知らない男
冷ややかに私を見下ろすアイスブルーの瞳。無礼なほどに私の全身をなめ回すような視線が、心を搔き乱す。目の前にいるのは確かにギデオンなのに、その眼差しは違う男のものなのだ。
「いや違う。ライラではないな……壊れてしまっているのか」
目の前の男の低い声が響く。すると興味を失くしたように私から視線を外し、彼は荷物を持ったまま部屋へと戻って行った。
パタン、と音を立てて扉が閉まってから、私はヘタヘタとその場に座り込んだ。
(一体なにが……)
心臓がバクバクと音を立てて酷く嫌な汗をかいている。
怖かった。リリーもアンジェリカも、悲しいと思うことはあったけれど、何かを本気で怖いと思うことなどなかった。多分感情がよく分からないからだ。だからもうほとんど初めてのような恐怖に、どうしようもなく動揺する。
(でも……この感じは知っている)
夢の中で見たライラは、『彼』にこんな感情を抱いていた。たぶん好意を持っていたけれど、それ以上に怖いと思っていたのだ。だから。きっと。
さっきの男は、夢の中の人なのかもしれない……そんな風に思うのに十分だった。
ライラの名前を知っていた。それはつまり、私も彼の名前を知ってるということだ。
夜になるとフローラが目を覚ました。まだ眠そうにベッドの上に起き上がる。
「おねえちゃん……」
「おはよう。大丈夫?」
「うん、お腹空いた……」
「ご飯取ってくるね」
気が引けたけれど、仕方ないので隣の部屋に向かい、内心怖いなと思いながらも扉を叩いた。
すぐに扉が開き、レイルが笑顔で迎えてくれた。
「おはようございますアンジェリカさん」
「おはようレイル。もう起きたの?」
「もうすっきりしてますよ。ギデオンは寝てるんですけど」
「そう……」
ギデオンのベッドを見ると、深い眠りに落ちているかのように眠っていた。物音にも少しも反応しない。
「フローラも起きたの、あっちでご飯食べない?」
「あ、そうしましょうか」
荷物を持って、ギデオンを残して部屋を出た。
「ギデオンとはまだ話してない?」
「はい、なんでです?」
「さっき寝ぼけてるギデオンにたぶんあったの……」
「寝ぼける……?それは珍しいですね」
「そうよね……」
本当にただ寝ぼけていただけならいいのだけど。あまりに不穏だった。
フローラと三人でパンをかじりながら、冒険者ギルドで聞いた話を伝えた。
「え、王都の魔王討伐隊来るんですか!?」
「そうなの。どうしようかしら?」
「あれは面倒なやつ。でも戦力になるかも」
「なるかしら?」
「魔法使いたちに呪いの発動を防ぐ手助けしてもらえるし」
「確かに、上手く立ち回れば回復も助かりますよね。まぁ連携なんて取れたらの話ですけど。騎士団にアンジェリカさんの話を聞いてもらうのがそもそも難しそうですよね」
「そうよねぇ、無理よね。アンジェリカには」
「ギデオンがいるから大丈夫かもしれないですよ」
「確かにそう」
「……」
でもそのギデオンが今一番不安要素になっている。次に目覚めたとき、いつものギデオンなのだろうか。それとも……何か変わってしまっているんだろうか。
たぶん……私は長い夢を見たあとも特別何も変わっていないと思う。この二人もそう見える。なのにギデオンのあれは……まるで違う人格になっているみたいだった。昨日までのギデオンはいつも通りで、感情豊かに真っ赤な顔をしていたりしたのに、今はもう別人のようにひややかに私を見下ろしていた。
「あとね、呪いのこともう少し教えて欲しいそうよ」
「わたしに?」
「そう。他の子供たちが訪ねていけないかって」
「確かに魔法研究所にでもそういう対応お願いできたらいいね。私も出来るならやる」
「うん。ねぇ、何か夢を見た?」
そう聞くと、二人とも顔を見合わせて、はにかむように笑った。
「そうですね。ぼんやりとですけど、僕も冒険者だったみたいで魔王と戦ったことあるみたいでした」
「私も……でもずっと昔」
「みんなそうなのね……」
あのね、とフローラが言う。
「その記憶の中の私の生まれ育った場所がね、今の私の見た目にもすごく似てる人たちがいる場所なの。ルーツがある場所かもしれないから、討伐が終わったら行ってみたいな」
「まぁ、ほんと!?ぜひ行きましょう。帰りにみんなで行けばいいわ」
それはいい情報だ。そんないい変化がもたらされるなら、呪いが解けて本当に良かった。
でもギデオンは……そう思い、ふぅとため息を吐くと、レイルが「どうしたんですか?」と聞いた。
「分からないけど……もしもね、思い出したくないことまで思い出すようなことになったら、どうなるのかしらね」
「おねえちゃんにしては珍しいことを」
「どうされたんですか?」
「ちょっと心配になって」
ふむ、とレイルが考える。
「僕は思うんですけど……思い出さなきゃいいってことでもないと思うんですよ。楽に生きられるならそれでいいけれど、知らずに肉体や魂に刻まれているものです。それによって苦しむくらいなら、思い出して受け止めた方がいい」
「難しいことを言うのね……レイルは若いのに賢いのね」
そういうとレイルは笑った。
「僕は今のあなたより年上ですよアンジェリカさん」
「私もだよおねえちゃん」
フローラが胸を張る。
