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第68話 女装男、ラブレターを貰う。

 校門の前で黒獅木アキラに絡まれ、銀城先輩に助けてもらった後。


 オレたちは昇降口でそれぞれの下駄箱の前に立っていた。


「もー、ホント、信じられないっ!! 何なのあの男!! ちょーキモいんですけどっ!!」


 そう言って、バンと下駄箱のロッカーの扉を閉めて、苛立ちを露わにする陽菜。


 どうやら彼女は余程、さっきの黒獅木の行動にご立腹な様子だ。


 タコのように頬を膨らませて、プンプンと、可愛らしく怒っている姿が見て取れる。


 そんな彼女に対して、花子は顎に手を当てて、思案気に口を開いた。


「……それにしても、あの男は、いったい何がしたかったのでしょう。青き瞳の者のことを、ひどく気にしていた様子でしたが…」


「身体目当ての変態でしょ、変態! 何がイケメン俳優よ! ただの変な奴じゃない!!」


 あいつは、黒獅木は、相手の演技を吸収し己の糧へと変えることができると、そう言っていた。


 その言葉から察するに、恐らく、オレのジュリエットの演技を見て、何か盗めないか考えて如月楓に接触してきたのだろう。


「‥‥‥‥」


 自身の下駄箱の前に立ち、オレは目を伏せ、考える。


 奴は、柳沢楓馬を‥‥過去のオレを知っていた。


 だが、オレの記憶の中に、黒獅木アキラなどという役者と会った覚えはなかった。


 子役時代に何処かのオーディションでニアミスしたか、それとも、覚えてないだけで一度は会話したことのある相手だったか。


 いずれにしても、今ここで考え込んでいても、答えが出てくることはないな。


 オレはふぅと大きく息を吐き出して、下駄箱のロッカーを開ける。


 すると、突如、中から―――大量の手紙の滝が飛び出してきた。


「うわぁっ!?」


 バサバサと音を立てて、手紙は足元へと落ちていく。


 足元にある手紙の山に視線を向けて見ると、そのどれもが、可愛らしい柄の封筒に入れられており、星やハートなどのシールで封を止められているのが見て取れた。


(な、なんじゃこりゃ……新手の嫌がらせか!? 奥野坂たちからの報復か!?)


 困惑した表情で固まっていると、花子が足元に落ちた手紙のひとつを手に取り「ふむ」と頷き、口を開いた。


「見たところラブレターですね。差出人は…普通科一年、塩崎晶子さん、もうひとつの方は…声優科一年、阿智森小春さん。他のものも見てみるに、だいたいが、一年生からのようですね」


「わ! すっごいじゃん、楓っち! これもロミジュリ効果って奴!?」


「うぬぬぬ…お姉さまを狙うライバルが、こんなにも……複雑な想いですぅ……」

 

