第14話:イシュカ
(ミリコ、どうだ? 〈精神感応〉の圏内に二人はまだいるか?)
(いない。たぶん、〈隠伏〉で逃げた)
アレクは今、両腕を背中側でつかまれ、無理やり歩かされていた。
アレクがいかに力を入れようとも、黒いエルフ……アンヌの手からは逃れられそうにない。
それほど絶望的な力の差が二人の間にはある。
(そっか……。エミーリヤが〈隠伏〉を覚えていて良かった。方向感覚は狂っても、〈隠伏〉で別空間から霧の外まで突っ切れば、何とか無事抜けられるだろう)
(アレクがあの場で叫んだのも良かったよ。多分、マクシスたち、ティリスが霧に入った瞬間を狙って一斉に攻撃するつもりだったと思うー)
(だろうね。この霧は基本、出ようという意志に反応して、感覚を狂わせるものだから。戦闘行為なら、まだ影響は少ない。マクシスはともかく、エミーリヤならやりかねなかったかもな)
白と黒のエルフに連れられたアレクは、剣の姿で腰に収まっているミリコと精神感応スキルによって対話していた。
ジガはあの場に打ち捨てて来ている。
今はもう、女王蜂の救出や、エルフの秘薬についての情報の調査なんて言ってはいられない。
二人のエルフを〈天資の学院〉の生徒たちの隠れ家、ラックベル山の北にあるフレネク山の遺跡に近づかせないことが、現在の最優先事項だ。
先頭を歩くティリスが言った。
「さて。調査と言っても、何から手を付ければいいのやら。さっさとバルトロッサの死体でも見つけて帰りたいものですが。――あなた、〈聖勇者〉の死んだ場所に、心当たりはありませんか」
「知るわけない。この霧を作って逃げるのが精一杯だった」
「本当ですか? かなり大掛かりな仕掛けに見えますが。逃げるので精一杯な連中のやることにしては、手が込みすぎています。私の推測では、特にあなたは慎重な性格のようだ。きっちり、聖勇者の死ぬところを確認しているものだと思っていたのですが」
「俺たちがやつらと一戦交えられない理由、あんたなら分かっているんじゃないか?」
ティリスにはアレクらのスキルが筒抜けだった。
力の位階についても知られているに違いないだろうが、どこまで情報が漏れているのか、一つ一つ確認しておきたかった。
そのため、鎌をかけたのだが……、
「そうやって、何とか情報を引き出したい気持ちは分かりますが……。その態度、癪に障りますね。アンヌ!」
ティリスの勘気に触れてしまった。
黒きエルフが無言でアレクの腰から剣形のミリコを奪い取る。
「ミッ、ミリコ!」
「次、私を試すような真似をしたら、この剣を折ります。……で。帝国の聖騎士団と一戦交えられない理由とやらを、言ってみたらどうですか」
「……俺たちの力の位階は、地上の人間に比べてかなり低い。聖勇者は最大で位階1450にまで達していた。俺たちは1450どころか、位階100以上の大人すら見たことがなかった。位階なんて二桁……99が上限だとすら思っていたんだ」
「へぇ、そうですか。でも、それは戦えない理由としては弱いかと思いますけど。それほどの位階差があっても、あなた方の中にもいるであろう〈鑑定〉系のスキル持ちにスキルを調べさせ、充分に対策を立てれば、位階差をひっくり返せるスキル持ちもゴロゴロいたんじゃないですか」
「おっ、俺たちは天の島でずっと平和に暮らしていたんだぞ。それを、訳も分からないまま天から墜とされて。戦いたいなんてやつ、誰もいなかったんだ。本当に、〈隠密〉系のスキルで森じゅうに霧の噴霧器をバラまくのが精一杯だった」
今ここで、エミーリヤがいたら、もっと、つらつらと嘘を並べていたかも知れないが。
嘘をつくことに心理的忌避感のあるアレクにとっては、たったそれだけの嘘をつくのでも冷や汗の出る思いだった。
「ま、そういうことにしておいてあげましょう。では、最初に聖勇者を見た場所に案内なさい」
「あ、あぁ。もう少し上だ」
答えながら、アレクは必死に頭を巡らせていた。
先程、霧に入る前に、〈千里眼〉で見つけた第三者。
その存在に気づいていなかったことから、二人のエルフには目のスキルがない公算が高い……。
現状では、そのことだけが救いだ。
そして、〈隠密〉系の上位スキルを使えば、霧の結界を抜けられるということにも、おそらくはまだ気づかれていないはず。
となれば、まだ充分、二人のエルフを霧の中に置き去りにし、逃げおおせられる可能性が残っていると言えるだろう。
霧に入る前はティリスに「死ぬのはあきらめている」と告げたアレクだったが、無闇に死を選んで、サンディを悲しませたくはない。
