悪しき力の正体・1
目が覚めて最初に思ったことは、「生きている」という実感をどこか他人事のように観察している自分は正常なのかだろうか、という疑問だった。
次に泣いているルナリアを置いてきてしまった後悔が、ジェレルの胸に押し寄せる。
死んでいる場合ではない――そう思うと、少し気力が戻ってきた。
「気がついたか!」
そばにいたユージーンが大声で反応する。
部屋の戸口に立っているティオが「殿下、大丈夫ですか」と言いながらベッドのほうへ駆け寄った。
「私はまだ死んではいないようですね」
「僕の目の前では死なせやしないさ。とはいえ、かなりヒヤヒヤしたが……」
「陛下の容体は?」
「レナーテ様がついている。傷は治るが、毒矢の影響で何かしら後遺症が出るかもしれない」
ジェレルはベッドから起きあがろうとしたが、肩を浮かせることもできなかった。
魔剣が刺さった傷口は塞がっているものの、出血が多かったせいで体に力が入らない。頭痛が思考活動の邪魔をする。
ルナリアはどうしているだろうか。
心配と後悔がジェレルを急き立てた。シーツをつかんで、やるせない思いをこらえる。
魔剣がルナリアの近くにあるのなら、いざというときは彼女を守るだろう――と何度も自分に言い聞かせた。この状況では、それだけが唯一の救いに思えたのだ。
「ルナリア嬢のことを考えているのか?」
普段なら冷やかすような口調のユージーンが遠慮がちに問う。
「ルナリアのこととなると、後悔ばかりです」
「ジェレルにも人間らしい部分があって安心したよ。普通の人間は日々後悔することだらけだというのに、ジェレルは子どもの頃から何もかもが優等生すぎて、同じ人間とは思えなかった」
「師匠も人間離れしているのに?」
ティオが目を丸くしてユージーンを見る。
稀代の魔導士は苦笑しながら首を横に振った。
「僕はジェレルにはじめて会った日のことをよく覚えているよ」
「へぇ、いつですか?」
「まだお互い少年だったな。ジェレルは今みたいに青白い顔をしていたが、きっぱりと『強くなりたい』と言った。『強くならなければいけない』と――」
ジェレルは横たわったまま、ユージーンを見上げた。
「師匠は私に『強くなるには何か代償が必要だ』とおっしゃいましたね」
「そうさ。得るものがあれば当然何かを失うことになる。だが、ジェレルはすでに代償を払っていたのだな」
「……代償?」
ティオが首をかしげた。
ユージーンは大きなため息をついて、悲しげに微笑んだ。
「ジェレル、前にも魔剣に血を吸わせたことがあるだろう?」
「えっ、いつ!?」
ティオが驚きの声を上げる。
「僕が魔導士として王宮に呼ばれる前――おそらく『裁きの雷』の力を発現させたとき、に」
ジェレルは黙ってユージーンを見つめた。
ユージーンの顔がこわばっている。
「手のひらに古い傷があった。かなり深い傷だ。刃物を握った痕のような……」
「転んでけがをした古傷です」
「そうか。今から5、6年前……いや、もっと前だろうか……王太子が行方不明になったという噂を聞いた。僕がジェレルにはじめて会ったのはその直後だ。国王陛下と王妃様から『ジェレルに会ったことを決して口外するな』と念を押されてからの拝謁だった。何か事情があるのだと察したが、初対面のジェレルは明らかにやつれていて、とっさに大病を患っていたのだと理解した」
ティオはユージーンとジェレルを交互に見る。
「何も知りませんでした」
「そりゃそうだ。僕だって王宮に呼ばれなければ、知ることのない事実さ。転倒とはいえ極度の貧血に苦しむほどの大けがだ。箝口令が敷かれるのも当然さ」
普段の調子を取り戻したユージーンの話しぶりにジェレルは安堵した。
後悔の念が大きいせいか、変に優しくされたり気遣われたりすると、どうにもいたたまれなくなるのだ。