 キラキラと目を輝かせる陽菜と、ムスッとした表情を浮かべる穂乃果。


 そんな二人の様子に引き攣った笑みを浮かべた後、オレは、手紙のひとつを拾いあげた。


「……ど、どうしましょう、これ……」


 男の状態なら喜ばしい事態かもしれないが、今のオレは女装の身である。


 勿論、女性同士の恋愛というのにも一応は理解がある方ではあるが……当然、その想いを受け入れることなどできるはずもない。何と言ってもオレはれっきとした男、だからだ。


 もしかして、これ、全部、本人の元へ赴いて一人ずつ断わらなきゃいけないのかな……うぅ、何だか騙しているようで気が引けるな、これ……。罪悪感バリバリだわ…。


 目の前の光景に唖然とし、とりあえず目算三十枚はありそうな手紙の山をひとつずつ拾って、鞄の中に仕舞っていく。


 ちょうど全部拾い終えた頃、ゴーンゴーンと、始業のベルの音が鳴り響くのが聴こえてきた。


 その音に、陽菜は慌てた様子で手に持っていた上靴を履き、踵をトントンと床に打ち付ける。


「あっ、やっばっ! じゃっ、アタシはここで! ばいばい、穂乃果、楓っち! また昼休み!」


「フランチェスカさんも、もう行くとします。それでは、さようなら、二人とも」


 そう言って、モデル科である陽菜と声優科である花子は、それぞれのクラスがある別棟へと向かって廊下を小走りに歩いて行った。


 それと入れ替わりに、銀城先輩がオレたちと合流し、気さくに声を掛けてくる。


「せっかく朝、一緒になったんだから、途中まで一緒に行かない? 二人とも」


「はい、ぜひ」「はいですぅ!」


 銀城先輩が先行する形で、三人で、上階へと続く階段を登って行く。


 俺たち一年女優科の教室は四階にあり、三年女優科の銀城先輩の教室は二階にある。


 最上級生の教室は基本的に下の階にあるため、上級生の階層を通る度に、登校するのが楽で良いなと、毎回そう思うのが日常の光景だった。


「楓さん」


 銀城先輩は階段を登りながら、前方からそう肩越しに声を掛けてくる。


 オレは穂乃果と並んで一緒に階段にを登りながら、言葉を返した。


「はい、なんでしょう、銀城先輩」


「三日前の舞台、とても素晴らしいものだったよ。僕も役者としてそれなりの自信があったけれど…正直、完敗した。君の演技には、神が宿っていた」


「ありがとうございます」


「身体の調子は大丈夫なのかな? 演劇が終わったのと同時に君が倒れたのを見た時は、正直、声が出なかったよ。とても心配だった」


 本当に、この先輩は良い奴だな。


 オレは軽く頭を下げて、銀城先輩にお礼を口にした。


「お優しい御言葉、痛み入ります。ですが現在は見ての通り、回復しておりますので、ご心配には及びませんよ」


「そっか。それなら良かったよ。君の身体に傷でも付いたんじゃないかと思うと、夜も眠れなかったものだからね」


 そう言ってホッと胸を撫でおろした後、銀城先輩は階段の踊り場に立ち、オレを見下ろして、静かに開口した。


「恐らく、君は、これからどんどん有名になっていくと思う。だけど、有名になるということは、色々な人間に目を付けられるということでもあるんだ。さっきのようにね」


「はい。どうやらそのようですね」


「先輩として、ひとつ、忠告しておくよ。脅かすようなことを言うかもしれないけれど…今後、もしかしたら、君のストーカーのようなものも出てくるかもしれない。君は強いかもしれないけれど、けっして油断しないように。十分、身の回りには気を付けてね」


 その言葉に、隣にいる穂乃果は胸の辺りで両手の拳を握り、ムスッとした表情を浮かべる。


「お、お姉さまのストーカーだなんて、ゆ、許せないですぅ!! そんな不届きな輩、穂乃果が絶対に成敗してみせますですよぉう!!」


「ははっ。穂乃果さんのような頼もしい妹分がいるのなら、楓さんも安心だろうね。でも…君は極力、表だって無理はしない方が賢明かな。時には、暴力沙汰のような事案が起こるようなこともある。そんな時は、僕か楓さんに解決を任せた方が正解だ」


「それは……そうですね。いっつも忘れそうになりますけど、お姉さまはすっごくお強いのでした。穂乃果を痴漢から助けてくれた時なんて、ほんと、うっとりするくらいにかっこよかったですよぉ!!」


 キラキラと目を輝かせてオレを見つめてくる穂乃果。


 そんな彼女にコホンと咳払いした後、オレは階段を黙って登って行く。


 そして、二階に辿り着いた後、銀城先輩と別れ、オレと穂乃果はそのまま一年女優科の教室へと向かって階段を登って行った。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 その後、何事もなく時間は進んで行った。


 三時間目。国語の授業を話し半分で聞きながら、オレは、窓の外にあるどんよりとした梅雨の空をボーッと見つめる。


 何だかこうしていると、以前通っていた学校――瀬川高校にいる時と何ら変わらないような気がするな。


 オレは、基本的には友人は少ない方で、クラスではいつも一人でいることが多かった。


 中学の時なんて、この見た目のせいで、いじめられたこともあったからな。


 今思えば、あの頃のオレは、本当に心が死んでいたと思う。


 クラスメイトにボコボコに殴られても無感情。目の前で給食をひっくり返されても、無反応。


 母が死んで、イップスを発症し、役者を辞めて、もう全てがどうでも良くなっていたんだと思う。


 中学の時のオレは、完全に自暴自棄になってしまっていた。


 だけど‥‥そんなオレを、友達として見てくれた、大馬鹿野郎たちがいたんだ。


『―――――おいおいおい、いじめなんてダセェことやってんじゃねぇぞ!! 確かにそいつはムカつくほどのイケメンだが、だからって僻んでんじゃねぇぞ! クソ童貞ども!!』


