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追憶の滄溟 「欠陥戦艦」最期の奮戦  作者: ルノアール
第二章 ラディカル・リベラリスト
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7

長らくお待たせしました。

 日本帝国海軍の大方の認識では、沖永良部島沖海戦で第二艦隊が壊滅した時点で、この戦争に対する戦意を喪失していた。

 日本人的な物の考え方からすれば、日本帝国海軍の光輝ある伝統と歴史を永遠のものに出来た訳であり、残存艦隊戦力をいくらかき集めて沖縄へ突っ込ませようと、これ以上の戦果は望みようがないと正しく認識していたからである。

 もちろん例外はあった。日本国内に残されている、あと一.五回は残存艦隊戦力を全稼働させらる程度の重油を全て使い、もう一度沖縄沖の敵艦隊へ突撃させれば、今度こそレイテの大捷を再現出来るのではないか――そうした声は、主に軍令部側に一定数存在した。

 沖縄沖航空戦(作戦名・菊水一号作戦)で大戦果を挙げた特攻隊と合わせれば、この戦争を講和に持ち込む事も決して不可能ではないとする彼らの言い分は、聯合艦隊司令部、海軍省内を支配する達観した空気と真正面からぶつかった。

 大多数の帝国海軍軍人たちは、「大和」や「武蔵」が華々しく戦い、自軍に倍する新鋭戦艦を道連れに沈んでいった事実へ後ろめたい満足感を抱いており、「やるだけの事はやった」と面子が立った今、これから重要なのは如何にして幕引きを図るか、という点にのみ収束していき、強気の主張を繰り返す一部軍人の声を押し込んだ。

 これに、アメリカ海軍第五艦隊第五八任務部隊(TF58)による六月一一日の呉軍港空襲が拍車を掛けた。沖縄沖の戦いで甚大な損害を受けたアメリカ海軍は、沖縄侵攻直前に行った以上の空襲を仕掛け、帝国海軍の艦隊が再び外洋に出て来ないうちに叩き潰してしまおうとした。

 沖縄本島における近接航空支援任務に戦力を割かねばならないため全力で攻撃出来た訳ではなかったが、それでものべ六〇〇機以上の空襲により、呉軍港在泊艦船のうち空母「信濃」「雲龍」戦艦「金剛」「榛名」が中破、重巡「熊野」「利根」「筑摩」、駆逐艦二隻が爆弾数発を被弾し、迎撃に出た三四三空の紫電改二三機が未帰還となった。

 いわば第二艦隊壊滅が一種のショック療法の働きを成し、帝国海軍自身が戦争終結へ向け態度を固め始めたのである。


 唯一、特攻作戦に関してだけは、初回の目覚ましい戦果、そして艦隊戦力よりは運用に融通が効いたために規模を拡大して繰り返される事がなし崩し的に決定され、帝国海軍が「徹底抗戦」を謳う表向きの姿を取るための生け贄として、若い命をいたずらに浪費させていった。

 なぜなら、沖縄沖航空戦のような目を見張る成功例は、もう二度と起こらなかったからである。




 やはり自分は、戦艦の艦長よりもおかで頭を使う仕事の方が性に合っていると、つくづく彼は思っている。

 何の因果か戦艦「伊勢」艦長時にレイテ沖海戦へ参じ、雨霰の敵機空襲をただひたすら回避し続けた結果、降爆回避の達人の一人として数えられているのは中瀬泝少将にとって決して悪い気持ちではないが、自分の本領とはまるで違う分野で褒められても……となるのは、人間としてありがちな話ではある。

 だからと言うべきか、シンガポールから戦略資源を運ぶ輸送船の護衛を、本土でドック入りさせねばならない艦艇に資源入りドラム缶を目一杯詰め込んだ上で行わせ、一気に還送してしまう北号作戦終了後に軍令部第三部長へ任じられた時は、肩の荷が下りたような気がした。北号作戦自体も、「伊勢」と「日向」が敵潜水艦の魚雷を一本食らった以外はさしたる被害もなく成功していたから、人事的にも彼の手腕を評価されての異動であった。


「これはどう考えても、米国から直に流されて来た情報としか考えられません」


 その中瀬は今、第三部第七課長山口捨次大佐からの報告を受けていた。まさに中瀬が自任している通りの、陸で頭を使うべき重要な案件がやって来ていた。


「外務省からの情報ですが、外相だった重光氏と今年の三月に接触のあったスウェーデン公使のウィダー・バッゲという人物から、一週間ほど前に米国政府の情報として『ソ連の対日参戦は確実』と言う話が伝えられて来たとの事で、これはスイスの藤村補佐官が三日前によこした電報の情報とも内容が一致しております」


 沖永良部島沖海戦から半月が過ぎた六月の下旬頃から、日本帝国は複数の中立国より、ソビエトの対日参戦はここ一ヶ月乃至二ヶ月以内に行われる公算が高い、というアメリカ発としか考えられない情報を受け取っていた。

