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番外編:パン好き少女と新米国家魔導士

 


 元々、クレール家の隣には老夫婦が住んでいた。

 シーラのことを孫のように可愛がってくれており、シーラもまた彼等を祖父母のように慕っていた。穏やかで優しい夫婦だ。

 そんな二人が引っ越すことになり、幼いシーラは悲しんだ。困らせてしまうと分かっても涙は堪えきれず、「行かないで」という言葉を何度も飲み込んだ。


 ……もっとも、まるで今生の別れのように悲しんでたのはシーラだけだ。なにせ老夫婦が引っ越したのは市街地から僅かに離れた場所なのだから。

 クレール家からもそう遠くはない。むしろ買い物をしていると遭遇することもある距離。

 幼いシーラだけが詳細を理解しきれず、『引っ越しとは遠く離れる事』と思い込んでいたのだ。実際に再会し事実を理解した時には抱き着いて再び泣いてしまった。


 そんな隣家の引っ越しが終わりしばらく経った頃、新たな住人が隣に越してくることになった。

 その人物の名はクラウス・ベルネット。まだ十歳という若さながらに魔導士としての才能を開花させ、そしてこのたび国家魔導士に選ばれた人物だ。




「まだ十歳なのにもう働くなんて凄いわねぇ。それも一人暮らしでしょう。なにかお手伝いできることがあれば良いんだけれど」


 そう話すのはシーラの母。落ち着きなく窓の外を眺めている。

 クレール家には事前に隣家の引っ越し予定が知らされており、そろそろクラウス・ベルネットが馬車でやってくる時間なのだ。――王宮の遣いが伝えに来たのだが、滅多にない事に両親は緊張し、シーラに至っては緊張どころか臆して家具に半身隠れて話を聞いていた――


「シーラも手伝えることがあったら手伝ってあげてね」

「分かった! それなら私……」


 さっそく何か出来ることはないかとシーラは幼いながらも考えを巡らせ……、そして閃いたと言わんばかりに表情を明るくさせた。


「私、パンを買ってくるわ!!」


 声高な宣言、使命感を帯びた表情。

 濃い茶色の瞳はこれでもかと輝いている。


「……そう、パンを買ってくるのね」

「買ってくる!」

「一人じゃ駄目よ。お父さんを連れて行きなさい」

「分かった!」

「あ、あとついでに食パンを買ってきてちょうだい」

「任せて!」


 使命感のせいかシーラのテンションはやたらと高く、「お父さーん!!」と声をあげながら父の部屋へと駆けていった。

 残された母は不思議そうに娘が去っていった先を見つめ、それでもと頷いた。なぜ引越しの手伝いでパンを買いに行くのか分からないが、ここは娘の自主性に任せようと考えたのだ。



 ◆◆◆



「シーラ、どうして引越しの手伝いでパンを買うんだい?」

「美味しいからよ」

「……そうだねぇ」


 今一つ分からないと言いたげな父を連れて、それでもシーラは意気揚々とパン屋へと向かった。

 市街地にあるパン屋だ。シーラはここのパン屋しか知らないが、それでもここのパン屋が世界一だと考えている。

 そんなパン屋に到着し、カランカランと鳴る扉の鈴の音と共に店内へと入っていった。さっそくパンの香りが鼻を擽る。これだけでお腹が空きそうだ。


「クレールさん、いらっしゃいませ。シーラちゃんこんにちは」


 穏やかな声で迎えてくれたのはパン屋の夫人だ。

 シーラは元気よく「こんにちは!」と返し、次いで店の出入り口に置かれているトレイを取った。


「お父さんはカチカチね」


 カチカチとはトングの事だ。

 シーラはまだ幼く、トングでうまくパンを挟む事が出来ない。なのでパン屋で買物をする際はシーラがトレイを持ち、父か母がトングを使うことになっている。


「私、大人になったら一人でパンを買うの。その時は自分でカチカチも使うのよ」


 大人になった自分が華麗にトングを操りパンを買う姿を想像してシーラが語れば、父や夫人が微笑まし気に見つめてくる。それどころか居合わせた客までもがこの話を聞いて表情を和らげているではないか。

