腕を組み、ベッドに横になる。
「まったく、親父も厄介な宿題を残してくれたもんだよ」
「確かにね」
私は足を組んで、椅子の背もたれに寄りかかった。
「ねえ、ちょっとだけ考えてみない?」
「何をだよ」
洋介が起き上がる。
「警察の言う通り、伯父さんが身の危険を感じていたとして」
私は、洋介の顔を見ながら続けた。
「いったい、誰に殺されると思っていたのかしら?」
「誰だろうな」
洋介が腕を組む。
「それに、伯父さん、あの日寝室に上がる前に、遺言のようなことを言い残して居間を出たでしょ? あれが、どうしても気になるのよねえ」
「どういうことだよ」
洋介が私の方を見る。
「だって、まるで、あの後すぐに殺されることがわかっていたみたいじゃない」
「となると、やっぱりあの場にいた人物の中に、親父が危機感を抱くやつがいたってことか」
「そうなるわよね」
私が頷くと、洋介は手帳を広げて、ペンを持った。
「あの日、食事会に参加していたのは、俺と真生と真由美さん、それから友川さんに孝子さんの5人」
言いながら、名前を書き込む。
「親父が寝室に上がってからのアリバイがあるのは、真生1人、と」
洋介が、私の名前の上にバツ印をつける。
「残るは4人か」
「そうね」
私が答えると、洋介はちらっと私の方を見た。
「でも、お前がその4人の誰かと共犯ならば、アリバイがあったって、犯人である可能性はあるわけだ」
「本気で言ってるの?」
私が尋ねると、洋介は微笑んだ。
「冗談だよ。お前の容疑は消してやるから、俺の容疑も消してくれよ」
「でも、洋ちゃんには、動機もあるしねえ」
「ああ、遺言状か」
洋介は、手帳に「遺言状」と書き込んだ。
「でも、それが動機だって言うんなら、真由美さんにだって動機があることになる」
「確かにね。でも、真由美さんは、遺言状の存在を知らなかったわけでしょ?」
私の問いに、洋介が答えた。
「でも、それはあくまでも彼女自身が言っていることだ」
「まあね」
私は肩をすくめて頷いた。
「ところで、伯父さんの遺言状に書かれていた児童福祉団体だっけ? それはいったい、何なのかしら」
洋介は、手帳に「福祉団体」と書き込み、私の方を見た。
「心当たりがないんだよ。親父が、福祉とかに関心を持ってたなんて、知らなかったからな」
「調べてみた方が、よさそうじゃない? 伯父さんと、どういう関係のある団体なのか」
「そこへ寄付しようと考えるに至った経緯ってやつもな」
洋介が、手帳に「関係、経緯」と書いた。
「それから、友川さんと真由美さんの関係も」
「ああ、そうだそうだ。それも調べ直さなくちゃいけないなあ」
洋介が、2人の名前を線で結ぶ。
「これ、俺、自信があったんだけど」
小さな声でつぶやきながら、洋介はペンのお尻で鼻の頭を掻いた。
「孝子さんに、2人を目撃した時のこと、詳しく聞いてみるかな」
「あと、伯父さんの胃ガンのことについても、詳しく知りたいわね」
私は、腕を組みながら言った。
「親父の胃ガン? 何で?」
「何でって」
私は、いささか呆れて洋介を見た。
「伯父さんが末期のガンだったってこと、他に誰が知っていたのかとか。それに、睡眠薬は、病院でもらった薬と摺り替えられていたのよ。誰が薬を取りに来ていたのか、どんな種類の薬を飲んでいたのか、色々、尋ねることはあるでしょう?」
「ああ、そうか。薬をピルケースに入れていたのが、真由美さんだってことしか、わかってなかったんだ」
「摺り替えられたのが、ピルケースに入れる段階だったのか、真由美さんの手に渡された時には既に摺り替えられていたのか、薬を服用していたことを、他に知っている人はいなかったのか」
私は、天井を見上げながら続けた。
「ちょっとした事柄でも、色んな考え方を導き出してくれるものよ」
洋介が私の顔を見つめる。
「お前、すごいな」
本気で感心しているようだ。
「ちょっと、しっかりしてよ、探偵さん」
私は、洋介の肩を軽く叩いた。
「おう、俺の実力はこれからさ。えっと、ここまで見て来たところでは、全部に関係しているのは、真由美さんだけだな」
「そういうことになるわね」
大丈夫だろうかと思いながら、頷く。
「ただ、どれも弱いんだよな。決定打がないっていうか……」
洋介が、手帳を閉じた。
「明日の法要の時、事件に関係している人達、みんな集まるだろ? 警察が、まだ何か聞きたいことがあるらしくてさ、居間に残っておくように言われてるんだ。そこで何を聞かれるかによって、新たにわかることがあるかもしれない」
洋介の言葉に、私は頷いた。
「そうね。宿題を解くカギがあるといいわね」
「ああ」
洋介はまた、ベッドに横になった。




