最終話 父親の顔
ティータさんは動力室の梯子の途中でからまったスカートに脚をとられ、身動きできない状況だった。時折、指先がないはずの腕だけでぶらさがっているようにも見える。落ちても命を失う高さではないが、身重の彼女にとって危険極まりない。
「カウル……天井の蓋を閉めておかなかったのか?」
言葉に苛立ちをにじませるアキムさんが横目でこちらをにらんだ。
「……そんなことを言われても困ります。僕だって動力室がどういう場所かほとんど知らなかったんですよ。船内は3人だけなんですから、わざわざ出入り口を閉じるわけがないでしょう!」
――再び助けを呼ぶ声が頭上より聞こえてきた。
「仕方ない。ティータを助けるから手伝ってもらうぞ!」
アキムさんは急いで梯子の元へ走っていった。僕も後に続く。
先ほどまで立ち尽くしていたのが嘘であるかのように、ティータさんを梯子から救助する作業が始まった。アキムさんが先に梯子を昇って彼女のスカートをほどき、からまぬように捲しあげる。
すぐ下にいる僕はアキムさんから渡されたティータさんの靴を片手で受け取りながら、彼女を支えるアキムさん自身の脚が梯子から滑らないように時折、正しい位置に調整する。そして3人で下りるまでの先導を務める。
難しい仕事ではなかったが、できるだけ顔を背けるようにしてティータさんの下着が目に入らないように配慮した。
「ふぅ……。アキム、カウル、ありがとう」
ティータさんが動力室の床に足を降ろすまで要した時間は5分ほどだった。アキムさんは真面目な話に水を差されたようで、常時、眉根を寄せていた。
「船室で着替えようとしたら、自動で開くはずのタンスが開かなかったから、様子を見に来たの。立ち入った話をしていたようで邪魔しちゃってごめんなさい」
最初にアキムさんが壷の中身を動力炉の釜に放り込むまで、船室の仕掛けは機能不全に陥りつつあった。ティータさんが何かしら不自由な目に遭っていたとしても不思議はない。
ティータさんは突然、僕の顔を見つめた。
「……それでね。また梯子を昇るときはスカートを脱がないといけないじゃない? カウル君にお願いしたいんだけど、わたしとアキムの船室からズボンを取ってきてもらいたいの。21番のタンスに入ってるからすぐわかるわ。お使いさせてごめんなさい。わたしはその間、ちょっとアキムに聞きたいことがあるのよ」
「至急ですか?」
「いえ……、それなりに時間をかけてもらっていいわ」
「わかりました。早速、行ってきます」
僕は険しい表情をしているアキムさんの前を横切って梯子の足場の部分を手で握り、一段一段上階へ昇っていった。動力室の発する音だけが耳を打った。
天井の蓋から機関室へ出て、僕の動作は俊敏になった。アキムさんとティータさんを動力室に残したまま自分だけ別の場所にいるという状態は、心臓に針を突きつけられているようなものだ。自然と脚が前に進み、それなりという表現どころか駆け足だった。
船長室へ向かい、出入り口の格子模様を手で叩くように押す。もしかしたら開かないのではないかという心配が頭をよぎったが、ドアは颯爽と開いた。
部屋の内装は僕の船室とほとんど変わらないが、個室と違ってひとまわり広い。無機的な印象のある格子状の壁の模様だが、使用者の違いがはっきりわかるぐらいに、ティータさんが扱っているものは特別な飾りつけがされていた。
21番の格子はすぐに見つかった。ベッドの横、下から2段目だ。番号の描かれた正方形を押すと、数字の刻印に光が脈動して棚が手前に飛び出した。
女性ものの服を選り分けて探すのは気が引けたが、今は悠長なことで迷っている暇はない。手ごろなチノパンを手にとった。藍色の長ズボンだった。
脳裏に記憶がよみがえった。衣服に関して、レジスタ共和国の首都コアでは随分多くの言葉が流行っていた。多様性に富んだ製品は色彩など他の生活用品以上に華やかさがあった。
まだ研究生だった頃に年上の人間から聞いた話だと、数年間で極端に様変わりしたらしい。レッドベース魔法研究士が家業の織物産業を手伝うようになってから始まったようだ。
