第4話 旅路
まだ日も昇っていない時間に起こされた。
これは人権侵害なんじゃないかと、かなり本気で思う。
「ルーク」
毛布を頭までかぶる。
「ルーク」
聞こえない。
「起きないなら置いていくぞ」
目を開けた。
「起きた」
父さんがベッドの横に立って、ニヤニヤしていた。
「驚くほど早い目覚めだな」
体を起こして目をこする。
窓の外はまだ真っ暗だった。
「太陽だってまだ起きてない」
「太陽は今日中に目的地へ着く必要がないからな」
「太陽にも予定があるかもしれない」
「じゃあ俺たちより支度が早いんだろ」
こんな時間からこの人に言い返す元気はない。
昨日の夜から、どこへ行くのか何度も聞いていた。
父さんがまともに答えたのは、ドルファンの南へ向かうということだけ。
モリレまで行くわけではないらしい。
その方向へ続く道の途中にある小さな集落の近くに、父さんの昔の友人が住んでいるという。
誰なのか聞いたら、いつもの答えが返ってきた。
明日になれば分かる。
最近、この家では答えないことが伝統になりつつある。
下へ降りると、母さんはもう食べ物の準備を終えていた。
ミリアは父さんの荷物を確認している。
僕を見ると、母さんが近づいてきて、外套の前を整えた。
「父さんから離れちゃだめよ」
「うん」
「言うことをちゃんと聞くこと」
「うん」
「必要もないのに魔法を使わないこと」
「うん」
父さんが鞄を肩にかけながら、こっちを見た。
「俺にはそんな注意、一度もしてくれないよな」
母さんが父さんを見る。
「言っても聞かないって分かってるから」
父さんが一瞬黙った。
「俺を信用してないのか?」
「あなたを知ってるの」
ミリアが笑った。
僕も我慢できなかった。
父さんは首を横に振る。
「この家での俺の威厳はもう終わりだな」
母さんはかがんで僕の額にキスをした。
それから父さんを見る。
「今夜までに帰れなかったら?」
「ガレスに追い出されなければ、あいつのところに泊まる。明日には戻る」
ガレス。
ようやく名前を一つ聞けた。
「追い出されたら?」
父さんが扉を開ける。
「玄関の前で寝る」
「前にもやったことあるの?」
「何回かな」
後ろから母さんの声が飛んできた。
「ルーク、父さんの話を全部信じちゃだめよ」
父さんが僕のほうへ少しかがむ。
「母さんは時々、真実を受け入れるのが苦手なんだ」
母さんの視線に気づいた父さんは、すぐに体を起こして外へ出た。
僕もそのあとを追う。
どうやら父さんの生存本能は、思っていたより優秀らしい。
こんなに家から離れるのは初めてだった。
最初はあまり気にしていなかった。
道は道だ。
木は木。
山だって遠くから見れば、ただの大きな岩みたいなものだ。
でも、家が遠ざかるにつれて考えが変わってきた。
四年間。
僕の世界は、家と庭と、その周りにあるいくつかの場所だけだった。
今は、どこまで続いているのかも分からない道が目の前にある。
そして不思議なことに――
それが少し楽しかった。
しばらくすると、反対側から二台の荷馬車がやってきた。
荷台には布をかぶせた箱がたくさん積まれている。
「商人?」
「たぶんな」
「どこへ行くの?」
父さんは肩をすくめた。
「どこから来たかによる。ロタスかもしれないし、近くの町かもしれない」
さらに進むと、馬に乗った三人組とすれ違った。
着ている防具はばらばらだ。
一人は腰に剣。
もう一人は背中に弓を背負っている。
先頭の男が父さんを見ると、軽く頭を下げた。
父さんも同じように返す。
三人が通り過ぎるのを待ってから聞いた。
「冒険者?」
「かもしれないな」
「父さんみたいな?」
