第二章[表]影の足跡を辿る①
ーー呼んでいる。
ーー誰かが、僕を呼んでいる。
ーー僕を、誰かが呼んでいる。
耳障りだと跳ね除けるにはあまりにも近くて、宙をたゆたい離れて言ってしまいそうな。
恐れるように、億劫な瞼を持ち上げた。
目の前に立つ影。
振りかぶられる岩。
腹からの発声。
「ーーーー死ねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ」
「ぇぇぇぇぇのはお前だァァァァァ!!!!!」
反射的な叫びと共に渾身の蹴りが炸裂した。
生々しいうめき声と共にバカは転がり、土塗れになりながら何度か駄々をこねるようにゴロゴロした。
元気そうでなによりクソ野郎だ。裕也は心底思った。
「ユウ、グッチョブモーニングだ。ーー眠くないか?」
「それ今消し飛んだから。キングクリムゾンだから」
「そりゃ良かった!!」
仁王立ちで豪快に笑う。頭が三割増しでおかしくなってるのではなかろうか。
すると目の前の天下の阿呆 は体勢はそのままでソワソワし始める。何かを待っている素振りだが、裕也の瞳からは理解する気力はとうに失せていた。そのまま三十秒程が経過しーー
「え、お礼は」
「…………あると思ってるのか?」
裕也は絶句してしまうのであった。
ーーーー
「ここは…………山か……?」
「あぁ山だな! ワケ分からんが!」
壮絶な『おはよう』と『おやすみなさい』を終えて、裕也は鈍く覚めた頭を振って状況の把握に努める。
「……合宿…………銀英山…………祠…………ーーっって!!」
思考を唸らせてブツブツとピースを繋ぎ合わせていた裕也は、跳ね上がるように立ち上がると、誠人の肩に掴みかかった。
「うぉおっ!? いきなりなんだぁぁあぁあぁあぁあぁあぁーー」
「マサお前身体!!!! なんともないか!??? なんかおかしなとことか痛いとことかどこも!??」
「なあぁあいぃいぃいぃいぃわぁあぁあぁーー何すんだコノヤロー!!!」
明らかに動揺した様子で肩を激しく揺さぶると、頭一個分小柄な少年は全身でメトロノームのようにガクンガクン揺れる。しばかれた。
「…………なにも重くそぶっ叩かなくてもいいだろ」
「は! ユウお前あれだ。なら吐くぞ! お前のズボンに」
いきなりの事態に青い顔で誠人は怒鳴る。裕也は息を整え、とりあえず謝る他なかった。
「そんで、何がそんなに慌てることあんだよ。このオレにどーんと相談してみんしゃい」
「……いや。大丈夫だよ。…………マサはここで目を覚ます前、最後どうなったのか覚えてるか?」
「は? えぇと、だな。…………確か右足が急にすっぽ抜けて何かにハマって………………」
「ハマって……?」
「起きたら今だ」
「…………そう」
何一つとして参考にならなかったが、裕也の中では既に答えは出ている話だった。
「僕達は、例の『幽霊』にここに連れてこられたんだ」
あの祠で、最後に見た光景は例の、あの日見た『黒』だった。
巷を騒がせる(部内調べ)『三つの噂』の一つ、『四足歩行の幽霊』の手がかりを求め、裕也たち『地域伝承研究会』は曰く付きの霊山である銀英山へと調査へ繰り出した。
そんなGW合宿一日目。少年少女は謎の祠を発見。しかしそれ以上にめぼしいものはなく、停滞した空気が漂う中での、『幽霊』とはそこでの出会いとなる。
裕也は改めて周囲を見渡す。左右に伸びる三人分幅の荒い道。傾斜は軽く、その道以外は自然に閉ざされている。
ここが散々見たことのあるような森であることを確認し、しかし恐らく通ったことの無い場所だ。ここがまだ銀英山である確証はない。
移動するか。ここに留まるか。
移動するなら元の道を探して、山岸家まで戻らなくてはーー
「なるほどなぁ。どうりで外うろついてたわけだ」
「……ん? なにが?」
「幽霊。あれ多分そうだったんだなー」
何かしきりに納得する様子でうんうん頭を振っているが、裕也には嫌な予感以外全く分からない。
「つまりだな」誠人はドヤ顔混ざりに鼻を鳴らしてみせた。
「さっきまでいた墓ーー」
「祠な」
「ーーオカラんとこの階段にいたんだよ。幽霊」
「……本当に、居たのか?」
「は! ユウはオレが嘘を吐くような男に見えんのか? 確かにいたぜ。この目を信じな!!」
「言えよ」
「忘れてた」
裕也にとってかなり衝撃的なカミングアウトだが、もはや言葉にならなかった。マジか嘘だろ……
ーーもしかして……しのかまでそうなんじゃ……
「……………………あ」
「ーーこ、今度はなんだよユウぅぅぅうぅうぅうぅうぅうぅーーーーー」
「お前何やってんだよ!!!!」
「なぁあぁにがぁあぁあぁあぁあぁあああ????」
