3 死神の所業
アキムさんは青黒い液体をたたえた壷を右脇に抱え、後ろを向いた。
「この船の大事な仕組みを教える。今まで秘密にしていたことだ。ついて来い」
抑揚のない声で告げ、来た道を引き返すように動力室の船尾側へ歩いていく。
僕は黙って後を追った。知ってしまったからには逃げることなどできない。垣間見た壷の中、死出の顔の謎へ引き寄せられるように先輩魔法士を追いかけた。
前を歩くアキムさんが止まったのは、動力室の大釜の前だった。直径2メートルの巨大な鉄製の容器だ。床に埋められ、ギリギリあふれない位置まで溶岩のように真っ赤な液体をたたえ、煮えたぎった音と大量の湯気を吐いている。下は船底だから深さには限度がある。理屈ではわかっていても、世の中すべてを煮立ててしまうような大釜はどこまでも深く地獄まで繋がっているように思えた。
「……気をつけろよ。足を踏み外して中に落ちたら最後、助かる術はない」
アキムさんは言葉に反して淡々と作業を進めた。寸胴の壷を足元に置き、釜の前で手をつく。細長い温度計らしきものを懐から取り出して、火にかけ続けたシチューのような釜に突っ込んだ。熱と湯気を発する高温の液体近くまで腕を近づけているのに、随分と手馴れた動作だ。
「やはり残存魔法力はゼロだな。直に船内のあらゆる機能が停止するだろう」
事も無げに説明するアキムさんの姿は、心を持たない人形のように思えた。
全機能が停止すれば辺りは真っ暗になるだろう。動力室の照明は、他の船倉と同じく壁の一部が光ることで薄暗いながらも一定の明るさを維持している。眼前の釜が放つ熱と光があまりに強烈なため、他の明かりなど気にならないというのが本音だが……。
「木造船の自律駆動を制御する信号、効果保存の魔法では賄い切れない魔法力、すべてのエネルギーを生み出す動力炉がこの釜だ」
両膝をついた姿勢でアキムさんは身体をひねり、故郷の人間を「圧縮」した壷へ手を伸ばした。
「……そして、エネルギーの元となっているのがこれだ」
壷のふたを開けたアキムさんは口の部分を逆さまにして、詰まっていた生命のスープを釜の中へ注ぎ込んだ。
真っ赤に煮立っていた釜の中身が7色に輝く――。
青白い表情の人間が変異した液体は釜の中を駆け巡り、次第に色を失っていった。見入っていた僕の額から汗が一滴こぼれ落ちたときには、元の赤い溶岩の色に戻っていた。アキムさんは細長い計器を再び取り出し、釜の中に差し込んで目盛りを眺めた。
ドゥン、ドゥン、ドゥン……。
聞き覚えのある鼓動が釜の奥から室内に鳴り響いた。
「アキムさん……ど、どういうことですか? 彼は……壷の中にいた人はどうなってしまったんです?」
アキムさんは壷を隣に置き、立ち上がった。眼差しが真っ直ぐこちらへ向けられる。
「彼は船の動力となった……。人間1体につき、動力炉は毎分千個の魔法力を発生させることができる。通常の者であれば、航行中1時間は船の機能を維持することができる。1時間が過ぎ、合計6万個の魔法力を煮詰めると同時に、その者の命は潰える」
6万……人間が一生のうちに体内で生み出す魔法力が同じくらいだろうか。ただし毎分1000個とは、かつて影の王を撃退する折に組織した「聖弓魔法奏団」が総勢で用意していた魔法力と同等だ。魔法の合成はかくも技術を向上させたのか……いや、それ以前に。
――レジスタ共和国の民を安住の地へ運ぶために造られた方舟は、動力として民自身を利用していた!