「俺のほうが格好いい」
「そこ聞いてない」
「でも答えは聞けただろ」
目をそらした。
しばらくすると、また向こうから荷車がやってきた。
御者をしている男に、何か違和感がある。
近づいてきて、やっと分かった。
頭の上に、茶色い耳が二つある。
人間の耳じゃない。
本当に動物みたいな耳だった。
じっと見すぎたのか、男がこっちを向いた。
慌てて前を向く。
父さんが笑った。
「失礼だぞ」
「あの……」
「ああ」
もう一度、後ろを見る。
「獣人族?」
「そうだ」
昨日、父さんが言っていたことを思い出す。
見れば分かる。
うん。
本当にその通りだった。
説明なんて必要なかった。
「尻尾もあるの?」
「行って聞いてみればいい」
「聞かない」
「なんで?」
「剣で斬られたらどうするの?」
父さんは少し考えた。
「それもそうだな」
この世界、ちょっと好きになってきた。
時間が経つにつれ、道は静かになっていった。
集落も少なくなる。
道の両側にあった畑も減り、その代わりに木々が増えてきた。
しばらく前から気になっていたことを聞く。
「ガレスって、どんな人?」
父さんの顔に小さな笑みが浮かんだ。
「気難しい」
「友達なんでしょ?」
「両立するぞ」
「どこで知り合ったの?」
「冒険者をしてた頃だ」
やっとだ。
この四年間。
父さんの過去について知ったことなんて、ほとんどが会話の端に出てくる一言二言だけだった。
少し歩調を速めて隣へ行く。
「同じパーティーだったの?」
「ああ」
「何人?」
父さんは少し考えた。
「時期によって変わったけど、長く一緒にいたのは四人だな」
「誰?」
「俺」
「それは分かってた」
「頭いいな」
父さんは指を立てながら数え始めた。
「ガレス。弟のアレン。それから……」
そこで一度止まった。
「今は三人だけ知ってればいい」
眉をひそめる。
「四人って言ったよね」
「算数が上達したな」
「四人目は?」
「また今度」
もちろん。
また今度。
でも、新しい名前は一つ増えた。
「アレンもガレスみたいな人だった?」
父さんが笑う。
「全然違う」
「どんな人?」
父さんは歩きながら、両手を頭の後ろで組んだ。
「ガレスはどこかに入る前に十回考える。アレンは、入っちゃいけない理由を知るためにまず入る」
なぜか、少しだけ聞き覚えのある性格だった。
「馬鹿だったの?」
父さんが声を上げて笑った。
「いや。たぶん、俺たちの中で一番頭が良かった」
「じゃあ何が問題なの?」
「頭が良すぎたことだな」
「頭がいいのって問題なの?」
「好奇心が強すぎると、たまにな」
父さんは前を見ながら歩き続けた。
「魔法に取りつかれてた。新しい碑文を見つけたら調べる。古い本を見つけたら読む。知らない魔法を見つけたら追いかける。絶対に放っておかなかった」
少し興味が湧いた。
「強かった?」
「かなりな」
「父さんより?」
父さんが僕を見る。
「質問は選べ」
「じゃあ強かったんだ」
「そうは言ってない」
「でも違うとも言ってない」
「育て方を間違えたかな」
ニヤッと笑った。
父さんは首を横に振る。
「一度、洞窟で古い文字を見つけてな。俺たちを三時間待たせた」
「三時間?」
「三時間」
「何て書いてあったの?」
「知らない」
足を止めて父さんを見た。
「聞かなかったの?」
「腹減ってたからな」
……。
「三時間も待ったのに、何て書いてあったか聞かなかったの?」
「そのとき俺とガレスは、最後に残ったパンをどっちが食うかで揉めてた」
「誰が食べたの?」
父さんが誇らしげに胸を張る。
「俺」
「アレンに残してあげなかったの?」
