第2章
(1)
伯父は簡単な検死の後、司法解剖のため、搬送車で監察医務院へと運ばれていった。
後に残された私達は居間へと集められ、刑事の尋問を受ける形になった。2階では、まだ現場検証が続けられている。
「今夜は、どうして皆さん、集まっておられたのですか?」
高梨という中年の刑事の言葉に、洋介が口を開いた。
「今日は、親父の退官記念の食事会をやるということで、ここに集まりました。来月、関係者の方々が、ホテルで盛大なパーティーを開いて下さることになっているので、今回はごく親しい人だけで。7時から始めました」
「なるほど。それでは、皆さんのご関係を教えて下さい」
高梨刑事に促され、それぞれ自己紹介する。
「俺は、相田幸三の長男、洋介です。探偵事務所をやっています」
最初に、洋介が口を開いた。
「お住まいはどちらですか?」
「この家です。2階の、父の寝室の隣に部屋があります」
高梨刑事が頷くと、次に真由美が、鼻をハンカチで押さえながら話し始めた。
「私は相田の家内で、真由美と申します。3年ほど前に再婚いたしました」
「失礼ですが、幸三さんとはお見合か何かで?」
高梨刑事が尋ねる。すると、友川助教授が口をはさんだ。
「奥様は、研究室で利用している銀行に勤めておられました。その関係で、お2人は知り合われたと、教授からお聞きしています」
真由美が、目頭を押さえて頷く。
「あなたは?」
彼の問いに、友川助教授が答えた。
「私は、相田教授の研究室で助教授をしております、友川勇治です」
「父の後継者ですよ。父が引退した後、教授に昇進されることになっています」
洋介がつけ加える。
「後継者、ですか」
高梨刑事は頷きながらメモを取っている。
洋介が、お前の番だぞと言うように、ちらっと私の方を見た。私はハンカチを握りしめながら、話し始めた。
「私は、山川真生といいます。幸三の妹の娘――姪です。中2の時に両親を事故で亡くして、それからこちらで世話になっていました」
「現在もこの家に?」
高梨刑事が尋ねる。
「いえ、今はここを出て1人で暮らしています。電車で2駅の所ですが」
「ご職業は?」
「一応、ルポライターをやっています」
「一応?」
「ええ。まだ、駆出しなもので」
私が答えると、彼は頷きながら、次に孝子を見た。
「あなたは、家政婦さんですか?」
「ええ、そうです。住み込みでお世話になっています」
孝子の目は、泣きはらして真っ赤になっている。
「吉田孝子と申します。ここには15年ほど前から、住まわせて頂いています」
「それまでも、どこかで家政婦を?」
高梨刑事の言葉に、孝子は一瞬ためらいながら答えた。
「いえ、それまでは専業主婦を。夫と死別いたしましてから、家政婦になったんです。他に手に職があるわけでもありませんでしたので」
彼は頷くと、私達を見回した。
「今日、食事会に参加されていたのは、ここにおられる方々で全部ですね」
私達が頷くと、いよいよ話は本題へと向かった。
(2)
「幸三さんが2階へ行かれたのは、何時頃ですか?」
「確か、9時半頃だったと思いますけど」
洋介が見回す。私達は目で確認しあいながら頷いた。
「お手伝いの吉田さんが、煙が出ているのを発見された。それは何時頃ですか?」
「11時半過ぎでした。伯父自身が、起こしてくれと言っていた時間ですので」
私の言葉に、孝子がうつむき加減で頷く。高梨刑事は黙って何やら考えていたが、やがて口を開いた。
「解剖が終わらなければはっきりしたことは言えませんが、死亡推定時刻は午後10時半から11時半の間のようです。争った形跡も、外傷もありませんでした」
彼は続けた。
「聞くところによると、幸三さんは煙草を吸われなかったそうですね。暖房も、ストーブといった火気を用いるものではなく、エアコンを利用されていた」
「ええ、そうです」
洋介が答える。
「つまり、寝室は全く火の気がない状態だったわけです」
「じゃあ、どうして火災が起こったのですか?」
高梨刑事の言葉に、友川助教授が尋ねた。
