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海軍からの最終報告書に一通り目を通したアメリカ合衆国大統領ハリー・S・トルーマンは目元に指をあてがい、眼の疲労を紛らわした。コーヒーを口に含むが、香りを楽しむ気にはなれない。
空調の聞いたホワイトハウスの執務室内のはずなのに、彼の手の平はじんわりと汗を握っている。
理性的な顔立ちが少しやつれて見えるのは、トルーマンがほんの二ヶ月前に、閑職の代名詞だった副大統領から、世界で最も強く、最も偉大な国の大統領へ昇格を果たしてしまったから――そして今読み終わった報告書の内容にいささかの衝撃を覚えたから、であった。
六月一日から開始されたオペレーション・アイスバーグ……沖縄侵攻作戦は、日本軍側が水際における抗戦を放棄したため、上陸そのものは極めて順調に進捗した。
しかし、当初から懸念されていたように、この時期の沖縄は梅雨前線の停滞による天候不順と、台風の通過帯に入っている事による暴風雨の頻発が予期されており、アメリカ軍将兵の天への祈りも虚しく、三日頃から彼らの名付けた「バイパー台風」が、沖縄近海を通過し九州方面へ向かう事が確実とされた。
そしてこのバイパー台風が、アメリカ軍、正確に言えばアメリカ海軍第五艦隊第五八任務部隊へ文字通りの災厄をもたらした。
彼らは宿敵日本帝国海軍と比べれば、台風に接近した艦隊というものがどのような状況に陥るかという点において、経験と見識が不足していた(もし去年、レイテで大敗せずにフィリピンで戦闘を継続していれば、付近を通過していく台風に「学べた」可能性はあった)。
気象班の予報に従い、また、呉軍港から出撃したのが確認された日本艦隊を迎撃するため、沖縄北東洋上に避退した第五八任務部隊だったが、気象班の予報が針路・規模共に外れてしまったために、バイパー台風へまともに突っ込むという目も当てられない事態となる。
六月四日の正午過ぎからバイパー台風の暴風域に入り込んでしまった第五八任務部隊は、丸一日間荒れ狂う太平洋の猛威に曝され続けた。沖縄本島を掘り返す勢いの鉄の暴風をもたらしている彼らに、本物の暴風が襲い掛かったかたちだ。第五八任務部隊は隷下の部隊を四つに分割し、それぞれ第五八.一任務群(TG58.1)、第五八.二任務群(TG58.2)、第五八.三任務群(TG58.3)、第五八.四任務群(TG58.4)として行動しており、このうち被害が集中したのはTG58.1、TG58.2、そしてTG58.4の三個任務群だった。
これらの部隊に属する艦艇のうち、正規空母三隻が飛行甲板前部損傷のため艦載機発艦不能、軽空母一隻が艦載機焼失(固定ケーブルが引き千切れて衝突、火災)、一隻が艦載機破棄、戦艦四隻が軽微な損傷、重巡一隻が艦首断裂の大破、一隻が推進器破損、五隻がレーダー、通信アンテナ破損、軽巡四隻が中小破、そして駆逐艦が三隻転覆沈没、一六隻が損傷を受けるという大打撃を被った。艦載機も焼失、破棄含めて合計一九五機を損失する消耗具合で、必然的に、日本帝国海軍第二艦隊の迎撃は水上艦隊を用いたものとなった。
迎え撃つアメリカ海軍第五艦隊は水上打撃艦隊として第五四任務部隊(TF54)を編成しており、これは通常時は第五八任務部隊の各任務群に分散して配置され、それぞれ空母の護衛に当たっていた。そしてこの時のような水上打撃戦の場合は、護衛の任から外れて一つの部隊として行動するという性質を帯びていた。
その第五四任務部隊だが、本来ならば戦艦、重巡、軽巡、駆逐艦をバランスよく組み合わせた強力な水上打撃艦隊だった。ところが、バイパー台風の影響で主に軽巡、駆逐艦はまともな航行すら行えずに一部の艦は漂流する始末で、一つのまとまった艦隊として行動する事が全く不可能となっていた。そのため、日本艦隊に立ち向かう事が出来たのは最終的に、
戦艦「アイオワ」「ニュージャージー」「ミズーリ」「ウィスコンシン」「サウスダコタ」「マサチューセッツ」「ノースカロライナ」「ワシントン」
重巡「ニューオーリンズ」「ミネアポリス」「サンフランシスコ」「ウィチタ」「ボルチモア」
という、艦隊編成上極めてバランスを欠いた状態においてだった。
戦艦戦力で数の上では八対三と優位に立っているものの、出撃してきた日本戦艦は、昨年にレイテでオルデンドルフの旧式戦艦群六隻を叩き潰したあのヤマトタイプ二隻と、ナガトタイプ一隻である事が潜水艦の偵察により判明している。
無論、今回は全艦が新鋭戦艦であり、旧式戦艦たちとは数段格の違う戦闘力を持っている。レイテの時のように一方的な敗北を喫する事はありえないはずだった。
それでも懸念は残る。どうにか集合に成功した戦艦、重巡群は三分の一がレーダーや通信機器に損傷を抱えており、戦う前から戦闘能力の発揮に支障が出ていた。大荒れの海面に翻弄されがちな重巡たちは、突き進んでくる日本艦隊にどこまで有効な立ち回りが可能か不安視されていた。