 そんな暖かな眼差しに見つめられながら、シーラは並ぶパン達を一度見回し「さぁ選ぶわよ」と気合いを入れた。



 そうしてあらかたパンを選び、お会計のためにパンを乗せたトレイを夫人に渡す。

 手早くパンを袋に入れていく夫人の手元を尊敬の眼差しで見つめながら、シーラは「あのね」と弾む声で話しかけた。


「あのね、今日ね、うちの隣が引っ越しなの。クラウス・ベルネットさんって人が引っ越してくるのよ」

「十歳で国家魔導士になったんでしょ、凄いわねぇ」

「そうなの。それでね、お引越しのお手伝いでパンを買いに来たの!」


 誇らしげにシーラが語る。

 それに対して夫人は不思議そうに「うちのパンを?」と疑問を口にした。パン屋の夫人でさえ、引越しの手伝いとパンの関係性は分からないのだ。

 だがすぐさま「シーラちゃんは偉いわねぇ」と褒めることにした。とりあえずシーラの成長を愛でる事にしたのだ。

 そうして大きめのパンや食パンを包んだ紙袋を父に、そして幾つか分けたパンを入れた小さめの紙袋をシーラに渡す。受け取ったシーラが「あったかくて美味しそうな匂い」と微笑めば、その愛らしさにまたも店内にいる者達が表情を和らげた。



 ◆◆◆



 パン屋での買い物を終えて家に戻ると、隣家の前には一台の馬車が停まっていた。

 御者が荷物を運び入れている。それと入れ替わるように隣家から出てきたのは母だ。掃除道具を手にしているあたりさっそく手伝っているのだろう。


「お母さん、ただいま!」

「あらシーラ、お帰りなさい。食パンは買えた?」

「買えたわ。お台所に置いておくね」


 シーラが父親から大きな紙袋を受け取り、家の中へと入っていく。

 その直後に馬車から一人の少年が降りてきた。箱を抱えており、それを御者に渡しながら置き場所を伝える。

 次いでシーラの母のもとへと近付いて来た。隣に立つ父に対して深く頭を下げる。銀色の髪がはらりと揺れた。


「本日より越して参りました、クラウス・ベルネットと申します。若輩者ゆえご迷惑をおかけするかと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします」


 十歳とは思えないクラウスの畏まった挨拶に、父がつられて畏まる。

 次いでクラウスは顔を上げ、きょろきょろと周囲を見回した。


「あの、ご息女のシーラさんは……?」


 二人でパン屋に行っていたことは事前にシーラの母から聞いていたが、ここには父の姿しかない。娘であるシーラはどこに? と言いたいのだろう。

 それに対して母が答えようとするも、それより先に「お母さーん」と声が聞こえてきた。玄関からひょこと顔を出したのは言わずもがなシーラだ。


「あのね、パン屋さんがね、明後日から食パンの焼き上がりの時間が変わるって……」


 言いかけたシーラの言葉を止まる。

 視線の先にいるのは銀色の髪を持つ青年。シーラの濃い茶色の瞳とクラウスの紫色の瞳がじっと見つめ合う。

 そうしてしばし見つめ合ったのち、シーラはちょこちょこと彼へと歩み寄った。パン屋の紙袋を抱えながら。こちらはシーラが運んでいた小さめの紙袋で、シーラの選りすぐりのパンが入っている。


「クラウス・ベルネットさん?」

「あ、そ、そうです。クラウス・ベルネットと申します。本日より越してまいりました。若輩者ゆえご迷惑おかけしますがよろしくお願いいたします」

「…………?」


 クラウスの挨拶にシーラは返事も出来ずにきょとんとした。

 あまりに畏まりすぎて理解できなかったのだ。トング(カチカチ)もまだ使えないシーラに先程のクラウスの挨拶は難解すぎる。


「じゃく……、なんとかは分からないけど、私はシーラ。隣に住んでるの。仲良くしてね」

「う、うん。よろしく」

「それでね、クラウスさん。お腹が空いてたらパンを食べましょう」

「……パン?」


 脈絡なく突然食事に誘われ、今度はクラウスがきょとんと目を丸くさせた。

 だがそんな彼に対してシーラは「美味しいパンなの」と話を続け、手にしていた紙袋を彼に差し出した。袋の口を開けて中を見るように促す。

 中に入っているのはパン屋で買ってきたばかりのパン。それもシーラの選りすぐりを分けて入れて貰っている。


 宝石のような輝きとチェリーの甘さが自慢のパイ。野菜とお肉が溢れんばかりに挟まったボリュームたっぷりの総菜パン、サクサクの食感とジューシーな味わいのミートパイ。それにおまけでいれてくれたラスク。