死は最後の選択だ。
それまではあがいてみせるとアレクは決意する。
* * * * *
「そこかしこに、食い荒らされた聖騎士どもの遺体が散らばっていますね。聖騎士ら、同族食いを始めましたか。いい気味です。メアラディから調査に入った兵士も何人か混じっているのかも知れませんが……」
霧の中の状況は、凄惨を極めた。
数刻も歩けば人骨を目にする有様で、いかにアレクたちの作った【迷いの森】の結界が効率的に騎士たちを無力化したか、思い知らされる思いだった。
「しかし、どの遺体もご丁寧に聖紅晶が抜き取られていますね。当人同士が奪い合ったのもあるでしょうが。あなたたち、結構な収穫だったんじゃありませんか?」
「……俺の友達は〈剣聖〉スキルを手に入れていたよ」
ここで嘘をついても、面倒になるだけだと判断したアレクは、素直に聖紅晶を刈り取っていたことを白状した。
「へぇ。あなたたちにとってはそこそこ程度のスキルでしょうね。我々がどれほどの思いで得たスキルかなんて、知らないでしょう。帝国のイヌどもは嫌いですが、あなた方にスキルを奪われたなんて思うと、多少は同情してしまいますね」
「……なぁ。なんで、俺たちはそこまで恨まれているんだ? 俺たちのご先祖様が何かしたのだと思うが、もう千年も昔の話だろ?」
「本当に……神経を逆撫でする存在ですね、あなた方は。あなた方に地上の卑しい食物が合わない理由。空には目もくらむばかりのスキルが揃い、地上にはいまだに開発されていないスキルがいくつもある理由を考えたら、多少は推測できそうなものですが」
ティリスの言葉は淡々としているが、端々から棘を感じ、アレクは戦慄する。
のみならず、アレクがより恐れたことは、アンヌと言った黒きエルフの憎悪に満ちた舌打ちだった。
アレクは自分が失言をしたことを知った。
今更おもねるつもりもないのだが、機嫌を損ねれば、それだけ逃亡が遠のくだろう。
「さて。大体の状況は掴めました。後の気がかりは、バルトロッサ……いえ、やつが持つスキル〈聖勇者〉の行方だけですかね。死んで、スキルを放置していてくれれば幸い。ですが、恐らくはあなた方の誰か、もしくはここでまだ生き延びているかも知れない聖騎士の誰かが継承しているでしょう。
あなた方にとっては大したことないスキルかも知れませんが、仲間のどなたかが、〈聖勇者〉を継承したりはしていませんかね」
「い、いや。誰も〈聖勇者〉なんて継承していない」
これは本当だった。
アレクはスキル〈聖勇者〉の一部である〈勇気〉を継承したが、〈聖勇者〉そのものの継承には失敗している。
「本当ですか? 追及を逃れたいからと言って、嘘を言ってはいないでしょうね」
「ほ、本当だ。信じてくれ」
「バカですか、あなた? あなたの言葉なんて一切信じませんよ。今質問をしたのだって、あなたの反応を見るためです。あなたの口からひとかけらでも真実が出るなんてこと、始めから考えてはいません。……今の反応から察するに、何か知ってはいる。ただし、〈聖勇者〉自体は本当に継承していないといったあたりでしょうかね」
(くそっ。こいつの前じゃ、隠し事なんて何一つ出来ないんじゃないか?)
ほとんど正解と言っていい洞察力に肝を冷やす。
ミリコすら奪われた現状、アレクは自殺すらままならない。
例え無理に自殺しても、無傷のまま残った聖紅晶から、〈千里眼〉を奪われてしまうだろう。
継承が博打になると言っていたから、最後にはそれに賭けて自殺するしか手はないのかも知れないが……。
仮に、ティリスがその賭けに成功してしまったら、アレクの死は無駄になるだけでなく、フレネク山にいる仲間にも危険が及ぶ。
(せめて、逃げ延びたエミーリヤたちが、仲間たちに危機を知らせて逃がしていてくれれば)
と、その時、霧の奥からくぐもった声が聞こえた。
アレクの目はすぐさま声の主を見つけ出す。
樹にもたれ、息も絶え絶えに切願するのは、短髪の少女だ。
「そ、そこに誰かいるんですか? もしや、帝国からの救助では。わ、私は死ぬわけにはゆかぬのです。私の名は、イシュカ・ベラトラム。帝国の宝たる、スキル〈聖勇者〉の一部を継承している者です。ど、どうか、お助け下さい。このスキルをもって、我が父王の身柄を贖わなくては……」
少女の意識は朦朧とし、思うことすべてが口から洩れているようだった。
ティリスの顔がどうなっているか、アレクには見なくても容易に想像がついた。
ついたが、アレクのスキルはティリスの顔を克明に捉えていた。
その顔は、心の底から嬉しそうに歪んでいた。