レッドベースという人物は魔法士である一方で、織物職人の仕事にも新たな試みを取り入れていたようだ。レジスタ共和国とは全く異なる世界にあるという服装の情報を元に斬新な製品を生み出していた。
果たして、彼は案山子と呼ばれるほど無意味な存在だったのだろうか。新しく発想する自由意志は、プレイヤーと全く変わらない。
そう……案山子は僕たちと何も変わらないのだ。命がレジスタ共和国最期の日に消えてしまったこと以外は人間そのものではないか。レッドベースはアキムさんの仇には違いないが、きっと面白い人だったのだろう。織物職人のセグさんだってアキムさんと変わらず退屈させない人だった。
僕の焦燥感はいつの間にか遠のいていた。大事な話だ、今考えるべき事柄だ。アキムさんは、彼らの命が消えてしまったことについて、何かしらの方法で蘇らせる手段があったのではないかと模索し悩んでいた。
生命のスープから解凍できる「プレイヤー」と呼ばれる人たちは今の魔法技術で元通りにすることができる。人間に戻せない案山子と呼ばれる人たちは死んだように動かなくなっているが、本当は生きているかもしれないというのがアキムさんの考えだ。
けれど、人間すべてが何をもって死者とするかは決まっているわけではない。死者を埋葬することに対して冒涜と考える者はいない。アキムさんだって同じだ。限りなく万能に近づいた魔法の合成技術によって、様々な超常現象を起こせる彼だからこそ、死と同様の状態になった者にさえ責任感を抱くようになった。
今は埋葬しただけなのだ。死者を生き返らせることのできる技術が存在しない限り、責任など生じない。逆のことだって言える。魔法の進歩を考えれば、今できなくても未来で当たり前の如く可能になることさえある。釜に入れられた人たちを遠い未来に復活させる方法もきっとどこかにあるはずだ。
現状で魔法が可能にした事柄には限界があること。人間が運命に従うように、方舟を進ませるには一時的に命を失った者たちの力を「借りる」必要があるのだということ……きっとアキムさんならわかってくれる。
僕はアキムさんを救うかもしれない答えを携え、船長室を出た。少し時間を費やしてしまったが頭を冷やした収穫はあった。再び動力室へと戻るため、滑るように回廊の床を駆け抜ける。階下に繋がる出入り口の蓋に到着するまで、まばたきすらしなかった。
僕は動力室へ続く梯子の前に立った。階下を覗き見る。予期していたことだが、アキムさんとティータさんは言い合いになっているようだった。犠牲者はいないのだから、最良の結果と考えることもできる。僕はさっそく手足を動かして梯子を下りていった。
「……おれはもう、地獄から解放されたいんだ。仕方のないことなんだよ!」
「だからって死のうとすることはないじゃないっ!」
梯子に向かい合った背中の後方から高音で怒鳴る声が聞こえた。
「アキム、あなたの悩みはよくわかったわ。でも自分の立場をもう一度よく考えてよ。あなたがいなくちゃ、多くの人たちの命が消えてしまうことになるのよ」
……アキムさんは黙りこんだ。どうやら、僕がいない間に動力室の出来事はすべて伝えてしまったのかもしれない。
「……それにね、アキム。あなたは船を動かすだけじゃない。今度は父親になるのよ。お腹の子が時々動くの。あなたがやろうとしていることは、この子から父親を奪うことなのよ!」
「父親か……。おれに務まる役目じゃないな。罪人だぞ、おれは……」
「ねぇ、聞いてよ」
話のトーンが変わった。僕は時折振り向きながら、もう少しで床に降りられるところまで進んでいた。
「出航する前、わたしに子供ができたってわかったとき、仲の良い年上の女性からアドバイスをもらったの。人間は子供が産まれたからって急に親になれるわけじゃないんだって……。子供が少しずつ大きくなるように、親もまた成長するんだって……」