「文字を読むのに夢中だったからな」
「それ、ちょっとひどくない?」
「冒険者ってのは厳しい仕事なんだ、ルーク」
どうやら父さんの英雄譚は、少し疑って聞いたほうがよさそうだ。
でも歩きながら、父さんはさらに話を続けた。
一度はガレスが間違って蜂の巣を踏んだらしい。
また別の日には、アレンが見つけた薬を調べるより先に、父さんに試すことを選んだ。
「飲んだの?」
「飲むわけないだろ」
「本当に?」
父さんが黙った。
「父さん」
「……まずかった」
笑いがこみ上げた。
「どうなったの?」
「最初の二日は何もなかった」
「じゃあ効かなかったんだ」
「三日目に髪が青くなった」
笑いすぎて歩けなくなりそうだった。
「笑うな」
「ちょっと面白い」
「ガレスには二週間からかわれた」
「僕でもからかう」
「お前、誰の息子だ?」
「父さんの」
父さんは嫌そうな顔をした。
「残念ながら証拠が強いな」
話を聞きながら、今まであまり考えたことのなかったことに気づいた。
父さんには、僕が生まれる前の人生がある。
友達がいた。
一緒に旅をして。
喧嘩して。
問題を起こして。
笑っていた。
僕はずっと、父さんとしてのラルフしか知らなかった。
でも昔は、僕の知らないラルフがいた。
なぜか。
その人のことも知ってみたいと思った。
昼前。
父さんが突然、僕の前に腕を出した。
二人とも止まる。
「どうしたの?」
答えない。
道端の地面へ歩いていき、しゃがみ込んだ。
僕も隣へ行く。
何を見ているのか分からない。
土。
葉っぱ。
小さな石。
父さんが指で一か所を示した。
「見えるか?」
「土?」
「跡だ」
よく見る。
土の一部が少しだけへこんでいる。
「足跡?」
「蹄だ」
父さんは少し先にある、折れた細い枝を見る。
それから周りを見回した。
「そんなに古くない」
「何の跡?」
立ち上がる。
「昼飯」
……。
「昼飯って足跡あるの?」
「捕まえる前はな」
父さんは剣のベルトを直した。
「ここにいろ」
「僕も行く」
「だめだ」
「なんで?」
「狩りを知らないから」
「覚えればいい」
父さんが僕を見る。
「今まさに覚えてるだろ。第一の教訓。知らないなら、知ってる奴の言うことを聞け」
正論だ。
腹立つけど、正論だ。
「ここにいろ」
うなずいた。
父さんは木々の中へ入っていった。
最初は普通に姿が見えていた。
でも、途中から動きが変わった。
歩く速度が落ちる。
足を置く場所を選んでいる。
数秒後には、ほとんど音を立てずに進んでいた。
眉をひそめる。
そんなこと、いつ覚えたんだ?
やがて一本の木の向こうへ消えた。
待つ。
十秒。
二十秒。
少し離れた場所から、かすかな物音がした。
そちらを見る。
木々の間に、大きな動物がいた。
鹿に似ている。
でも、僕が知っている鹿よりずっと大きい。
頭の角は後ろへ曲がり、先端の近くで二股に分かれていた。
父さんが、その数メートル後ろにいた。
動物はまだ気づいていない。
父さんの手が剣の柄へ伸びる。
なぜか息を止めた。
次の瞬間。
父さんが動いた。
剣が鞘から抜かれる。
そのあとは、ほとんど目で追えなかった。
父さんが動物のそばへ到達すると、一度だけ素早く剣を振るった。
動物が倒れる。
父さんは数秒その場に残っていた。
それから、こっちを見る。
「来ていいぞ」
父さんのところまで歩いた。
動物を見る。
次に父さん。
「何だ?」
「別に」
「その顔は別にって顔じゃないな」
剣を見る。
魔法は使っていなかった。
少なくとも、僕が見た限りでは。
「これだけ?」
「何を期待してたんだ?」
「分からない」
もう少し……。
苦戦するとか?