(さすが私の師匠、察しがいい。あの日、あの夜――私は魔剣に引きずられるような形で見張りの塔へ登った。無我夢中だった)
ジェレルはそのときのことを思い出そうとしたが、記憶が曖昧でうまくいかない。
階段を駆け上がる途中で転び、見張りの塔にいた兵士ともみ合いになったことは、なんとなく覚えている。しかしその間も悪夢のような映像が脳内に映し出され、ジェレルの胸の内は恐怖と嫌悪感でいっぱいだった。
唯一はっきり覚えているのは――血まみれの剣を夜空に高くかざし、「間に合ってくれ!」と叫んだことだ。
(まだ少年と呼ばれる年齢だった私には、名前も知らず、どこにいるのかもわからない少女を助ける方法がなかった。そもそも剣が見せる夢は、ジュヌ王の記憶だと思われるものが多かったから、現実世界のできごととは認識していなかったのだ)
そう。あの夜、魔剣がビリビリと音を立てて青白い光を放ち始めるまでは――。
「それで、魔剣はどうなったのですか」
ティオは言いにくそうに口を開いた。
ウェイロンとともに矢で撃たれた国王を救出し王宮へ戻ったティオは、ジェレルとトレヴァーが対峙した場面には不在だったのだ。
ルナリアを取り戻せなかった上、国王どころか王太子ジェレルまでもが大けがをし、魔剣が傍らにないのだから、明らかに現王家は劣勢に立たされている。
王太子の側近であり、王宮護衛隊を率いる者として、ティオが責任を感じ、小さくなってしまうのは仕方のないことだった。
「魔剣はトレヴァーが持っている。魔剣が自らの意志であちらへ行ったと言うべきか。どうなんだ、ジェレル」
「わかりません」
ジェレルは正直に言った。
実際、長くそばにあった剣だが、何も知らないのと同じだった。
魔剣と呼ばれるくらいだから、ただの剣ではない。言い伝えでは「邪神を封じるために必要な剣だが、人の血を求めて戦いを好む」とされている。
確かに魔剣は常に相手の急所を突こうとするので、いつだってジェレルは必死でそれに抗った。
だから魔剣に意志があるかと問われたら、「ある」と答えるべきだろう。
(だが、あまりにも気まぐれで理解しがたい。あれが神の意志だとすれば、邪神もそういうものと考えなければならない)
人間の考える善悪と、神々の理が違うのなら、この世における正しさとは何なのか――?
(そもそも……今、ここは、人間の治める地で、時代とは人間が作るものと思い込んでいるが……実は神の造った庭で私たち人間がうごめいているだけなのかもしれない。……だとすれば、我々の考える善悪など何の意味がある?)
ジェレルは急に疲労を感じ、目を閉じた。
ルナリアのことを思うと時間が惜しいが、起き上がって動けない体では救出に向かうこともできない。つくづく人間の限界を感じる。
あくまでもジェレルは人間だ。脆い肉体と限りある知能で、あらゆることに立ち向かわねばならない。
今のジェレルにできるのは眠ること――ただそれだけだった。
「どこまで行くつもりなのかしら」
馬車の中で不満そうに何度もため息をついているのは、アレシアだ。
同行するのは、涼しい顔をした武器商人のウェイロンである。
「ちょっとそこまで……のつもりでしたが、今日は少し遠くまで行くことにしました」
「どういうことかしら。急に『国王陛下の命令でご同行願う』と言われて来てみたら、行き先もわからないまま、あなたと馬車で出かけることになるなんて……」
アレシアはわざとらしくため息をついてふくれっ面でウェイロンを睨む。
対するウェイロンは苦笑いを浮かべてつぶやいた。
「俺だって王宮から離れたくはなかったが、殿下の代わりに動けるのは俺くらいだからな」
「ジェレル様がどうかなさったの?」
「ま、巻き込んだお詫びにアレシア様には教えてあげますよ。殿下は……トレヴァーに刺されて重症です」
「なっ……! 戻って! 王宮に、今すぐ!!」