『同感だな。珍しく意見が一致したじゃないか、彰吾』


 中学二年の夏。


 河川敷で、同級生たち六人に囲まれてボコボコにリンチされていた時、オレの前に、見知らぬハゲと眼鏡が現れた。


 ハゲの名前は、桐谷 彰吾。眼鏡の方は、有坂 透。


 彼らは同じクラスの、同級生たちだった。


『大丈夫ですか、柳沢くん!!』


 そう言って駆け寄ってきたのは、隣の席に座っていた、おさげ髪の少女……一言も喋らないオレなんかに対してずっと熱心に隣の席から話しかけてきてくれていた、学級委員長の牧草 深雪だった。


 この三人が、中学の時にできた…オレの『初めての友達』という奴だった。


 父に捨てられ、自暴自棄になっていたオレの味方になってくれた、唯一の友人たち。


 今の学校の友人も勿論大切だが、以前の学校の友人であるこいつらも、オレにとっては大事な親友たちだと言える存在だろう。


 中学校からの友人である、彰吾、透、牧草さん。


 そして、花ノ宮女学院の、穂乃果、陽菜、花子。


 どちらも、オレの大切な友人たちだ。


「………ん?」


 その時だった。


 ブレザーのポケットの中に入れていたスマホがブブッと震えるのが分かった。


 国語の教師にバレないようにスマホを取り出し、机の下で画面を点けてみる。


 すると、そこには、噂をすれば何とやら…花ノ宮女学院に入ってから疎遠になりつつあった友人、桐谷 彰吾からのレインの通知だった。


 レインを開いてみると、そこには一言、こう書かれていた。


『おい、イケメン男。今日の夜、合コンに付き合えや』


「こいつは‥‥相変わらず女のケツにしか眼中にねぇのか‥‥」


 思わず、呆れたため息を吐いてしまう。


 その後、既読無視してやろうと、スマホをスリープモードにしようとして――ふと、手を止める。


 最近、あの男と遊ぶ機会もめっきり減ってしまっていた。


 確かに、花ノ宮女学院での生活が、今のオレには何よりも優先すべきものであるのは事実だが……たまには旧友との親交を深めるのも悪くはない、か。


 まったくもって合コンには興味はないが、仕方ない。


 久々にあのバカの遊びに、付き合ってやるとしよう。


「夜って何時からだよ、エセ天パ野郎…っと」


「―――――――では、ここの文を‥‥そうですね、如月さん、読んでください」


 スマホに目を向けていたら、国語の教師が、オレに名指ししてきた。


 オレは慌てて席を立ち上がり、返事をする。


「あっ、は‥‥‥‥はいっ!!」


 ガタッと机から立ち上がって、オレはスマホをポケットに戻し、机の上にある教科書に急いで目を通す。


 や、やべぇー、話、まったく聞いてなかったから、どこを読めば良いのかまったく分からねぇ…!! ど、どうしよう…!!


「お姉さま、ここです、ここ」


 前の席に座っていた穂乃果が、自身の教科書に指を指し、アシストをしてくれた。


 やはり、持つべきものは友人なのかもしれないな。


 オレは穂乃果の助けで、何とか、この窮地を乗り越えることができたのだった。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


《???視点》


「ねーねー、知ってる? あの最近何かと有名な女優科一年の如月楓ちゃん、今日、校門の前で男の子に言い寄られていたらしいよ?」


「まぁ、あんだけ可愛いんじゃ、モテるのも当然なんじゃないの? 私、ロミジュリの舞台見に行ったけど、なんつーの? あの、妖艶さ? にドキッとしたもん。同性でも抱きたくなったわ」


