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1-1

 夏の陽射しに、二人の女性は目を細めていた。

 柏木加奈子は長身で細身。ショートパンツにTシャツという服装、大きな麦わら帽子をかぶっている。短く切りそろえた前髪の隙間から、額に浮かぶ大粒の汗が見えている。

 荻野目凛子は小柄で色白。日傘を広げ、目の前に広がる青々とした夏草の絨毯を眺めている。胸元で絞られたワンピースを身に付け、素足にサンダルといった出で立ち。

 長身のほうが草むらの中に身体を沈め、辺りの様子を注意深く窺っている。しばらくそうして探し物をしていたのだが、一向に目的のものは見つからない。そこで、彼女は地面に腹這いになった。

「うう……変な草でかぶれそう……」

 そう呟き、更に探し物を続ける。しかし目に入るのは濃厚な夏の匂いを発する草のみだ。

 彼女は顔を上げた。すると、日傘を持った優雅な佇まいの女性が目に入る。幼い顔立ちだが、落ち着いた雰囲気。

 加奈子は頬を膨らませて言った。

「もー、マジでここにいるの? 見間違いなんじゃないの?」

 凛子は日傘を傾け、良く晴れた七月の空を見上げた。そして涼しげな声で、

「確かです。最後の目撃はこの辺り。加奈子、もっとよく探して。見つけられないと、またモヤシの炒め物ですよ」

「あぁ……肉が食べたい。分厚くてジューシーで、とても噛み切れないようなやつ」

 長身の身体を低くし、再び草むらの中に入る加奈子。

 遠くで、素早く何かが動いた。

「ああっ! あそこです!」

「ええっ! どこ!?」

「ほら、あそこ!」

 小柄な女性は日傘を放り出し、素早く揺れる草むらを指差した。

「私がつかまえます」

「待ってよ、あたしも行く」

「加奈子は相手を威圧してしまいます。私の方が適任です」

「そんなつもりはないんだけどなぁ……」

 加奈子は後頭部に手を当てて立ち上がった。ずっと地面に這いつくばっていたので、さすがに腰が痛む。

「いてて……」

 風が吹いて、火照った身体から熱を少しだけ奪っていった。

「あぁ……もう夏だな」

 一人で呟き、あたり一面に広がる草むらを眺める加奈子。前方には目にも鮮やかな木々が並ぶ大きな山が見えている。振り返ると、細い道路の向こうに、市街地が見える。その細い道路には、二人が乗って来た軽自動車が停めてあり、ドアには「何でもします 夏目屋」と表記されている。

「もう、こらっ」

 楽しげな凛子の声に気が付き、声の方を向く。すると凛子が白っぽい猫を抱きかかえていた。白い毛の猫は彼女の顔をしきりに舐めている。

 猫を抱いたまま、彼女は加奈子の視線に気づき、にこやかな笑顔を向けた。

「加奈子、見つけましたよ。今日はカレーにしましょう」

 そう言って軽やかに笑う小柄な女性を、加奈子は苦笑いを浮かべながら眺めた。

「それだと猫でカレーつくるみたいだよ」




 

 二人と一匹を乗せた軽自動車は細い道を抜けて、少し広い通りを走っていた。そこは住宅街で、周囲には小ぶりながらも清潔そうな民家が立ち並んでいる。

 ハンドルを握る加奈子が苦々しい表情で口を開いた。

「しかし……家出した猫の捜索とはね。次はもっとちゃんとした仕事がしたいよ」

 助手席で大事そうに猫を抱いている凛子は、にこやかな笑顔を浮かべている。

「でも加奈子。なんでもいいから仕事を、と言ったのは貴女ですよ。それにこれも立派な仕事です。危うく収入が無くなるところだったんですから」

 窓を開けて外の空気を入れる。車内のエアコンはずっと壊れたままだ。

 運転手は右腕をドアにかけたまま、気だるそうに前方を見つめた。

 そろそろ、目的の家が見えてくる。

「あ、そこです。黒沢さんのお宅」

 家の前には小さな門があり、その向こうに玄関がある。二階の窓は出窓になっており、小さな植木鉢がいくつか見えた。 

「おーけー。クライアント様のご自宅だね」

 路上に車を停め、二人はインターフォンを押した。猫は凛子が抱いている。

「はい」

「夏目屋の者ですが」

 女性の声と、ぱたぱたという足音。続いて施錠が解かれる音。

 顔を出したのは四十代くらいの、主婦のような女性だ。エプロンを身に付け、手を拭きながら出てきた。

「あら、もしかして見つかりました?」

「ええ、こちらに……」

 凛子が猫を見せると、主婦は安心したような顔。

「よかった……もう、どこに行ってたのよ」

「原っぱにいました。もしかしたら運動不足かもしれません」

「確かに最近少し太ってきてたのよ……ああ、でもこれで安心。本当にありがとうございました」

 主婦は頭を下げて礼を言うと、玄関の方をちらりと見た。

「今日は暑いですから……もしよければお茶でもいかがです? 謝礼もお渡ししたいですし」

 加奈子が嬉しそうな声を上げる。

「あ、本当ですか? 助かるなぁ。喉がからからで」

「ちょっと、加奈子……」

「では、上がってお待ちになってください」

 黒沢は微笑み、さっさと玄関を上がっていった。

 


