(更新29)
【ガンズ】
食堂にいると、色々な光景を目にする。
西門の宿屋は部屋がいつも七~八割埋まっている、冒険者が常宿にしているからだ。
その為、食堂には常に客がいて飯を食い、酒を呑む。
昼間から酔って潰れる奴、つまみを食いながら次の探索予定をたてている奴等、探索から帰ってくたびれた身体を椅子に沈める奴。
冒険者は西門と東門の宿屋の他にも民間の宿屋にも寝泊まりしているし、他には貸家をパーティーでシェアしているという者達もいる。
たまに食堂へ来て飯も酒も頼まず、壁の依頼書などを眺めている連中がそれだ。
冒険者の他には行商等が泊りに来る。
旅装なので見れば判る。マント、ローブの類いを羽織っていて、鎧の類いは着ていない。
臭いでも冒険者はダンジョンで過ごすせいでカビ臭さを感じるが、行商は乾いた埃臭さ。
他は近在の農夫や店持ち商人、労働者等。晩飯時に多い。
晩飯を作る手間が面倒だったり、酒を呑んで一日の疲れを癒しに来る。
格好はそれぞれ。説明するまでもない。
農夫や労働者は痩せた筋肉質、商人は逆に恰幅の良い姿。商人が太るのは、儲かっている、実績があると客の信頼を得る為だ。
新しく来た侍女達が妃殿下やサーラの指示で客の注文を取り、料理や酒を運んでいる。
食堂の客を見ていると、たまに解らない者もいる。
大概は陛下の様な御忍びで来た貴族の様な手合いと見当は付くのだが…
俺達がよく座る卓から見て部屋の対角線上、隅の卓にいつも座る客。
厨房の入口から一番遠いその席は、混雑時でも無い限り誰も座りたがらない。
注文も給仕も遅くなると感じるからな、厨房から遠いと。
そこによく座るその客は、『解らない者』だった。
冒険者では無い。
行商とも違う。
農夫?商人?貴族?
当てはまらない。
以前から視界の隅に見えていたが、自然にそこへ座り、いつの間にかいない、背景の一つだった。
『解らない男』を俺は今初めて注目していた。何故かは…解らない。
男は酒をちびりちびり呑んでいた。
誰かを待っている訳では無い。
男が座っている時に近付いていく他の客はいないからだ。
誰かを監視している訳でも無い。
例えば陛下。
陛下が来ている時に居る事もあれば居ない時もある。
最初は陛下を陰で護衛する役目の者かとも思ったが、どうやら違う様だ。
同じ様に誰か特定の客が居る時に現れる訳でも無さそうだ。
その男は食事が済むと早々に食堂を出る事もあれば、今日の様に長く居座る時もある。
そんな事はその客の勝手ではあるのだが、この宿屋は…まぁ…特殊な宿屋だ、常連客ばかりの宿屋に、誰なのか解らず誰も注目しない人物というのが居る…不思議だった。
「よぉ、ガンズ。独りか?」
ザップが俺の横に座る。
「飯を食い終わった後も居るなんざ、珍しいじゃねぇか、何かあったか?」
「あぁ、いや…ところでザップ、あの男を知っているか?」
俺はザップに指を差してみせる。
「…誰だって?」
訝しげな声に隅の卓を見れば、男が消えている。
食堂の扉を閉める音。
「…もう出ていったのか。いや、どうでもいい事だな」
「お姉さんエール一つ…ひょっとして『影男』の事か?」
「『影男』…知っているのか?」
「いつも隅に居る奴だろ?結構古くから居る常連客だが、名前は知らねぇよ」
ザップは届いたエールに口を付け、鼻面の泡を拭く。
「あの席が奴の指定席みたいなもんだな、隅っこだからあまり明かりが届かねぇ。いつの間にか居て暗がりで呑んで、いつの間にか消える。影みたいだから『影男』って仇名がついた」
「何をやってる奴なんだ?」
「気になるかい?残念ながら名前同様何者かも解らねぇ…まぁ冒険者じゃ無ぇな」
「ふぅん?」
ザップが知らないなら誰も知らないな。
「そういや、街の中でも見掛けた事が無ぇな?何者なんだか…」
────────
「…ガンズ、疑問を持つ事は悪くないけど、他人の事を詮索するのはあまりいい趣味じゃ無いわよ?」
食堂からヴィーシャの部屋に寄った。
