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 (おろ)かにも私は、森林(しんりん)の出口が近付(ちかづ)いて(ようや)く、禁域(きんいき)への出入(でい)りを環視(かんし)しているであろう門番(もんばん)存在(そんざい)について思い(いた)った。何故(なぜ)、今に(いた)るまで考え付かなかったのだろう。(おのれ)(おろ)かさに思わず、溜息(ためいき)()れる。


 私は、門番(もんばん)になんと話を付けるか必死(ひっし)に考えたが、良さそうな(あん)は何も思い()かばなかった。何を言ったところで私とユースの容姿(ようし)では冗談(じょうだん)にしか聞こえないだろう。


「止まれ。おい、おい、お(じょう)さん(がた)、森で一体、何をしていた? 森への立ち入りは(きん)じられているんだぞ」



「……オルニアスからの立ち入りは(きん)じられているかも知れないが、王国(レライエ)からの通行(つうこう)(きん)じられていない。そうでしょう?」


 私は下手(へた)(うそ)()くぐらいならば、事実(じじつ)を言って狂人(きょうじん)と見られることを(えら)んだ。(あん)(じょう)門番(もんばん)は顔を(しか)めた後に、(はな)()らして笑った。私も同じように笑った。(ちな)みに。王国側からの立ち入りが禁止(きんし)されていないのは事実(じじつ)だ。そのような法律(ほうりつ)御触(おふ)れも存在(そんざい)していない。()えて(きん)じるまでもなく、誰も近寄(ちかよ)らないというだけかもしれないが。


 私は、微笑(ほほえ)んだまま、続けた。


「私には、星の(ひとみ)がある。(ゆる)しの(ひとみ)が。その(しるし)が」


「はは、(しるし)などあるわけがない。お(じょう)さんが星の女神の巫女(みこ)だとでも言うのか? 安心(あんしん)しろ。(わる)いようには――」


 不意(ふい)に、門番(もんばん)の声が途絶(とだ)えた。私は(いぶか)しんで、(まゆ)(ひそ)めた。門番(もんばん)は私をねめつけ、(いささ)乱暴(らんぼう)に、私の前髪を(つか)んで持ち上げた。門番(もんばん)(ひとみ)がうっすらと青白(あおじろ)発光(はっこう)していた。青白(あおじろ)(かがや)(ひとみ)は、(れい)(ひとみ)霊的(れいてき)視力(しりょく)(あかし)であるという。


馬鹿(ばか)な、ある。本当にあるぞ」


 ユースは私を(つか)んでいる門番(もんばん)(うで)()(はら)うと、門番(もんばん)(にら)み付けた。ユースの容姿(ようし)異様(いよう)(ととの)っているが(ゆえ)に、その視線に宿(やど)(いか)りが、一層(いっそう)()()りになっていた。


 門番(もんばん)蒼褪(あおざ)めて(ひざ)()き頭を下げた。


「大変な……無礼(ぶれい)を。どうか、お許し下さい」


 私は職務(しょくむ)忠実(ちゅうじつ)なだけの門番(もんばん)(いささ)不憫(ふびん)に思ったが、ユースはそうは思わなかったらしい。


「女神は貴方(あなた)(ばつ)するでしょう。貴方(あなた)(あなど)った。あらゆる秩序(ちつじょ)平等(びょうどう)の女神、その信徒(しんと)を」 


 私は、(あき)れて、思わず溜息(ためいき)()らした。女神はそこまで狭量(きょうりょう)ではないだろう。神話(しんわ)において神々は地上の争いの(みにく)さに見かねて(てん)へと()ったとされる。だが、星の女神(めがみ)だけは最後まで地上に残り、世界が安定するまで見守(みまも)ったとされている。星は夜を照らさず、ただ見守るもの。故に、星光は、慈悲深(じひぶか)い女神である。


 門番(もんばん)可哀想(かわいそう)にすっかり蒼褪(あおざ)めて(ふる)えていた。私は門番(もんばん)(かた)()れて、立ちあがるように(うなが)した。


大丈夫(だいじょうぶ)。女神は貴方(あなた)誠実(せいじつ)勤務態度(きんむたいど)祝福(しゅくふく)する(はず)です」


 *


 私はてっきり、大陸北部(オルニアス)には(つね)に雪が()()もっているものだとばかり思っていた。王国(おうこく)の誰もがオルニアスは雪国(ゆきぐに)であるということばかりを話すので、(みょう)勘違(かんちが)いをしていたらしい。実際(じっさい)には、冬季(とうき)から初夏(しょか)までの間にしか雪はないのだという。


