05
「おい、何やってんだ」
声がかかった。
低い声。頭上から落ちる。
譲は顔を上げた。
万華が不機嫌な顔で立っていた。
「聞いてんのか?」
頭が真っ白になって、咄嗟に返事ができなかった。
探してくれた、というより。まっすぐ、ここに戻ってきたように見えた。
じわっと、胸に何かが注がれて、あふれだしていくようだった。
どうしたらいいかわからない感覚に満たされて、ただ息を詰める。
「……とうとう切れたか」
万華は、譲の握っているお守りを見て、そうつぶやいた。
「……すみ、ません。人とぶつかって」
「謝れとは言ってねえ」
万華は譲の手からお守りをつまみ上げた。譲が繕った糸を、長い指が撫でる。
「こいつはもう焚き上げろ。いつまでも持ってると、願いの残滓を食い物にするやつらが集まってくる。わかったか?」
「……はい」
頷くと、万華は譲の手にお守りを戻した。
宗真の声がした。
「歩くの早いなあ、万華。あ、譲ちゃん。よかった、見つかって」
譲は、宗真の優しげに細められた目を見た。
眼鏡のせいで柔らかな雰囲気に見えているけれど、その奥にあるのは、無機質で怖いほどに美しい瞳だった。
結果が面白ければそれでいい、と言う彼は、もしかしたら万華以上に、人間がどうでもいいのかもしれない。
そこに残酷さと怖さを見つけて、譲はぐっと顎を引いた。
「譲ちゃん小さいから、はぐれたら見つけ出すの大変だっていうのがわかったよ。こういうとき万華は便利だよね、人間センサー」
「黙れ」
「褒めたのに」
「ただの嫌がらせだろうが。くそが」
「あはは。万華ってそういうところが――」
「あの」
譲は、まっすぐ二人を見上げる。
「連絡先……を、聞いてもいいでしょうか」
楽しげだった宗真の目の温度が、少しだけ下がった。
笑顔を崩さないまま、探るような目が譲を見る。
「連絡先? いいよ、交換しようか?」
宗真が慣れた様子で、スマホを出す。メッセージアプリが見えた。画面には、とんでもない数の女性の名前が並んでいる。
言い出しておいて断るのは失礼だろうと、譲もアプリを起ち上げた。
「よろしくね、譲ちゃん。いつでも送ってきていいよ。恋の悩みでもいいし、告白でも一夜のお誘いでもなんでも受け付けてるから」
「は、はあ……」
軽い。
交換したばかりの連絡先を、消したくなるくらいには。
譲はちら、と万華を見た。
「あ、あの。コーラさんも……いいですか」
万華の眉間に、深い皺が寄った。
「必要ないだろ」
「さっきみたいに、はぐれたときとか」
「俺が見つけたからいいだろ」
「で、でも」
「そもそも、一緒にでかけることなんてもうねえし」
口を閉じる。
先ほど胸に溢れた何かが、ぐしゃりと握りつぶされたような気持ちになった。
「いいじゃん、万華。連絡先を教えておけば、譲ちゃんにもしもの時があっても、名前を呼ばれなくて済むかもよ」
突然、宗真が譲の味方に回った。
万華の視線が、宗真に向く。冷たく苛立った目だった。
「てめえ、さっきから」
「だって本当でしょ? 名前を呼ばれるより、メッセージの方がいいじゃない?」
万華はしばらく黙っていた。
やがて、心底不愉快そうに舌打ちして、ポケットからスマホを取り出す。
「くだらねえことで送ってくんなよ」
連絡先を交換する。
画面を出しながら、指先が少し震えた。
ようやく連絡先がわかって嬉しいはずなのに、それよりもさっき言われたことが、耳の奥に残っている。
自分の存在の小ささを思い知らされた気がして、指の動きがいつもより遅くなった。
メッセージアプリに表示された名前は、文字化けしていた。
宗真の方はちゃんと「宗真」だったけれど、こんなところでも万華の「名前を知られたくない」という力が及んでいるのだろうか。
名前を編集して、「コーラさん」と打ち込んでから、譲はそれを消した。
コーラさんというのは譲がつけた名前だけれど――どこまでいっても距離が縮まらない名前でもあった。
かといって、万華、と打つこともできない。
譲は迷ってから、そろりと万華を見上げた。
「あの。名前……」
「呼ぶなよ」
「……愛称なら、いいですか?」
「コーラってやつなら、問題ないから勝手に呼べば?」
「万ちゃん」
万華の口が、「あ?」と開く。
「――万ちゃん。本名からもじったんですけど。だめですか?」
宗真が吹き出した。
「いいねそれ、万ちゃん。採用!」
「採用すんな、殺すぞ」
「えー、かわいいじゃん。万ちゃん」
ケタケタと笑う宗真を、万華が射殺しそうな目で睨む。
宗真は気にした風もなく、自分のスマホを操作して、早速メッセージアプリの万華の名前を「万ちゃん」に変えていた。
「譲ちゃんはネーミングセンスあるね。コーラさんから万ちゃんだって。万ちゃん……ぶふっ」
「てめえ、殺す」
「せっかくだけど遠慮しておくよ。僕らがやると長引くじゃん」
宗真はさっと身をひるがえして万華から距離を取ると、肩を軽くすくめた。
「あの……やっぱり、だめですか?」
譲は、スマホの登録名の欄を見下ろした。
まだ、何も入力していない。
万華は宗真を睨んだまま、しばらく黙っていた。
やがて、いつもの舌打ちが降ってくる。
「……勝手にしろ」
譲はぎゅっとスマホを持つ手に力を込める。
ゆっくりと「万ちゃん」と入力した。
お守りの代わりに、コーラ缶のストラップが揺れて、譲の手首の内側を撫でていった。
――万ちゃん。
心の中で、そっとつぶやいた。




