4 カウルの回想(上)
あの時のことは今でも鮮明に覚えている。美しい星空の下、レジスタ共和国を覆わんばかりの歓声と祭り騒ぎは目を閉じるだけで、記憶の淵から容易に浮かび上がる。
――魔法暦100年10月10日「運命の日」は、魔法士たちが宿敵「影の王」を撃退したことで幕を閉じた。聖弓魔法奏団の指揮官アキムさんと彼に率いられた魔法士1000名および戦闘に参加した3000名以上の猛者たちは、レジスタ共和国首都コアに石油まみれの真っ黒な姿で帰還した。時間は深夜だった。
凱旋と程遠い汚れた姿に戸惑う声もあったようだが、「影の王」が存在しなくなったことは異物のない空が証明していた。街の各所で身体の汚れを洗い流した者たちは、首都の人間と一緒になって大通りへ繰り出し、いつ終わるとも知れない酒宴を催した。
僕はアキムさんと一緒に行動していた。聖弓魔法奏団の魔法士たちは早朝から続く戦闘で疲弊し、初日の宴には参加せず泥のように眠った。疲れを回復させることが、このときほど気持ちよく感じたことはない。翌朝、僕は目を覚ますが早いか、同世代の魔法士に連れられて騒ぎの中へ放り込まれた。
アキムさんの姿は見当たらなかった。聞いた話では、故郷のミヤザワ村まで馬を走らせたらしい。理由は聞いていない。親族へ報告に向かったのだろうか。あるいは昼夜休むことなく続く宴会に参加したくなかっただけかもしれない。何せ、平凡とは程遠い人だから行動を解析できるはずがない。
翌日、戻ってきたアキムさんは、酒に酔った年長の魔法士たちに絡まれて僕とは別途、行動することになった。旧知の仲なのか、「影の王」に敗北を喫した魔法暦88年「影の王攻略戦」でひとり中核を担った女性魔法士も現れたらしく、騒ぎはさらに盛り上がった。
また、もう一方で当時の魔法研究所長、ジョースタック老先生が魔法研究所正門前にて戦果報告をするらしく、僕たち十代の魔法士は手伝いに駆り出された。何せ魔法研究所の関係者たちは酒を大量に飲まされ、研究所長と十代の人間ぐらいしか作業に専念できる者は残っていなかった。
10月11日夕刻、空が紅に染まる中で「影の王」がいなくなったことを今一度確認しながら、ジョースタック老先生は背丈ほどもある高さの木製の演台に上がって大声で語り始めた。普段とは違う口調で、一言ずつ声をしぼり出すように告げた。
「首都コアの皆さん。魔法研究所長のジョースタックです! 100年前から戦いを因縁づけられた影の王は、魔法士と助勢に駆けつけてくださった方たちの奮闘の結果、討伐することが叶いました。決して特定の人物の力によるものではありません。レジスタ共和国に生きる方々すべてのご助力があっての戦功です。とはいえ、100年もの間に影の王の災禍によって犠牲となった方もたくさんいます。この度の戦いにおいても魔法士数百名が命を落としました。何よりも先に彼らの御霊に対して、ひとときの黙祷をお願い致します」
演台に立つ魔法研究所長が直立した姿勢のまま固く両手を組み、深く目を瞑った。僕も同じ所作で応じた。聴覚を刺激することのない静まり返った街は、生き残ったすべての人たちが、命を散らした者へ哀悼の意を捧げていることを示していた。長い黙祷だった。しばらくして老先生の声とともに沈黙が解かれた。
「……ありがとうございました。皆様のおかげできっと犠牲者たちも安らかに眠ることでしょう。そして私たちは魔法暦100年を越えてこの地で生き続けます。私たちが勝ち取った権利です。充分に謳歌しましょう! もし問題があるとすれば、影の王がいなくなったことで、今後何らかの変化が起こるかもしれないことです。しかし、恐れることはありません。影の王を倒すことができた私たちには何が起ころうとも乗り越える力があります。是非、今後の平和を心から祝い、宴を楽しんでください!」
静聴していた者たちが再び歓声を上げた。演台から降りた老魔法士は普段の口調に戻って、「やれやれ、最後の仕事になるかもしれないと思って少し力みすぎたようじゃ」などとこぼしていた。
影の王がいなくなったことによる変化……僕には皆目見当もつかなかったが、後から思い起こせば「前」魔法研究所長は未来を正確に予見していたことになる。アキムさんも同じだが、歴戦の魔法士たちは他人に見えない何かを見通す力を備えているのかもしれない。
