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最後の宿題  作者: 深月咲楽
3/13

第3章

(1)


 伯父の遺体が戻ってきたのは、翌日の午後のことだった。

 解剖の結果は、青酸ガスによる中毒死。血液からは青酸反応が見られたが、胃には青酸反応がなかったことから、そう判断されたようだ。しかし、火事により発生した青酸ガスではなかったことは、絨毯等の分析結果からも明らかになった。それらの物には、ガスが発生する物質は含まれていなかったのである。

「発見された新聞紙、あっただろ? どうも直接火を付けたわけじゃないらしいんだ。分析の結果、ロウが付着していたんだってさ。あの新聞紙は、蝋燭の下に丸めて置かれていた可能性が強い。つまり、蝋燭が溶けて炎が下に下がることで新聞紙に引火する、至って単純な時限装置が仕掛けられていたってことらしい。これなら、蝋燭の溶ける速さを、予め計算しておけるだろ?」

「じゃあ、伯父さんを起こしに行く時間を計算した上で、火が付くようにしておいたってこと?」

 洋介が頷く。

「それからもうひとつ、妙なことがあったんだ」

 洋介は、顔を上げた。

「妙なことって?」

 隣の和室では、伯父のお通夜の準備が進められている。

 真由美はショックのあまり体調を崩し、部屋に閉じこもっていた。

「胃の中から、少量なんだけど、睡眠薬が検出されたらしい」

「睡眠薬?」

 私は聞き返した。

「ああ。親父は確かに、普段から睡眠薬を服用していた。今回も、無理矢理飲まされた形跡はなかったらしくてね。警察は、親父が自分の意志で睡眠薬を飲んだんじゃないかって、そう考えているようなんだ」

 洋介が、腕組みをしながら言った。

「それって、おかしいと思うわ。伯父さん、後で降りてくるつもりだったのよ。睡眠薬なんか、飲む訳がないでしょう」

「青酸ガスは即効性があるから、もし自殺だとしたら、入れ物がそばに残っているはずだろ? でも、それは発見されなかった。警察では、親父が寝室に戻って睡眠薬を飲み、寝込んだところで、誰かが青酸ガスを吸わせて、親父を殺害したと考えているらしい。火を付けたのは、自殺に見せかけるためだろうってさ」

 言いながらも、洋介は納得できていないようだ。

「でも、あの時間帯に伯父さんの寝室に入り込めるとなると、食事会に参加していた誰かが犯人ってことになりそうね」

「そう考えるのが自然だよな。ただ、あれからすぐ行われた持ち物検査でも家宅捜索でも、青酸ガスを入れていた入れ物は見つからなかったしなあ」

「マスクとか手袋とか、自分の身を守るものも必要だったはずだけど、それらしいものも何も見つからなかったわね」

「捨てに行く時間なんて、なかったはずだし」

「家宅捜索もしたんだし、隠したとしても見つかっているはずよ」

 私達は黙り込んだ。

 隣の部屋から、友川助教授が葬儀屋に指示する声が聞こえてくる。

「坊ちゃん、お嬢様。お通夜の準備が出来ました。和室の方へお越し下さい」

 孝子が顔を出す。

「今日、明日中はばたばたするだろうから、葬式が終わって落ち着いたら、またゆっくり話そうぜ」

「わかったわ」

 私は頷くと、数珠を手に祭壇が設けられている和室へと向かった。


(2)


 お葬式も無事終わり、伯父の遺体は荼毘に付された。

「疲れたな」

 車から降りると、洋介が、私にそっと話しかけてきた。腕には伯父の遺骨を抱いている。

「本当に。雪も降ってきてるし」

 どんよりした空から、雪がちらちらと落ちていた。

「不思議だよな。空が白いから、落ちてくる雪は黒く見える」

 洋介が、空を見上げながらつぶやいた。

「洋ちゃんって、時々、そういう詩人みたいなこと言うわよね」

 私は、洋介の肩に落ちた雪を払いながら、微笑んだ。

「ああ。俺って案外、ロマンチストなんだぜ」

 洋介が、白い息を吐きながら言う。

「それにしても、親父、こんなに小さくなっちまって」

 彼は、腕に抱いた骨壷をじっと見つめた。

「洋ちゃんがしっかりしないと駄目なのよ」

 孝子に抱きかかえられて家の中へと入っていく真由美を見ながら、私は言った。

「わかってるさ。でも、おかしなもんだな。お前の前に出ると、つい弱音も吐けちまう」

「兄妹みたいに育ったからね。仕方ないなあ。もう少し落ち着くまで、相田家に居候させてもらうか」

「おう、そうしてくれよ」

 洋介は、疲れた様子でそっと微笑むと、玄関に向かってゆっくりと歩き出した。

「あ、そうそう、刑事さんが、話を聞きたいから、着替え終わったら居間に集まってほしいってさ。疲れてるのに、申し訳ないけど」

「洋ちゃんが謝ることなんてないわよ」

 私は微笑んだ。


(3)