 どれも魅力的だ。覗き込んだクラウスもその魅力と香りに当てられたのか、彼の紫色の瞳が輝きだした。

 ……と、同時に、彼の腹がキュルルと鳴った。慌てて手で押さえる。


「これは、その……! 引っ越しで緊張しててご飯をあまり食べれてなくて、それで……!」


 初めて訪れる地での一人暮らし、国家魔導士としての仕事、それらの緊張で朝から食事もままならず、更には馬車での長旅。空腹を覚えて当然だ。

 だがクラウスは恥ずかしそうに頬を赤くさせている。シーラはそんな彼の手をぎゅっと握って「おうちで食べましょ」と誘った。

 クラウスがこれから暮らす家。……ではなく、シーラの住むクレール家だ。


「でも、まだ片付けが」


 クラウスが困惑し、馬車や自分の家へと視線を向けた。

 御者がそれに気付き「荷物は全て運び入れましたよ」と笑った。シーラの両親も穏やかに微笑み「荷解きは後にしましょう」と休憩を促す。


「それなら、少しだけ……」


 休憩を、とでも言い掛けたのか、だがクラウスが言い終わらぬうちに彼のお腹が再び鳴った。

 しまったと言いたげにクラウスがまたもお腹を押さえる。そんな彼の仕草が面白く、シーラはクスクスと笑いながら握っていた彼の手を軽く引っ張った。


「早く食べましょ。美味しいパンだから、クラウスさんもきっと好きになるわ!」

「うん!」


 シーラが手を引きながら誘えば、クラウスも嬉しそうに表情を綻ばせた。

 大人を相手に畏まった挨拶をしていた時の緊張を含んだ表情とは違う、十歳の少年らしいあどけなさと安堵を交えた笑みだ。


 そうしてクレール家に、二人分の「いただきます!」という嬉しそうな声が響いた。



 …end…






「クラウスさん、パン屋の店長さんから特製パンを貰ったわ。それにいつもの喫茶店からも特製ケーキを貰ったの」

「特製パンに特製ケーキ? なんだか豪華だなぁ」

「お祝いなんですって。よく分からないけど、パンとケーキを見れば分かるって言ってたわ」

「パンとケーキを見れば……? とりあえずパンとケーキを見てみよう」

「そうね。あ、見て! デコレーションがメッセージになってる!」



【祝 電子書籍化】

【2022/01/20 ミーティアノベルスより発売中】


「これは電子書籍発売のお祝いだったのね! ……え、一月!?」

「さすがに一月に焼いたパンとケーキじゃないよな……」

「焼きたてって言ってたから大丈夫だと思うわ。でも一月に既に電子書籍化していたのね……」

「そういえば、今日働いてる最中に同僚からクッキーを貰ったな。なんだかお祝いって言ってたから、もしかして……」

「見てクラウスさん、このクッキーにも文字が!」


【タイトルは『お隣の国家魔導士が召喚してくる!』に改題しております】


「よく一枚のクッキーにこれだけの文字を書き込めたなぁ」

「国家魔導士にしておくには惜しいアイシング技術ね」

「とりあえずそういうわけらしいから、お祝いしながら食べようか」

「そうね。あ、そういえばお母さんがミートパイを焼いてくれたの。……これにも文字が!!」


【加筆に加え、結婚式の話も書き下ろしています】


「この食卓、メッセージだらけだわ!」

「なんで当事者の俺達だけが知らなかったんだろうなぁ」



「でもとりあえず食べましょうか。美味しくお祝いしましょう」

「そうだな、食べよう。美味しくてめでたいなんて最高だ」



・・・・・・・・・・



2022/01/20、今作がタイトルを『お隣の国家魔導士が召喚してくる!』と改題し、ミーティアノベルス様より電子書籍として発売されております。

小説家になろうに掲載している本編とその後のお話に細部を加筆し、更に二人の結婚式に関するお話も書き下ろしました。


告知がだいぶ遅くなってしまい申し訳ありませんが、皆様どうぞよろしくお願いいたします。



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― 新着の感想 ―
[良い点] よし、今日はパンを食べよう! [一言] もちろん、 電子書籍『お隣の国家魔導士が召喚してくる!』 を読みながら!
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