32.楽しい新年
中型犬くらいあるウサギは、ヨアキムくんが飼うことになった。私やファンヌにはマンドラゴラがいるから、食べられたら大変だというのもあったし、金魚は池で飼っているがヨアキムくんは抱っこできるようなものは飼っていないという理由からだった。
動物園からの帰りの列車は、ファンヌとヨアキムくんのお昼寝の時間になってしまった。私も眠くて、お兄ちゃんに膝枕してもらって少しだけ眠った。馬車でお屋敷に帰ると、ゲージから出したウサギに名前を付けることになった。
飼い主はヨアキムくんだ。けれどヨアキムくんは3歳になったばかり。名前を付けるのは難しいかもしれない。
私の懸念は、あっさりとかき消された。
「リンゴたん」
「ウサギの名前はリンゴちゃんにするんですね」
「あい、リンゴたん」
ちょうどおやつがアップルパイで、しょりしょりとリンゴをウサギも美味しそうに食べていたからだろうが、あっさりとウサギの名前は決まった。
名前が決まれば、この御屋敷で飼うのならば、きちんと教育しなければいけない。教育役をかって出たのは、ファンヌだった。
怖がってもがく人参マンドラゴラをウサギのリンゴちゃんの前に突き付けて、厳しい声で告げる。
「これ、マンドラゴラ。たべちゃ、だめ!」
灰色の毛並みに黄色っぽい目のリンゴちゃんは、じっと人参マンドラゴラを見ていたが、近くに寄せられると、口を開けようとする。そのたびに、ファンヌが小さい手でリンゴちゃんの額を押さえて、食べないように言い続けた。
薬草畑にヨアキムくんが連れて行くようになっても、リンゴちゃんの教育は続く。
「こえ、ざっそう。たべていい。こっち、やくそう、たべちゃだめ!」
畝に植えてあるものは食べないように教育されるリンゴちゃん。ウサギにどれほど知能があるのか分からないが、マンドラゴラの葉っぱのおかげで身体が大きくなって、知能も高くなったリンゴちゃんは、ファンヌの言うことはよく聞いていた。
ファンヌに怒られると、ヨアキムくんの後ろに隠れて、はみ出ながらも反省しているので、ちゃんと理解しているのだろう。
真冬なので薬草は寒さに強いものしか育てていなかったが、一番奥の畝二列にはマンドラゴラが植えてある。
びたんびたんと大きな体で飛び跳ねてヨアキムくんの後ろをついていくリンゴちゃんにとって、マンドラゴラは非常に魅力的な存在のようで、近付いては口を開け、ファンヌの視線を感じて、そっと離れていく。しばらくは、私のマンドラゴラたちもリンゴちゃんの前に出さない方がいいかもしれない。
新しい家族が増えてから、そろそろ年も変わる時期に入っていた。
貴族社会は社交界での交流が大事と言われるが、それが嫌で街医者になったビョルンさんに、露骨に嫌な顔をするカミラ先生。それでも、新年のお祝いにはお兄ちゃんも私もファンヌも、ルンダール家の子どもとして出なければいけない。
「ヨアキムくんはどうしましょうかね?」
「やぁなこと、いわれたら、やぁなの」
「ファンヌちゃん……そうですね。ヨアキムくんは、子ども部屋でリンゴちゃんとお留守番ができますか?」
「あい」
新年のお祝いの打ち合わせをして、年越しの夜を過ごす。先にお風呂に入ってしまって、スヴェンさんが用意してくれたココアを飲みながら、子ども部屋で少しだけ夜更かしをした。
今年の新年のお祝いから一年、色んなことがあった。
「きょねんは、ちちうえが、おにいちゃんはびょうきだっていって、ことしは、おにいちゃんをとじこめて……」
「そうだったね。僕は元気だったのにね。閉じ込められても、イデオンは毎日僕のところに来てくれたよね」
お兄ちゃんが部屋から出てはいけないと言われてからも、私は毎晩お兄ちゃんのところに通って行っていた。お兄ちゃんのいない春先の開墾は大変で、リーサさんが頑張って畝を作ってくれて、なんとか薬草を植えることができた。
薬草畑を守っていれば、お兄ちゃんにお金を届けられて、いつかお兄ちゃんが逃げ出すときに役に立つなんて思っていたら、春の私の5歳の誕生日に、両親はお兄ちゃんを捨ててしまった。
「わたしのたんじょうびに、おにいちゃんはしんだって、りょうしんがはっぴょうして、うそだっていったのに、だれもあいてにしてくれなかった。うそだっておもってたのに、おにいちゃんのへやにいったら、おにいちゃんがいなくて、すごくかなしかった」