「今夜、お集りいただいたのは、他でもありません。幸三さんの死が他殺である可能性が高くなりましたので、もう少し詳しいお話をお伺いしようと思いまして」

 高梨刑事が、ゆっくりした口調で話し始めた。今日は、彼よりかなり若い、郷田という刑事も同席している。先日食事会に参加していた5人に加え、伯父が懇意にしていた弁護士の庄野春臣も、そこにはいた。

「それで、犯人の見当はついているんですか?」

 友川助教授が尋ねる。

「犯人が誰なのか、それはもう少し調べてみないとわかりません。ただ……」

「ただ?」

 刑事の言葉に、洋介が聞き返した。

「このお話は、弁護士の庄野先生からして頂いた方がよろしいでしょう」

 高梨刑事は、庄野弁護士に向かって軽く頷いた。

「わかりました」

 それまで、手を前で組んだまま目を閉じていた初老の弁護士は、ゆっくりと立ち上がった。

「実は、相田教授の財産分与についてのことなんだ」

「財産分与、ですか? それが、今回の事件に関係あるんですか?」

 私は口をはさんだ。

「ああ。実は、以前、教授から『退官記念の食事会の時に、その件について家族に相談し、同意を得るつもりだ』と聞かされていたんだよ」

 庄野弁護士が静かな声で答える。

「そういえば伯父さん、寝室に上がる前に、何か話があるからまた降りてくるって、そう言っていたわね」

 私は、洋介に確認した。

「ああ。言ってたよ」

 洋介と一緒に、他のみんなも頷く。

「じゃあ、その時にでも、話されるおつもりだったのだろうね」

 庄野弁護士が言った。短い沈黙が流れる。

「私は、席を外させていただきましょうか。外部の者ですし」

 友川助教授が席を立ちかけるのを、洋介が制した。

「いいえ、構いませんよ。どうぞ、ここにいらして下さい」

 彼は困ったように苦笑すると、再び腰を下ろした。

「教授は、ご自身のご遺産を全額、ある児童福祉関係の団体に寄付される予定にされていたんだ」

 庄野弁護士が、そう言いながら皆を見回す。

「全額?」

 私は思わず聞き返した。

「それで、遺言状は?」

「皆さんの承諾を得られてから、署名捺印される予定だったから、正式にはまだ、できあがっていないよ」

「それじゃあ……」

 私が言うと、庄野弁護士は頷いた。

「法定通り、ご親族に分与されることになるだろう」

「親父がこのタイミングで死んでくれたことで、俺も真由美さんも、無一文は免れたってわけですね」

 洋介が苦笑する。

「まさか、それが伯父を殺害した動機だと?」

 私は、高梨刑事に向かって尋ねた。

「まだ、そうと決まったわけではありません」

 高梨刑事が、優しく微笑みながら答えた。

「私、あの人がそんなことを考えていたなんて、全く知りませんでした」

 真由美が、消え入りそうな声で言った。ハンカチを固く握りしめている。

「でも洋介さん、あなたはご存じでしたね?」

 高梨刑事の鋭い目が、洋介を捉える。洋介は、何か考えている様子だったが、やがて頷いた。

「ええ。話は聞いていました。そして、食事会の時に、みんなから意見を聞くつもりだということも」

「ひどく、反対されたそうですね」

 高梨刑事が言うと、庄野弁護士が口を挟んだ。

「洋介君、悪く思わないでくれよ。以前、教授と昼食をとった時に、彼から話を聞いたんだ。それで、刑事さんにそのことを話した」

「そうでしたか」

 洋介は、頭を掻いた。

「庄野先生のおっしゃる通りですよ。俺は断固反対しました」

「それは、あなたの分け前がなくなるからですか?」

 今まで黙っていた郷田刑事が、突然口を開いた。洋介は何も答えず、ちらっと彼の方を見ただけだった。

「あなたの探偵事務所について、調べさせていただきましたよ。どうやら、苦しいようですね」

 郷田刑事が、洋介の目を見つめたまま問いつめる。

「確かに、苦しくないことはありません。でも、親父から借りていた金は既に返済しましたし、最低限、食べていかれるだけの稼ぎはありますよ」

「でも、遺産が全く入らないとなると、期待はずれだったのではありませんか?」

 郷田刑事の言葉に、私はたまらず口をはさんだ。

「まるで、洋ちゃんが遺産目当てに伯父を殺したと、そうおっしゃっているように聞こえますけど」

「いえいえ、そういうわけではないんですよ。誤解を招いてしまったのなら、申し訳ありません」

 高梨刑事が、急いで間に入った。

「我々は、なぜ反対されたのか、その理由をお聞かせ頂きたいだけなのです」

「そんなこと、お話しする必要はありませんね」

 洋介は、腕を組んで言った。

