ギルド依頼
冒険者ギルドの裏には練習場があり、日頃冒険者たちが訓練をするのに使われているらしい。
主に冒険者になりたての新人を鍛えるときに使っている場所なのだそうだけど、今回は違う。剣聖の弟子であったギルド長キリルとギデオンが、最高の剣技を見せ合っている。
「俺見えてないんだけど……」
「いや俺もだよ。早すぎるだろ」
ふらりと立ち寄った冒険者たちからはそんなひそひそ声が聞こえてくる。
打ちあう彼らの速さは、私でも集中していないと付いていけない。正直、驚いた。キリルの実力にも、そうして、難なく付いて行くギデオンにも。
互いに切り付け、守り、交わし、隙を見せることがない。
真剣にやり合う彼らの顔には、そこはかとなく楽しさが浮かんでいる。
下っ端の冒険者のような軽装をしている彼らは決して立派な者には見えないはずなのに、その鍛えられた肉体も、自信を持つ者特有の表情も、彼らを魅力的に見せている。
私は稽古中のキリルとギデオンを見守りながら、毎日ぼーっと練習場で過ごしていた。
(暇だわ……)
レイルとフローラは、魔の山の周辺を把握しておきたいからと言って、このあたりの依頼を受けて出歩いている。私も行こうかと思ったのだけど、すぐに歩けなくなってしまうので、私を荷物のように抱えてくれるギデオンがいないととても行けそうもない。
(お荷物過ぎよね……)
この先のことを考えると、私ですら不安がよぎる。
魔法研究所が雇ってくれると言ってても……この後、ギデオンたちが魔王退治に向かったあと、私は別れて一人で緑の都までたどり着けるのかしら。自信がないわ。
考え事をしていると、「よぉ!」とキリルが良い笑顔で声を掛けて来た。後ろからギデオンが汗を拭きながら歩いてくる。
どかりと私の隣に腰を下ろし、キリルは言った。
「正直、こいつ、俺なんかが鍛える必要なんかねぇよ」
「……そうなの?」
「お綺麗な剣筋なんてもんみえやしねぇ。なんか来た時と雰囲気も変わってる気がするけど、お前が知ってたころと違うんじゃねぇのか?」
王都に居た頃のギデオンは確かに型にはまった剣技をしていた。
だからキリルの言っていることはおかしいことのはずなのに、だけど私はもうこの目で見てしまった。ギデオンらしくない剣技と、そして表情を。
見上げると、ギデオンが会話する私たちを黙って見つめている。
そこにいるのはギデオンのはずなのに、だけどあの日以来、少し変わってしまったのだ。
「でもずっと訓練してたじゃない」
「そりゃ楽しいからだよ。お前もそうだろ?」
キリルがにやりと振り返って言うと、ギデオンは「ああ」と答えた。
「じゃあ俺は仕事に戻るから。受けてもらいたい依頼があるんだけど、時間があるときに全員で聞きに来てくれない?」
「分かったわ」
キリルが手を振りながら行ってしまうと、黙ったままのギデオンを前にして気まずくなってしまう。
私の隣にギデオンが座り込むと、はぁ、と小さくため息を吐いた。
「毎日こんなところに来なくていいんだ。日差しが強い。体に良くないだろう」
「……過保護ねぇ」
言ってることはいつものギデオンなのだから拍子抜けしてしまう。
けれど時々ひっそりと私に向けてくる鋭い眼差しが……ギデオンのものに思えない。観察するような、違う誰かと比べているような視線を受けると、背筋がひやりとする。
「だって一緒に居られるのはもう少しだけでしょう。少しでも同じ時間を過ごしておきたいわ」
「……本気で言っているのか?」
「ええ。私はここでみんなを見送ったらお別れよ。魔法研究所に向かおうと思ってるけれど」
隣から受ける視線が痛い。ちらりと見上げると、怒気をはらんだような瞳が私を見ている。ひぃ。
「怒ってるの?」
「魔王討伐まで保留だと言っただろう」
「……どうしたらいいの?」
「討伐後に、俺が連れ帰るから、せめて待っていてくれ」
「ここで?」
「ああ、キリルに頼んでおく。逃げるなよ」
「逃げるって……」
「魔王など瞬殺してくる」
「……」
「今の俺たちなら、難しい相手ではないだろう」
そう言い切るギデオンは、やっぱり前とは違う。まるで魔王を良く知っているかのようだ。
だけど、私は肝心なことを言い出せない。私の知ってるあの人の記憶を持っているのか、そう聞けばいいだけなのに、ライラの記憶が顔を出すと臆病になりとても言えない。
