5 カウルの回想(中)
「魔法弾の合成は説明するより見た方が早い。論より証拠だ。さほど遠くない場所だから私の後についてこい」
アキムさんは早速、身支度するように告げた。僕は自室で白地に赤と青の直線で装飾された魔法士のローブに袖を通して寮の玄関まで戻った。アキムさんは顔だけ汚れを洗い流し、ローブについた泥や埃は気にも留めず、寮の前から先導するように早足で歩き始める。
聞きたいことだらけだが、隣に追いついた僕の口から出た言葉は他愛のないものだった。
「アキムさん、退寮した後はどこに住んでいるのですか?」
1ヶ月以上も顔を合わせないことが不思議でならなかった。
「……ん? ああ、そう言えば伝えてなかったな。今は首都の南西側の居住区に家を借りて住んでいる」
なるほど……魔法研究所の南は宿舎と反対側だ。生活圏が異なっていたようだ。同じ調子で頭に浮かんだ質問を浴びせてみた。
「食事は、自炊しているんですか?」
「うーん……。時間は限られているからなあ。料理には何度か挑戦しているが、同居人から馬鹿にされて以来、任せっきりになってしまった」
へぇ~、意外だ。誰かと同棲しているのか。結婚しているとは聞いていないが、ようやく気の合う異性でも現れたのか。それなら喜ばしいが、しがない独身男性が集まって生活しているとしたら哀しい。一応確認しておこうか。
「アキムさん、同居されている方は美人なんですか?」
「…………」
無言だった。早足で歩く靴裏の音が聞こえてきそうな沈黙が周囲を包む。やはり女の人ではないのかもしれない。図らずも失礼な質問をしてしまったか。
「……カウル。私は容姿で女性を選ぶような人間じゃあないぞ。彼女は誰より誠実な心の持ち主なんだ。そこに私は惹かれたんだ。また偶然なことに故郷の幼なじみでもある。運命によってお互い引き寄せられたのかな」
――はいはい、ご馳走さまです。幸せに過ごしているようで安心した。なぜか、美人と付き合っている人ほど容姿は関係ないなどと言うからな。祭り騒ぎの時に良い雰囲気だった方と一緒に住んでいるのだろう。凄く綺麗な女性だった。
「僕が知らなかっただけかもしれないのですが、結婚はされないんですか?」
人間関係は奥手で不器用な年長者の背中を押すつもりで訊いてみた。アキムさんは、思い出したかのようにはたと足を止めた。こちらを向いて神妙な面持ちで口を開いた。
「それが問題だ。婚約指輪を用意しなくちゃならない。特別製のものを考えているんだが、自力で国一番の宝石を採掘していて……こうして泥だらけになっているというわけだ」
……え?
何やらひとつ、根本的に勘違いしていたことに気がついた。魔法士のローブが汚くなっているのは、懸命に研究を続けているからだと思っていたが、見当違いの理由だったらしい。やはりアキムさんの行動は予想を超える……そして今回は拍子抜けしてしまう内容だ。
「……早く行きましょう」
僕は進行方向を手で合図して、再び急ぐように促した。
アキムさんから案内された場所は、かつて魔法士たちが大勢で訓練していた首都コア西側、町の外との出入り口だった。魔法研究所の正門前から横に続く道を西へ30分歩くとたどりつく。町の敷地と外の平原を分けるようにアーチ状の組石が目印として立っている。僕たちはアーチの手前で左に曲がり、丈高の草が生い茂る中を少し南側へ進んだ。
強い色彩の風景が飛び込んできた。1メートルほどの角材を井桁【♯の字】に組み上げた自分の背丈ほどの塔から炎が立ち昇っている。赤土に墨を垂らしたような焦げ茶色に染まった気色悪い炎だ。
井桁から目を離すと、人間の腕ぐらいの木の棒を十字架のごとく組んだものが10メートルずつ離れた場所にひとつずつ刺さっている。アキムさんは井桁の炎には目もくれず、十字型の木材の方へ進んでいった。
「カウル、十字に組んだ木の棒は魔法士を象ったものだ。横向きの部分が腕だな。魔法士唯一の武器である手袋を端に取りつけてある」
