大立ち回り
パトリシアを虐げるパーティーは、彼女をダンジョンの奥深くへと突き落とした。飼い猫がテーブルからグラスを叩き落とすような、ありふれた残酷さで。粉々に砕けてしまえばいいと期待して。
見捨てられ、抜け出すこともできず、追い詰められてダイアウルフに喰われかけた少女は、生き延びるために牙をむいた。
勝ったのは彼女だった。けれど、じわじわと忍び寄る吸血鬼の衝動に抗うため、自らの片目を潰し、捨て去るしかなかった。衝動は視覚だけに頼るものではなかったが、今のところ効き目があったのは、この手段だけだった。
ダイアウルフは、彼女の使い魔へと姿を変えた。狼の子はかわいらしく、ぺろぺろと頬を舐めてくる。パトリシアは泣いた。人であれ人でないものであれ、それはいつ以来かもわからない、初めてにも思える愛情のこもった触れ合いだったから。唯一の友達だった、指先で撫でる緑の草花でさえ、こんなふうに触れ合ってはくれなかった。
そうだった。忘れていた。命の温度は、こんなにも温かいのだ。
だから熱いお風呂が好きだったのだ。誰かと寄り添う代わりとして。
もう一度緑を見るために、そして新しくできた子犬と一緒に身体を洗うために、ダンジョンを出た。
パトリシアのパーティーは、ダンジョンの入口付近にとどまっていた。チームのヒーラーが、このまま立ち去るのはまずいと考えたからだ。ヒーラーは、パトリシアの渇血の舌を回収して報酬を得たがっていた。しばらくしてから置き去りにした場所へ戻るか、さもなくば、パトリシアがあの地獄のような場所から傷ついた身体を引きずって出てきたところを待ち伏せるか。どちらにせよ、ここを離れるわけにはいかなかった。
渇血状態にもならず、子犬を抱いて彼女が現れたとき、彼らは自分の目を疑った。
「正気なの!?」ヒーラーが怒鳴りつけた。「その野生の魔物と一緒にいるところをギルドの監査官に見られたら、あたしたちは記章を取り上げられて牢屋行きよ! 今すぐ殺しなさい。でなきゃ、あんたをこのダンジョンに置いていくから!」
「『よそのパーティーに捨てられた子犬』だぁ、ボケが? どんな言い訳だよ。捨てられた生き物だって、てめえなんか好きになるわけねえだろ。目ぇ覚ませや、ボケが!」
こうして、いじめっ子たちは子犬を殺した。
「うっわ、マジかよ。本気で泣いてんのか、ボケが? そいつに好かれてるとでも思ったのか、ボケが? あの化け物はてめえとおんなじなんだよ! だから懐いてきたんだ! てめえら吸血鬼どもは弱いふりして賢いつもりなんだろうが、俺たちのほうが賢いんだよ! てめえが不幸にならないようにしてやったんだぞ、ボケが! 感謝しろや!」
「なに、やり返す気? 牙なんかむいてみなさいよ、どうなるか見ものね! もう掟を破ってるんでしょ!? 舌を隠してるんでしょ!? あんたが生きていられるのは、あたしたちの寛大さのおかげなのよ! 尻拭いまでしてあげたのに、よくもそんなふうに泣けるわね!?」
パトリシアの表情に、靄がかかった。何も言わなかった。そして、命令に従うだけのこの関係に甘んじた。
(この仕組みを壊せるくらい強くなるまで、わたしはこいつらに従う)
渇血の衝動は高まった。レベルは変わらないままだった。
パーティーは、冒険者たちの憩いの場である『賞金亭』へ向かった。
子犬を人知れず埋葬したパトリシアの手は、汚れていた。身体をきちんと洗い流せていなかったせいで、冒険者のいじめっ子たちからさんざん小言を浴びせられている。彼らは、自分たちのテーブルに料理を運べと命じていた。
お盆を持って歩き回って、自分は何をしているのだろう? 尊厳をここまで削られるくらいなら、最初からメイドになっていればよかった。
別の世界でなら、またあの子犬を抱いていられたかもしれないのに。
(違う、そうじゃない。荷運びのラバになったこと自体が、最初から間違っていたんだ)
パーティーのリーダーが、煮えたぎる湯を彼女に浴びせた。
彼女は吸血鬼だった。新法を、あるいは自分自身を変える必要など、あっただろうか? 殺して――
彼女の予定は、首の皮一枚でつながった。
「うおっ! 俺までやけどするとこだったろ! ったく。なんて醜いパーティーリーダーだ」
声を上げたのは新顔の男だった。いかにも低レベルな構えをした、醜男だ。
「お、でもあんたは美人だな。もっと安全な男がいいなら、俺にしときなよ」
