プロローグ
夢を見る。
いつも同じ。たぶん、悲しい夢。
私は、誰かの名前を呼んでいる。
けれど、その名前が声にならない。なんて名前だったのだろう。その名を呼んで、伝えたいことがあったはずなのに。
朝目が覚めるたびに、泣いた跡があって、でも何も思い出せない。
ただ、清々しくて少し甘い匂いだけが、起き抜けの鼻の奥にいつも残っている。どこかで嗅いだことがある。いつ、どこで、誰と――そこから先が、するりと逃げる。
夏休みが終わって、秋になった。鳥居の向こうで、常緑が風に揺れている。
参道の石畳。灯篭の光。脇を流れる川のせせらぎ。
優しいおじいちゃんが境内の掃除をしている。テニスコートから手を振ってくれる子供たちや、授与所から手を振ってくれるおばさんたち。みんな笑っている。
でも、違う。
手を伸ばしても、届かない何か。輪郭が掴めない、陽炎のような何か。
どこかで抜け落ちた、私の……。
スマホを取り出す。
画面の端で、ストラップが揺れた。小さなコーラのキーホルダー。
――これは何だろう。
自分で買った覚えがない。なんとなく、誰かからもらったような気がする。
でも、誰からもらったのか。いつ、どんな状況で。何も出てこない。
小さくて軽い、コーラの模型。
どうして、こんなに大事に思えるんだろう。
自室の冷蔵庫のドアに張られた、『コーラは2本まで!』のメモ。私の字。
実際にポケットに入っているコーラのペットボトル。2本。
覚えがないのに、そこにある。
台所のゴミ箱にも、大量のコーラの空ペットボトル。
こんなに私が飲んだというの? 飲もうとしたらすぐむせてしまうのに。
誰かが泣いていたような気がする。心臓が鷲掴みにされたように苦しい。
ぽっかりと空いた空洞。それを埋める何かが足りない――。
境内の木々が揺れた。開いた窓から風が入ってくる。
あの匂いが、また鼻の奥をかすめる。清々しくて、少しだけ甘い。懐かしいような、苦しいような。枕に残っていたのと、同じ匂い。
探さなきゃ。
――何を?
行かなきゃ。
――どこへ?
会いたい。
――誰と?
それが何なのか、わからないまま。
今日も私は、当てもなく境内を歩く。




