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 2月12日午後、魔法研究会議を終えた私は休息がてら椅子に腰かけて、魔法士の集団戦闘術について空想をふくらませていた。アイディアを思いついては紙に記述し、絵や図形に書き起こしたのちに現実性の乏しさから棄却する、という作業を延々と繰り返していた。不意に現実へと戻ると辺りから魔法士の気配はなくなり、宵闇が窓の外を覆い始めていた。


「続きは宿舎に帰ってからだな」


 道具を片付けて部屋を出ようとした時、見覚えのある人影が外で立っているのに気づいた。


 前任の魔法研究所長だったエキストだ。彩度のない灰色のズボンと上着に白いシャツ。私服姿の彼を見るのは初めてだ。現場復帰するのだろうか、と疑問を持ちながら何気なく挨拶すると、険しい表情を浮かべた痩身の壮年魔法研究士は突然、声を荒げた。


「なぜ、おまえが魔法研究を引き継いでいる? 聞けば前年から主任魔法研究士を務めているとか……。後任人事を決める席に私がいれば決して許さなかった……非常に残念だ!」


 精神面の理由から魔法研究所長を辞職し、首都コアを離れて故郷に戻ったと聞いていた。彼の中では先の戦闘が終わっておらず、影の王に敗北した瞬間のまま時が止まっているようだ。


「エキスト所長……今は人手不足なんです。皆さんは至らぬ点を承知したうえで、私を研究の中心人物に抜擢ばってきしてくれました」


 元魔法研究所長は周囲を見回し、人がいないのを確認してから再び顔を向けた。


「おまえは魔法士として適切であるかどうか問われる以前に人間として未熟者だろうが! ジョースタックに上手く取り入ったとしても、すぐに問題は発生するぞ。人を敬う姿勢が足りないくせに他人から敬意を持たれようなど浅ましいにも程がある。もしくは魔法研究所を潰すつもりなのか? おまえは国の害悪だ。影の王となにも変わらない。おまえに救ってもらうぐらいなら、影の王に滅ぼされてしまったほうがマシだ!」


 辛辣しんらつな言葉を並べ立てたエキストは恍惚こうこつとした表情を浮かべた。


 私はゆっくり目をつむった。他者に対する悪意のみで放った言葉を理解する必要はないだろう。相手をするだけ損だ。けれど、目の前の魔法士へ敬意を示さなかったのは事実だ。自分を嫌う教官に対して終始良い感情を抱くことはなかった。


 エキストは好まぬ意見を認めようとしない頑固者だったが、決して無能な人間ではない。魔法研究所長を務めたのは経営面で手腕を買われ、周りから確かな評価を得ていたからだ。私と痩身の魔法研究士との対立は、リューゾと同じように「すれ違い」なのだ。自分から歩み寄らなかったことを今更ながら後悔した。


 ただし、はっきりさせておかなければならない問題が一点だけあった。


「憎む気持ちはわかりました。影の王討伐の折、私をほうむり去ろうとして支援役の魔法具に細工したこと、忘れてはいません。殺意を抱くほど邪魔だったのですか?」


 解けずにいた謎をぶつけてみた。予想していた通りなら何かしら答えが返ってくるだろう……。


「おまえも運のいい男だ、他人の犠牲のうえに生き残るとはな……だが、悪運だ。言っておくが一存ではないぞ。おまえにいてもらっては先々、面倒になると考える者はいくらでもいた。私は認可しただけだ。おまえの悪運のおかげで、皆の予想に反した結果に終着したのは残念だ」


 エキストはしゃべり終えるなり高笑いした。今、研究所に在籍する魔法士の中にも同じように思う者は残っているのだろうか? 自分の考え方や改革の進め方は客観的に見たら性急すぎるのかもしれない。人を率いるリーダーになる自信など元々なかったが、かつての魔法研究所長から突きつけられた言葉は深く心をえぐった。