「しのか何処だ!!???」
またも凄まじい形相で肩をぶん回す裕也。
誠人は目を回しながら「知らねぇ!!!」と叫び、顔は蒼白を通り越して紫色に片足の先ぐらいは突っ込んでいく。
「ダメだ! 探しに行かないと!!」
誠人とは似て非なる顔色を浮かべる裕也は更に動揺を深め、走り出さんと脚を前に踏み出した。
肩を掴まれる。
冗談みたいに身体は前に進まなかった。
「そっちは明らか道じゃねぇだろ。ドタマかち割るぞバカヤロー」
目の前に広がる光を飲み込む森。左右には最高級品のケモノ道だ。
「…………バカがバカってーー」
「は! オレは天才だからナ!! ーーアレ見てみ」
肩の手からのしかかる重量で強引に座らされると、誠人は道の先、その一点を指さした。
三脚に立てられたビデオカメラ。
不審な札が貼られた、古びたビデオカメラ。
それは確かに稼働しており、道の先を映像として記録している。
それは明らかに人為的なものであり、
それは我が部の長が背負っていた『伝研三種の神器』だ。
「『呪ルンです』……」
「…………は?? っんだぁ? そのヨダレみてぇなの……」
誠人は死亡フラグを一つ立てる。
「……とりあえず、しのかを探すのは確定だな」
その目には先ほどまでの動揺を押し込める意思があった。
ーーーー
道を辿って森を進む。
しのかは恐らく一足先にここに来て、目を覚ましていたのだろう。
そしてカメラを設置してから移動した。その場に留まらなかったのは、彼女の好奇心故か。それならばカメラは持っていった方が良いとも思えるが……。所詮、裕也には人の心は分からないままだ。
とにかく彼女は無事で、移動しているーーと仮定するしかない。
道を登ったのか下ったのか。どちらを選択したのかは計り知れないが、裕也たちは登る側、カメラが向く方向とは逆へと歩を進める。勘だが、彼女はきっと登るだろう。なんとなくそんな気がした。
カメラの近くには印をつけた。もし彼女が戻ってきたら気づくだろう。……あのまま動かず、待っていた方が良かったかもしれないが。
裕也は探すことを選択した。
その目に揺らぐ動揺は幾分か収まったが、恐れや不安は変わらずある。焦っていると言われればそれまでだ。
どうしても安定しない裕也の足取りに、誠人は何も知らない子供のように容赦なく進む。隣を歩いているのに、ずっとずっと距離があるようで。余計に脚は逸る。
誠人はいつだっていつも通り変わらない。
それは裕也にとって小さくない喜びであり、小さな痛みだ。彼のように生きることが出来たなら。ちっぽけな自分の内には、そんな非生産的な渇望がポツポツとシミを作っている。彼の揺るぎない外面がそうさせる。情けない話だ。本当に。
すると形式上は確かに隣を歩いている誠人が、何かを見つけたように一歩先に出た。
「こりゃあ……あれだ。たまに玄関にあるやつ。えぇと…………は、か、た、の、塩!!」
「たぶんそれ盛り塩の間違いな」
「お、向こうにもーーてか何個もあるな。なんだこれ?」
不自然な白い灰のようなモノが山道の傍らに山を作っている。それもいくつもあり、合わせればかなりの量になるだろう。
「うーーーん。…………ほいーー」
「ーーバカこの!!! 何触ろうとしてんだ!!」
「えぇぇ。だってよぉ。触ってみねぇとどんなもんかわかんねぇだろうが。それに塩分補給は大事だ」
「だから塩じゃないって!!! とにかく得体の知れないモノ触るな。離れて離れて!!」
納得いかない小学生のような顔で引きづられる誠人。
積み上げられた謎の灰は、風に煽られるわけでもないのに粒子が舞い上がり、空に溶け始める。綺麗というより、どこか幻想的な光景だ。
「ケチくせぇ!!!」
「知らん」
「クチくせぇ!!!」
「それはもっと知らないし酷い!! いいから離れる。なんか得体の知れない病気とかなったらどうするんだ」
「は! オレが病気ぃ? 風邪は気合いだぜ!」
「まず病気で風邪を一番に出す辺りがアレだよ」
どうしても触りたいのか、両手の指を奇怪にワサワサさせる誠人はあと一歩のところで留まっている。彼はそういう男だ。電柱の影の犬の糞とか喜んで木の枝でつつくタイプの小学生時代を経験してきた。むしろ経験させられた。
現在進行形で溶けていく灰は明らかに『普通』じゃないーーと『普通』なら捉えるのだろうか。近くで何かを燃やした形跡もなく、わざわざ灰を持ち込んで捨てたにしては意図がわからない。実際ここがどこなのかがハッキリしないのでなんとも言えないが。
裕也にとっては余り意味の無い考察ではある。しのかならもっと食いついて妄想を膨らませてくれそうだ。
……しのかはここを通ったのだろうか?