けれど、当時の僕は聖弓魔法奏団の一部をまとめる立場で戦い抜いたことを誇りに思い、充実感に満ちていた。何ら疑問など感じることなく歓喜の輪に加わった。言葉にしたジョースタック老先生本人ですら、その後は一日中飲み明かしていた。
勘の鋭いはずのアキムさんは、いつの間にか合流した女性……ティータさんと酒盛りしていた。見知らぬ美人の登場に面識のない若い魔法士は皆驚いたが、僕はうまいことやったなと感心した。たぶん、酒宴の合間にティータさんを口説いたのだろう。アキムさんは普段とは別人に見えるほど陽気になっていた。祭りに参加する覚悟を決めたのか、女性を射止めた勢いなのかわからないが、酒が後押ししていたことは確かだ。
僕はアキムさんのところへ向かい、一緒にひとしきり騒いだあと、終わりの無い宴を心行くまで楽しんだ。結局、祭り騒ぎは1週間続いた。レジスタ共和国の資産を投入した巨大な宴会は、首都コア以外でも至るところで存分に催されたらしい。度が過ぎたからか、国の人間は皆、日常に戻るまでかなり苦労したようだ。
1週間の宴、続いて与えられた1週間の休暇のあと、10月24日になって魔法研究所への召集がかかった。新規人事の発表らしく、生き残った魔法士全員が旧レジスタ王城を利用した研究所1階大広間に参集した。
人事の内容は魔法研究士の一員である僕にも知らされておらず、魔法研究所長とわずかな人員との間で決められたらしい。驚いたのは1点、アキムさんが主任魔法研究士を解任されたことだ。魔法研究所長はジョースタック老先生のままで昇格したわけではない。事実上の更迭扱いである。
ところが、人事会議にはアキムさんも参加しており、本人の希望だと聞かされた。新任の主任魔法研究士には年長のオースさんが選ばれた。浅黒い肌の元斥侯は研究者というイメージではなく、また個人行動が多かったため、僕ならずとも懸念を抱いた人間はいただろう。……と言っても、もう魔法研究所が抱える事案が緊急でなくなったことから危機意識はなかった。
アキムさんは翌日から趣味の魔法研究を単独で続けると言い残し、全く顔を見せなくなった。僕はオース新主任の下で「影の王」が遺した大量の石油をいかに精製するか、研究と開発に携わることとなった。
老齢のジョースタック魔法研究所長は、それまで管理していた研究所の経営についてもオース主任に委託し、アキムさん同様に姿を見かけなくなった。オース主任は過去、独自に斥侯の計画を立案、実行してきただけあって予算の運用に関しても前任者たちに劣らない手腕を発揮した。
順調に石油の運用を魔法と結びつけて研究を進める中、新主任は人事が的確だったことを証明するかのように成果を挙げた。後に合成ゴムとなる雛形も早い段階に生み出される。僕はオースさんの実力を周りと同じく評価していたが、喜怒哀楽の極めて少ない新主任はどこか好きになれなかった。アキムさんとは違う、人間くささが欠落したような無機的な印象に違和感を覚えたのかもしれない。
「影の王」がいなくなり、追い立てられる緊張感がなくなったからか、僕は次第に魔法研究所と活動内容への興味を失いかけていた。理由はひとつではないが、新体制下での仕事は面白くなかった。
退屈な日常を緩慢と過ごす状況で、突然に変化は現れた。宴の終わりより2ヶ月、退寮し姿を消したはずのアキムさんがある日、僕のいる男性魔法士用の宿舎玄関で魔法士のローブを泥だらけにして立っていた。
「驚くなよ、カウル。魔法弾の合成がついに実現可能になったぞ!」
最初は何の感慨も沸かなかったが、熱っぽく説明するアキムさんの口ぶりにつられて次第に「影の王」との対決を控えていた時期のことを思い出した。
魔法士たちが「影の王」との戦いで苦戦した理由のひとつは、火・氷・土・風の4属性を個別に扱わなくてはならず、同時に用いたり合成を試みたりすると互いの効果を打ち消し合ってしまう欠点にある。
過去、何度実験を繰り返しても成功しなかった「魔法属性の合成」がアキムさんの努力の結果、可能になったらしい。
「……何か特別なことを試したわけではないんだ。ひたすら朝から晩まで実験を続けただけなんだよ。だが、勝算はあった。影の王を倒したことで何らかの変化が必ず生じると思っていた。それが人間に有利な要素だったのは幸運なことだ」
アキムさんはいつも突拍子もないことを話し始める。何か忘れかけていた情熱を取り戻すように僕はアキムさんの言葉に聞き入った。




