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 数日、気づけば数週間が経過していた。頬は無造作に伸びたひげが覆い、砂埃すなぼこりをかぶって毛先が黄色く変色した。土砂にまみれた衣服とあいまって浮浪者のような風貌になっている。鏡で自分の姿を確認することが怖かった。何より仲の良い知り合いに会うことが怖かった……。 


 恐怖はときに意図しない考えを生み出す。認可のない禁書を読んでいることが罪状だとしたら、今年に入ってから私と異世界について話を交わしていたリューゾとかいう新入生は二心ふたごころがあった可能性もある。鈍重そうに見えた彼は、裏で私のことを探っていたのだろうか。関係あるはずもない第三者に疑惑の目を向けるほど、私は精神的に衰弱しているようだ。


 牢獄の生活が始まってからの時間経過は、壁に印をつけることで計算していた。だから影の子が出現する10月10日を迎えたことは正確に知ることができた。地下まで魔法士たちの声は届かなかったが、あわただしい足音は日数の計算が正しいことを証明してくれた。


 投獄された日から数えて計算どおりなら10月20日。久しく顔を見せなかったデスティンが牢獄へやってきた。いつにもまして不機嫌な様子だったが一瞥すると笑みを浮かべた。


「アキム、少しは頭が冷えたかな。先日の影の子との対決だが、過去最大規模の難敵を負傷者ゼロで一掃した。君が邪魔しなかったおかげだ」


 皆、無事だったか……。負傷者すら出なかったということは魔法研究が影の子の脅威を上回ったことを示す。自分が役に立てなかった嫉妬心は沸かず、素直に笑みがこぼれた。


「そこで、エキスト魔法研究所長から恩赦おんしゃだ。アキム、君の扱いを監視つきの軟禁状態へ移行する。外へ出られるぞ」


 デスティンは面白くないという様子だったが、彼の言葉は私を再び人間らしい生活へ戻すことを保証するものだった。寝耳に水の話とはいえ、環境が改善されるだろうことを即座に理解した。


「もし、疑わしいと判断したときは再び投獄する。言いたいことはわかるな?」


 いまいましいといった表情を向け、腰から出したハンカチで鼻を押さえた。


「この部屋はひどいな。目を離した間に地獄のような場所になった。糞尿囚人は他者を不快にさせる天才だな」


 ずいぶんな言い草だったが、解放される吉報を知った私にはどうでも良かった。





 魔法研究所の地下牢から一歩足を踏み出した私は、まばゆい光の洗礼を浴び、まぶたを両腕で覆い隠した。随行する魔法士がよろける様子を見てほくそ笑んでいるように見えた。


 久しぶりに監禁を解かれたとはいえ立ち止まることは許されず、半ば追い立てられるように地上へ向かった。他の魔法士の姿を見かけることはなかったが、1階の大広間を裏側から正面へ向かって通り抜けた先、右側へ続く大階段の前にひとり女性が立っていた。


 白く美しいローブの後ろに腰まで伸ばしたみかん色の髪をなびかせて、じっとこちらを見つめている。私は醜い顔で軽く微笑みかけた。たちまち魔法士たちに両腕をつかまれ、研究所の2階へ連れて行かれる。


 さすがに大人しくすることにも慣れた。一段一段昇る感触が遠い昔のように思い出される。階段先の風景は以前のままだ。中央にある会議室の扉は開かれていた。腕を解放され、中腰の姿勢で埃にまみれた髪をかき分け頭を上げる。室内では異臭に我慢できないといった者たちがハンカチで顔を押さえ、中央の大きなテーブルの左右から囚人を凝視していた。


「これが恩赦の書状だ。サインしたまえ。早く済ませたら、その臭い身体をどうにかしてくれ」


 デスティンがテーブルに置いてある紙を取り上げ手渡した。要約すると、外部の人間と会わないこと、投獄の一件について口外しない旨を厳守する誓約状だ。署名をして紙片を返した。


 今度は行動の規制について口頭で説明を受けた。外出時は必ず監視役をつけること、魔法研究への関与を禁止することが告げられた。不思議なことに魔法研究所の除籍処分はなかった。首都コアから追放されることもなく、衣食住と最低限の自由は保障されるそうだ。陰で擁護してくれた人の努力を感じながら、苦痛に満ちた生活へ別れを告げた。


 さげすむ視線を背中に浴びつつ部屋を出て大階段を前にする。下には1階から見上げる、美しく懐かしい女性がたたずんでいた。


 彼女は鼻が曲がるような異臭にも嫌な顔ひとつせず見守っていた。淑女の風貌になっても、誠実な人柄はどこも変わらない。私は階段途中まで降り、地下牢での生活で使わず砂埃でつぶれた声帯に力を入れると、しゃがれた声をしぼりだした。


「ティータ……ありがとう。ひとつだけわがままを聞いてくれないか? 風呂に入るまで会話は待って欲しい。糞尿囚人と蔑まれる姿のまま、君と顔を合わせたくないんだ」


 幼なじみはそっと頷いた。彼女と別れ、ひとり魔法研究所の正門から激しい太陽光の下へ身を乗り出す。はたから見たら足取り頼りなく、どんな病人が歩いているのかと思われただろう。好奇の目を避けることはできないが、異臭で迷惑をかけないように人や建物に近づかず宿舎への道をたどった。


 しばらく留守にしていた魔法士用宿舎では、管理人から風呂へ入ることを断られてしまった。仕方なく、馬屋の水で身体の汚れを洗い落とす。汚物を洗い流した私は快く受け入れられた。先刻、捨ててきた衣服から3日は食欲が戻らないような悪臭が漂っていた。最初訪れた時に風呂を希望したのは、相手の立場を考えると逆に申しわけない。


 私の部屋の前にはティータが待っていた。無造作に伸びた髪を切ってくれるというので、彼女の申し出に甘えることにした。ちょきちょき……はさみの音がリズム良く心に響いた。家畜用の水で洗ったとはいえ、汚れがこびりついたままの毛先が体外へ離れてゆく。さすがに髭は自分で剃り落とした。小一時間かかったが、おかげで1ヶ月前までの自分を取り戻すことができた。


「ティータ、ありがとう。おかげで人心地ついた」


「ミヤザワ村きっての秀才が形無しだもの。元の造作は良いんだから格好つけなくちゃね」


 美しい幼なじみはみかん色の長髪をかきわけて満面の笑みを見せた。


 眼前の光景が夢ではないことを強く願った……。


 彼女は私が抱えていた疑問に正確かつ簡潔に答えてくれた。なるほど、ティータやレッドベース先輩が助けてくれたのか……痛めつけられ凍りついた心が次第に溶けていった。魔法研究に加わることはできないが一緒に過ごすことはできる。手助けする機会もあるだろう。


 ティータは最後まで心配そうな顔をして帰っていった。大丈夫……しばらくは大人しく読書しながら模範的な生活をするつもりだ。時間が経てば環境だって変わるかもしれない。希望をもって1日を大切にしよう。以前は当たり前すぎて感謝することはなかった。私は宿舎で人間らしい食事と睡眠を存分に堪能した。

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