コリンが話しかけていたのは、チームのヒーラーだった。いじめに反対もしないが、止めようともしない女だ。ヒーラーの言い返す声は、相方の大声にかき消された。
「てめえのせいでこうなったんだぞ、ボケが!?」嫌味なリーダーが唸った。「そいつを拭いてやれ」
「おいおい、出しゃばるなって」彼はパトリシアの手をかわした。「俺が用があるのは、あんたのほうだ」
「ああ? ボケが。言っとくが、俺はレベル50だぞ!」リーダーは自慢した。それだけならいつものことで、気にするほどでもなかった。ただ、今回は威嚇するように武器を抜いていた。
パトリシアは止めようかと考えたが、二人のレベル差を思い出し、賞金亭で実際に戦うことは禁じられているとも思い出して、こう考えた。「もういい。もう耐えられない。あいつには別の犠牲者をいじめさせておけばいい」そして代わりに、徹底して被害者の側に回ることにした。
新顔は、凶器を前にたじろいだ。きっと、愚かな真似をしたと謝るのだろう。いかにも人の靴を舐めそうなタイプに見えた。
「勘弁してくれよ。レベル1とやり合うのが、あんたの酔い覚ましってわけか? そいつを俺の顔に向けるってんなら、のんびりしてる場合じゃないな。急いで成長しなきゃならねえ!」コリンは貴族の戦闘の構えをとった。パーティーのヒーラーは、その構えに見覚えがあった。
コリンは警戒心をかなぐり捨てて構えを解き、不意打ちのジャブを繰り出した。
金属がパーティーリーダーの手をえぐり、舐めるように穴を穿った。
血を流しながら、リーダーは見境のない一匹狼を罵った。
「威嚇がどうしたって? 武器は抜かれた。先に抜いたのはあんただ」コリンは、何のためらいもなく彼を殺すつもりだった。
「ボケがぁっ!」
当然ながら、コリンは暴行の罪で逮捕され、事件に居合わせた吸血鬼として、パトリシアも一緒に引っ立てられた。いじめっ子たちは、彼女が襲撃を命じたのだと訴えた。
コリンは看守たちに、保釈金を払わせてくれと頼んだ。さもないと、後悔することになるぞ、と。
調べてみると、コリンは金を持っていなかった。
これが、彼がだらだらと語っていた自由なのだろうか? これが、コリンが腹を抱えて笑っていたものなのだろうか?
これは、ただの無謀だ。
◇◇◇
「わたしは偉大にならなければいけないの」パトリシアは片方だけの目で、彼をまっすぐに睨みつけた。「アイラ様みたいにならなければいけない。できるかどうかの問題じゃない、ならなければいけないのよ。あなたみたいな生き方なんて考えられない。誰よりも腕が立つくせに、のらくらしているあなたを見ていると腹が立つの。あなたは鉄格子の中にいるべき人じゃない。わたしなんて、なおさらよ!」
「おいおい、落ち着けって。前髪が乱れたままじゃ、まっすぐ座ってもいられないだろ。肩の力を抜けないままじゃ、自分を労わる暇なんて一生見つからないぜ。俺だったら、お嬢様の願いをそんなふうにねじ曲げたりしない。あんたは、あの人がくれた奇跡の解釈を勝手に広げて、自分でこしらえた呪いにしちまってる。最後に自分に休みをやったのはいつだ、正直なところ?」
「そう言うけど、あなたは誰よりも元気が有り余ってるじゃない」
「よく言われるよ! こういう稼業は長持ちしないからな。だから、楽しめるうちに楽しむって決めたのさ!」コリンは真実のすべてを隠していた。エメラルドによって疑似的な半吸血鬼にされた彼は、腹が減ると王国じゅうの家畜農場を回っていたのだ。
それでも、彼は勝者の空気を放っていた。
パトリシアとは違い、彼は魔女を探す旅のなかで、自分の欠点を最大限に活かして運を切り開いていた。ほかはどうでもいい。けれど彼のこの一点だけは、学べるかもしれない。パトリシアはそう感じた。
「わからないわ。女に首輪をはめさせておいて、それを自由と呼ぶの?」
「呼ぶさ。『我が』自由ってな。引っかかってるのはそこか? 自分を捕まえる相手を選ぶことにも、自由はあるのさ」
「それは所有されているだけよ。使用人と何も変わらないわ」
「かもな。でも、そういう献身は素敵だって、あんた言ってたろ。何より、誰かに尽くすってのは、自分に尽くすことから自分を解き放つところから始まるんじゃないか?」
看守の詰所の門のあたりが騒がしくなった。
「こいつは驚いた! お嬢様!」
(アイラ様が――アイラ様が、お嬢様!?)
