勇者編 ③
冷たい雨が降り続いていた。ぬかるんだ山道。馬車はすでに捨てた。食料も機材も、ガストンの背負い袋に入る分だけ。
「絆」を掲げていたはずの俺たちの空気は、この雨よりも重く、冷えていた。
「――っ、また『腐肉犬』か! しつこいんだよッ!」
俺は聖剣を振るい、三体目の魔物を両断した。だが、返り血が雨に混じって目に入る。視界が悪い。
「ガストン! 前に出ろと言ってるだろ! クラリスが狙われてるぞ!」
「言われなくてもやってるよ!だがなレオン、お前がさっきから剣を振り回すから前に出たくても出られない!やりづれぇんだよ!」
ガストンの大盾が、魔物の鋭い爪を弾く。だが、その足元はふらついていた。
これまでなら、アルスが『感知』で魔物の増援を察知し、あらかじめ最適な陣形を指示していたのだ。ガストンの疲労度を計算し、休憩のタイミングを無理やりにでもねじ込んでいただろう。
だが、今の俺たちには「予兆」が見えない。
不意打ちを受け、消耗し、互いのミスを罵り合う。
「クラリス! 回復はまだか! 腕が痺れてるんだ!」
「…っ、もう魔力が…。さっきの戦闘で使い果たして…」
「使い果たした?計算して使えと言っただろ!」
俺が怒鳴ると、クラリスは目に見えて肩を震わせた。その瞳には、以前のような敬意は微塵もない。
あるのは、ただの「恐怖」と「嫌悪」だ。
【クラリス:レオンへの信頼 35 → 20】
「…計算なんてできないわよ。アルスさんがいなきゃ、いつ次の敵が来るかも、どれくらい魔力を残せばいいかも、誰も教えてくれないんだから!」
「あいつの名前を出すな! あいつは無能だった、俺たちが捨てたんだ!」
俺が叫んだその時。
背後の藪から、ひときわ巨大な個体――『影鬼』が姿を現した。
「ガストン、抑えろ!」
「間に合わねえ…ッ!」
鈍い音がした。
ガストンが盾ごと吹き飛ばされ、巨木の幹に叩きつけられる。
「ガ、ガストン!」
クラリスが悲鳴を上げながら駆け寄るが、ガストンは苦痛に顔を歪めながら、彼女の手を振り払った。
「触るな!…お前、さっき…俺が狙われた時、一瞬…躊躇しただろ」
「え…?」
「『こいつが死ねば、回復の手間が減る』…そう思っただろ。お前の顔に出てたぜ」
「そんな…そんなこと思ってないわ!魔力が、尽きているの…信じて!」
クラリスの声が裏返る。
だが、ガストンの不信感はすでに限界を超えていた。アルスが言っていた「あと数ポイント」という言葉が、呪いのように俺の耳にこびりついている。
【ガストン:レオンへの憎悪 100】
「…もう、いい」
ガストンは血を吐き捨て、よろよろと立ち上がった。
「俺は抜ける。魔王討伐なんてお門違いだ。聖剣に選ばれただか何だか知らねえが…。レオン、お前と一緒にいると、本当に死ぬ」
「待て!ガストン! 敵の前で何を言っている!」
「敵?一番の敵は…横にいるお前だよ」
ガストンは盾をその場に捨て、森の奥へと消えていった。
残されたのは、俺と、腰を抜かしたクラリス。
そして、眼前に迫る巨大な影。
俺は必死に聖剣を構えた。
だが、手が震える。
今まで「勇者」として無敗を誇ってこれたのは、俺が強いからではなかったのか?
その時、クラリスは自分のポケットの中に、何かが入っていることに気がついたようだ。彼女は震える手でポケットを探る。紙…?彼女はそれを一瞥すると、はっとしたような表情で言った。
「…これがあれば…」
「クラリス? お前、何を…」
彼女は俺を見なかった。
「ごめんなさい、レオン。…あなたといても、私は『聖女』ではいられないわ」
彼女もまた、俺を置いて走り出した。
影鬼の咆哮が、雨の森に響き渡る。
そうして俺は一人になった。
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