魔法具と称される手袋をかぶせられた十字型の人形は、畑で見かける案山子のように見える。
「研究は人手がなく苦労続きだった。魔法の合成と言っても、実験する人間は2人だけだからな。人形とはいえ木製魔法士たちは本物の代わりに随分、活躍してもらったんだ」
2人……か。魔法研究生でも助手にしているのだろうか。周囲に向けた視線の先、井桁をはさんだ反対側に1人の老人が地べたに背を預けて大の字になって眠っていた。
事情は聞きたくないが……ジョースタック魔法研究所長だ。アキムさんと同じく顔を見かけないと思ったら、こんなところにいたのか……。
「あの人……魔法研究所長ですよね?」
「うん、ジョースタック先生だ。このところ徹夜続きだったから眠っていらっしゃる。そっとしておいてやろう」
アキムさんは木製の案山子のひとつに近寄り、僕を手招きした。駆け寄った先には魔法具の手袋が十字に組まれた木材の片側で横を向いていた。確かに見ようによっては魔法士が身につけているかのようだ。
「……横向きの棒の先は小さな杭を5本刺して、人間の手を模している。影の王と戦った時の属性付加役と同じ役割だ。この木製魔法士が砲台役である私に向かって魔法弾を放つ仕組みだ」
かつて「影の王」と戦うために魔法士は隊列を組み、「砲台役」と呼ばれる魔法士が仲間から送られた魔法力を結集して、光条と喩えられる強力な一撃を放った。その際、火・氷・土・風と全部で4種類ある魔法の属性は「属性付加役」の魔法士によって、魔法弾が飛び出す直前に付け加えられていた。
アキムさんは手のひら部分に刻印の刺繍された手袋を懐から2つ取り出し、右手へ重ねてかぶせた。
聖弓魔法奏団の砲台役が身につけていた組み合わせだ。内側から1枚目は無属性の魔法弾を撃つための刻印が描かれている。2枚目は少々複雑で、手袋の布地の「裏側」に魔法弾を吸収する刻印、「表側」に無属性の魔法弾を放つ刻印がそれぞれ描かれている。順番に2枚重ねて身につける。
アキムさんは別途、1枚の手袋を僕の前に差し出して見せた。手のひらに描かれたものは幾度も見たことのある、火属性の魔法弾を撃ち出す刻印だ。その手袋を引っくり返して裏側も見せてもらった。縁となる円の内側に六芒星、吸収の刻印らしき図柄が描かれている。初めて見るのは図形の各所に付いた記号のような模様だ。
「個人が魔法弾を撃つ際に使用する魔法具は、表に放出の刻印、裏には人体から魔法力を引き出す刻印が付いていた。木製の魔法士は所詮人形だから、独自に魔法弾を放つことはできない。外部から魔法弾を撃ち込み吸収させ、一定時間維持させた後に再放出させれば、実験を手伝う魔法士の代わりになる」
僕はかつて「属性付加役」魔法士のリーダーを務めた経験がある。魔法については熟知しているつもりだが、ずっと人間以外が魔法弾を撃つことはできないと教わっていた。実際に試して確認したこともあり、単純に跳ね返すといった装置の運用さえ不可能だった。アキムさんの「魔法士の代わり」という言葉には新鮮な響きが含まれていた。
「……影の王打倒後に可能となった魔法弾の仕組みは合成以外にも幾つかある。ひとつは魔法具が人の力を直接借りず魔法弾を撃ち出すこと、もうひとつは魔法弾を特別な刻印で留め置くことだ。現在、吸収を司る六芒星の各頂点内側に新たな記号を加えることで、1分きざみで頂点の数――最大6分間、吸収した魔法弾を蓄積して一定時間後に再度放出できる。この手袋の場合は魔法弾を吸収し、1分間留め置いたあと火属性を付加して放出する」
アキムさんは横向きの棒にかぶせてあった手袋を取り外し、説明したばかりの手袋を代わりにかぶせた。続けて自分の右手で人形に取り付けた手袋を触れ、目を閉じて集中した。白い輝きとともにアキムさんの手のひらから木材の端の手袋へ光の塊が一瞬で移動した。
