33.ヨアキムくんの治療の終わり
ヨアキムくんの呪いを抜く治療は地道に続いていた。毎日青花を入れた薬草湯に入って、毎食後鱗草を溶かした炭酸水を飲む。呪いを薄めるためとはいえ、小さなヨアキムくんにとって、大変でなかったわけがない。それでも、魔術具なしで暮らせる日のために、ヨアキムくんは努力していた。
薬草湯の色が変わらなくなったのは、新年が明けて少しした頃で、往診に来たビョルンさんにそのことをカミラ先生が報告する。
「以前はにじみ出る赤い色と混ざって紫になっていたのが、最近は色も変わらず、薬草湯は青いままなのです」
「もう呪いはほとんど解けていますね。魔術具を減らしてもいい頃かもしれません」
ヨアキムくんに口を開けさせて、身体を見て、纏わりつく呪いの濃度を確認していたビョルンさんからお許しが出て、ヨアキムくんは上半身裸のまま、両手を上げて喜んだ。
「じゃんばーい!」
万歳をするヨアキムくんに、ファンヌも手を叩いて喜び、リンゴちゃんも周囲を跳ねまわって喜んでいる。
けれど、ヨアキムくんの呪いはそれだけでは終わらないようだった。
「こんな小さい子に酷ですが、ヨアキムくんの身体はすっかりと呪いに馴染んでしまっている。触れるだけで周囲に振りまくことはなくなりましたが、これからは、感情の制御が大事です」
「かんじょー、ていぎょ、なぁに?」
「ひとのことを、嫌い、憎いと思っても、その気持ちを行動に移さないようにするんだよ」
「どーつるの?」
「嫌い、憎いと思うのは仕方がないけど、そのひとが不幸になるように願っちゃダメだよ」
「ふこー、なぁに?」
「つらい目に遭ったり、嫌なことが起きたりするように、思ったらいけないってこと」
感情の制御。
これだけ努力して呪いを治療して来たヨアキムくんに、ビョルンさんは更に難しい課題を与えていた。まだ3歳になったばかりのヨアキムくんが、苛められたり、嫌みを言われたりして、相手が不幸になるように願わずにいることの方が難しい気がする。
カミラ先生もそれを感じたのだろう、ヨアキムくんの前で紐を編み始めた。手首が細いので、短い編み紐はすぐに出来上がる。
「これは、デザインはオリヴェルとイデオンくんとファンヌちゃんと同じものです。三人の編み紐には、マンドラゴラの『死の絶叫』や、他人からの攻撃の魔術からの防御の魔術がかけられていますが、それに加えて、ヨアキムくんのものには、呪いの発動を抑える魔術もかけました」
「おりにぃに、いでおにぃに、ふぁーたん、おとろい」
「常に着けていてくださいね」
手首に結んでもらって、ヨアキムくんはオレンジ色を基調としたそれを、うっとりと眺めていた。
診察が終わってリンゴちゃんに手首の編み紐を見せているヨアキムくんに、ビョルンさんが近寄る。
「ウサギを飼い始めたんですね。すごく大きい」
ひょいと抱き上げようとして逃げられてしまったビョルンさんに、ヨアキムくんとファンヌが説明する。
「どうつぶえんで、もらったの」
「わたくちのにんじんたんのはっぱをたべて、おおちくなってちまったの」
「ちょぶん、やーの」
「カミラてんてーがもらってくれて、リンゴちゃんっておなまえ、つけたの」
二人の話を聞いて、ビョルンさんはまじまじとリンゴちゃんのお尻を見た。ヨアキムくんの後ろに隠れるリンゴちゃんは、お尻を見られて、ビョルンさんに蹴りを入れる。
「ぶへっ!」
「ビョルンさん、すみません」
「いえ、私が嫌われたようで。でも、雄にリンゴちゃんなんて、可愛い名前ですね」
「へ、雄?」
カミラ先生、変な声が出たけど、私も同じく変な声が出そうなくらい驚いていた。
そのときまで、私たちは誰もリンゴちゃんの性別について考えてもいなかったのだ。ウサギは可愛いイメージがあるので、中型犬……最近よく食べて大型犬くらいに近付いてきたけれど、リンゴちゃんは性別を超えて、リンゴちゃんというイメージしかなかった。
「雄だったんですか!?」
「おにいちゃん、りんごちゃん、おすだって」
「おす、なぁに?」
「おとこのこ、ってこと」
男の子なのに、名前がリンゴちゃんで良いのだろうか。
顔を見合わせた私とお兄ちゃんに、ヨアキムくんがにぱっと笑った。
「おとこのこ! よーと、おなじ」
あ、もうどうでもいい気がしてきた。