床にたどりついた僕の背中が熱くなった。後ろから聞こえるティータさんの言葉にはどこか心に響くものがあった。
しばらく沈黙が辺りを包んでいた。僕は先ほどまで言い争っていた2人の邪魔にならないよう、横に少し離れた場所で衣服を片手にたたずんだ。
「おれはこれから父親になっていくのか……」
「そうよ。それを教えてくれたのはあなたが案山子と呼んだ年代の人……。でも、私たちと何も変わらない。命を国と一緒に終える運命を背負っていたかもしれないけど……必死に生きていた人間なのよ」
「それをおれが船の燃料に変えているんだぞ!」
ティータさんは真剣なまなざしを向けた。
「違うわ」
アキムさんの顔に驚きの色が浮かんだ。
「あなたは皆に助けてもらっているのよ。まだ生きている人、これから生まれる命。たくさんの人間を救うため、年輩の方たちが力を貸してくれるんじゃない」
再び沈黙が訪れた。
「本当のことを言うと、わたしもあなたが手がけている仕事を知ってたわ。船を作っているときからジョースタック先生をはじめ、多くの人から教えられ、あなたを助けるように頼まれていたの。数え切れない人があなたに未来を託した。だから、あなたも逃げることは出来ない。この船を動かすことからも。この子の父親になることからも――」
「……地獄に片足をつっこんだまま生きろ、ということか」
「ごめんね。それも違う。あなたが勝手に思い込んでいるだけ。地獄っていうのはね。生まれながらに閉じた木造船の中から出られず、父親の顔も知らずに過ごすこと……」
アキムさんが自嘲気味に表情を崩した。
「そうかもしれないな……。おれはいつも甘えていた。自分だけが苦しんでいると思っていた。苦しいのはおれなんかと運命を共にしなければならない君たちの方だってことか。つくづく罪な存在だな」
僕はアキムさんを殴ってやりたくなった。これだけ想われているのに、まだ卑屈な姿勢を貫こうとしている。でも、ティータさんは怒るどころか優しい顔で話し続けた。
「うん、つらかった……。あなたって何も相談してくれないんだから。どうして、わたしには黙っていたの? 何も知らずにあなたが苦しんでいることをあなたがいなくなってしまった後に聞いたら、後悔してもしきれなかったと思う」
「それはだな……」
返答に窮したようだった。視線を何度も動かしながら、答えがたい言葉をどうにか口から出そうとしているようだ。
「それは……。ティータ、きみに……。きみにだけはカッコ悪いところを見せたくなかった。見苦しいおれの姿を見せたくなかったんだ」
「そう……」
ティータさんは少し考え込む素振りを見せて、口を開く。
「でも、結局カッコ悪いところを見せちゃったわけね。……しょうがないじゃない。あなたって昔からカッコ良くなんてなかったもの」
わずかな間が静寂となる。
「……わたしは、そんなアキムが好きになったの。これからもずっと変わらない。カッコ悪いあなただから好きなのよ」
アキムさんは目を見張るようにまぶたを大きく広げると、みかん色の長髪を垂らす女性の顔をじっと見つめた。
「ティータ……」
「だから、地獄だなんて言わないで。きっと報われることもあるわ」
じんわりと温かみが足元から昇ってくる。ティータさんが僕の方を向いた。
「カウル、ちょっと反対側を向いていてくれる?」
あ、そうか……。うなずいて踵を返す。背後で唇を重ねているような音が聞こえてきた。僕はいないほうがいいんじゃないか、と少し卑屈になってしまった。
「「カウル」」
2人から同時に呼ばれた。再び彼らの方を向くと、照れた顔をした2人がいた。先に言葉を繋いだのはティータさんだった。
「この部屋……動力室で閉じこもりきりっていうのは本当によくないわ。アキムが今日まで我慢できたのは、カウルが一緒にがんばってくれたからね。ありがとう。それから……」
アキムさんと僕を同時に視界に入れて再び口を開く。
「広い船に3人というのは少なすぎるんじゃない? わたしだって、産まれた子の首が座るようになったら、アキムと一緒に壷の中で眠りたい。そのとき、カウルひとりじゃ可哀そうよ。もっと大勢で船のことを考えていくべきじゃないかしら」