僕の顔を見て、父さんの笑みが大きくなった。
「剣はまだ必要ないと思うか?」
父さんを見る。
覚えてたのか。
「魔法でもできたでしょ」
「できたな」
「じゃあ――」
「でも使わなかった」
……。
腹が立つくらい、いい答えだった。
分かった。
鉄の棒を振り回すのにも、多少は利点があるらしい。
でも父さんには絶対に言わない。
絶対に。
しばらくして、道から少し外れた場所で休憩することにした。
父さんは獲物から必要な分を切り分け、残りは帰り道で回収できるようにしておいた。
僕は火のそばに座っていた。
「何か手伝う?」
「薪を持ってこい」
周りを見る。
「魔法で?」
「手で」
がっかりだ。
乾いた枝を何本か集める。
戻ると、父さんは肉を火にかけていた。
「塩ある?」
鞄から小さな袋を取り出す。
「俺を誰だと思ってる。プロだぞ」
「朝、服は母さんに用意してもらってたけど」
「それとこれとは関係ない」
しばらくして食事ができた。
思ったよりおいしかった。
父さんには言わなかった。
ただでさえ自信がありすぎる。
しばらく黙って食べた。
それから、朝から聞いていた話を思い出す。
「父さん」
「ん?」
「アレンって、今どこにいるの?」
父さんの動きが止まった。
ほんの一瞬。
でも見えた。
火がパチパチと鳴る。
父さんは数秒、炎を見つめていた。
「アレンは死んだ」
何と言えばいいのか分からなかった。
朝から聞いていた話のせいで、僕の頭の中には勝手にアレンという人間ができていた。
古い文字を見つければみんなを何時間も待たせる。
魔法が大好き。
変なものを見つければ父さんで試す。
会ったこともない人。
でも、ついさっきまでは、どこかでまだ生きているような気がしていた。
「いつ?」
「ずっと前だ」
「どうして?」
父さんはすぐには答えなかった。
さっきまでの気楽な表情が消えている。
この顔は見たことがある。
僕が無詠唱魔法を使った日。
それから、あの本の印を見せたとき。
一つの考えが浮かんだ。
「本にあった印と関係ある?」
今度は父さんがまっすぐ僕を見た。
数秒黙る。
それから、ほんの少しうなずいた。
「ああ」
「どういうこと?」
父さんは小さな枝を火の中へ投げた。
「ガレスに会いに行く理由の一つが、それだ」
「父さんは知らないの?」
「知ってることもある」
「じゃあ、なんでガレスに聞くの?」
父さんは炎から目を離さなかった。
「自分が覚えてることと、本当に起きたことが、同じとは限らないからだ」
思っていたよりずっと重い答えだった。
「あの印を前にも見たと思ってる?」
「ああ」
「アレンが死んだとき?」
父さんは答えるまでに少し時間がかかった。
「ああ」
胸の奥に、変な感覚が生まれた。
知りたい。
でも、初めて魔法を使ったときの好奇心とは違う。
閉じた扉の向こうに何があるのか知りたい。
でも、その扉を開けたあとに何を見るのかは、少し怖い。
父さんが立ち上がった。
「行くぞ」
「もう話してくれないの?」
「ガレスに会ってからだ」
またそれか。
でも今回は、これ以上聞かなかった。
父さんの顔を見れば分かる。
これは、楽しそうに話す昔の冒険話じゃない。
午後になると、道はさらに細くなった。
片側には深い木々。
反対側には、遠くに丘が見える。
父さんによれば、このまま何日も進めばモリレの領地へ近づくらしい。
でも、そこまで行く必要はない。
ガレスが住んでいるのは、夕方までには着ける小さな集落のすぐ外だ。
しばらく黙って歩く。
そのとき。
耳の奥に、軽い圧迫感を感じた。
最初は気にしなかった。
数歩進む。
キィィィン……。
足が遅くなる。
まただ。
でも今回は、それと一緒に別の感覚もあった。
左。
木々の中。