 黒沢家の客間である和室は風通しが良く、冷房が無くても快適な温度だった。凛子と加奈子は出された座布団に座り、一息ついていた。

 中庭に面した大きな窓から、爽やかな風が吹きこんでいる。

「ケーキがあるんですけど……冷たいコーヒーの方がいいかしら?」

「えっ、本当ですか? ぜひぜひ、お願いします」

 凛子が口を開く前に、決まって加奈子が言葉を口にした。その度に凛子は苦笑いを浮かべた。

「加奈子、少し下品ですよ」

 加奈子は露出の多い格好のまま、横で胡坐をかいている。

「そんなことないって。リンがつんつんしてる分、あたしが砕けた対応をしないと」

「別につんつんなんか、していません」

 しばらく客間でまっていると、トレイにケーキとアイスコーヒーを乗せた家主が現れた。

「本当に助かりました。息子がネネをとても大事にしていて……」

 トレイの上のものをテーブルに並べ、黒沢も腰を下ろす。

「ネネというのは、猫ちゃんのお名前ですか?」と凛子が尋ねた。

「ええ。元々は捨て猫で、息子が拾ってきたものですからすっかり情がわいてしまってみたいで……」

「優しいお子さんなのですね」

「もう大学生なのに、いつまでも子供みたいで困るんですよ」

 それからしばらく雑談が続いた。加奈子は飲み物を二回お代わりし、それを見た凛子がじろりと睨んだ。

 時計を見ると、黒沢家に来てから二時間ほどが経過していた。すっかり長いをしてしまったと、凛子が腰を浮かす。

「お仕事の途中なのに引き留めてしまってごめんなさい」

 黒沢の言葉に加奈子が返した。

「いえいえ、仕事なんてほとんどありませんから」

 そこに、玄関が開く音。

「あら、帰って来たみたい」

「息子さんですか?」

「ええ」

 何となく帰るタイミングを逃してしまったので、凛子はふたたび腰を下ろした。玄関の方から少し会話が聞こえた後、急いでこちらに向かう足音。

 勢いよく襖が開かれ、若い男性が立っていた。背が高く、整った顔立ち。彼は少し興奮した様子で凛子と加奈子を見た。

「ネネは!?」

「あ……あちらに」

 凛子が部屋の隅を指差す。猫はそこで横になり、目を閉じている。

「ネネ……」

 男性は駆け寄り、ひょいとそれを抱き上げる。猫は少し迷惑そうにしていたが、やがて身を任せたようだ。

「稜、この二人が見つけてくれたのよ。ちゃんとご挨拶しなさい」

 改めて、四人が客間に座った。凛子と加奈子が隣同士、テーブルを挟んで黒沢と、息子の稜という並びである。

 猫はゲージに入れられ、今度こそ誰にも邪魔をされず、目を閉じている。

「ではこれを……少ないのですが」

 そう言って黒沢が差し出したのは封筒だった。

「ありがとうございます」

 凛子が受け取って、加奈子に渡した。

 そこからは再び、しばしの雑談となった。

「ほら、稜。お礼を言いなさい」

 息子は先ほどから一点を見つめて動かない。母である黒沢に話を振られても、猫の思い出話になっても、一言も口をきかなかった。そんな息子の様子を不審に思ったか、黒沢が口を開いた。

「ちょっとあんた、どうしたの?」

 間を置いて稜が答える。

「あの……お二人はどういう……?」

 彼の視線は加奈子と凛子に向けられている。

「私達は何でも屋です。探し物から留守番、話し相手まで、なんでもします。一週間ほど前にネネちゃんの捜索を依頼されたのです」

「探偵業もやっちゃうよ。少年、好きな娘でもできたらあたしに相談しな」

 稜は加奈子の言葉には無反応だった。

「ということは……きみが見つけてくれたの? ネネのこと」

 凛子がこくりと頷いた。 

「そうか……ありがとう」

「いえいえ、仕事ですので」

 営業用の笑顔を浮かべると、稜は下を向き、それから意を決した様子で再び顔を上げた。

「あの、お名前を聞いてもいいですか?」

 凛子が自分を指差して小首を傾げると、稜は頷いた。

「私は荻野目と言います。荻野目 凛子です。こちらは柏木 加奈子」

 片手で横に座る女性を示した凛子だが、稜の視線は一点に固定されたまま。

「凛子さん、何でも屋なんだよね?」

「はい」

「……俺も仕事を頼んでいいかな」

「構いませんが……?」

「じゃ、じゃあ、連絡先を教えてもらってもいい?」

「では、これを」

 そう言って、凛子は小さな銀色のケースを取り出した。それを開け、中から一枚の名刺を取り出し、彼に渡す。

「そこの電話番号が、私たちの事務所のものです。何かありましたらご連絡を。営業時間は夜の七時までで、定休日は基本的にありません」

 稜は名刺を手に持ったまま、交互に手元と凛子を見た。

「あの……出来れば携帯とかの連絡先を……」

「申し訳ないのですが、携帯電話を持っていないので……」

「えっ、そんな……」

 横でやりとりを見守っていた加奈子は、思わず下を向いてしまった。そして肩を震わせ笑いをかみ殺し、ちらりと黒沢を見た。

 黒沢もまた、加奈子と同じようにしている。

 加奈子はショートカットを揺らして、何とか顔を通常営業に戻し、稜に向かって口を開いた。

「少年、リンはホントに携帯持ってないんだ。面倒そうな男を遠ざけるための嘘じゃないから、安心して」

「そ、そうなんですか?」

「そう。だから安心して、何かあれば名刺の番号にかけてきな。電話にリンが出るかあたしが出るか、確率は五分五分だぜ」

「はぁ……」

「じゃ、そろそろ失礼させてもらうかな。黒沢さん、ごちそうさまでした」

 加奈子は軽く頭を下げて立ち上がった。

「いえいえ、こちらこそ……面白いものが見れました」

 黒沢も立ち上がり、稜の背中を叩いた。

「ほら、ネネの恩人を見送るよ」

「う、うん」

 

 凛子は最後まで小首を傾げたまま、そのやりとりを見守っていた。

 



 




 

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