101 はじまり
さて、それから。話をまた戻して。
学園の閉鎖、教会の闇、その他諸々の中でわたしたちができることを考えて――――わたしとニールは、旅に出ることにした。
お姉さんはしきりにと言ってくるので、一応、一年という期限は設定して。このザタナルグという国の中を、のんびり見て回るということだ。
その間に、闇属性であるということは一切隠さない。きっといっぱい酷いことをされるかもしれないし、昔のように殴られることもあるのかもしれない。だけど旅が終わる頃には、わたしたちを暖かく迎えてくれる人にも、きっと出会えているだろうと思う。
これが考えた末に、わたしができると思ったことだ。人を助ければ、好感を抱かれる。わたしへの好感は闇属性への嫌悪を緩和する。悪どいかもしれないけど、悪くないでしょ?
それに何よりも、ニールとまた旅をしたかったのだ。
二人で喧嘩したり、ご飯を食べたり、働いたり。そんな当たり前のことが、ニールの中で当たり前になってくれればいい。そういうニールを、わたしが見たいだけかもしれないけど。
お姉さんには話を通して、色々な準備を手配してもらった。個人的な楽しみも含まれていることに手を煩わせるのもどうかと思ったのだが、お姉さんは瞳を輝かせて「ハネムーンね! いいわね、いいわね、楽しんでいらっしゃい!」と快く、むしろ強く押されて、あっという間に用意されていた。
うーん、お姉さんの謎の恋愛ごり押しは、今思えば当たらずも遠からず。これも『希代の魔術師』の力なのか……?
ニールには、エルバードと話をしたときに、さらっと言ってさらっと別れた。それから準備に追われて、気がつけば出発日になっていた。
ちょうど、今日がその日である。
学園をしばらく下ったところに、大きな馬車が止まっていた。既に荷物は積み込まれていて、あとは乗り込むだけになっている。
「ハリエットさん……くれぐれも気を付けてねぇ……」
ぐすぐすと鼻を啜りながら、お姉さんがハンカチを振っている。その横ではユリエルがにこにこと、ヴィクターが呆れた顔をしている。
「大袈裟ですって。たったの一年ですよ?」
「ハティが王都に行っていた頃に比べると、短く感じるな」
「でしょ?」
その隣には、カレンちゃんとアルフがいた。
アルフの記憶は、どうやらあの日の途中で戻っていたらしい。わたしたちは今日までにたくさんの話をして、「親友」に戻った。その間でカレンちゃんは楽しそうに笑っていて、本当に、昔に戻ったみたいに楽しかった。昔わたしが王都から帰ってきたとき、期待していたのはこういう光景だったんだろう。
「アルフくんがわたしのことを忘れてた年数より短いし。ねえ、アルフさん?」
「ぐう……それは本当、悪かったって……」
「まあ、アルフくんが悪いわけじゃないけどさ。あ、なんでも、記憶を封じるときに他のこと考えてたから、そうなったんだって。ってことはさ、わたしのこと考えてたってことだよねぇ?」
にやにやと笑うと、アルフは眉を寄せて押し黙った。
ぎゅっと結ばれた唇が、何かを言おうと開閉する。
「……あのさ、ハティ……」
「うん」
「……………………俺、今度はお前のこと忘れない。約束する。だから、気を付けて」
アルフはいつにもなく真面目な顔で、そう言った。昔より格段に伸びた背丈に、見上げて頷く。思えばアルフとの出会いが、わたしの人生の始まりとも言えた。熱い手の感覚を、今でも覚えている。
……なんて、なんだか神妙なその表情が面白くて、ついにわたしは吹き出してしまった。
「おい! 俺は真面目になあ……」
「ははは、分かってる分かってる! アルフくんこそ、一年で忘れるなんて冗談でも言わないでよ!」
「ったく。ほら、カレン。何か言いたいことないの?」
ふいと顔を逸らしたアルフは、隣にいたカレンちゃんの背を押した。カレンちゃんは無表情で、けれどもどこか憂いた様子だった。そういう顔をされると、わたしも寂しくなってくる。
旅をすることは、ごく少数の人にしか知らせていない。当然ジュリアやマーシア、ギータもいなくて、顔を思い浮かべるとまた寂しく……。
「うお!?」
「笑って、ハティちゃん。――――待ってるから」
ぱちんと頬を叩かれ、目線をあげた先にあったのは、見惚れるほどのカレンちゃんの笑顔だった。とろりとした黄色の瞳は、いつも強かで綺麗だった。
そうだ、たった一年だ。カレンちゃんとの付き合いはそれこそ、わたしがおばあちゃんになったって続けるつもりだし。そんな長い未来のうちの、一年くらい。笑顔でいかなきゃ心配される。
「うん。待っててね。お土産楽しみにしておいて!」
「ありとあらゆる、美味しいもの……」
「しょ、消費期限とかあるから……」
冗談なのか本気なのか分からない言葉に笑いつつ、目線を上げる。カレンちゃんの隣にいるのは、どこかいつもと違う装いのサディアスだ。
「サディアスくんも。お土産何がいい?」
「土産はやはり、その土地柄が分かるものがいい。なおかつ、長期保存に適したものだと、願いに沿うかと」
「……えーと、カレンちゃんのじゃなくて、サディアスくんの」
言うと、何故かサディアスは一歩踏み出して、わたしの足元に跪いた。
「え!?」
驚いて後ずさるわたしに構わず、彼は腰にあった剣を、またしても何故かわたしに向かって恭しく差し出す。
「え?!」
どうすればいいんだ、なんだこれ。サディアスくんは何をしているんだ。
汗をかきつつ助けを求めれば、お姉さんと目が合った。……「受け取って」……受け取って? おーけー、サディアスの差し出している剣を受け取る。
うわ、重たい。こんなものを軽々振り回しているのか。
思わず剣を見つめていると、サディアスはさっと立ち上がった。何か知らないが、知人の前でこれ以上跪かれるのは正直堪えるところだった。助かった、と彼を見上げると、サディアスは、わたしの見間違いでないのならさっさと馬車に乗り込もうとしている。ように見える。
「あれー!?」
なんで!? お姉さん!?