何かいる。
見えない。
音もしない。
でも、いる。
父さんはそのまま歩き続けている。
「父さん」
足がすぐに止まった。
僕の声から何かを感じたんだと思う。
「どうした?」
左を指さす。
「あそこに何かいる」
父さんの手がすぐに剣の柄へ伸びた。
「見えたのか?」
「ううん」
眉が少し寄る。
「じゃあ、どうして――」
茂みの中から音がした。
父さんは一瞬で僕を背後へ下がらせた。
次の瞬間。
四本足の生き物が木々の間から姿を現した。
狼に似ている。
でも、僕が知っているどんな狼よりも大きい。
肩の高さは、父さんの腰近くまであった。
濃い灰色の毛の間から、硬そうな骨の突起がいくつも出ている。
生き物はまず僕たちを見た。
次に、父さんが持っている荷物。
獲物の匂いに気づいたんだろう。
父さんが剣を抜く。
「後ろにいろ」
今回は逆らわなかった。
生き物が飛びかかる。
父さんは一歩横へずれた。
剣が素早く動く。
生き物は方向を変えようとした。
でも父さんは、その隙を与えなかった。
数秒で終わった。
僕はその場から動けずにいた。
父さんは剣をきれいにしてから戻ってきた。
「大丈夫か?」
うなずく。
「大丈夫」
父さんは僕の体を素早く確認した。
それから表情が真剣になる。
「ルーク」
何を聞かれるか分かった。
「あれに、どうやって気づいた?」
「感じた」
「どうやって?」
肩をすくめる。
「分からない」
これは本当にそうだった。
「耳が鳴った。それから、あそこに何かいるって分かった」
父さんの表情が変わった。
「耳が鳴った?」
「うん」
「前にもあったのか?」
「何回か」
「どうして俺に言わなかった?」
「大事だと思わなかったから」
父さんは何か言おうとした。
でも止まる。
「母さんには言ったのか?」
「うん」
その答えには少し驚いたようだった。
でも、ただうなずいた。
剣を鞘に戻す。
「行こう」
また歩き始める。
数歩進んでから、父さんを見る。
「父さん」
「ん?」
「悪いことなの?」
父さんは僕を見た。
それから、手を頭に乗せて髪をぐしゃぐしゃにする。
「まだ分からない」
普段ならすぐその手をどける。
今回は、しなかった。
残りの道中。
父さんは、それまでより静かだった。
日が沈み始めるころ。
小さな集落が遠くに見えてきた。
ロタスはまだ見たことがない。
でも父さんの話を聞く限り、ここが比べものにならないほど小さいことは分かる。
数十軒ほどの家。
道沿いにいくつかの店。
小さな宿。
でも父さんは、集落の中心へは向かわなかった。
大きな道を外れ、細い道へ入る。
「ガレスって、ここに住んでないの?」
「少し外だ」
「なんで?」
「人が嫌いだから」
「父さんも人でしょ?」
「俺のことは特に嫌いだ」
「本当に友達なの?」
父さんが笑った。
「会えば分かる」
十分ほど進むと、木々の間から小さな家が見えた。
家の横には薪が積まれた屋根付きの場所。
少し先には、小さな畑もある。
庭では一人の男が、僕たちに背を向けて桶をいじっていた。
父さんが止まる。
久しぶりに見るような笑みが顔に浮かんだ。
「いたぞ」
男はまだ僕たちに気づいていない。
父さんは両手を口の横に当てた。
「ガレス!」
男が飛び上がる。
持っていた桶を落としそうになった。
勢いよく振り返る。
僕たちを見ると、数秒その場で固まった。
そして顔をしかめた。
「帰れ」
父さんが大笑いする。
「俺も会いたかったぞ!」
「消えろ」
「今来たばっかりだぞ」
「だから帰るのも簡単だ」
父さんが庭へ歩いていく。
僕もあとを追った。
近づくにつれて、ガレスの姿がよく見えた。
父さんより少し年上に見える。
暗い髪には、何本か灰色の毛が混じっていた。