 私が視線を落として黙考し始めたときだ。痩身そうしんの魔法研究士のさらに後方から声が聞こえた。


「エキスト……おまえは重大な過ちを犯しているようだな」


 壁の死角となっていた部分より現れたのは、現魔法研究所長のジョースタックだ。白亜のローブを着た老魔法士はあご髭をひと撫ですると、私服姿の元所長をにらみつけた。


「敵は影の王だけだ。影の王を打倒することが全魔法士にとって宿願なのだ。エキスト……おまえは影の王のみでなく、研究所内で対立する人間をも敵と認識してしまった。だから、憎いと思う情念ばかりがふくらんでしまったのだ。アキムを見てみろ。若い魔法士にとって敵はおまえではないぞ。悩み、反省を続ける者は心の均衡を保って真実を見抜くことができる。我執がしゅうにとらわれ考えることをやめてしまったことが、今まで幅広く才能を集められなかった理由だ」


 エキストは黙って老魔法士の言葉に耳を傾けていた。彼もまた、若い頃にジョースタックから薫陶くんとうを受けていたのかもしれない。


「アキムを謀殺しようとした件については情けないことだが今まで知らなかった。わしもまた間違っていたのだろう。今さら詮索はせん。命をかけて戦った魔法士を糾弾するつもりなど毛頭ない。だから、他に人が来る前に故郷へ帰れ」


 エキストの表情が歪んだ。矜持きょうじ羞恥しゅうち心がごちゃ混ぜになって心を駆け巡っているようだ。憎むべき相手の居所まで彼を運んできた妄執もうしゅうは行き場を失った挙げ句、悲しいことに再びこちらへ向けられた。激しく私の顔を睨みつけ、上着の懐に手を忍ばせた。


「エキスト、アキムを信じてやれ! おまえは先ほど、アキムに救われるぐらいなら滅んでしまったほうがましだ、と言っていたが本心か? おまえにも妻子はいるだろう。今、魔法研究所が主任魔法研究士を失ったら、おまえだけでなく愛する者すら死んでしまうことになるぞ!」


 痩身の壮年魔法士がぎょっとした顔でジョースタックを振り返った。顔中からみるみる血の気が引いていく。エキストは肩を落として大きくうなだれた。


 私はひとつも言葉が出てこなかった。自分を嫌っていた男の発言、今しがた起ころうとしていた凶行すべてが理解しようとしてもできなかった。言葉のみでは納得できない苦艱くかんだけが両肩を上から押しつけていた。


 エキストは半ばくずおれるように目前まで迫ってきた。私の脚は右側の不自由さと困惑する感情が重なって、脳の命令を受けつけなかった。身動きひとつ取れないまま彼の動きをただ見守った。


「頼む……こんなことを言えた義理でないことは承知している。だが、おれの家族を……どうか……どうか守ってほしい」


 壮年魔法士は両膝をつき、私の右手を強く両手で握った。顔は下を向き、すすり泣くような声だけが聞こえる。私は立ち尽くした状態で眼下の男に声をかけた。


「私の目的は影の王を倒すことです。万難ばんなんを排して黒い球体を消滅させることのみを考えています。必ず目的は果たします。安心してください」


「頼む……頼む……うぅ……」


 途中からは言葉になっていなかった。心の底から助けたい人間がいる、その気持ちが純粋に伝わってきた。私は触れられた手を握り返して廊下の奥にいるジョースタックへ視線を向けた。


 老魔法士は黙ったまま一部始終を見守っていた……。


 エキスト前魔法研究所長は泣き止むと同時に平時の顔に戻ったようだ。立ち上がって私とジョースタックに深々と礼をした後、姿を消した。魔法研究所で良くも悪くも最も関わる機会の多い魔法研究士だったが、顔を合わせるのは最後となった。


 ジョースタックはゆっくり近づいてきて、小さな声で呟いた。


「エキストを許してやってくれ。あれでも真面目な男だった。いつごろからか、自分の意見を通すことに固執こしつするようになってしまった。わしの責任でもある……」


 私は大きく息を吐いて身体に力を取り戻す。


「一時は投獄され、あまつさえ殺されそうになりました。許すことはできません。それでも、私のやることには変わりありません」


 本音を語ったつもりが口をついて出たのは半分強がりだ。老魔法士は穏やかな笑みを浮かべた。こちらも釣られるように微笑ほほえみかえした。自嘲気味の笑いかもしれないが、どうやらジョースタックという人物には雰囲気を和やかにする力があるらしい。

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