「おい、んだよ、テメェ!」
見送りに興味がないのか、馬車付近で待機していたニールがチンピラのごとく声をかけている。そういえば、もう猫を被ることは止めたのだろうか。
「彼女に剣を捧げたので、主はハリエットさんになった」
「はァ!?」
「ええ!?」
そういう意味があったのかよ、これ?! 知らねえよ!!
騎士の儀式とか普通、ほら、前世の知識的に言えば、剣で肩を叩くとかそういうアレじゃないのか!? わたし、剣持たされただけじゃないか!
お姉さんを見れば、涙ぐみながらうんうんと頷いている。これの意味を教えてほしい。
「お姉さん、あの……」
「二人だけだと心配だったから、よかったわねぇ……これで夜道も安心……」
……確かに。
わたしとニールの二人旅というのは、わりかし危ないしな。属性はさることながら、わたしは女だし、ニールは比較的舐められそうな姿をしている。そして魔法戦以外に若干の不安が残る。
その点サディアスはばっちりだし、遠征のいろはも学んでいる。お姉さん、ハネムーンとかなんとか言いながらここもしっかり準備済みだったのか。
納得するわたしをよそに、ニールは勝手に一人で盛り上がっているようだった。サディアスが淡々としているので、彼だけが段々疲れ始めている。ぜーはーと肩で息をして、髪を掻き乱す。
「大丈夫だ。御者もできる。彼女の身の安全も約束しよう」
「あ゛あー!! そういうことじゃねー!! なんで俺様がこんな顔見知り程度の人間と昼夜を共にしなくちゃなんねェんだっつってんだよ! ハリエットの問題じゃねェ! 俺が困るだろうがよォ!」
ああ、サディアスくん、ニールは繊細だから……。
「これから親しくなればいい。剣を教えることも可能だ」
「ぐあぁぁ!! クソが、話が、通じ、ねェ……! クソッ、おいハリエット、こい!」
ずんずんとこちらへ歩いてきたニールは、わたしの手首を掴んだ。意図せず触れあった肌に、むずかゆい気持ちになる。
そうだよ、わたしは未だにニールにまともに話しかけられていない駄目な子だよ。馬車に乗ったら否が応でも話さなければならないし、その時に……と、思っていたのに。
勝手に一人でどきどきしているわたしを置いて、ニールはサディアスの前、いや全員のど真ん中でわたしの両肩を掴んだ。
「な、なに?」
「返事を聞かせろ」
……ん?
ぎらぎらとした紫色の瞳が、いっそ凶悪な目付きでわたしを射抜いている。
「……なんの?」
「な、ん、の? はー? 言わなきゃわかんねーってかァ!? それともなかったことにするつもりかよ。言ったよなァ――――」
『こ、告白、ありがとうニールくん! でもあれだ、今は先を急がなくてはならない。だ、だからわたしの気持ちは、帰ったら伝えるね』――――。
そしてそれと一緒に甦る、自分の軽率な行動。柔らかい感覚。ぐらりと目の前が揺らぐ感覚を覚えて、目を逸らす。
「……ん、あ、ああ……言った……ような、うん、言った……」
にーる、かおがちかい。
というか、顔が熱い。まてまて、わたしはなんでこんな、皆の前で問い詰められてるんだ? さっきまでサディアス同行の話をしてなかったか? あれ、時間が飛んでる? わたし、話を聞き逃した? 待って、おかしいな。それ、今、関係ある?
ジンくん、助けて。
「帰ってきたんだから、伝えてくれてもいいよなァ?」
目を逸らしたことを咎めるように、ニールがわたしのおとがいを掴む。不機嫌そうな顔が、にやりと歪んだ笑みを作る。ニールが笑ってる。
だめだ、死んじゃう。これ以上心臓が動くと、寿命が。わたしは一応、ニールよりあとに死ぬと(勝手に)決めているのだから。鼓動の回数云々は、迷信だけど。あれ、わたしはなにをいっているんだ?