 私は安堵(あんど)したと同時に少しばかり残念(ざんねん)に思った。私は(うま)れてこれまで、(ゆき)というものを見たことがない。知識(ちしき)として知ってはいても、体感(たいかん)したことはないのだった。とはいえ、(ゆき)はなくとも夏季(かき)にしては肌寒(はだざむ)いのも事実(じじつ)であり、王国の温暖(おんだん)気候(きこう)()れていた私は、適応(てきおう)するのに難儀(なんぎ)していた。 



 オルニアス自治領(じちりょう)は、オルニアスの魔術大学(まじゅつだいがく)中心(ちゅうしん)発展(はってん)した都市国家(としこっか)であり、古い時代(じだい)、王国において、月の女神に(つか)える魔術師達が、同じく月の女神に(つか)えていた司祭達から(うと)まれ迫害(はくがい)された(さい)に、星の女神の(みちび)きで、硝子樹(がらすじゅ)大森林(だいしんりん)を抜け、(のが)れ出た者が(あつ)まって出来(でき)たとされている。


 それが事実(じじつ)かどうかを知る(よし)はない。なんであれ、硝子樹(がらすじゅ)大森林(だいしんりん)と竜の山脈(さんみゃく)によって、大陸(たいりく)分断(ぶんだん)されている。帝国(オノケリス)王国(レライエ)もオルニアスには手を出せずに、自治領(じちりょう)として(みと)めざるを()ないらしい。



 私達は、オルニアスに向かう前に、近くの町で物資(ぶっし)調達(ちょうたつ)することにした。ユースは()(かく)としても、私には野宿(のじゅく)をする(ため)寝具(しんぐ)雨具(あまぐ)必要(ひつよう)だった。夏季(かき)とはいえ、寒冷地(かんれいち)なら猶更(なおさら)である。


 食料(しょくりょう)(かん)しては、(やかた)から持ち出した(かた)いパンや、(ほし)し肉が(いくつ)つかあったが、決して、余裕(よゆう)があるとは言えない。何よりも水分に(かん)しては致命的(ちめいてき)問題(もんだい)があった。


 私はあの館から、葡萄酒(ぶどうしゅ)(びん)何本(なんぼん)頂戴(ちょうだい)していた。綺麗(きれい)な水の代わりとして。館で見付けた大きな(かばん)()めて、小さい方を私が。大きい方をユースに持たせてある。だが、この(おさな)い少女の身体は、(さけ)に弱かった。


 森林(しんりん)門番(もんばん)が、無一文(むいちもん)の私達を()かねて、幾許(いくばく)かの銀貨(ぎんか)銅貨(どうか)、そして水が入った革袋(かわぶくろ)(めぐ)んでくれていなければ 、とっくに(かわ)きに(くる)っていただろう。


 *


「……はぁ……っ……はぁ」


 この(おさな)身体(からだ)は、当然(とうぜん)のことながら、過度(かど)運動(うんどう)(てき)していなかった。いや。身体(からだ)ではなく、私自身(わたしじしん)が、かもしれないが。まして、子供故(こどもゆえ)溌剌(はつらつ)さなど、(すで)に思い出の彼方(かなた)にしかない。


 私とて。子供の(ころ)は、今よりは少しばかりマシだった。私“達”は()(めぐ)(かぜ)だった。太陽(たいよう)(つき)。二人の私の友人。彼等(かれら)王都(おうと)を走っていた時は、どれだけ道を()ったとしても、(つか)れることはなかったというのに。


 友を失った時に。私は私の(おさな)さと。そして、それ(ゆえ)無垢(むく)さと。その特権(とっけん)(うしな)ったのだろう。どれだけ外見(がいけん)()わろうと。所詮(しょせん)、私は──