「は? 何、あんたそういう趣味なの? 引くわー」


「いやいやいや、一度あの子の演技見てみなって! 表現すんのムズイんだけど、何かこう、とんでもないから!!」


「ふーん? まぁ、その話は一度置いておいて……。今朝、楓ちゃんに言い寄っていた相手って……噂によると、あの人気若手俳優の、黒獅木アキラだって話だよ?」


「え……えぇぇーーーっ!?!? そ、それって、すんごいスキャンダルなんじゃないの!? というか、楓ちゃん、何て返事したの!? 私だったらあんなイケメンに言い寄られたら、即OKしちゃうけど!?」


「それが…返事を返す前に、楓ちゃんは渡さないって、銀城先輩が間に割り込んだらしいのよ」


「えぇぇぇぇぇぇーーーっ!?!?!? 何なのあの子、イケメンにモテすぎじゃん!! やっばぁ…。あの子、双方のファンに刺されなきゃいいけど……」


「………」


 廊下を歩いていると、そこかしこから、如月楓の噂が聴こえてくる。


 ――――女優科一年、如月楓。


 彼女は、入学して間もなくして痴漢から友人を助けて、一躍その名を学校中に広めだした、謎めいた人物だ。


 噂によると、三年女優科の銀城遥希とも親交が深く、加えて、二年女優科の問題児、奥野坂京果をシメて舎弟にしたとも聞く。


 入学して数か月で、普通、そんなことができるのだろうか。


 この学校は古くから最も尊敬する先輩を「お姉さま」と呼ぶ風習があるのだが……如月楓は一年生だというのに、同学年の生徒たちから畏敬を込めて「お姉さま」と、既にそう呼ばれているらしい。


 何なのだろうか、あの少女は。


 正直言って、わたくしは……一度も会ったことがない如月楓を、酷く嫌ってしまっていた。


 だって、あの子は、わたくしがやるべきだった……『生徒を護ること』を、たった一人で、難なくやってしまったからだ。


 一年の後輩が、いじめ問題を解決して、さらに問題児を更生させる……。


 それも、一年生の間では、既に顔役として広く知れ渡っている如月楓が。


 その影響で、今年度から新しく入った生徒会長など、一年生の間では名前すら出ない。


 先輩として、ううん、この学校の生徒会長として、これは、あまりにも不甲斐ない結果といえるだろう。


「………会長? お顔の色が優れませんが大丈夫でしょうか?」


 そう言って、まっすぐと切り揃えた前髪で両目を隠した、三つ編みの生徒がわたくしに声を掛けてくる。


 わたくしは、そんな彼女に首を振って、笑顔で答えた。


「大丈夫ですわよ、明美さん。さっ、昼休みの間にいち早く仕事を済ませましょう」


「はい」


「ええと……学校内でいかがわしい違法な商売をなさっているのが、一年モデル科の春日陽菜さんと、一年声優科の佐藤花子さん、で、問題ないですわよね?」


「はい。如月楓ファンクラブ内に忍ばせた密偵が、このような写真を入手しましたから。間違いは無いかと」


 三つ編みの女子生徒――明美さんはそう言って、一枚の写真を、わたくしに手渡してきた。


 その写真を見て、わたくしは思わず眉間に皺を寄せてしまう。


「……まったく。この清廉なる淑女の花園、花ノ宮女学院でこのような写真を売りさばいているとは……許し難いですわね。やはり、芸能科の創設が、この学校をこのような状況に陥れた要因だと言えますわ」


「本来、花ノ宮女学院…いえ、桜丘女学院は、上流階級の子女が通う由緒正しき華族学校だった。ですが、花ノ宮家が桜丘家からこの学校を買収し、芸能科を創設してしまったせいで、淑女の学校という伝統が崩れつつある……そうですよね、会長」


「その通りですわ、明美さん。わたくしは、在学中にこの学校を元の姿に戻したい…と、そう考えています。それが、花ノ宮女学院生徒会長、二年普通科であるこのわたくし、桜丘 櫻子の役目だと、そう思っていますから」


 そう言って、わたくしは、ウェーブがかった蜜柑色の長い髪をフワリと、空中に漂わせた。

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