言うまでもないが、撤退は論外だった。アメリカ軍は、沖縄を第二のタクロバン・ドラッグにするつもりは毛頭なかった。ナチス・ドイツが滅んで国内に厭戦の雰囲気が静かに広がりつつある今、沖縄上陸軍がすり潰されるような事態となれば、有権者たちは卑劣な奇襲を仕掛けて戦争を始めたジャップよりも、二度もアメリカの青年を守れなかった軍と政府を批判するだろう。それはすなわち、アメリカは日本に対して無条件降伏を迫るのではなく、講和を結んで早期に戦争を終結させろという一部の議会勢力を勢い付かせる事を意味する。
そして何より、アメリカ軍はレイテの復讐を誓っていた。彼ら自身の手で、一六万四千人の仇を討たねば絶対に気が済まない。撤退など、絶対にありえなかった。
その信念が、太平洋戦争最後の日米艦隊決戦、一九四五年(昭和二〇年)六月五日の沖永良部島沖海戦(アメリカ側呼称:沖縄沖海戦)を呼び込んだと言える。
「――沈没した戦艦と重巡は、『アイオワ』『ニュージャージー』『ウィスコンシン』『サウスダコタ』『マサチューセッツ』『ノースカロライナ』『ワシントン』『ミネアポリス』『サンフランシスコ』、大破、『ミズーリ』『ウィチタ』。その他全艦が中小破、か」
頭痛のし始めたこめかみに手を当てながら、押し出すようにトルーマンが言った。
「我がアメリカの誇る新鋭戦艦群が、ただの一度で壊滅するとは」
「しかしながら閣下、我が軍も出撃してきた日本艦隊を壊滅させました」
合衆国艦隊司令長官兼海軍作戦部長アーネスト・キング元帥の声だ。執務室の真ん中に置かれているソファに腰掛け、見掛け上の顔色は全く変える様子がない。
「日本海軍が出撃させた艦隊のうち、新鋭のヤマトタイプ二隻を含む戦艦三隻、重巡一隻、軽巡一隻、駆逐艦三隻の撃沈を確認しております。そして何より――」
性格破綻者と悪名高いキングが、南極の凍てつく空気を思わせる視線を大統領に向けながら続ける。
「日本艦隊の作戦目標であろう、我が上陸部隊に対する艦砲射撃を阻止する事に成功しました。TF54は、義務を果たしたのです」
「彼らの祖国と戦友に対する献身と犠牲はアメリカ史上例を見ない程のものである点について、私は疑いを抱いていない。そして、我がアメリカ海軍の被った損失が、有権者、ひいては議会に大きな衝撃、動揺を与える点についても同じだ」
アメリカ海軍第五艦隊第五四任務部隊は、祖国の海軍史に永久に残る奮戦と忠誠心を見せ、事実上消え去った。
進出してきた日本帝国海軍第二艦隊もまた、戦艦「大和」「武蔵」「長門」、重巡「鳥海」、軽巡「矢矧」、駆逐艦「朝霜」「霞」「島風」を失い、その他全艦が何らかの損傷を負って相討ちのかたちで壊滅した。レイテの再現を果たせず、作戦参加艦艇のうち中大型艦がほとんど沈没したのだから、紛うことなき日本帝国海軍の敗北である。
だが、この時の日米両海軍も、そして後世の歴史家たちも、こと両軍の喪失艦艇を比較した場合においては、いったいどちらが勝者で、どちらが敗者なのか、判別出来ないだろうと締め括っている。
「私がもう一つ憂慮している事は、日本艦隊との戦闘とは別に、日本軍の陸上航空戦力によって、空母『バンカー・ヒル』『フランクリン』が沈没した点だ。それも、報告書によれば、日本軍機は意図的な体当たり攻撃と、誘導ロケット弾らしき兵器を用いて、両艦を沈めた、とある」
トルーマンは、理解し難いという素振りで報告書をデスクの上に置いた。それでも全く変わらない調子のキングが私見を述べる。
「TF58からの報告によれば、日本軍機は明らかに、操縦ミスや被弾によるやぶれかぶれの悪あがきではなく、確固たる意志をもって我が軍の艦艇へ突入してきた、との事です。誘導ロケット弾については、日本に独力でそのような高度な兵器を作るだけの技術があるとは考え難いので、ナチス・ドイツからの贈り物を利用しているのではないかと考えておりますが」
トルーマンの言う意図的な体当たり攻撃と誘導ロケット弾――日本側の正式名称を神風特別攻撃隊というその十死零生の自爆攻撃が、初めてアメリカ軍に牙を剥いたのがこの沖縄戦からであった。
大戦中盤以降、加速度的にその艦隊防空能力を向上させていくアメリカ海軍に対し、それまでの正攻法による航空攻撃はほとんど通用しなくなっていた。開戦からのベテラン搭乗員も多くが戦死し、尋常のやり方では戦果を挙げ得ないと思い知った日本帝国海軍は、中央部で密かに特別攻撃兵器の開発を進める。
その動きとは別に、前線指揮官たちも特別攻撃の必要性を痛感しており、航空戦に造詣の深い大西瀧治郎中将が九州方面の航空作戦を担当する第五航空艦隊司令長官に就任すると、既存の航空機を用いた特別攻撃隊の構想が具現化していった。機数がある程度まとまって用意出来る零戦に二五番爆弾(二五〇kg爆弾)を装備し、敵空母へ突入する戦法の立案と、そのための訓練が推し進められた。
一方、アメリカ軍が「誘導ロケット弾」と認識していたのが、日本帝国海軍空技廠で開発が進んでいた有人ロケット特攻機「桜花」である。キングの認識は部分的に正解で、確かに日本には無人誘導兵器を開発・実戦投入するだけの技術力が足りなかった。その足りない技術を、人間自身が操縦する事で代用したのがこの兵器の核心であり、アメリカがこの狂気の事実を知るのは戦後の事だ。
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