「例えば生贄の話も……聞けて良かったです。理由を知らずに恐怖の記憶を抱え持ち続けるよりずっと。状況を理解して客観的に受け止めてしまえば、消していける感情も存在するんです。まるでフローラが呪いを消してくれたみたいにね」
「……確かに、似てるね。感情も呪いも」
「呪い……」
辛い記憶に囚われ続けるということは、もはや呪いに掛け続けられているようなものなのか。
「ありがとう、レイル、フローラ」
今日はギデオンは起きてくる様子もなくて、彼のベッド脇に食料を置いておいてもらうことにした。
そうして私たちはその日も早く眠りについた。
翌朝、フローラはいつも通りに起きて来て、私たちは隣の部屋に向かった。
するとレイルが出迎えてくれて、ギデオンは早くに起きていて、散歩に行ったと言う。
「大丈夫かしら?」
「気にされてますね、アンジェリカさん」
「だって様子がおかしかったのだもの」
「おかしかったですね……」
「……そうなの?」
「僕を見ての第一声が、誰だ?ですよ」
「……」
それじゃ、今日もギデオンはあの人のままなのだ。
「でもそのあとすぐに、レイル?と言ったんです。すまない、と謝っていました。記憶が混濁しているように思えました。一人になりたいと出て行ってしまって。僕も心配してます」
「大丈夫かしら……」
「記憶や感情に折り合いをつけるときって、人の側にいるのは苦痛になるとも思うので、無理に追いかけない方がいいのかなと思って……」
「そうよね」
心配しながらも、今日はそれぞれ自由に過ごすことにして、レイルとフローラは冒険者ギルドを見てくると出て行った。私は宿屋でギデオンを待っていることにした。
日が暮れても帰って来なくて、探しに行こうかとそわそわしていたら、夜遅くになって物音に慌てて廊下に出ると、驚いたような顔をしたギデオンが私を見た。
「ギデオンおかえりなさい」
「ああ……」
彼はただ私を見つめている。背が高く、鍛えられた体と、整った綺麗な相貌を持つギデオン。
戸惑うような瞳は、いつもの彼に見えるのだけど。
「……体調は?アンジェリカ」
その台詞にほっとする。いつものギデオンのものだ。思わず笑顔になってしまう。
「大丈夫よ。良く休んでいたもの」
「……」
ふいに彼は瞳を揺らして、悲し気に視線を伏せた。
「……どうしたの?ギデオン」
「なんでもない。ギルドに寄ってきた。明日から稽古をすると言っていた」
「そう……」
どう見てもなんでもなくはない。けれど彼は話す気はないのだろう。
「無理しないでね。今日は良く休んで。明日から頑張ってね」
「ああ……」
ギデオンは逃げるように部屋に入ってしまった。
避けられている……そう感じる。取り残された廊下で、暗い廊下に立つ自分の足が、暗闇に飲まれていくように感じる。
こんな気持ちになるのはいつぶりだろう。
思えば、リリーのことを思い出してから今日までずっとかつての子供たちと一緒だった。特にギデオンは誰よりも私を気遣ってくれていた。口悪くしていたときだって、誰よりも私を見つめて、私を分かってくれようとしてくれていた。彼の背中はまるで守ってくれているように安心出来た。なのに……。
今私は一人で立っている。
暗闇に置き去りにされていた子供時代のことを思い出す。
リリーは孤児院で周りの子供たちと上手く暮らせなかった。人の感情が良く分からないから、知らぬ間に傷付けて、そして私が悪いと責められ続けた。罰として倉庫の中に良く閉じ込められた。一晩そこで過ごすのだ。人の温かさまで求めていたわけではなかったけれど、暗く冷たい場所に閉じ込められることが多い日々は子供のリリーには十分に辛い記憶となった。
ひとりぼっちで、寂しい、という気持ちだけは生まれた。自分はきっと一生一人なのだと思った。
魂に孤独が刻まれていくようなその時の記憶は、今でも変わらず植え付けられているままだ。
なのに最近は……ちょっと楽しかった。嬉しかった。
改めて子供たちと過ごす今の時間が心を満たしてくれていた。贅沢なことに、心のどこかでこのまま仲良くしてもらって過ごせるんじゃないかとでも思ってたんだろう。怖いわ。良かった、ちゃんと気付けて。
(迷惑かけないようにしなくちゃね)
うんうん、と納得する。
魔王を倒すことだけ考えればいいのだ。
それまで出来るだけ彼らの手助けをしよう。
「おねえちゃんどうしたの?」
部屋に戻るとフローラが駆け寄ってきた。そんなに様子がおかしかったのだろうか。
「どうもしないわ」
「……」
フローラは私に抱き着いて言う。
「泣きそうなのに泣けない、みたいな顔してるよ」
そういえばリリーもアンジェリカも、泣いたのなんて、この間の夢を見たときだけだ。
感情の欠落したこの体は、泣く自由さえ与えられていないかのように。
「ふふ、泣きたかったのかしら……そう言われてみればそうなのかな。分からなくて」
フローラは「今日は一緒に寝よう」そう言って、同じベッドに入ってきた。
そうして、ゆっくりと、女同士の話をした。過去のこと。今思ってること。一つ一つは意味のない話だけど、ただ聞いてもらいたくて。聞いてあげたくて。
ただそれだけで心が少し楽になるんだなって。
そんなことも知らなかったな、と思いながら眠りについた。