深層に挑戦出来るパーティーが増えるまで、少し探索は控えようという話をザップとした事を知らせたついでに『影男』の話をしたのだ。
「あんまり知りたがると叔父様みたいになるわよ?」
「俺がお喋りになるのか?」
「ぶふっ!」
ノラが噴き出した。
お喋りオーガを想像したらしい。
「そうじゃなくて…まぁいいわ」
「ヴィーシャは気にならないか?」
「むしろ何で気になるのかしら?」
「冒険者が他人に言えない過去の一つや二つ持っているくらい判るさ。だが奴は冒険者じゃあ無い」
ノラだってこの間まで奴隷だった事を宿屋中が知ってはいるが、口に出す奴は居ない。
礼儀というか仁義というか、そんなものだ。
だが『影男』は冒険者でも無く、また他の何者とも解らない。
「だいぶ以前から居るが、異物だ。誰も気付いていないが、それは自分が異物だと自覚していて気付かれない様にふるまっているからだ」
「はいガンズさんお茶…そこまで気になるものか?」
「ノラ、例えばこの部屋にノラの物でもヴィーシャの物でも無い物がいつの間にかあったら?」
「それはまぁ…気持ち悪いな」
「…想像しちゃったじゃない…ガンズは幽霊とか訳が解らないのが…嫌いなのね」
「恐いっていう意味なら、その通りだ」
「オーガの口から恐いなんて単語を聞くとは思わなかった」
戦で何が恐いかと訊かれたら、敵の情報が無い事が一番恐い。
どんな布陣なのか?兵の数は?何が得意なのか?こちらの事をどれだけ知っているのか?
「…知らないって事は、戦では死に直結する。だから、恐い」
「『救国の英雄』が言うと重みがあるわね?…じゃあ十三階層の『擬態生物』は?」
「嫌だなアレは。しかし対処法が解ったから今は恐く無い」
────────
翌日、ダンジョンの浅い階層で狩った獲物を熊さんへ渡した。
「いつも悪いなぁ、そうだ、飯はまだだろ?」
今こいつを捌いてやるから待ってな、と言うので厨房から食堂に入ると隅の卓に『影男』が居た。
他に客は居ない。新人の侍女が所在無さげに立っていた。
「あぁガンズさん、また狩りですか?獲物は取れました?」
「サーラ、エールをくれ、二つ」
その場でエールを受け取る。
両手にエールを持つと、俺は隅の卓に向かう。
「…ここ、いいか?」
『影男』は本を読んでいた。
昼間でもこの隅の卓は薄暗い。
この薄暗さに半分溶けている様に見えた。
「………どうぞ」
本から目を上げず、掌で席を促す。
静かな声だった。
「良ければ呑んでくれ。お近付きのしるしだ」
本をペラリとめくる。
「お気遣い、どうも」
初めて顔をあげる。
端整な顔立ちに紅い瞳が光っていた。
「俺はガンズ」
「…ジュラ家のジャスティンです」
「貴族の方でしたか」
家名があって紅い瞳、ヴァンパイア貴族だったらしい。貴族には見えなかったが。
「…今のところ貴族ですね。父が勲爵位ですから」
武功を挙げて叙される勲爵位は一代限りのものだ。嗣子に受け継がれない。
「あまり気になされないで下さい、武勲は父のもの。小さな荘園が郊外にあるきりの、単なる地主の息子ですよ」
自嘲気味にうっすらと笑う。
「こちらでよくお見掛けしますね?」
「…父からは好きにせよと、知人の家で書生の真似事をしております…居候の様なものですよ」
蓋を開けてみれば何という事も無い、ヴィーシャなら嫌う類いのヴァンパイアか。
普段からヴァンパイアの怠惰さを嫌っているからなヴィーシャは。
暫く当たり障りの無い話をした後、ザップ達が来たので席を離れた。
「はいガンズさん、出来立てですよ」
いつもの席に戻ると、サーラが料理を運んで来た。
「今日は転ばなかったなサーラ」
「ガンズさんひどい!…でも」
サーラが近寄って小声で話す。
「…よくあっちの方とお話ししましたよね?私は何か恐くて」
「普通の人だったぞ?」
「そうなんですか?たまに顔を上げて辺りを見ていますけど…目付きが鋭いというか」
そうだったか?
「ヴァンパイアの方ってだいたい、とろんとした目をしてますけど、あの方は違いますよね?陛下が悪巧みしてる時みたいに」




