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神は嘘をつかない  作者: 梨千子
3. 文字化けした名前
16/18

05

「おい、何やってんだ」


 声がかかった。

 低い声。頭上から落ちる。

 

 譲は顔を上げた。

 万華が不機嫌な顔で立っていた。

 

「聞いてんのか?」


 頭が真っ白になって、咄嗟に返事ができなかった。

 探してくれた、というより。まっすぐ、ここに戻ってきたように見えた。


 じわっと、胸に何かが注がれて、あふれだしていくようだった。

 どうしたらいいかわからない感覚に満たされて、ただ息を詰める。


「……とうとう切れたか」


 万華は、譲の握っているお守りを見て、そうつぶやいた。


「……すみ、ません。人とぶつかって」

「謝れとは言ってねえ」


 万華は譲の手からお守りをつまみ上げた。譲が繕った糸を、長い指が撫でる。


「こいつはもう焚き上げろ。いつまでも持ってると、願いの残滓を食い物にするやつらが集まってくる。わかったか?」

「……はい」


 頷くと、万華は譲の手にお守りを戻した。


 宗真の声がした。


「歩くの早いなあ、万華。あ、譲ちゃん。よかった、見つかって」


 譲は、宗真の優しげに細められた目を見た。

 

 眼鏡のせいで柔らかな雰囲気に見えているけれど、その奥にあるのは、無機質で怖いほどに美しい瞳だった。

 結果が面白ければそれでいい、と言う彼は、もしかしたら万華以上に、人間がどうでもいいのかもしれない。

 そこに残酷さと怖さを見つけて、譲はぐっと顎を引いた。


「譲ちゃん小さいから、はぐれたら見つけ出すの大変だっていうのがわかったよ。こういうとき万華は便利だよね、人間センサー」

「黙れ」

「褒めたのに」

「ただの嫌がらせだろうが。くそが」

「あはは。万華ってそういうところが――」


「あの」


 譲は、まっすぐ二人を見上げる。


「連絡先……を、聞いてもいいでしょうか」


 楽しげだった宗真の目の温度が、少しだけ下がった。

 笑顔を崩さないまま、探るような目が譲を見る。

 

「連絡先? いいよ、交換しようか?」


 宗真が慣れた様子で、スマホを出す。メッセージアプリが見えた。画面には、とんでもない数の女性の名前が並んでいる。

 言い出しておいて断るのは失礼だろうと、譲もアプリを起ち上げた。


「よろしくね、譲ちゃん。いつでも送ってきていいよ。恋の悩みでもいいし、告白でも一夜のお誘いでもなんでも受け付けてるから」

「は、はあ……」


 軽い。

 交換したばかりの連絡先を、消したくなるくらいには。


 譲はちら、と万華を見た。


「あ、あの。コーラさんも……いいですか」


 万華の眉間に、深い皺が寄った。


「必要ないだろ」

「さっきみたいに、はぐれたときとか」

「俺が見つけたからいいだろ」

「で、でも」

「そもそも、一緒にでかけることなんてもうねえし」


 口を閉じる。

 先ほど胸に溢れた何かが、ぐしゃりと握りつぶされたような気持ちになった。


「いいじゃん、万華。連絡先を教えておけば、譲ちゃんにもしもの時があっても、名前を呼ばれなくて済むかもよ」


 突然、宗真が譲の味方に回った。

 

 万華の視線が、宗真に向く。冷たく苛立った目だった。


「てめえ、さっきから」

「だって本当でしょ? 名前を呼ばれるより、メッセージの方がいいじゃない?」


 万華はしばらく黙っていた。

 やがて、心底不愉快そうに舌打ちして、ポケットからスマホを取り出す。


「くだらねえことで送ってくんなよ」


 連絡先を交換する。

 画面を出しながら、指先が少し震えた。

 ようやく連絡先がわかって嬉しいはずなのに、それよりもさっき言われたことが、耳の奥に残っている。

 自分の存在の小ささを思い知らされた気がして、指の動きがいつもより遅くなった。


 メッセージアプリに表示された名前は、文字化けしていた。

 宗真の方はちゃんと「宗真」だったけれど、こんなところでも万華の「名前を知られたくない」という力が及んでいるのだろうか。


 名前を編集して、「コーラさん」と打ち込んでから、譲はそれを消した。

 コーラさんというのは譲がつけた名前だけれど――どこまでいっても距離が縮まらない名前でもあった。

 かといって、万華、と打つこともできない。


 譲は迷ってから、そろりと万華を見上げた。


「あの。名前……」

「呼ぶなよ」

「……愛称なら、いいですか?」

「コーラってやつなら、問題ないから勝手に呼べば?」

(ばん)ちゃん」


 万華の口が、「あ?」と開く。

 

「――万ちゃん。本名からもじったんですけど。だめですか?」


 宗真が吹き出した。


「いいねそれ、万ちゃん。採用!」

「採用すんな、殺すぞ」

「えー、かわいいじゃん。万ちゃん」

 

 ケタケタと笑う宗真を、万華が射殺しそうな目で睨む。

 宗真は気にした風もなく、自分のスマホを操作して、早速メッセージアプリの万華の名前を「万ちゃん」に変えていた。


「譲ちゃんはネーミングセンスあるね。コーラさんから万ちゃんだって。万ちゃん……ぶふっ」

「てめえ、殺す」

「せっかくだけど遠慮しておくよ。僕らがやると長引くじゃん」

 

 宗真はさっと身をひるがえして万華から距離を取ると、肩を軽くすくめた。


「あの……やっぱり、だめですか?」

 

 譲は、スマホの登録名の欄を見下ろした。

 まだ、何も入力していない。


 万華は宗真を睨んだまま、しばらく黙っていた。

 やがて、いつもの舌打ちが降ってくる。


「……勝手にしろ」


 譲はぎゅっとスマホを持つ手に力を込める。

 ゆっくりと「万ちゃん」と入力した。


 お守りの代わりに、コーラ缶のストラップが揺れて、譲の手首の内側を撫でていった。


 ――万ちゃん。

 

 心の中で、そっとつぶやいた。

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