ギデオンも、思うところがあるだろうに何も言ってこない。思わせぶりな視線を送ってくるだけだ。
そうして今までよりも距離のある関係が出来上がってしまった。
黙り込んでしまった私たちの間に風が吹き抜ける。
そうか、と思う。
この気持ちは「寂しい」なんだろうな。ギデオンとの心の距離が寂しいと私の心が訴えている。他の特定のだれかには思ったことがない感情。記憶を取り戻す前のアンジェリカがギデオンに執着していたように、確かに私はギデオンを特別視している。
ギデオンが小さな子供のころからだって一番強くなる人間として特別に見ていたし、アンジェリカのときも、そうして今もそう。誰よりも強く、守ってくれて、そうして私だけを追いかけ、安心を与えてくれる。そんな存在を心地良いと思うようになるなんて、リリーの時には思いもしなかっただろう。
「ねぇギデオン」
「ああ」
「私寂しいみたいなの」
「……は?」
およそ私から出るはずもないだろう台詞を聞いたギデオンは目を見開いて私を見つめた。
「寂しい……だと?」
「ええ」
「……なにがだ?」
「あなたに避けられている気がして」
「避けてはいない」
「でも……今までみたいに話しかけてこないし、触れて来ないし、抱き上げようともしないし」
「……適切な距離を模索しているだけだ」
「距離?」
「男女間の過剰な接触は本来望ましいものではないだろう」
「そうなの?色恋のある仲じゃないと抱きしめ合ったりも出来ないのね。私あなたに抱きしめられるととても安心するのよ。それはやっぱり寂しいのね……ギデオン顔が赤いけど大丈夫?」
「俺はお前のぽんこつな情緒にいつも困惑しているだけだ」
ギデオンは顔を赤くして何かに耐えるように顔を顰めている。この表情は何かしら。
「なぁ、アンジェリカ」
「なぁに?」
「愛とか恋とか、分かるか?」
「……分からないわ」
子供たちに信愛の情は感じる。ギデオンを特別に思う。だけど……それ以上は分からない。
「……アンジェリカには何も分からないのに。俺が求めてもいい人じゃないんだよ」
風に溶けるように、さらりとギデオンは言った。
どういう意味かと聞こうとすると、ギデオンはふっと笑った。
「魔王を倒す。俺は、やつの肉体が消滅することで、変化が訪れる可能性を信じている。アンジェリカがただの人になれるように、俺が尽力する。だから、待っていてくれ。この町で」
「……分かったわ」
なんだか丸め込まれたような気もするけれど、魔王討伐まで待ってるだけでいいならそれでもいいかと受け入れた。
翌日みんなで冒険者ギルドを訪れると、キリルが依頼書を見せてくれた。
私はその文字を見ただけで顔を顰めた。ギデオンも同じだ。
レイルとフローラは冷静に読んでいる。
「つまり……王都からやってくる魔王討伐隊と共に、魔の山から町付近まで降りてきている竜を討伐して欲しい、ってことですね」
「そうだ。魔王戦の前に、通常の竜を数体討伐して欲しい。最近鉱山の鉱員たちを襲い、被害が目立っている」
「これって実質……魔王戦の前の予行練習みたいなものですよね」
「そうだ。本来なら俺が行くしかねぇような依頼だが、今は俺よりお前たちの方が最適だろ。どうせ連れていかれるだろ、お前たち」
キリルの台詞に嫌な気持ちになる。会ってしまえば逃げられない気はしているけれど。かといって下手に先に行って後から来られても迷惑でしかないし。
「魔王討伐依頼はA級冒険者以上にしか出せねぇから、この依頼を完了させたらA級に上げてやる。だから、頼むよ」
「……これっていつになるの?」
私の台詞にキリルはにやりと笑った。
「明日には到着する。数日以内には討伐に向かうだろうな」
頭がくらくらとする。
最後に会った時のドレス姿の聖女ヘレナの姿を思い出す。ピンクブロンドの髪のかわいらしい女性。王国騎士団に囲まれた彼女が間違いなく来るのだ。
「ギデオンに任せるわ」
「……なに?」
「私はあの人たちと会話出来る気がしないんだもの」
「……」
幼いころから婚約者だったエドウィン殿下のことを考えると憂鬱になるだけだ。まさか彼も来るのだろうか。依頼書には王族一行とか、恐ろしいことが書かれているけれど。