ファンヌもカミラ先生もお兄ちゃんも同じようで、ヨアキムくんが可愛いので、指摘はせず、リンゴちゃんはリンゴちゃんのままで通すことにしたようだった。
それにしても、ビョルンさんはさすが医者、ウサギの性別にまで詳しい。
「生後三か月くらいまでは見分けがつきにくいんですが、それ以降は、睾丸が出て来るから」
「あ、たまたまある!」
「ファンヌ! はしたないよ!」
お尻を確認してファンヌが大きな声を上げるのに、私が注意をする。つられて覗き込んだヨアキムくんも「たまたま」と言っているから、これはあまり言っちゃいけないことだと教えなければいけない。
考えている私より先に、お兄ちゃんが二人に膝を付いて目を合わせた。
「リンゴちゃん、大きな声で言われたら、恥ずかしいよ。こういうことは、あまり言わないようにしようね」
「たまたま、めーなの?」
「リンゴちゃんが雄とか、男の子っていうのは、言っても良いよ」
「あい」
教えられてファンヌもヨアキムくんも納得している。
やっぱりお兄ちゃんは包容力があってすごいと改めて尊敬した。
ビョルンさんがリンゴちゃんに興味を示したのは、性別を確かめたかったからだけではなかったようだ。逃げられないようにヨアキムくんに抱き締めてもらっておいて、リンゴちゃんの身体に手を翳して調べている。
「非常に珍しいですが、この子、呪いと魔術に対する耐性を持ってますよ」
「わたくちのにんじんたんは?」
「わたしのマンドラゴラはどうですか?」
ファンヌの人参マンドラゴラの葉っぱと、私の大根マンドラゴラと蕪マンドラゴラの葉っぱを食べたのが発端ならば、私たちのマンドラゴラにも影響が出ているかもしれない。
差し出してビョルンさんに見てもらうと、新しい発見があった。
「このマンドラゴラたちは効能に、呪いと魔術への耐性がついていますね。ヨアキムくんと触れ合っていたせいでしょうね」
「つまり、ヨアキムくんが育てるのを手伝ったマンドラゴラには、全部、呪いと魔術への耐性が付くということですか?」
「マンドラゴラにも、自分を守ろうという本能があります。成長の過程で、呪いに触れて来て、自分を守る方向に効能を伸ばしたのでしょう」
裏庭の畑で育ったマンドラゴラに、呪いと魔術への耐性があるのならば、困っているひとにより広く届けることができる。呪いが抜けきっていないからと言って、カミラ先生が裏庭にヨアキムくんを出さずに、薬草の世話をさせていなければ、こんなことは起こらなかった。
「ヨアキムくんとカミラせんせいのおかげですね」
「よー、やくにたった?」
「すごく」
思わずヨアキムくんを抱き締めると、黒いお目目が潤んでぽろぽろと涙を流す。
ヨアキムくんにとって呪われた体は、どうにかして治療して、呪いを失くさねばならない厄介なものだったのだろう。それが役に立っていたという事実は、ヨアキムくんにとっては、泣くほど嬉しいことだった。
「ヨアキムくん、よかったの。カミラてんてー、ありがと」
しっかりとファンヌがヨアキムくんを抱き締めて、カミラ先生にお礼を言っていると、リンゴちゃんも鼻先でヨアキムくんの濡れたほっぺたを突いて涙を拭っている。この御屋敷に来た当初は呪いの混じっていたヨアキムくんの涙も、もう誰が触れても平気になったし、なによりもリンゴちゃんは呪いと魔術への耐性を持っていた。
「ファンヌちゃん、ちょっと、いいですか?」
「わたくち?」
ふと気付いたビョルンさんがファンヌにも手を翳す。
「ついてますね、呪いと魔術への耐性」
「わ、わたしとおにいちゃんは?」
カミラ先生も含めて全員見てもらったが、呪いと魔術への耐性がついていたのは、マンドラゴラたちと、その葉っぱを食べたリンゴちゃんと、ヨアキムくんとの接触時間が一番長かったファンヌだけだった。
「特にファンヌちゃんの耐性は強いです。並みの呪いや魔術はかからないようになっていますよ」
「わたくち、むてき?」
「ファンヌちゃん、自分が3歳だということを忘れないでくださいね」
目を輝かせているファンヌに、カミラ先生から注意が入る。
無意識に肉体強化の魔術を使いこなすファンヌは、更に呪いと魔術への耐性がついて、驚異の3歳児になっているようだった。
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