アキムさんが感心した表情を見せる。
「……ティータの言うとおりだ。少ない人間で秘密を守ろうとしたのは、おれらしくなかった。カウルにもすまないことをした。船の食糧が全く足りないということはない。少人数の方が長く航行できることに変わりはないが、大事なのは皆が幸せに新天地を目指すことなんだ」
心が小刻みに震える思いがした。気持ちを言葉で伝えようとしたが思考がまとまらない。
「そ、そう、その通りですよ!」
話題に加える言葉としては情けない限りだ。けれど、確かに2人の言っていることは正しいように思えた。
「じゃあ、カウル君。ズボンを貸してちょうだい。着替えるから……。できればまたあっちを向いていてくれると助かるんだけど」
「あ……すみません」
僕は急いで反対側を向いた。その表情を後ろから覗き込むようにアキムさんの顔が近づいてくる。
「カウル……。どうやら私が間違っていたらしい。カウルには迷惑をかけた。本当に申し訳なかった」
「いえ、僕こそ力になれず、すみません」
「そんなことはない。感謝している。今日は助かった。そこでもうひとつだけ頼みがあるんだが……」
「なんでしょう?」
「この船の名前のことなんだが……知っての通り、深い業を背負った木造船なんだ。だから私の名前を使われるのは正直キツイ。『アキムの方舟』じゃなくて『魔法士たちの方舟』にしてほしい」
あ、そうか。僕は出航前から知らず知らずのうちに船の名前にアキムさんという冠をつけて呼んでいた。悪気がないとはいえ、気づかないところで彼を追い詰めていたのかもしれない。
僕はアキムさんの方を向いて大声で答えた。
「わかりました! 『魔法士たちの木造船』にしましょう。僕が言い広めてしまった責任もあります。もし、この先どこかで木造船にアキムさんの名前をつける人が出てきたときには、必ず訂正しておきます!」
アキムさんは清々しい表情でにんまり笑った。今までの笑顔と違い、なんだか包容力があって父親のようだ。
「ありがとう、カウル」
一件落着と言いたいところだが、アキムさんの後ろから怒る声が聞こえてきた。
「ちょっと、カウル。まだ着替えている途中なのよ!」
あ、しまった。良いところで、しくじってしまった。アキムさんは声に出して笑った。こんなに陽気な船長の顔を見るのは久しぶりかもしれない。
僕は思う。木造船の目的地は未だ定まっていない。でも、僕たちが希望を失うことはないだろう。安住の地だっていずれ見つかるはずだ。アキムさんとティータさん、そして僕がいる限り、きっと成し遂げられる。
船の外から櫂が強靭な力で波をかき分ける音が鳴り響いた。船が止まる前と変わらずリズム良く耳を刺激する。魔法の粋を集めた木造船は再び活力豊かに動き始めた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
0と1の光の粒が流れる真っ黒な海。絡み合う海流のひとつを一艘の木造船が往く。新天地を求めてひたすら前進する船には3人のほか、新たな乗組員が増えていた。
――某日、新聞に記事が載った。人気ゲーム、ウィザードウェアの製作会社から大量の情報が流出した。同タイトルは自律的に動く主人公に対し、プレイヤーが好きな能力値を設定してゲームサーバーの仮想世界がどう変化していくのかを観察するというもの。しかし、漏れた内容にユーザーの個人情報など損害を被るものはなく、ゲームデータの一部がルータからインターネットの海へと流れ出たらしい。製作関係者は運営に全く問題ないと弁明している。
<終>
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
WIZARDWARE魔法戦記シリーズは一旦、終了いたします。
作者は今後とも精進してまいりますので、応援してくだされば幸いです。
(2023/09/20 くら智一)




