かつて勇者と呼ばれた男
「そうか……」
ギデオンは気まずげに視線を落とした。
心臓が強く鼓動を打っている。やっぱり、ギデオンは、夢の中の彼と同じ記憶を持っている人なのだ。
夢の中で見たアランの冷たい瞳を思い出す。でも……。
私がライラの記憶を持っていても、もうただのアンジェリカのように、きっとギデオンだって、もうただのギデオンなのだ。何を言われても、怖がる必要はないのだ。
「きっと、ライラは知らなかったと思うのだが」
ギデオンは顔を上げ、私を見つめて言った。
「彼はライラを愛していた」
「嘘よ」
「……」
私の言葉にギデオンは目を瞠る。
「否定が早いな」
「好かれていなかったもの。知っているもの」
「本人の記憶を持っている俺が言っているのだが……」
「嘘よ。私にちっとも興味持ってなかったもの」
言ってからはっとする。私、と言ってしまった。初めて過去の話をしたことで、思ったよりも、どこか自分というものが曖昧になっているようだ。
頑なな私の様子に、ギデオンはそれ以上そのことに触れるのはやめたようだ。
少し考えるように組んだ手元に視線を落とした。
「今の俺が何を言っても信じないだろうが。どうか聞いてくれ。アラン・ワルダーという男の生涯だ」
アランは地方の都市に生まれた商人の三男坊だった。金はあるが家を継ぐこともない気楽な立場で、若いころから悪い仲間とつるみ、素行がとても悪かったという。
「おそらくだが……アランは父の本当の子ではなかった。父にも母にも愛されていなかった様子と、俺自身の見た目から……高位貴族に手籠めにでもされて出来た子なのではないかと思っていた。どうしようもない放蕩者だと思われていたが……疎まれ育った環境の悪さの影響があった」
そんな話を聞いたこともなかった。だけど、金髪碧眼のアランの煌びやかな容姿は、確かに庶民の間には見ないものだった。勇者と呼ばれるほどの人なのならこんなこともあるのかと思っていたけれど。
「え、それじゃあ、あの強さは」
「……そうだ。我が国は、かつて勇者と呼ばれた王が建国している。魔王は成体となったときに、その魔力で世界を満たし、生命を奪い、土壌を枯らしていく。それを倒したという勇者と聖女が、国を作った。だから王族の血を引いていた可能性も考えてはいた。けれどそれは最後まで分かることはなかった」
アランは笑顔で人と接していても女に囲まれていても、いつも人との距離を置き、どこか近づく人を突き放すようなところがあった。
闇夜を見つめる彼の孤独な瞳が忘れられない。あれは、寄る辺ない彼の生い立ち故だったのだろうか。
「家を飛び出し……腕っぷしだけは強かったから、冒険者として暮らすのはあっていた。とはいえ、目的や志があったわけではない。いつしか自分と同じほどの強さの者がいなくなっていった。勇者と担がれたからといって、魔王退治に出たのは……アランにとっては意趣返しだったんだろう。自分を下に見た者たちを見返したかったんだ」
「それなら、良かったじゃない。魔王を倒して、復讐になったわよね」
勇者パーティは無事に魔王を倒したのだ。魔法使いが一人死んでしまっただけで、彼らの偉業は歴史に残されている。
ギデオンは一瞬、虚を突かれたような顔をして……そうして、声を出して笑った。
「アンジェリカはそう思うのか」
「え?え?」
「いや、そうだな。アランは国に凱旋し、姫との婚姻や爵位を与えられそうになったが、報奨金以外のものはすべて固辞した」
「まぁ……爵位は復讐になったんじゃないの?お姫様いいじゃない?」
「……俺が言うのもなんだが、その台詞をアランに聞かせてやりたいな」
困ったようにギデオンが笑う。
「ライラを亡くしてから、初めて彼女を愛していたとアランは気付いた」
「だから嘘よ」
「……また即答だな」
ギデオンは苦笑する。
「信じられないのは無理がないが。聞いてくれ。両親に疎まれ、兄弟にもダメな人間だと烙印を押され、屈折した性格のアランの元には容姿で寄ってくる女くらいしかいなかった」
「モテてたじゃない。良かったじゃない」
「ずっと手厳しいなアンジェリカ」
「……」
確かに厳しいかも。私の中のライラの気持ちがそう叫んでいるのだ。
「当時は今ほど交通もなく、あのトロッコレールもなかった。長い旅の間に、アランは旅仲間の素朴な人柄を知って行った。善良で、自然な喜怒哀楽を持ち、泣くときも笑うときも感情豊かであった。性格の悪い旅仲間がいても気に掛け良い人であろうとしていた。強い魔力量で村で疎まれていたことなど、生きる苦労があったことも聞いたが、それでも折れることのなかったその心を知ると、アランは初めて、人からの愛情が欲しいと思った」
本当なんだろうか。ライラには信じられないような話をしている。
「アランにはそう言った感情が欠落していた。けれど、傍にいて心地が良い女性の、感情豊かなその心で、アランに愛情を注いでもらえないかと願ったんだ」
私をまっすぐに見つめるギデオンの瞳の色はアランとはまるで違う。安心できるギデオンの色。
「……信じられないの。もう、ライラの心には、きっと届かないんだと思うの」
ライラの記憶を持ってはいるけれど、ライラの心はもう変わらない。ライラはアランに愛されることなく死んだと思っている。