ウェイロンは今にも馬車から飛び降りそうなアレシアをつかまえて、彼女を後ろから抱き止めた。
「戻ってどうする?」
「わたくしがおそばについていなくては……!」
「アレシア様より適任の者が付き添っていますよ」
そう言うとアレシアはおとなしくなり、ウェイロンの腕をふりほどいて元の場所に座り直した。
ウェイロンは窓の外を見て小さなため息をつく。
「ついに邪神に近づいたのね。やはりトレヴァー様は邪神の側についたのかしら」
「さすがアレシア様、ご明察です」
「トレヴァー様が妖獣の群れとともに王宮へ攻め込んだ、と噂になっているわ。信じられないけど……あなたは見たの?」
「あいにく商談で王都を離れていましてね。王宮へ戻ったときには酷い有り様でしたよ。死人が少ないのが幸いでした」
「あなた、王宮の住人じゃないくせに……」
「まぁ、月の半分は王宮で寝泊まりしているから、すっかり我が家のような気分ですよ。アレシア様も俺と同じくらい入り浸っていますよね」
「わたくしは仕事です」
「俺も仕事ですよ」
アレシアはわざとらしく大きく息を吸い、憤懣やるかたない様子で息を吐いた。
いつもながら腹の中が読めない男だ。軽薄な雰囲気をまとっているが、ジェレルが誰よりも信頼し、自らの分身のように重宝している唯一の男でもある。
それゆえジェレルを誰よりも知る男だが、ウェイロン自体が厄介な部類の男なので、何かを聞き出そうにものらりくらりとはぐらかされてしまう。
しかしどこへ向かっているのだろう。
馬車はとっくに王都から離れ、山道に差し掛かっていた。
(この方角へ進んでいくと隣国へ出るはず。まさかフォガムの森の向こう側へ行くつもり?)
トレヴァーが拠点としていたティンバレン大公領の奥にはフォガムの森が広がっている。この森は別名「永闇の樹海」と呼ばれていて、迷い込んだ者は出てこれないとの迷信がある。
(でも、森の向こう側は隣国キルギード。国境はフォガムの山と森に接している。……そうよ、聞いたことがあるわ。確かノクタリス男爵がキルギード国王から直々に賜った小さな館がその地にある、と)
宝石商がキルギード帰りに話していたことをアレシアは思い出した。
同時に王宮での舞踏会にノクタリス男爵がファンヌを伴って現れた場面が脳裏によみがえる。
あの場にいた者たちはノクタリス男爵とファンヌの噂を口にしていたが、あれほどの人気者がめったに王宮に姿を現さないのは、何か理由があるはずだ。
ノクタリス男爵がキルギードに滞在しているという認識のアレシアは、あの場では漠然と「遠いからなかなか来ることができないのだろう」と思っていた。
(でもフォガムの森を突っ切ることができたら、ティンバレン大公の別邸とは意外に近い……)
そうなるとノクタリス男爵に対する印象がまったく違ってくる。
(噂の絶えない方だけど、まさか邪神を信奉する教団とやらに関係している可能性もある――!?)
アレシアがそう思い至ったのは、ファンヌに対する強い不信感のせいである。
それを示唆したのが目の前にいるウェイロンだというのが気に入らないが、結果的に彼はアレシアの愚行を外部からの影響だと庇ってくれたのだ。
あの日ファンヌの話を聞かなければ、アレシアがジェレルの私室に押しかけることもなかったのではないか。
(まったく気味が悪いわ。ファンヌは王太子妃を貶める噂を喧伝する目的でわたくしに近づいたのよ。それだけでも腹立たしいのに……)
「ねぇ、もうすぐ日が暮れるわ。どこまで行くつもり?」
ウェイロンはアレシアの問いを苦笑いで受け止める。
「行けるところまで行くしかないでしょう。今、動けるのは俺たちしかいないんだから」
馬車の揺れに身を任せ、窓の外へ目を向けたアレシアは、何度目かわからないため息をついた。
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