 衝撃的な情報だった。なにせ日本帝国は、戦局の局地的大捷を弾みとして、ソビエトを仲介にした和平工作を画策していたからである。ただし、この場にいる海軍軍人たちや外務省を始めとする政府の人間は全く知らなかった事だが、陸軍参謀本部では「ソビエトのドイツ降伏後対日参戦は確実」という情報を、ヤルタ会談直後の二月中旬頃に入手していた。発信者はスウェーデン公使館附武官小野寺信少将で、以前から接点のあった元ポーランド軍人のミハイル・リビコフスキが入手したヤルタ会談の密約情報を参謀本部へ報せていた。

 その特大の機密情報はしかし、参謀本部内で握り潰された。一説によれば瀬島龍三中佐がそれを行ったとも言われるが、本人が否定し続け、その証拠もないため、真実は闇の向こうとなっている。

 参謀本部内の暗躍は結局のところ無駄に終わった訳だが、ソビエトの明らかな裏切りを告げるこの情報を当事者たちが信じるかと言えば、そうは問屋が卸さない。


「これは極めて重大な情報だ。至急、省側と協議しよう」

「分かりました――部長はこの情報をどうお考えですか? 課員の中には『我が軍の戦力を分散させるための謀略だ』とする意見が強いのです」

「その意見も一理ある。だが、何事も多角的に考えないといけないのも確かだ」


 中瀬は頭の片隅に、何か引っ掛かる物を感じていた。アメリカがこの情報を出してきたその真意、これを単なる謀略と切って捨てて良いのだろうか……? しかし今は、まだこれを上手く言語化出来ないでいる。そう、「伊勢」艦長としてエンガノ岬で空襲を回避していた時、目視していない何処から忍び寄ってくる敵機の気配を感じ取った時のような、むず痒いシグナルだ。

 そのためにも、早急に会議を開いて他の情報を突き合わせ、子細に検討しなければならない。


 軍令部及び海軍省の中堅幕僚たちは、この情報の信憑性を七分三分で本物と見ていた。彼らは対米戦に関し事実上匙を投げている状態だったから、ソビエトが攻めてくるという予想を比較的スムーズに受け入れる余地があったのである。小野田少将の情報を握り潰した陸軍参謀本部はほぼ半々で、例えばアメリカに関する情報を扱う第二部第六課では九割以上の確率でこの情報は正しいと見ていて、ソビエト情報担当の第五課も同じ判断を下していたが、第一部第二課(作戦課)では異論が噴出している状況だった。

 対ソ和平工作に望みを繋ぐ外務省や政府は別で、沖縄で善戦している日本軍の余力を割くために、対ソ戦準備を行わせようとするアメリカの謀略であるとする意見が大勢を占めていた。

 そしてその情勢判断は、満州の関東軍や樺太・千島防衛の第五方面軍から国境付近におけるソビエト軍兵力増強と物資備蓄の兆候を知らされ、若干の変化が生まれるも、総じて見れば特段の対処を指示するところまでは至らなかった。関東軍の場合など、前線部隊からの報告を受けてもなお楽観的な見通しを崩さかなったのだから、この時期のソビエトに対する絶対的戦力格差に起因する現実逃避は相当なものだった事が伺える。




 惰眠を貪る彼らを叩き起こす事態が発生したのは、アメリカからの情報が複数のルートで入ってきて三週間ほど経過し、沖縄では第三二軍が首里防衛戦で敢闘を続けていた、七月一五日の事である。

 その凶兆は、北からやって来た。


「――事故じゃないのか? そうか、分かった。大至急フネを回せ。何? よし、ご苦労。参謀招集を命じる。作戦室へ集合、私もすぐ行く。その他の指示は追って出す」


 本州最北の海軍後方支援組織がある青森県大湊町の大湊警備府では、緊迫した空気が漂っている。司令長官室に掛かって来た内線電話へ指示を出した宇垣莞爾中将は、足早に部屋を出て作戦室へ向かった。

 宇垣が作戦室へ入った時には、すでに参謀たちは全員が揃っていて、長官の姿を認め一様に視線を向ける。


「状況を聞かせてくれ」


 宇垣の第一声により、参謀たちの報告が始まった。

 北海道西方沖を哨戒中の大湊警備府所属特設監視艇「あけぼの丸」が、「我、国籍不明艦艇より攻撃を受く」という無電を最後に音信不通となったのが事の発端であった。無電発信時刻は今から約二〇分前、午前一一時過ぎ。座標を電文に載せる前に途絶えたためか正確な場所は不明だが、「あけぼの丸」が予定通りの哨戒航路を辿っていたとするならば、最後の無電発信海域は北海道神威岬より方位三一〇度、距離約一四〇海里(約二六〇km)の公海上となる。


