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第一章 旅へ 1




 何里(なんり)も歩いたから、足はへとへと。最新式の疲労軽減草履(スニーカー)を履いているというのに、足の裏はじんわりじんわりしてきて、磁気でも放っているような違和感を覚え始めている。


「ぁあっ……んもう……だめぇ」


 吐息と一緒に吐き出した声は、想像よりもはしたくなってしまった。すると、「ぁはぁ」と私の次の吐息が漏れるよりも早く、左後ろから美声が返ってきた。



「姫様。お疲れなのはわかりますが……。色っぽくもあり、品の欠片もない吐息を吐き捨てるのはお控えください」



 中性的で知的な声色が、私の耳元で囁かれた。耳朶ゼロ距離砲で放たれたその色気のある声に、思わず私の背中が跳ねる。


「んもう! そんな声は出してはいないわ!」


 私はすぐさま反論を唱える。


 どうかな──、と口元だけで私をさすら笑っているのは、私の教育係兼用心棒の左京鈴華(さきょうすずか)、通称スーさん。


 月のような銀色の短髪に、夜のような濃紫の瞳を光らせて、スーさんは「ははっ」と鼻を鳴らした。

 切れ長の瞳に、細く通った鼻筋。スラッとスレンダーな長身と、男性的な身のこなしと声色も相まって、スーさんは私の知っているどんな男の人よりも美男子だ。

 濃紺色の着流しのせいもあって、本当に、男の人にしか見えない。

 もちろん、れっきとした女子なんだけど。



「あらいやだ、鈴華? 姫様はこんなにも純粋──、だから可愛いんじゃない」



 次いで、透明感のある美声が放たれる。と、同時に私を背後から抱き包んだのは、もう一人の教育係兼用心棒、右京花梨華(うきょうかりんか)、通称カカさん。


 カカさんの豊満なカカさんが私の後頭部に押し当てられている! ちなみにお餅みたいに、ふにっふにっです! ふきゅう……と私から空気が抜ける音がする。カカさんのカカさんな感触に、思わず頬に熱が上がる。


「ほら。花梨華、いけないよ? 姫様に花梨華の魅惑は強すぎる。ぼくの前だけにしておきなね?」


「ふふ。そうね鈴華。姫様、失礼いたしました」


 スーさんの助け舟もあって、カカさんはヒョイっと私を解放してくれた。二人の会話の一部に怪しい箇所があった気がしないでもないけど、そんなことはいつもことだ。うん、聞かなかったことにしよう。


 かわい──と、余裕を含んだ大人な笑みを向けるカカさんは絶世の美女だ。

 金色のウェーブがかった髪に、透き通る蒼瞳。痩せているのにも関わらず、出るところは出て引っ込むところは引っ込んでいる。カカさんはそこに存在するだけで、呼吸をすることを忘れさせてしまうほどの美しさを放っている。


「本当、姫様は愛らしいわ。桜色の髪、蒲公英色の大きな瞳、庇護欲を唆る、まだまだ清いツルツルの肌……ほんと……かわいい人。桜の精霊と喩えられるのも納得ですわね」


 カカさんは「ほう」と瞳を蕩けさせて私をじっと見つめた。抱きしめこそされてはいないが……カカさん、絶対脳内で私のこと抱きしめているでしょう!?


 美人なだけではなく、教養があり強く逞しく、私の憧れでもこの美女二人組の用心棒は、私の教育係でお目付け役だ。簡単にいえば、二人は私の侍女なのだ。

 本来であれば、私はこんな山中で呑気に旅を楽しんでいられるような身分ではない。

 庶民の格好をして旅をしているけど、こう見えて、私は立派な姫なのである。



「あぁでも、嘆かわしいわ。ねぇ、鈴華思いません? わたくし達の姫様は、こんなに可愛らしくて、聡明で、堅実で、度胸もある素敵な方だというのに……。大奥の姫の中でも、ずば抜けて、素晴らしき才をお持ちの方だというのに……」


「あぁ、そうだね、花梨華。こんなに愛らしくて、花のように可憐で、それでいて七姫の中のどんな姫よりも、領民のことを考えて生きておられる素晴らしい姫様だというのに……」



 カカさんとスーさんの悲しげな瞳が私を捉えている。

 私は「う……」と言葉を飲み込みながら、黙秘を続ける。すると、彼女達はそんな私の様子を嘲笑うように会話を続けていった。


「それなのに将軍様ときたら、さっさと姫様を奥方に決めてしまわればいいものを……」

「モタモタと姫様を待たせるものだから、ぼくらの姫様は大奥を逃げ出してしまったではないか……」


「「はぁぁぁぁぁ」」と、今度はカカさんとスーさんのため息が私の耳を掠めた。


「だ! だってだって! 私は、自分の人生は自分で見極め定めたいの! 将軍様に認められて、将軍様のお嫁さんになりたいから生きているわけではないわ! 人は中身よ──そして、その精神は、己の生き様で示すものだわ! 私は、私の人生を私らしく楽しみたいの! ましてや、私は寵愛なんてまったく望んでいないもの!」


 それよりも、目下の問題は──!


「そ! れ! よ! り! も! スーさん、カカさん! 旅の間は『姫様』って呼ぶのは駄目って言ったじゃない! 私の身分がバレちゃったら大変なんだからね! ちゃんと名前で呼んでちょうだい!」


「了解っ、凛様」

「そうでしたわね、凛様」


 スーさんとカカさんに向かって「ふんす」と鼻を鳴らして、私たちはまた歩き出した。


「さて、もう少し頑張るわよ! この山を越えたら、ネオ大江戸に入るのよね?」


 期待感が大きくなると、疲労感のせいで遅くなっていた足取りが再び軽くなる。私は急かされるように足を進めた。


 今日は、記念すべき旅の一日目。

 その日をネオ大江戸で過ごすことが、私の夢の一つでもあるのだから。


「ネオ大江戸に向かってぇ〜、しゅっぱぁぁぁつ!!!」



***



 だけど、この時の私は知らなかった。


 ネオ大江戸に向かうと決めたこの選択が、大きな、大きな、おおおおおおーきな問題を私の人生に呼び込んでしまうことになるなんて……。



 私の名前は、皇凛(すめらぎりん)

 この国の大奥制度に選ばれし、将軍の嫁候補である七姫(ななき)の一人。

 そして、その七人の姫の中で唯一、大奥から飛び出してしまった家出姫だ。


 だって。だって、だって、だって!


 大奥の中で、将軍様の寵愛を待つだけの人生なんてまっぴらごめんなんだもん!


 この人生でこそ、私は自分の瞳で世界を見てまわりたい。

 

 私は、なにがなんでも、スローライフを手に入れるんだから!!!!!!!!!



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