……まず、効果保存の魔法で賄い切れないという言葉が受け入れられなかった。
……そして、いつからだ。出航時に皆でこの動力炉の釜へ魔法弾を放ったのは覚えている。魔法士たちが力を合わせて数千の魔法弾を注ぎ込んだはずだ。尽力した魔法士たちは仕事を終えた後に、ひとりずつ圧縮の魔法をかけられ、壷の中へ生命のスープとして格納された。動力室に彼らの入った壷を運び込んだときにも、アキムさんが中身を釜に注ぎ込むところは目にしていなかった。
「船出のときに僕たちが撃ち込んだ魔法弾は何だったんですか?」
「魔法士が放つ魔法弾だけで櫂を動かすことはできない。船内の照明を灯し、ドアの開閉を可能にしただけだ。カウルが私に準備が整ったと知らせに来ただろう? 木造船が動き始めたのはその後だ。停止した櫂の運行機能をゼロから作動させるには釜に付属したレバーを引いて出力を上げ、毎分8倍相当……8千個の魔法力を10分以上継続してスープから生み出す必要があった」
レジスタ共和国を飛び出した日の映像がよみがえる。アキムさんは、当時からひとりで方舟を動かすため、圧縮された人間を燃料にする作業をしていたのだ。今日まで2ヶ月間、僕とティータさんには気づかれずに……。
「カウル……。動力炉であるこの釜は、私とジョースタック先生とオース主任の3名で作り上げた。私に何かあれば次はおまえが責任者となる」
冷酷な表情でこちらを見据えた。嫌な目つきとは違うが、僕を仲間へ引き入れることに後悔の念はないようだ。当たり前のように死神の所業を引き継がせるつもりだ。僕は情報として整理できたものの、感情を押し殺した声しか出せなかった。
「し、信じられません……。効果保存の魔法だけでは船を動かせないなんて……考えもしませんでした。みんなでひたすら……ひたすら1年以上、魔法力を注ぎ込んで問題は全部解決したはずじゃなかったんですか?」
「黙っていたことは私の落ち度だ……。魔法合成した効果保存の総量をもってしても、光の粒をかき分けるだけのエネルギーは生み出せなかった。海中に漂っている可能性のある障害物の量は設計時に想定した値をはるかに超えるとわかった。木造船の建造途中にスカジ湖から現れた光の粒を代替物で試行した際に私たち3名が出した結論は、動力炉を使って足りないエネルギーを穴埋めするというものだった」
――黙っていただって? 木造船の仕組みなんかじゃない。大事なのは人間を動力にするという死神の所業のことだ。
「なんで……どうして今日なんです? もっと早くても良かった。船を造る前に相談してくれれば、他の方法を考える事だってできたかもしれないじゃないですか! 僕は嫌ですよ! 心の準備もないまま突然秘密を明かされても、すぐに受け入れられるわけがないじゃないですか!」
湯気を吐き出す釜の向こうに広い布をかぶせられた起伏ある物体が目に飛び込んだ。まだ何か隠しているのか……。僕は意識する暇もなく飛び出していた。右に立つアキムさんとは大釜の逆側をまわって、几帳面にかぶせられた白い布をはぎとった。
最初に現れたのは寸胴の壷3つだった。そして――
背の高い魔法士の遺体……仰向けに寝かせられている肌の白くなった人間の全身が目の前に現れた。微塵にも動かず時が止まったように目を閉じている。長い髭の先にいたるまで青白い色に染まっていた。
他の誰でもない。元魔法研究所長、ジョースタック老先生だった。
生命の匂いは全く感じない。かつて戦場で目にした死者と変わらない……動かないだけでなく気配を感じない。生を終えた者が静かに目を閉じて眠っている。ジョースタック元研究所長は生きていなかった。
「……ひとつ付け加えるなら、大量の魔法力を持った特別な人間ならば数名分のエネルギーを釜で搾り取ることができる。複数人をまとめて放り込んでも釜が一度に消化できるのは1名のみ。航行中は1時間にひとりずつ釜に生命のスープを入れなくてはいけないから、作業者が休息を取るためには膨大な魔法力を持つ者が必要だ。先生なら、おそらく10時間は動力を生み出し続けるだろう。私も久しぶりにたっぷり睡眠が取れそうだ」
アキムさんの目は焦点が定まっていないようだ。真相を述べていない。説明した内容は本当かもしれないが、どこかに嘘をついている。
「……アキムさ」
僕が嘘を指摘しようとしたときだった。船の外から甲高い音が響いた。金属をひっかくように神経を逆撫でする響動が船内をかけめぐった。
床がゆっくり揺れる……。大きくはないが、出航してから初めてのことだった。
「黒い海を流れる光の粒に当たったな。それも相当大きなやつだ。船体をこすりつけながら何とか避けていったか……」
アキムさんは僕から視線を逸らし、棚の並ぶ船体中央へ身体を向けていた。神経を尖らせて外の様子をうかがっているようだ。
「アキムさん、早く船を動かしましょう。櫂が障害物をかき分けなくなった今、いつ衝突事故が起こるかわかりません!」
僕は釜の向こう側にある、ジョースタック元研究所長の身体に駆け寄った。ゼロから運行機能を開始させるには8倍の魔法力が必要と聞いたが、準備してあった、この人ならひとりで条件を満たすはずだ。
「触るんじゃないっ!」
アキムさんの鋭い眼差しがにらみつけた。鬼気迫る剣幕だ。そして、あの目……僕が忌み嫌うあの目つきに変わった。緊急事態にも関わらず、僕の脳裏には焼きついて離れない光景が蘇っていた。影の王を倒す以前、案山子という言葉を初めて聞いた日……どうしても忘れられない出来事だった。