「人為的なものである可能性が高いですね。現に、火元と思われるドアのそばあたりからは、焼け残った新聞紙らしきものが発見されています」
思いがけない話に、私達は言葉を失った。
「放火だということですか? でも、それなら伯父は逃げ出せたはずですよ。火事といっても大したものじゃなかったし」
私は唾を飲み込むと、口を開いた。
煙が廊下へ流れてきたのは、火元がドアに近かったからというだけで、実際には、カーペットの一部を焦がしただけで済んだのだ。
「確かにな。7年前に建て替えた時、壁材なんかも全部、防火能力のあるものにしたからね。火のまわりは遅いはずだし、中毒で動けなくなるほどの一酸化炭素も出ていなかったはずだ。おかしいよなあ」
洋介も腕を組む。
「何も、一酸化炭素だけが、中毒の原因とは限らないんですよ」
高梨刑事の言葉に、私達は思わず顔を上げた。
「どういうことですか?」
洋介が聞き返す。
「最近では、同じようなケースでの死亡例が、大変多くなってきているんです。というのも、このところ、クッションや絨毯などにウレタンという物質がよく使われるようになりましてね。これが燃えると、青酸ガスを発生させるんです。これは、微量でも死に至りますからね。幸三さんのご遺体には外傷もありませんでしたし、燃焼の程度や煙の量から見て、青酸中毒の可能性が高いと思われます」
「そうなんですか」
私は思わず身震いした。
「だとすれば、私達、よく無事だったわね」
「多分、ドアを開けたときに濃度が薄まったんだろうな」
洋介が頷いた。知らぬが花とは、よく言ったものだ。
「エアコンの風のせいで、煙が直にあたってましたからね。本当に、ぞっとしますね」
友川助教授が首を振った。
「部屋に鍵がかかっていたのは、確かですか?」
高梨刑事の質問に孝子が口を開いた。
「ええ。確かにかかっていました」
「俺も確かめました。間違いなくかかっていましたよ」
洋介も答える。
「鍵はどのように保管されていましたか?」
「寝室の鍵を持っていたのは、あの人だけです。スペアキーなどもありませんでしたし」
真由美が答えた。
「失礼ですが、寝室はご主人とは別にされていたんですか?」
高梨刑事の質問に、真由美は少しうつむきながら答えた。
「ええ。1人で眠りたいと申しまして。用事があるときは、私の部屋に来ていましたから」
「そうですか。ちなみに奥様の寝室は、どちらですか?」
「相田の寝室の向かい側になります」
彼は頷きながらメモをとった。
「親父は、キーホルダーに寝室の鍵をつけて持ち歩いていましたから、その気になれば、誰でも合い鍵を作れる状態ではありました」
洋介が口を開く。
「なるほど。では、誰かが放火した後、鍵をかけたと思われるわけですか?」
「もちろんです」
洋介は続けた。
「親父自身が鍵をかけたとすれば、自殺ということになりますよね? でも、親父が自殺する原因なんて、何一つ思い当たりませんし。それに、エアコンをつけていたというのも、自殺するにしてはおかしいですよね」
「あの人、『眠気が冷めたらまた降りてくる』って、そう言っていましたし」
伯父の笑顔でも思い出したのだろうか、真由美がまた涙をにじませながら、小声で言った。
「だとすれば、伯父さん、よっぽどぐっすり寝込んでいたのね。ちょっとうとうとする程度なら、誰かが部屋に入ってきたら気付くでしょ? 新聞紙に火をつけたとすれば、かなり音もしたはずだし」
私が言うと、友川助教授が口を開いた。
「でも、今日の教授は、何か変だったと思われませんか?」
「変と言いますと?」
高梨刑事が尋ねた。
「挨拶をされた時、『最高の人生だった』なんて、過去形でおっしゃられたんですよ。私はどうもそれが気になってしまって」
「確かに、私にも水臭いこと言ってたわ。それに洋ちゃんにも、日本のホームズになれとか何とか……」
「じゃあ、自殺だったって言うのかよ? 動機はなんだよ。動機は」
洋介が、私の言葉を遮った。
「そんなこと言われたって、わかんないわよ。私はただ、そう言われてみればって話をしてるだけでしょ」
思わず、大声で言い返してしまう。