「洋介君、私も教授に尋ねたんだが、君に直接聞いてくれと言われただけでね。ここは、正直にお話しした方が、君自身のためだと思うんだが」

 庄野弁護士が、心配そうに言う。それでも、洋介は口を固く結んだまま、話そうとはしなかった。

「仕方がありませんね。署までご同行いただけますか? そちらで詳しいお話をお伺いしましょう」

「任意同行ってやつですよね?」

「ええ、そうです」

 洋介の質問に、高梨刑事が頷く。

「でしたら、お断りします。気が向いたら、明日にでもこちらから伺わせて頂きますよ」

 郷田刑事の顔に、さっと怒りの色が走った。高梨刑事が、慌ててそれを押さえる。

「よくわかりました」

 高梨刑事が立ち上がる。

「では、明日、あなたが出向いて下さることを期待しています。本部は、飯坂警察署に置かれていますので」

 2人の刑事は、軽く頭を下げると出ていった。

「洋ちゃん、あんなこと言っていいの?」

 ドアが閉まるのを見て、私は尋ねた。周りもみな、心配そうな顔をしている。

「いいに決まってるだろ? 親父の死が他殺だって、一番主張したのは俺なんだぜ。もしも俺が犯人なら、自殺のままで終わらせるさ。ちょっと考えりゃあ、わかりそうなもんだろう」

 洋介は立ち上がり、ずかずかと居間を出ていった。

 まったく、もう。その後ろ姿を見つめながら、私は深く溜息をついた。


(4)


「洋ちゃん、ちょっといい?」

 私は、洋介の部屋のドアをノックしながら、声をかけた。

 あの後、みんなは、それぞれの部屋に戻っていた。友川助教授も、もう一晩、この邸内に留まっている。

「おう、どうぞ」

 中から、洋介の声がした。ドアを開けると、洋介はベッドに横になって、本を読んでいた。

「本当のこと、聞かせてよ」

 私は、床に置かれているビーズクッションに座り込んだ。彼も起き上がり、ベッドの縁に腰掛ける。

「本当のことって?」

 本を横に置き、洋介は私の目を見た。

「だから、伯父さんの意思に反対した理由よ。何か訳があったんでしょ? 真由美さんのためとか」

「真由美さんのため?」

 洋介が聞き返す。

「うん」

 私も、彼の目を見つめた。

「あんなに年の若いお嫁さんをもらったんだもん。伯父さんの方が、早く亡くなるのは当然でしょ? せめて、真由美さんが後々困らないくらいの額は残してやるべきだって、そう思ったんじゃないの?」

 洋介は、何も言わず目を閉じたが、やがてゆっくりと目を開けた。

「お前には、何でもわかっちゃうんだな。その通りさ」

「やっぱりね。洋ちゃんって、お金に執着するタイプじゃないし」

 以前、洋介の事務所でバイトしていた女の子から、愚痴られたことがある。洋介は、すぐに情に流されてしまい、もらえるお金ももらって来ないそうだ。彼女はついに呆れ果て、半年ほどでやめてしまった。

 現在は、洋介ひとりで事務所を運営している。

「だったら、さっき、そう言えばよかったじゃないの」

 私が言うと、洋介は苦笑いしながら答えた。

「俺、親父と真由美さんが結婚するって聞いたとき、めちゃめちゃ反対したんだぜ。今さらそんなこと言えるかよ。それに」

 洋介は咳払いして続けた。

「真由美さんのためだなんて言ったら、俺と彼女が共謀して親父を殺したとか、言い出しかねないからな、あの刑事達」

「確かにね」

 私は微笑みながら頷いた。

「洋ちゃんが、伯父さんを殺すわけないもんね。それで、明日は警察に出向く気?」

 私の質問に、洋介はこちらを見た。

「行かなくちゃいけないだろうな。逮捕状とか、持って来られてもうっとうしいし」

「ついていってあげようか?」

 私が茶化すように言うと、洋介は手を振りながら大袈裟に頭を下げた。

「お気持ちだけで結構でございます。もう、れっきとした大人でございますから」

「左様でございますか。それは、失礼をば、いたしました」

 私達は、声を揃えて笑った。

「それじゃ、私はもう寝るわ。明日、取材に行かなくちゃいけないの。それにしても、今日はさすがに疲れたわね」

 私は、立ち上がりながら言った。

「そうだな。まあ、無理はするなよ」

「わかってる」

 私は、軽く手を上げると、ドアの方へ向かった。

「真生」

 洋介に呼ばれ、振り返る。

「ありがとう。信じてくれて」

 洋介が、つぶやくように言った。

「ばあか。早く寝なさいよ」

 照れ臭さを隠すため、私は急いで部屋の外に出た。

 と、その時、真由美の部屋に、誰かが入って行くのが見えた。腕時計の針は、11時を指している。

 私は少し首を傾げると、自分の部屋へと戻った。

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