第21話:一矢
「あははははぁっ! 勝てるわけがないんだよっ! ちょっとでも気を抜けば、また操ってやる。精神支配をレジストしながらの戦闘は、さぞ気が休まらないだろうなぁっ! ほらほら、〝止まれ〟っ!」
「ぐっ。くそ、汚らわしい天人めが。まだですか、あいつは」
先程から、ティリスはマクシスの体を駆け上がっては、〈精神浄化〉や氷の爪によって払い落とされることを繰り返している。
そして徐々に、自分の精神が侵されていくのを感じていた。
たとえ竜の背から振り落とされた衝撃で、一瞬意識が散じただけでも、容赦なくマクシスのスキルが精神に侵入してくる。
これ以上戦っていたら、いずれまた屈辱的な隷属に逆戻りだ。
「アーレクぅー? どぉーこだぁー? オレはさぁ。お前だけは許せないんだよぉ。オレから全部を奪っていったお前がなぁ。ミリコを渡しな。そうすれば、サンドラだけは殺さずにおいてやってもいいぜ。代わりに、オレの奴隷にするけどなぁ」
気がふれたように笑いながら、マクシスは竜の巨体をくねらせる。
その前に、アレクが現れ、マクシスの目をにらみ返した。
「サンディに手を出してみろ。俺は絶対、お前を許さない」
「はぁーっはっは。許さなきゃどうすんだぁ? お前のスキルと位階じゃたとえミリコの力を借りても、〈支配者〉級のスキルで構築されたこの体には、傷一つつけらんねえだろうが?」
竜の巨体を駆け上がり、ティリスが斬撃を放つ。
額にいるマクシスの元までたどり着いたところで、氷によって複製されたゴーレム腕で双剣を防がれた。
「アレクッ! もう限界です! さっさとなさい……!」
「は? 何を言って……」
マクシスが怪訝に思いアレクを見下ろす。
と、アレクの表情には、会心の笑みが浮かんでいた。
「今だ! ティリス!」
アレクが絶叫する。
瞬間――、亜音速で一本の矢が飛来。
矢はマクシスの左目を貫いた。
「が、あっ!」
アレクは霧に入る前、樹上からアレクたち一行を監視していたビュッデ商会のシューマス・ビュッデに気づいていた。
彼はその手に、細い体には不釣り合いなほど巨大な器械式の弓を装備していた。
……あれほどの大きさなら、位階による補助がなければ持ち上げることさえままならないであろうほどに、大きな弓を。
ということは、シューマスは商人としての顔だけではなく、戦士としての顔も持っているのだろう。
そう断じ、アレクは一つの作戦を決行した。
矢はマクシスの脳を吹き飛ばしながら貫通。
それと同時、ティリスの双剣がマクシスの首を叩き落とした。
その凄惨な光景に、アレクは一瞬目を背ける。
ティリスが吐き捨てた。
「危ないところでしたね……。まったく、遅いじゃないですか。それで? この矢は一体、どういったカラクリですか?」
「実はここ、森の入り口のすぐ近くだって、気づいてるか? まぁ、まだちょっとは距離があるけどさ。位階100以上がごろごろいるこの地上なら、このぐらいの距離を射通せるやつも、結構いるんじゃないかと思ってね」
アレクは女王蜂からジガ、ジガからシューマスへ、視界を飛ばした。
始めはジガのことを魔物だと思い打ち払おうとしていたシューマスだったが、ジガから視界を受けとったことで、何かしらの意図があることに気づいた。
聡明なシューマスは、氷の竜と化したマクシスの姿を一目見ただけで、ある程度の状況を察したようだ。
彼は凄まじいまでの弓の腕で、マクシスを射貫いた。
マクシスもまさか、霧の外から攻撃が飛んでくるとは思っていなかったのだろう。
その一瞬の隙を突かれ、ティリスに首をはね落とされたというわけだ。
ミリコが剣形を解く。
「マクシス。本当に、バカなやつ」
憐れむように見下ろすミリコに、ティリスが赤い宝石を渡した。
「こんなに汚らしく輝く聖紅晶があるとは思いませんでした。私はこれ以上触れていたくもないもので、あなた方が持っておきなさい。――あぁ、首をはね落とした際に多少傷がつきましたから、復活は絶望的でしょうが」
「そっか……」
幼馴染を失ったミリコの胸中に、どのような思いが去来しているのか、アレクには想像もつかない。
ただ、一気にクラスメイトが二人減った、という事実が重く心にのしかかるだけだ。
二十八人いたクラスはマイス、ネオ、イリア、エミーリヤに続き、マクシスまでをも喪い、もう二十三人しかいない。
「さて。これで、共闘の理由はなくなりましたね。アンヌまで喪った今、せめてあなたの目のスキルと、あそこで倒れている〈聖勇者〉のカケラぐらいは持ち帰らなければ、割に合いません」
ティリスはイシュカのことを〝カケラ〟扱いした。
「おっと。アンヌがいないなら、俺とミリコで二対一だぞ。全力で抵抗させてもらうからな」
「バカですか、あなた? 片腕だけで何が出来るというのです? 正直、アンヌを殺されたことに関してははらわたが煮えくり返っているんですよ。今この場で殺されないだけ、感謝なさい」
ティリスが双剣を構える。
と、その頭上へ、大木より巨大な雷が落ちた。
「来てくれたか!」
見上げた先にいたのは、空を舞うサンディとファビュラ、それからファビュラに抱きかかえられたシルヴィアの三人だった。
エミーリヤが呼んでいた援軍が、ようやく到着したのだ。
サンディは無言のまま、〈雷の魔帝〉たる力を振るう。
「くっ! さすがに、この数が相手では……!」
ティリスが舌打ちする。
傷ついたアレクのもとへシルヴィアが駆け寄った。
「アレクくん、大丈夫? え……エミーリヤちゃん? マクシスくんまで?」
「一体、どういうことですの? これは……まさか、メアラディ潜入部隊が半壊?」
「と、とにかく、アレクくんの腕を治したら、二人も治療するわ。大丈夫、聖紅晶さえ無事なら、私なら復活できるから……」
そう話すシルヴィアに、アレクはゆっくりと首を振った。
「もうダメだ。二人は……エミーリヤはもう聖紅晶がない。マクシスも……」
「そ、そんな……」
「サンディ。ファビュラ。あの〈樹神族〉に似た女を拘束してくれ。それから、そこに転がっている騎士も。〈聖勇者〉に繋がる大事な道しるべだから」
「まったく。ひとつ、忘れているようですね」
サンディとファビュラが構えるのを見て、ティリスは肩をすくめた。
「私には〈隠形〉スキルがあるんですよ? 異空間を開ける〈隠密〉系のスキルでならこの空間を突破できると、マクシスが教えてくれましてね」
瞬間、ティリスの姿がかき消えた。
アレクは〈無形〉どころか〈隠伏〉の下位スキルである〈隠形〉で隠れたティリスの位置など、簡単に見破れるが……
この中の誰も、異空間への攻撃手段を持っていなかった。
スキル能力の非対称性が、今度はアレクたちにとって不利に表れた形だ。
「この女騎士と、アンヌの遺体はもらっていきます。今日のところは、痛み分けとしましょうか。……ですが、アンヌの仇はいずれ必ず取らせてもらいます」
最後にその言葉を残し、ティリスは去った。
アレクはへなへなとその場に崩れ落ち、小さなサンディにすがりつく。
「サンディ、疲れたよ……」
サンディもまた、アレクの頭を小さな胸でかき抱いた。