異常な状況に、私達は皆、疲れはてていた。
「まあまあ、自殺と他殺の両面から、捜査させて頂きますので」
高梨刑事が慌ててその場を収める。しばらくの間、誰も口を聞こうとはしなかった。
(3)
重苦しい空気の中、私はもう一度、伯父の部屋で見た光景を思い出していた。ベッドに横たわる伯父と、その枕元で走り回っていた小さなペット達。
「あっ、ジャンガリアン!」
私は、思わず大声を上げた。みんなの注目が集まる。
「ジャンガリアンが、どうかしたのか?」
洋介が不思議そうに尋ねた。
「伯父さんが亡くなったってことは、青酸ガスの濃度は、人間ひとりを死に至らしめるほどの量だったってことでしょ?」
話しながら、気持ちが昂ってくるのがわかる。
「じゃあ、何でジャンガリアンは無事だったの? かごの置いてある出窓は、伯父さんのベッドの枕元にあったのよ。伯父さんが亡くなったのに、あんな小さな動物が生きているなんておかしいじゃない?」
「そう言えばそうだな。ということは、親父が亡くなったのは、火事が原因ではないってことになるな」
洋介がつぶやく。
「火を付けたのは、本当の死因を隠すためって可能性も出てくるわよね。寝室に火が付けられた時、伯父さんが既に亡くなっていたとすれば、新聞紙の音に気付かなかった理由も、火事が起こって逃げ出さなかった理由も説明できるし」
私達はしばらく、お互いを見つめていた。
「まあ、解剖で死因が特定されないことには、何とも言えませんが……」
高梨刑事が、慎重な口調で言う。
「他殺の可能性が高くなったと?」
友川助教授が青い顔で尋ねた。
「もちろん、断定することはできません。念のため、幸三さんが寝室に入られてからの、皆さんの行動をお聞きしておきましょう。それから、申し訳ありませんが、皆さんの持ち物と、この家の全ての部屋、及び周辺を調べさせて頂きます」
私達は顔を見合わせた。
「まるで、私達の中に犯人がいると、おっしゃっているみたいですね」
真由美が小さな声で言う。
「お気を悪くされましたら、申し訳ありません。事件を速やかに解決するためにも、捜査にご協力下さい」
「わかりました。協力させて頂きますよ。みんなも、やましいことがないなら、調べられたって構わないでしょう?」
洋介が私達を見回す。みんな、渋々頷いた。
「まず、俺達の行動からお話しします。えっと、親父が出て行って1時間ほどしてから、友川さんが煙草を吸いに外に出られました。それと入れ替わりに、孝子さんがコーヒーを持ってきてくれて。それから、真由美さんがトイレに行くと言って出て行きました。そして、俺がビデオの録画予約をセットしに、一旦、自分の部屋へ戻りました。確か、11時少し前だったと思います」
洋介が説明する。
「お部屋は、幸三さんの寝室のお隣でしたね」
高梨刑事が手帳をめくって、確認した。
「ええ、そうです」
「その時、幸三さんの寝室から、煙は出ていませんでしたか?」
その質問に、洋介は少し考えてから答えた。
「気が付きませんでした」
「洋ちゃんが出ていくのとほぼ入れ替わりに、真由美さんが居間に入ってきました。それから友川さんも戻られて。15分ほどして、洋ちゃんも戻ってきました」
洋介が出ていってからのことは、私が代わって説明した。
「吉田さんはその間、どうされていましたか?」
「お夕食の後片付けをしていました。お皿は自動洗浄機で洗えますが、お鍋は自分で洗わなければいけませんので」
孝子が答える。
「なるほど。では、常に誰かと一緒におられたのは、山川さんだけということですね」
「そうなりますね」
洋介が私の方を見ながら言った。
その時、居間のドアがノックされ、歳の若い刑事らしき男性が顔を出した。高梨刑事が駆け寄る。
彼が戻るまでの間、私達は誰も口を開かなかった。
「たった今、2階の現場検証が終わりました。詳しいことは、検死の結果と合わせて、明日中にはご報告できるでしょう。今、婦人警官を呼びますので、男性と女性に別れてお待ち頂けますか」
高梨刑事が携帯を取り出す。私達はお互いの顔を見ながら、ゆっくり立ち上がった。