「急に馬車に乗せられて、下町に捨てられて『戻ってきたら命はないものと思え』って言われて、もう二度とイデオンとファンヌに会えないのかと思って、胸が潰れそうだったよ」
あの日はお互いにつらかった。
けれど、カミラ先生が来て、お兄ちゃんを見つけ出して、オースルンド領に保護することができた。それから、両親の罪を暴いて、お兄ちゃんは戻って来られた。
お兄ちゃんが戻って来てからの夏は楽しかった。魔術学校の夏休みが終わるのが悲しくて、泣いてしまうくらいだった。
最初は酷かったが、最終的には良い一年だったと思い起こしていると、眠ってしまったようだった。優しいお兄ちゃんの手が私を抱き上げるのを夢うつつに感じる。
「お休み、イデオン。来年もよろしくね」
額に落とされるキスの感触に、安堵して私は眠り込んでいた。
翌朝はちょっと寝坊してしまったけれど、朝ご飯には間に合った。カミラ先生と、お兄ちゃんと、ファンヌと、ヨアキムくんと、新年の挨拶をして朝ご飯を食べる。
「今年もよろしくお願いします」
「叔母上、イデオン、ファンヌ、ヨアキムくん、よろしくね」
「こちらこそ、よろしくおねがいします」
「よろちくおねがいちまつ」
「おねちまつ」
ビョルンさんからもらったお揃いの赤いカットグラスに、葡萄酒ではなく、葡萄ジュースを注いで乾杯をして、朝ご飯を食べる。葡萄ジュースの赤い色で、ヨアキムくんとファンヌは口の周りが真っ赤になっていた。
「おくちがさけてるみたい」
「こあーいおばけだじょー」
「きゃー」
ちょっと騒いでしまっても、カミラ先生は新年なので許してくれた。
足元ではリンゴちゃんが、もしゅもしゅとキャベツと小松菜のご飯を食べていた。
朝ご飯の後には池を見回って、氷が張っていないことを確かめる。びたんびたんと重量感ある音で付いてくるリンゴちゃんは、ヨアキムくんが金魚に餌をあげている間、コートの端を噛んで、ヨアキムくんが池に落ちないように支えていた。
薬草畑では、リンゴちゃんが雑草を食べて、私たちはマンドラゴラに栄養剤と水を上げる。水は冷たくて指がじんじんと痛かったが、毎日のことなので慣れていた。
私たちの寝る時間を考えて、カミラ先生は、新年のお祝いをお昼にしてくれていた。
「夜にお酒を飲んで騒ぐのは、好きではないのですよ」
当主代理のカミラ先生が決めたことならば、誰も逆らえない。
面倒な新年のお祝いは、貴族のよく知らないお兄ちゃんの遠い親戚たちに挨拶されたけれど、私もファンヌもつまらなくて、適当に返事をしていた。
「オリヴェル様、アンネリ様の従弟のビョルンの母で御座います」
「ビョルンの父です」
サンドバリ夫妻が挨拶に来たときには、さすがに私たちも背筋を伸ばした。
「健やかに育って良き当主になってくださいませ」
ビョルンさんとよく似た優しい雰囲気の夫妻は、嫌な感じはしなかった。
貴族社会が嫌で家を出たビョルンさんの仕事を、認めてはいるのかもしれない。
お祝いが終わってヨアキムくんの待っている子ども部屋に戻ると、カミラ先生が幾つも箱を持って部屋に入って来た。
「オースルンドの両親から、あなたたちにプレゼントですよ」
新年のプレゼント。
「もらっていいのですか?」
「僕にもあるんですか?」
「わたくちも?」
「よーも?」
口々に問いかける私たちに、カミラ先生は「全員分ありますよ」と一つ一つ箱を手渡してくれた。
お兄ちゃんには魔術のかかったお洒落なバングル、私には紺色の帽子、ファンヌにはお花の髪飾り、ヨアキムくんには私と色違いの灰色の帽子。
「まだ寒い日は続きますから、帽子が活躍しますね」
「カミラてんてー、わたくちのかみ、むすんで」
「えぇ、可愛くしましょうね」
ファンヌをお膝の上に乗せて、ふわふわの髪をブラシで梳いて、結んでくれるカミラ先生。まだあまり長さはないが、頭の上で前髪を結ぶと、ファンヌは物凄く可愛い。ヨアキムくんも帽子を被って、ファンヌにアピールしていた。
「かーいー」
「ヨアキムくんも、おぼうち、にあうの」
今年も私の妹と婚約者は可愛いようです。
幸せに二人を見て和んでいると、お兄ちゃんと目が合った。ヨアキムくんではないが、私も帽子を被って見せる。
「イデオン、帽子、可愛いよ」
「かっこいいじゃないの?」
「イデオンは、僕にとっては可愛いから」
ちょっと反抗しつつも、嬉しくてにやける顔を止めることができなかった。
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