腕は太く、手もずっと働いてきた人の手みたいだった。
腰に武器はない。
元冒険者というより、静かに暮らしている普通の男に見える。
ガレスはまず父さんを見る。
次に僕。
眉を上げた。
「誰だ?」
父さんが僕の肩に手を置く。
「息子」
ガレスがもう一度僕を見る。
父さんを見る。
また僕を見る。
「お前の?」
父さんの顔が引きつった。
「何だよ、お前のって」
ガレスはもう少しよく僕を見た。
「子供はまともそうだな」
笑わないように唇を噛んだ。
父さんがすぐに僕を見る。
「笑うな」
「笑ってない」
ガレスの口元が少し上がった。
「名前は?」
「ルーカス」
手を差し出してきた。
四歳児と握手するとは思っていなかった。
その手を握る。
「ガレスだ」
「知ってる」
「父親から俺の話を聞いたか」
父さんが口を挟む。
「いい話だけな」
「じゃあ嘘を聞かされたな」
この人、好きかもしれない。
家の中へ入った。
ガレスが水を持ってきてくれた。
父さんは椅子に座るなり、部屋を見回した。
「変わってないな」
「お前もな」
「俺は前より格好よくなった」
「髪が減った」
父さんの手が反射的に頭へ伸びた。
僕は見た。
ガレスも見た。
二人で笑った。
「ルーク」
「僕は何もしてない」
ガレスが僕の向かいに座る。
「父親から昔の冒険話は聞いてるか?」
「今日聞いた」
「何を?」
「髪が青くなった話」
ガレスが数秒黙った。
次の瞬間、笑い声が部屋中に響いた。
父さんが裏切られたみたいな顔で僕を見る。
「よりによって、それを選んだのか?」
「一番面白かった」
ガレスはまだ笑いながら首を横に振った。
「二週間どころじゃない。ほぼ一か月あのままだった」
父さんが身を乗り出す。
「二週間だ」
「一か月」
「俺がその場にいた」
「俺もいた」
二人は言い争いを始めた。
その様子を見ながら、思わず笑った。
こんな父さんを見るのは初めてだった。
父親としての顔じゃない。
まるで、昔のラルフに少しだけ戻ったみたいだった。
そのあとしばらく、ガレスも昔話をしてくれた。
その多くで、父さんが僕に話すとき、自分を少しだけ英雄っぽく盛っていたことが判明した。
少なくとも、ガレスによれば。
やがて。
ガレスの口から、ある名前が出た。
「アレンのことも話したのか?」
父さんの笑みが少しだけ薄れた。
「少しな」
ガレスもその変化に気づいた。
部屋に短い沈黙が落ちる。
朝、父さんの話で初めて聞いた名前。
それを今度は別の人の口から聞くと、少し違って感じた。
アレン。
ガレスの弟。
父さんの昔の仲間。
そして、もう生きていない人。
ガレスが僕を見る。
それから父さんを見る。
「昔話だけをしに来たわけじゃなさそうだな」
父さんは椅子にもたれた。
「ああ」
ガレスの顔から、少しずつ笑みが消えていく。
「何があった?」
父さんは答えなかった。
隣に置いた鞄を自分のほうへ引き寄せる。
その上に数秒、手を置いた。
そして本を取り出した。
『魔法の基礎 第一巻』
ガレスが本を見る。
「子供に魔法を教えてるのか?」
「問題は本じゃない」
父さんは本をテーブルに置いた。
内表紙を開く。
小さな黒い印が現れた。
輪。
真ん中を縦に通る、一本の線。
ガレスの表情が変わった。
手にしていたコップを、ゆっくりテーブルへ置く。
目は印から離れない。
父さんは、その反応をじっと見ていた。
「覚えてるか?」
ガレスは答えない。
指を印へ近づける。
でも、触れなかった。
「これをどこで見つけた?」
父さんが少し前へ身を乗り出す。
「先にお前が答えろ」
ガレスが顔を上げる。
父さんの声から、完全に冗談が消えていた。
「同じものか?」
ガレスの視線が、もう一度印へ落ちた。