「『あけぼの丸』の無電発信海域に最も近いのは、南に約七〇海里(約一三〇km)離れた区域を哨戒していた『榮福丸』で、すでに哨戒任務中止と『あけぼの丸』の救援に向かうよう命令を出していますが、到達予定時刻は翌〇一〇〇時頃です」


 参謀長鹿目善輔少将の報告に対し、宇垣は、「航空機も出そう」と命ずる。

 まもなく大湊警備府から北海道の千歳基地へ航空機による捜索出撃が下令され、一二一五時に九七艦攻が二機、相次いで滑走路を蹴った。続いて大湊警備府に停泊中の第一〇四戦隊海防艦「占守」「国後」に「あけぼの丸」捜索の命令が出され、こちらも順次出港していった。

 続報が入ってくるまでの間、作戦室内の参謀たちは「あけぼの丸」が国籍不明艦の攻撃によって沈没した可能性が高いと判断し、この仮定に沿って「国籍不明艦」は何者であるかを考えた。

 「国籍不明艦艇」という言い方から考えて、潜水艦ではない。もし潜水艦だったならばこの文面から考えて水上航行していた事になり、日本近海を航行する国籍不明潜水艦の行動としてはいかにも不自然だ。

 相手は水上艦だとするならば、正体は事実上、アメリカかソビエトのどちらかとなる。日本近海で艦艇を行動させられる国はこの両国しか存在しない。


「国籍不明艦が米海軍のものであると仮定しますと、この艦艇はどこから日本海へ入ってきたのか、という疑問が生じます。これまでのところ、宗谷海峡、津軽海峡、対馬海峡の各陸軍要塞から国籍不明艦艇が通過したとの情報は入ってきておりません」


 参謀の一人が指摘した。その場にいる他の軍人たちも同じ考えを抱いている。

 本土周辺を哨戒している九〇〇番台の対潜航空隊からも、敵艦隊接近の報せは全くない。


「米海軍の艦艇が仮に我が方の哨戒網を全て潜り抜けて日本海に入ったとしても、その必要性が薄いと思います。もし空母機動部隊のような大艦隊ならば、わざわざ日本海に入らなくとも、この前攻撃した呉、さらには横須賀などの太平洋に面した重要目標があります。小艦隊による遊撃部隊なら尚の事、潜水艦ではなく水上艦艇を用いる理由がありません」


 アメリカ海軍の艦艇である可能性は状況証拠的に否定されつつある。鹿目少将が宇垣へ視線を向けながら言った。


「やはり、米軍の線は薄いと考えられます」

「私も同感だ。これはソビエトの艦艇だと思う」


 宇垣の言葉に、作戦室内が一瞬冷気に包まれた。

 まだソビエト艦艇の仕業だと断定された訳ではないが、アメリカ相手に末期的な戦争を続けている今の帝国にとっては不吉どころではない一大事件である。

 そして時間の経過と共に、彼らの予想を裏切らない報告が次々に飛び込んでくる。

 一三四六時、千歳基地を出撃した九七艦攻一号機が「あけぼの丸」らしき残骸と油膜、そして自機に向けて手を振りながら漂流している乗組員数名を発見。

 その後、千歳基地所属機が交代で沈没海域へ派遣され、「榮福丸」到着まで付近の警戒と誘導にあたる。

 夜を徹しての九七艦攻の誘導が功を奏したのか、北上を続けていた「榮福丸」は日付の変わった一六日午前一時半頃に「あけぼの丸」沈没海域へ到着し、残骸に捕まっていた乗組員二名の救助に成功した。続いて午前四時過ぎに大湊から駆け付けた「占守」「国後」が現場海域に到着し、行方不明者の捜索に当たったが、乗組員を見つける事は出来なかった。その後、海域には「占守」が残り引き続き捜索と哨戒にあたり、「国後」は「榮福丸」の後を追い掛け合流し、二名を移乗させた上で大湊へ向かった。「国後」の方が「榮福丸」の倍近い速度を出せるからである。

 「国後」が大湊へ帰還したのは午後七時過ぎで、「あけぼの丸」乗組員二名はすぐさま海軍病院へ送られ軍医による診断が行われた。両名とも打撲と擦り傷、油を飲み込んだ事による悪心、脱水症状などが見られたが命に別状はなく、一七日に差し掛かる頃には大湊警備府の参謀を交えた事情聴取が始まった。

 彼らの口から語られた一部始終の内容により、「あけぼの丸」を襲った者の正体と、その背後に見え隠れする意志を日本帝国は知る事になった。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 扶桑型戦艦が活躍する二次創作なんて初めて見たかも知れません。とても面白かったです。続き期待しています [一言] うーんやっぱり多少上手く行っても日本が積んでいることは変わりが無いんですね。…
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