ぐるぐると視界が回っているような気がする。なのにニールの手は緩むことなく、瞳は心の底までも覗くように透明だ。
逃げ、られ、ない……。
「……好き、だけど」
言った瞬間、わたしの体はニールの腕の中にあった。
遠くの方でお姉さんの歓声が聞こえた気がしたけど、気のせいであってほしい。
ぎゅっと強く抱き締められて、頬に当たる胸から、忙しない鼓動が聞こえる。ニールの顔は見えないが、腕の強さと鼓動の早さが、如実に物語っている気がした。
わたしが呆気に取られているうちに、ニールはわたしをがはりと引き剥がすと、そのまま小脇に抱えるようにして馬車まで引きずっていく。
「つーわけだから、邪魔すんな! いいな!」
そのまま荷物でも投げるがごとくわたしを積んで、ニールは御者台に乗り、手綱を取る。
ここではっとして、わたしは身を乗り出した。まさか今の、サディアスへの断り文句に使いやがったのか! わたしの一世一代の告白を!? えっ、このっ、外道!
今まさに出立しようとするニールに慌てて、サディアスが駆け寄ろうとしている。ユリエルは爆笑、ヴィクターはまたも苦笑、カレンちゃんとアルフは何やら話し込んでいる。
「ちょっと、ニール!?」
「待ってくれ、騎士として役目を……」
「きみたち本当、最高だよ! 同僚がこんなに愉快な笛吹きだとは思わなかった!」
「お互い苦労しそうだな、ハリエット……」
「――――お幸せにねぇ、ハリエットさん……!」
ぱたぱたとハンカチを振るお姉さんが、遠ざかっていく。いや待て、「お幸せに」って、一年で帰ってこいって言ったのお姉さんだからな。
サディアスはやれやれと首を振っていたが、どうだろう、追い付くだろうか。最初の目的地は告げてあるから、きっとそのうち来るだろうな。
馬車はどんどん速度をあげて、森を抜けた道を進んでいく。
ひとまず、わたしは身を乗り出して、ニールに向かって口を開いた。馬が駆けて、馬車が揺れ、風が吹く。負けないように声を張る。
「馬鹿っ、最低じゃないの! 皆の前でなんてこと言わせるんだよ! しかもサディアス誤魔化すのに使いやがって!」
「あ!? 別にいーだろうが、お前の気持ちなんてとっくに……分かってんだよ」
ニールの声は段々小さく、弱くなっていく。それに釣られるように、わたしの顔が再びじわじわ熱に苛まれていく。
ああ、うん、そうだよね。だってあのとき、わたしはニールにキスを……。
「ハリエット」
「うん」
「ありがとう。……全部」
呟くように言われた言葉は、吸い込まれるようにわたしの耳に届く。
囁かれた感謝の言葉。それだけで、わたしも、『わたし』の全ても肯定されたような気がする。
――――うん、こちらこそ。ニールと出会えてよかった。
「……お礼は、これから。もっと素敵なことがいっぱい、ニールがおじいちゃんになるまで続く予定だからね」
「そんときゃテメェはばーさんか? 想像つかねーなァ……俺も、お前も。歳を取るのか」
「そうだよ。でもまずは、若いうちを楽しまなきゃね」
「はっ、ババくせェ台詞」
ニールは笑ったが、人生は何が起こるか分からない。なんと言ったって、わたしは若いうちに死んでしまったのだから。そう思えば、ババ臭い台詞だって、いくらでも言ってやる。
いつか、ニールにこのことを打ち明ける日もくるのだろうか? ジンくんのことも? 今はまだ分からない。
「ともかくまぁ、まずはテメェん家だな」
そうそう。この旅を始めるにあたって、わたしの家族にこのことを言っておかなくてはならないから。ニールは一度来たことがあるし、猫被っていたし、教師だし。まあ信頼度は抜群だろう。
「道分かる? 着いたら何しよっか。したいこといっぱいあるんだ」
「んなもんお前、挨拶に決まってんだろ……」
「別に、それは普通のこ……と……」
言ったニールの耳が赤くて、わたしは思わず言葉を止めた。
え、挨拶って、そういう……?
不自然な沈黙で察したのか、ニールは一瞬だけ息を詰めて、それから溜め息をついた。
「……駄目か?」
「駄目じゃない。ニール大好き」
「――――ああクソッ、」
思わず飛び出た言葉に、ニールはひどい悪態混じりに台を蹴り上げた。かかる髪の隙間から見える、うなじまで真っ赤だ。
わたしの顔もきっと似たようなものだけど、なんだか楽しくなってきた。家に着いたら、ニールをあらためて紹介してあげなくちゃ。
……ヒュー、泣かないといいなぁ。
〈完〉
完結しました。
ここまで読んでくださった全ての方に深謝申し上げます。
感想などとても励みになりました。
かなり長い間だらだらと書いていたので、設定の齟齬や文体の変化、括弧の使い方等見苦しいところが多々あると思います。
今後は返信、内容や文面の改訂、また書ききれなかったところがあるので番外編など書けたらいいなーと思っております。
本当にありがとうございました。