「そうだな。もう、遅い。何度もアランはライラに伝えていたけれど、信じられたことはなかった。旅の初めの爛れていた自分の行いを見せていたせいなのだから、仕方がなかった。そうこうしているうちに、ライラは死んでしまった」
組んだ両手をギデオンは固く握りしめた。
「ライラの死後、アランは八年生きた。討伐直後から徐々に肉体が弱って行ったので、死の呪いにライラほどではなかったが掛かっていたのだと思う。ライラの遺品を持ち、ライラの師匠の元を訪れ、友人や、両親にも会って来た。話を聞きながら、アランはライラの人柄をさらに知っていく気持ちになった」
「自分の育った街には行かなかったの?」
「ああ、見返したい気持ちなどもうどうでも良くなっていた。最期の二年は体力を失い、もう寝たきりのような状態だった。金は残っていたから、使用人を雇い、静かに亡くなっていくときも、ずっとライラのことだけを考えていた。死ぬ間際、アランは初めて人を想って泣いた。アランは、その時、一人愛を知っていた」
どう受け取ったらいいのか分からない話だ。
記憶の中のライラが死んだ後の、関わり合った男性の……ライラへの愛の話。
今のアンジェリカが聞いても、ピンとこなければ、執着が過ぎるような気もするし、何とも言えない。
「その証明が、俺自身だ」
ギデオンが私を見つめて、ニヤリ、と笑う。え?と見つめ返すと、ギデオンはそっと私の片手を取った。
「一目で、リリーに恋に落ちた。けれどそれは、最初から愛だったのかもしれない。俺は愛を知っていたんだ。アランには分からなかったものを、生まれながらに。ライラのように、感情豊かに生きること。人との情を大切に生きること。何も覚えていなくとも、まるでライラを生きる目標にしているように生きていた。この俺自身が、アランが、ライラを愛した証なんだ」
ギデオンが愛の証?
驚いて何も言えなくなっている私に、ギデオンは距離を詰めてくる。
彼はもう片方の手で私の肩を掴んで引き寄せると、私に顔を近づけて言った。
「素直で明るい光のようだったライラ。慈愛の女神のようだったリリー。嫉妬深く、苛烈さを持った以前のアンジェリカ。強くて、か弱い、けれど子供のような今のアンジェリカ。お前が、女という生き物の全てと、人を愛することを教えてくれた」
彼は私の片手をそっと彼の顔の前に上げると、手のひらに懇願するようにキスをした。
――っ!!
手のひらに温かい感触が触れている。そうして瞳を開けたギデオンは私の反応を確認するように私を見つめた。
手を引こうとしても強い力で押さえつけられている。焦りすぎて、きっと顔が真っ赤になっている。
「放しなさい!」
「アンジェリカ、三つの人生で、恋人はいたのか?」
「居ないわよ、放してよ!」
「……居ないのか」
「そういうのは私には分からないのよ。知ってるでしょう!?」
ギデオンは力を込めていた手を緩めて、私を自由にさせた。
慌てて離れて彼を仰ぎ見ると、彼は昏い瞳の色を私に向けている。
「俺はお前が好きだよ……だから俺は、命に代えても魔王を倒す。俺はお前をただの……一人の人間にするために、きっと生まれてきたんだよ」
覚悟を決めているような彼の台詞には私の方が動揺する。
「貴方の前で死んだからそんな勘違いをしているのよ」
そう言うとギデオンはゆっくりと首を振る。
「俺が、守りたかったんだ。俺は許せない。自分のせいで、転生を繰り返し魂をすり減らした女がいたことを。何度も、俺の前で見殺しにしてしまった。守れなかったことを悔いていた。俺は、命に代えても必ずアンジェリカを守ると誓う」
そうして私に近づいてくると、私を抱きしめた。
大きな体で、逃げられないように抑えられているのに、その背中は震えていて、まるで縋りついているようだと思う。
「全てが終わったら、本当に自由にする。もうどうやって生きて行ってもいい。俺に会いたくないというなら、それでいい。だけど、もう少しだけ、俺に守られていてくれ。もう……死んでほしくないんだ。アンジェリカ」
泣きそうに震えるその声を聞きながら、今私を抱きしめている大男ではなく、小さな子供の頃のギデオンを思い出していた。出逢った頃の彼は小さな体で不安そうに過ごしていた。
「ギデオン」
ぽんぽんと、背中を叩きながら、出来るだけ優しく響く声を出して言った。
「言ったでしょう、私はあなたに抱きしめられると安心するのよ。嫌じゃないわ」
小さく彼の肩が揺れる。
「会いたくなくなるなんて、そんなこと、絶対に無いわ。気持ちは何も返せないけれど……でも、私はたぶん、今のこの私でも……あなたのことが世界で一番好きだと思うの」
それは偽りのない気持ちだ。
レイルやフローラはとても話しやすいし、大好きだけど……ギデオンに思う気持ちとはまるで違う。
イザックやキリルは気やすく話せる人だけど……でもそれだけ。
エドウィン殿下に至っては好きとか嫌いとか思ったこともない。
「本当に私にはそういう気持ちは返せないのよ」
同じ思いを返してあげたい気持ちになってしまう。そんな私の気持ちはどこから生まれているんだろう。
「ねぇ、ギデオン」
そう呼び掛ければ、彼がそっと体を放して私の顔を見つめた。
「あなたがいなかったらここまで来れなかったわ。あなたが私だけを見つめてくれて、とても嬉しかったの。ギデオン……私を想ってくれてありがとう」
そう言うと、ギデオンはくしゃりと顔を歪めて泣きそうな顔をしてから、もう一度私を抱きしめた。




