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【C++】ソフトウェア魔法の戦術教本~影の王を撃て!~  作者: くら智一
後日譚「×アキムの○魔法士たちの木造船」 後編
77/80

4 レッドベースの手記(上)

 今から6年前の魔法暦96年……。魔法暦100年に「影の王」との決戦を控えたレジスタ共和国の魔法士たちは、毎日行軍演習に加え、勝敗に関わる大仕掛けを準備するため躍起になっていた。


 時候は盛夏。まだ日程に余裕があるものの、気温の変化を肌で感じる頃には10月10日「影の日」という前哨戦がやってくる。アキムさんは戦わずしてやり過ごすという神算鬼謀を張り巡らせているようだが、説明を受けてもさっぱり理解できなかった。当時の僕はまだ魔法研究士ではなく、必死に魔法の仕組みについて勉強する「魔法研究生」だった。14歳だった僕は、見るものすべてが目新しくて綿が水を吸い込むが如く、ひたすら知識を吸収していた。


 アキムさんは前年、影の王の欠片を回収する計画を共に成功させて以降、何かにつけて僕をそばに置いて厳しく指導していた。特別扱いは決して褒められることではないけれど、必死に魔法を勉強している僕にとって好機を逃す手はない。現時点で理解できない問題も短期間に解決してやろうと、知識習得に関係ない雑務をも進んで引き受けていた。そんな折だった……。


 影の王が遠くにぼんやり姿を現す黄昏時たそがれどきが終わり、夜のとばりが下りて魔法研究所をも覆っていた。この日は午後に大規模な軍事演習を街はずれで実施し、紅蓮の炎をはるか空高く数十本と昇らせた。魔法士を解散させた後、アキムさんは魔法研究所の一室で何か計測値らしきものを筆記帳に記入していた。僕は手伝いで、アキムさんの書いた記録を別の書面に自筆で写していた。


 紺色の空が曇天どんてんの闇へ変わっていたことなど気づく暇もなかった。気づいたのは音が聞こえてからだ。空の果てで轟音がしたかと思った直後、見たことのない大粒の雨が首都コアへと降り注いだ。石でも一緒に落ちてきたのではないかと錯覚するほどだ。首都もその中央に位置する魔法研究所も、滅多に大雨を経験することはない。1年を通して安定した気候が街を栄えさせた要因だ。


 魔法士のローブに身を包んだアキムさんは椅子から立って窓の外を眺めていた。雨粒を確認するように、地面を打つ様を見守るように……。きっと天候も計画の一環なんだろう。僕は作業に集中した。記憶にない大雨の弾幕が首都コアを包む中、平和な時間がしばらく続いていた。


 あわただしい足音が突然、部屋のドアの外で止まった。


「報告します。レッドベース元魔法研究士の邸宅にて、手記が見つかったそうです!」


 部屋に入るなり大声で伝えられた内容は、気象とは全く関係ない事柄だった。


 アキムさん――主任魔法研究士の顔色が一変した。眉間に深くしわを寄せた表情は、普段の穏やかな様子とは別人だ。


「わかった! 今から向かう。他の者には一切伝えないように……」


 異常気象にも気を留めない人間が血相を変えて身支度を始めた。手記とやらを回収するのだろうか。アキムさんは荷物袋を用意し、魔法士のローブの襟首に最近支給されたばかりのフードを取り付けた。いずれ縫い合わせる予定となっているフードは、まだひもで結びつける仕組みになっていた。


「カウル、急いで支度をしてくれ。おまえにも来てもらう」


 理由を聞くだとか、細かい説明を求めるだとか、悠長なことをしている雰囲気ではなさそうだ。目の前の主任魔法研究士の焦燥が伝染したかのように、僕も慌ててローブにフードをくくりつけて雨の中へ外出する支度を始めた。


 レッドベースというのは魔法具生成を担当し、先の戦闘――2年前の敗戦で命を落とした人物の名前だ。アキムさんの先輩で長い付き合いがあったらしい。今年になって見かけるようになった黒ずくめの先輩魔法士、デスティンさんと3人で魔法研究所を牽引していたこともあったとか……。今は後任のセグという変わった風貌の職人が研究を引き継いでいるが、魔法研究所へ大きな打撃を与えるほど惜しい人物を亡くしたようだ。


 魔法具の研究を引き継ぐ際に必要となったのが、彼の遺した成果物とメモだという。研究所と自宅に散在していたらしく、2年前から相当数の魔法士を動員して捜索を続けていた。


 どうにか情報収集は完了し、昨年の秋には敗戦前と同じ魔法士のローブを作り上げた。背中に六芒星をあしらったローブは、戦闘時に特定の者だけが着込む。アキムさんの背中と同じように僕のローブにも紋様のつくことがあるのだろうか。この時はわけもわからず羨望せんぼうのまなざしで眺めていた。


 叩きつける雨粒の中、僕とアキムさんはフードを目深にかぶってレッドベース邸へ急いだ。首都コアの南東部、魔法研究所から距離を隔てた南東方面に位置する屋敷は、大通りから路地へ入った突き当たりに軒を構えていた。豪勢な2階建てで、首都でも特に裕福な家柄ではないだろうか。


