1. 直しただけなのに
「整備実技、機体の割り当てを発表します。受付百二十四番――最後のお方は、十三番機へ」
係官の声が、途中で気の毒そうに湿った。
周りの受験者が一斉にこちらを見る。安堵が半分、嘲りが半分。王宮工廠の大整備廠には試験用の機体が二十四機並び、二十三機までは磨き上げられて鈍色に光っている。最後の一機だけが、奥の幕の向こうで埃を被っている有様だ。
俺はニクラス・カルデン、二十四歳。王都の下町で三代続く機巧修理店の主である。
貴族でも学院出でもない。願書の学歴の欄に書けることは「なし」の二文字だけである。受付の役人はその欄を二度読み、俺の顔を一度見た。
宮廷魔導技師――王宮工廠に仕える技師の最高位。その登用試験を受けると言ったとき、火消しの親方は茶を噴き、常連たちは腹を抱え、俺自身も「記念受験だよ」と笑って見せた。店主として三年。今年はじめて、親方位の工歴三年という受験の資格が立った。だから記念だ。誰にでも、そう言ってある。
嘘である。
祖父は、宮廷魔導技師だった。十五年前に技師の章を返し、黙って下町へ降りて、三年前に死んだ。俺の本心は一つきりだ。合格の掲示に、カルデンの姓をもう一度だけ載せること。記念というのは、外れた日のための予防線に過ぎない。
幕をくぐり、足が止まった。
――でかい。
全高三メートル。書類の上の名は、制式魔導装鎧 三型。乗り手たちは鋼騎士と呼ぶ。魔晶炉の圧で鋼の四肢を駆る、乗り込み式の機体だ。三型の複座訓練仕様、機体番号十三。鋳肌はざらつき、鋲の頭は赤く錆び、左肩には廃棄検討の荷札が揺れている。うちの店に来る火消し機と同じ型の、もっとくたびれた面構えである。
「あんた、十三番か」
挨拶代わりに装甲を指の背で叩く。返ってきた音は、思ったより深い。
「三十年、黙って働いてきた顔だな。よし。今日は俺が聴く番だ」
課題は、仕込まれた故障三件の特定と処置、そして報せ書。制限は二時間である。
聴診棒――樫の柄に鋼の触針を植えた、祖父の形見を装甲に当てる。柄を耳骨に押しつけると、機体の脈が骨から入ってくる。左肘、継手の緩み。炉室、点火栓の被り。面覗窓は乾き石が湿気きって曇っている。仕込みの三件は、四十分で潰した。
締めは、下町の締め歌だ。ひとつ仮締め、ふたつで半目、みっつ泣くまで、よっつで黙る。歌の拍が、締めすぎと緩みの両方から機体を守る。
問題は、そこからだった。
炉の脈が、三拍目で一つ飛ぶ。導脈のどこかに澱の塊が居座っている音だ。右膝は軸受が擦り減って、遊びが指二本ぶん。どちらも仕込みではない。ただの持病、ただの十五年である。
課題ではない。直しても点にはならない。だがこの機体は明日から、連成の課目で人を乗せて走る。
走れば、人が怪我をする。課題じゃないからと、放っておける道理がない。
木槌の柄で導脈の管を叩き、澱の塊を炉戻しまで送り出す。応急だ、根治は洗いが要る。右膝には詰め金を差して遊びを半分にし、報せ書に太字で書いた。右膝、跳ねは厳禁。出力は七割まで。
最後に炉を焚く。点火栓に火が渡り、青い火色がゆっくり橙に落ち着く。圧、六分。関節をひと回し。排圧の白い霧が、足元をひと撫でして消えた。
「――鋼騎士、起きます」
一トンの鋼が、静かに重心を持つ。三拍目の脈は、もう飛ばない。
報せ書は、店の納品書の流儀で書いた。直した箇所、直しきれない箇所、走らせ方の注意。書き終えて幕を出ると、審査席の一角がざわついている。
審査員がチラチラとこちらを見てくるが、やるべき事をやったまで。文句があるなら聞きたいところだ。
昼過ぎに出た掲示では、俺の欄だけ評点の代わりに「査定保留」の三文字が張られ、廊下がざわめいた。ほらな。だから予防線を張っておいたんだ。
◇
午後は、連成実技の指名式である。二次を通った技師の卵二十四人が並び、壇上には騎手役を務める王立騎士学院操機科の上級生が立つ。指名は学院の席次順。伝統では、家格の釣り合う相手が事前に決まっているという。
首席の名が、呼ばれる。
「フレデリカ・アイゼンガルテン」
壇の上の人が、まっすぐこちらの列へ降りてきた。冬の湖の色の目と、姿勢だけで場を黙らせる立ち姿。侯爵令嬢の靴音は磨かれた床を等間隔に鳴らし、絹の受験者たちの前を素通りして――俺の前で、止まる。
「二次で十三番を直したのは、あなたですね」
「……はい。そうですが……」
「朝の起動で、三拍目が一つ飛ぶ癖の音。控えの間まで届いていました。昼には、消えていた」
この人は、あの騒がしい廊下の向こうで、機体の脈を聴き分けていたのか。驚かされたのは顔より先に、耳のほうなのだ。
「あの音を消せる手を、わたくしは一人しか知りません。――いえ。二人目を、今日知りました」
彼女は息を整え、宣言する。
「あなた、後席に乗ってくださる?」
「え……?」「はぁ?」「ま、まさか……」
大整備廠が、水を打ったように静まった。
一拍おいて、どこかで失笑が弾ける。さざ波のように広がる嘲りの中、目の前の美しい瞳だけが、真っすぐにこちらを見ていた。
◇
手帳の余白より 夏初月三日
整備の課目を、観覧の席から見ていました。十三番の脈は控えの間まで届く癖のある音で、三拍目がいつも一つ足りない。それが昼前、ふっと消えたのです。お母様、あなたの手帳にある通りの手順。機嫌を訊かず、脈を聴く人です。掲示で名を確かめて、指が冷たくなりました。カルデン。あなたが『本当』と書いた、脈聴きの姓。わたくしは今日、その人を後席に指名いたしました。理由は三つあるのに、あの場で言えたのは、まだ一つもありません。