(な、な、なんですって!? それに、どうしてそんなにいちゃいちゃしてるの!!? 一緒に旅をして一年でこうなったわけ!?)
「不愉快だこと。我が猟犬が逮捕されたとあっては、我が名に泥を塗ることになるわ。それで? 調査の結果で、我が耳を喜ばせてちょうだい」
「ダンジョンで魔女の痕跡を感じました」
「あなたも? では、どうやって追い詰めましょうか」
「そこなんですよ、お嬢様。手がかりは、お嬢様の後ろにいるその子に繋がってる」コリンはお嬢様の向こうにいる吸血鬼に目をやった。「俺、この子のいじめっ子どもを刺しちまって。まあ、その、この子にとっちゃ唯一の友達だったわけで。できることなら、この子も自由の身にしてやりたいんです」
「なぜわたくしが? 我が犬小屋は、そう開けっ広げではなくてよ」
「我が犬小屋はいつだって開けっ広げですよ。お嬢様は、誰かがひとりで苦しんでるのを放っておけるほど冷たくないでしょう?」
「他人の痛みを感じずにはいられないのね? その共感は、いずれあなたの身を滅ぼすわよ。わたくしはアイラ。名乗りなさい」
「パトリシアです」
「我が猟犬は、他人のために口を出しすぎるのよ。たとえそれが相手のためであってもね。あなたは何を望むの?」
「わたしは……」本当はサインが欲しかった。「わたしは、自由になりたいです」
「世界というものは、いつだって誰かを見捨てたがるもの。きちんとした仲間がいなければ、自由は何ももたらさないわ。もし仲間がいないのなら、パトリシア、明日からは我が仲間を好きに頼ってかまわなくてよ」
アイラはパトリシアに名刺を手渡した。
パトリシアは、その優しい心に胸を打たれた。
これこそ、パトリシアがずっと望んでいたものだった……。もし最初から、アイラのような本物の尊敬すべき英雄のパーティーに入っていたら、こんな苦しみはすべて必要なかったのだろうか? どうしてあの時、手を伸ばさなかったのだろう?
パトリシアは、核心にある根深い問いを投げかけた。自分の意図をはっきりと伝え、今の彼らの境遇を指摘するように。
「その色。あなたの舌の。あなたも、なのね?」
コリンの大きく笑った口元、その歯のあいだにあるエメラルドをひと目よく見ただけで、すべてがわかったと言っても過言ではない。彼の舌は、渇血のネオングリーンに染まりつつあった。パトリシアの舌と同じ、ネオンのような鮮烈さだった。彼女の舌もまた、ずっとひそかにそうだったのだ。アイラに救われた、あの時も含めて。
「へへっ。ああ。キモカッコいいだろ?」
「コリンは妙なものを集める癖があるの。黄緑色の舌なんて、その最新作にすぎないわ」
誰にでも、それぞれの事情があるのだ。
(そういうことか)と、仲間たちが互いのことをさらに打ち明け合うなかで、パトリシアは思った。(この人は、どんなハンデにも足を止めたりしない)この詭弁家の農奴は、間違いなく、この間違った人生を、いちばん正しいやり方で生きているのだ。
お嬢様と王喰いの猟犬は、人生という首筋に牙を立て、深々とその血を飲み干してきたのだ。
パトリシアが二人から学ぶべきことは、まだまだたくさんあるのかもしれない。