「木製魔法士から魔法弾の射出される方角が向こうだ」
説明を続ける元主任魔法研究士が歩いていった先には、地べたにペケで目印が付けられている。周囲には魔法具が数十枚と置かれていた。木の棒で作られた案山子のような人形は、ペケ印を中心とした円の弧のように配置され、いずれも腕となる棒の先が中央の一箇所へ集まるように組まれている。数は10体近くある。
「属性のある魔法弾を吸収し、自分が撃ち出す魔法弾にその属性を加えて発射する仕組みは覚えているな?」
アキムさんは懐から新たな手袋を取り出し、外側だけ入れ替えるように身につけた。遠目だが、おそらく風の魔法弾を放出する魔法具だ。話の流れから、裏には魔法弾を吸収する刻印が描かれているだろう。アキムさんは井桁の炎を向くと右腕を水平に伸ばして手のひらを広げ、左手で掴むように支えて静かに意識を集中しはじめた。
1分が経過した。僕の目の前にあった案山子の腕に付けられた手袋が赤く輝き、アキムさんのいる場所に向かって炎の塊が飛び出した。待ち構える彼の手に命中すると、今度はアキムさんの構えた手袋が赤く輝き、直後に灰色の光がその赤色と入り混じった。
アキムさんの腕から2色の混ざった光る塊が飛び出す。火球とも灰色の煙とも判別できない塊は井桁手前の地面に着弾し、小規模な炎を上げて消えた。
「魔法の仕組みに起こった最大の変化は合成が可能になったことだ。……まあ、合成といっても、異なる属性が互いを打ち消し合わなくなっただけで、現在できるのはこの程度。それぞれ半分ずつ効果が生じるだけだ」
なんだか間の抜けた印象を受けた。驚くような実験が始まると思っていたからか、別段発展した様子もない結果に何の感慨も沸かなかった。
アキムさんは僕の顔色を窺いながら、悪戯好きの子供のような表情を浮かべた。あ、これは何かあるな……。久しぶりに救国の魔法士の素顔を見たような気がした。
「カウル、危ないから木製魔法士の後ろへ下がっていろ!」
言われるがままに距離を取った。アキムさんは立ち位置を変えずに右の手袋だけ最初に用意していたものに戻し、再び腕を上げて魔法弾発射の準備に入った。手から無色透明の魔法弾が飛び出す。
僕から最も遠い場所にある案山子の腕の部分に魔法弾は命中した。アキムさんは構えを崩さず、今度は別の案山子へ身体の向きを変えて右腕の照準を合わせる。1分後に同じく無色透明の塊が放たれた。2発目の魔法弾を撃った後も同じ動作を続けた。1分経過するごとに3発目、4発目、5発目と発射し、6発目の魔法弾は僕の近くにあった十字型の木製人形に向けて放たれた。
「今から一斉に6発の魔法弾が跳ね返ってくる……火属性3つ、風属性3つだ」
アキムさんは説明しながら再び右腕にかぶせた外側の魔法具を取り替えた。吸収した後に火属性の魔法弾を放つ手袋のようだ。
6箇所の案山子の手袋が同時に輝き、炎の塊と灰色の煙を3つずつ、アキムさん目掛けて吐き出した。彼は一箇所ですべての魔法弾を右手の魔法具で受けとめ、身体を井桁の方に向ける。
赤でもない、灰色でもない。井桁の塔で燃えている炎と同じく茶色に焦げたような光が魔法具を覆いながら激しく明滅した。そして手のひらから……こぶし大の魔法弾より一回り小さく凝縮された赤銅色の球体が飛び出した。
直進した塊は、井桁へとたちどころに吸い込まれる。直後だ。焦げ茶色の炎は天に届かんばかり高く巨大にふくれあがった。
「火属性4、風属性3の割合で放つと、燃え始めたら最後、決して消えない炎を生み出すことができる。威力は見てのとおりだ」
アキムさんは満面の笑みを浮かべた。ところが……
「……こらっ! 自分で禁術にすると言った魔法弾を使うやつがおるかっ!」
先ほどまで眠っていたはずのジョースタック魔法研究所長が立ち上がり、大声で叫んだ。アキムさんは急にバツの悪そうな表情に変わり、僕の顔を見て苦笑した。