 1階に明かりが薄く灯っている。2年前に持ち主のレッドベース=コアが亡くなってから、魔法研究所の管理下に置かれて居住者はいない。寝食を共にしていた御両親には別宅へ移ってもらったと聞いている。


 レッドベース邸の向こうには魔法具の数々を作り出す巨大な工房が連なっている。魔法士たちの命綱を紡ぎ出す要所である以上、魔法研究所関係者が邸宅を管理するのは仕方のないことらしい。


 屋敷の入り口には魔法士が1人立っていた。僕たちが到着すると同時に奥からもう1人が現れた。


「アキム主任、お疲れ様です。レッドベースさんの直筆と思われる手記が納戸なんどの隠し棚から発見されました。他には何もありませんでした。ご家族の方も知らない秘密の場所だったらしく、長く開放されないまま埃で覆われていました。手記そのものは開かずに1階の居間中央のテーブルに置いてあります」


 幾分か小降りになってきた中、アキムさんはフードを脱いで頭を出した。


「ありがとうございます。実在してよかった。昨年、技術関連の文書をすべて回収した後も私のわがままで探し続けてもらい、本当に助かりました。秘密裏に屋敷中を探すのは骨が折れたでしょう。改めて礼を言わせてください」


 腰から上体を折り曲げ、綺麗に一礼した。教本に載っているような丁寧な挨拶だ。相手は逆に萎縮してしまっていた。


「では、早速拝見させて頂きます」


 アキムさんは僕の顔を一瞥して視線で中に入るように促すと、自分は先に屋敷内へ進んでいった。


 明かりの灯ったランプが主人のいない邸宅で廊下や居間をささやかに照らしている。魔法研究所の内装とは比べようがないほど暗く、足元を確保するだけで精一杯だ。


 居間に入った途端、静寂が辺りを包み込んだ。窓を打つ雨粒の音だけが聞こえてくる。外界と遮断された空間はひとつの音のみに支配されていた。


 中央に位置する大きなテーブルには簡素な1冊の文書が置かれていた。手記や日誌のたぐいだ。テーブルには他に、取っ手のついたランプが用意されていた。


「カウルは部屋の入り口に立って他に人が来ないか見ていてくれ」


 僕は静かにあごを引いた。見張りのために連れて来たのなら随分な話だが、とりあえず居間と廊下の境に立った。もしかしたら1人だけで手記に目を通したかったのかもしれない。僕は廊下と居間それぞれに視線を配りつつ、ただ時間が経つのを待った。


 アキムさんは、手記をランプで照らして読んでいる間、終始落ち着かない様子だった。亡くなった年長の同僚のことを思い出しているのだろうか……。考え込むような仕草をしたかと思えば、時折仰ぐように天井を眺めた。


 僕は足の位置を入れ替えながら立ち続けた。まだ読み続けている。半刻はんときほど経過した頃だろうか、乾いた大きな音がひとつ鳴った。拳でテーブルを叩いたようだ。強い感情が静寂に包まれていた空気を震わせる。声をかけられる雰囲気ではなかった。どうしようか手足をさまよわせている間に、再びアキムさんは手記へと意識を戻したようだ。


 勘違いでなければ、同じページを何度も読み返している。難解な事柄が書かれているのだろうか。アキムさんでも難しいのであれば、僕には到底理解できるはずもない。思いがけず笑みを浮かべてしまい、真顔へ戻そうと目を落として再び視線を戻そうとしたところ、間近にアキムさんがたたずんでいた。目が合った瞬間、心臓が飛び出しそうだった。


「ひとつ謎は解けたが、問題は増えた。知って良かったかと言えば、首を横に振らなければならないだろう。いっそ見つからなければ良かった……」


 アキムさんの表情が曇った。感情が消え失せたと言った方が的確かもしれない。仮面のような顔にくっついた双眸そうぼうだけが自己を主張していた。深い……どこまでも深い絶望が一対の眼球から漏れていた。落ち込んでいるのではなく、すべてを諦めて悟りきった雰囲気に満ちていた。


 ――僕は思った。もし、自分たちのリーダーがこんな眼差しをしていたら、周囲の者も戦意など消えて無くなってしまうだろう。決して人を率いる者がしてはいけない目だ。他人さえも絶望の淵へ引き込み、決起しようという気概すら奪い去る。尊敬していた人間の顔が恐ろしく、汚らわしいものに変わってしまった。


 雨脚が唐突に強くなる。外で待機している魔法士が様子をうかがいに居間へ入って来るかもしれない。けれど、じっとしていられなかった。僕はアキムさんの横をくぐりぬけ、飛びつくように手記へと手を伸ばした。この国の運命は4年後の決戦で左右される。たかが紙きれに邪魔されるような問題ではない。


 開かれたページの端から端まで目を通す。そこに書かれていたものは、僕にはまるで実感に乏しい事柄だった……。


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