裕也の中で焦りが、胃の内を逆流するように膨らんでいく。喉奥まで駆け上がってくるそれは震える声となって形となった。
「ーーマサ、少し急ぎ足で進むぞ。早くしのかを見つけな『 わァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!』
「ギャァァァァァァァァァァ!!!!!!!!!!!」
背後から手。肩に手。そして声。鈴を掻き乱したような響く叫び声。
中身ごと飛び跳ねるように振り返る。
「え…………えぇぇぇ????」
そこには満面の向日葵が咲いていて、
手頃な木の枝を物色していた幼馴染みのセリフと、
目の前の市立九野里高等学校指定ジャージに刻印された『篠川』の文字が全てを表していた。
「おぉ、しのかじゃん」
「ど〜? びっくりした? ビックリした???」
ーーーー
「正直、今死んだかと思った」
「大袈裟なモヤシだな。ユウは」
「そうだよ〜。この程度で命を落とされては部の沽券に関わります! 強いハートが、強い人生を生み出すのです!」
「絶対肝に命じない」
少女に謝り倒されても裕也は拗ねたまま。しのかはもう開き直ってしまっている。これ以上、上っ面の不安をぶつけても意味はないだろう。
裕也は一息吐いて思考を切りかえた。
「しのかは意地悪だな。なんで後ろから来たんだ?」
半歩切り替えきれなかった。
「えぇと、ユウくんたちがなんか印? 付けてくれてたから。こっち側にいるんじゃないかなぁ〜って。……だよね?」
「だよねって……なんでこっちに聞くんだよ」
「それもそうだ〜。そしたら居たの。ユウくんが」
ならば何が起こるかは自明であると、少女は朗らかに言い切ってみせた。清々しい。シミが、ほんの少しだけ広がる。
どうやら反対側に進んでいたらしいしのか。
些細なゴタゴタはあったが彼女にも特に身体的異常はなく、これで三人が無事に揃った。しっかりと曰く付きカメラ『呪ルンです』も回収済みだ。向こうで待っているであろう智紀とも早く合流しなくてはなるまい。
「しのか。これ」
「あっ、扇子ちゃん!! ありがとう〜。落として困ってたんだよ〜」
「なら良かった。ーーどうする? 先進む? それとも戻るか?」
「聞くまでもないでしょ〜? ーー立ち話もなんだし、進みながら。時は金なりだよ〜」
今まさに堂々と立ち話をしていたと思えない台詞と共に、しのかは歩きだした。追いかけて一歩後ろを歩く。道端の灰はすっかりかさを減らしていた。
灰を過ぎても山道は続いており、しかし景色に大した変化もなく、前後以外は全て森だ。見上げた空は雲二割程度に晴れ渡っていた。健やかな日差しだ。
変化といえば、途中に二度あった分かれ道か。しのかが即断して進むので、多数決を取る暇もない。
若干溜めていた気配を含んで、しのかがくるっと振り返った。
「ここでカミングアウトが、なんと二つもありま〜す!」
男二人はいきなりなんだ? と首をかしげた?
「まず一つ目! そういえばユウくん。スマホ試した〜?」
「ーーっっあ!!!」
全く思い至らなかった。裕也は呆気に取られるままにスマホを取り出し、LINEを起動する。すぐさま電話をかけようとーー『しのか』の名前をタップし、『無料通話』のボタンを押した。
『サーバーへ接続が出来ません』
「……あれ?」
「繋がらないの。圏外みたいなんだ〜、ここ」
画面中央を陣取る若干無機質な文体が、現在の電波状況を克明に表していた。どうやら山奥だからか、電波の類は受け付けていないらしい。……祠の近くまでは通じていた気がするが、もう少し電波の範囲を確認しておくべきだったか。
「ユウくんはまだまだだね〜。『伝研五箇条』第四項は?」
「……『報告・連絡・相談・安全・健康』」
「その通り〜! 今は亡き前部長が残した至言であります! 大切なことが全て入っているのです〜」
「いや勝手に殺すなよ。先輩に怒られるぞ」
そして中身が充実しすぎだろう。五箇条の必要性が物量の暴力で粉微塵だ。彼らしいと言えば彼らしい、パワーバランスをぶち壊すブレイカーっぷりだ。ほうれん草案件。
しのかは少し意地悪でつつくように言った。
「それにさユウくん。寄りにもよって今わたしに電話かけようとしたでしょ〜。目の前にいるのに〜」
「あっ…………てか見てたのか。マナーとしてはよろしくないぞ」
「照れちゃって〜」
このこの〜、と脇でつつくフリをするしのか。
「で、二つ目ってなんだ!? ーーいや待て!! オレが当ててしんぜよう!!」
声も動きも全てが五月蝿い少年は自身の額に人差し指中指を突き立てながら思考の水たまりぐらいに潜って行った。セルでも道ずれにバイバイみんな…しとけ。
「二つ目は〜、これです!!」
しのかは握った手を前に放るようにして開く。中から薄くて暗い赤色の結晶のようなものが投げられ、地面に落ちる。
するとみるみるうちに黒いモヤのようなもので覆われて、
まるで四足歩行の生き物のようにうねって、ほどけて、縫い合わされて。形を為したそれはーー
まるで、あの『黒』のようなーー
少女の笑顔は、常に太陽の方を向いている。
「この子が、道を案内してくれるんだよ」