「──ユース……はぁ……休憩に、してくれ」



 ユースは不満(ふまん)こそ言わなかったものの、疲労(ひろう)から(うご)けない私の身体(からだ)を好き放題(ほうだい)(もてあそ)んで楽しんだ。そのせいで尚更(なおさら)休息(きゅうそく)長引(ながび)いて、結局、町へ辿(たど)()く前に、野宿(のじゅく)をする羽目(はめ)になった。本来ならば、半日ほどで着く道程(どうてい)だったのだが。


 私は、整備(せいび)された道の横で野宿(のじゅく)をするのは馬鹿馬鹿(ばかばか)しいと思ったが、荒野(こうや)只中(ただなか)や森の中でするよりは何倍もましだった。勿論(もちろん)野宿(のじゅく)などしないほうがよいに決まっているが。


 私達は、ユースが魔術で起こした火で(だん)を取って、疲れを(いや)した。開墾(かいこん)された見晴(みは)らしの良い平野(へいや)草木(くさき)は少なく、(まき)となるようなものは少なかったが、ユースの力の前では(まき)など不要(ふよう)だった。火は虚空(こくう)()らめき、世界そのものを(まき)としているかのように、消えることなく、燃え続けた。



「ねえ、ヘレーネ。気付いている?」


「……。ああ、少し前からだな。こんな見晴(みは)らしのよい(みち)(おそ)って来るとは思えないが」


「残念だけどね、ヘレーネ。この道の最果(さいは)ては硝子樹(がらすじゅ)大森林(だいしんりん)なのよ? そして私たちは、そこからやって来た。分かる? 普通の人間は、こんな道通らないの。だって、行き止まりなんだもの」


「……確かに」


 私は《かんねん》して溜息(ためいき)()いた。道の先に、複数(ふくすう)人影(ひとかげ)(やみ)(まぎ)れて()った。黒い外套(がいとう)(まと)い、意図的(いとてき)に夜に(かく)れ、此方(こちら)の様子を(うかが)っていた。


 私の(ひとみ)暗闇(くらやみ)をよく見通すのは、星の女神が私に(きざ)んだ加護(かご)(ゆえ)なのだろうか。だとしたら、女神の加護も案外(あんがい)大したものではないのかもしれない。


「ユース、もし(かり)に……あれが夜盗(やとう)(たぐい)だとして」


十中八九(じっちゅうはっく)そうでしょう」


「……私に勝ち目はあると思うか?」


「ないわね」


 逡巡(しゅんじゅん)することなく答えたユースに、私は、小さく息を()らした。


「だろうな」


「安心しなさい。私なら、この場から一歩も動かずに、あいつらを(ちり)(かえ)すことが出来る。あなたが、そう望んでくれるなら」


 私は、彼方(かなた)にいる顔も見えない人影(ひとかげ)の方を()いた。ユースの言葉には、(おそ)らく一片(いっぺん)欺瞞(ぎまん)もない。私は、ユースの指先から(ほとばし)った稲妻(いなづま)が、館の(かべ)跡形(あとかた)もなく粉砕(ふんさい)したのを思い出して、思わず、身を(ちぢ)めた。


「まあ……()えてこちらから、手を出すこともない。彼等(かれら)賢明(けんめい)であることを(いの)ろう」


「では、もしも賢明(けんめい)でなかったら」


 私は口を(つぐ)んで、空を見上げた。何と答えろというのだろう。


「星の女神は……“今度は”助けてくれないわよ」


「分かっている。……だが、その時は、お前が私を守ってくれるのだろう?」


 ユースは満足(まんぞく)そうに笑って、私の(ほほ)()れた。私は首を振ってそれを(ほど)く。


 ──本当に、彼等が賢明(けんめい)であることを祈るしかない。私は善悪を語るほど高尚(こうしょう)な精神は持ち合わせていないが……しかし、彼等は分かっているのだろうか。夜盗(やとう)であれ盗賊騎士(とうぞくきし)であれ……法や道徳(どうとく)とは(たが)いに()わされる約束(やくそく)だ。それそのものが意味を持つわけではない。


「……法を破ることが悪なのでも、道徳に反することが悪なのでもなく。そして罪人(ざいにん)は悪(ゆえ)(さば)かれるわけでもない」


「あら、詩人(しじん)なのね、ヘレーネ。まあ、私ならもっと端的(たんてき)に言うけれど」



『弱さよ、汝の名は軽薄なり』

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