28.アンネリ様の記憶
お話があると言ってビョルンさんがお兄ちゃんを訪ねてきたのは、冬休みの最中だった。研究課程にお兄ちゃんが進みたいと言っていたので、そのことかと思っていたら、お茶の時間に寛ぎながら話してくれたのは、全く違うことだった。
「オリヴェル様とは一度、話さなければいけないと思っていたのです」
「なんのお話ですか?」
「私とアンネリ様が従姉弟同士で、仲良くしていたということです」
「母と!?」
セバスティアンさんにリーサさんにスヴェンさん。こういうひとたちからアンネリ様の話を聞いたことはあるが、今は街医者をしているとはいえ、貴族のビョルンさんからアンネリ様の名前が出るとは思わなかった。驚いているお兄ちゃんに、ビョルンさんはアンネリ様との思い出を語ってくれた。
「アンネリ様のご両親は、アンネリ様が幼い頃に事故で亡くなりました。視察に出かけた先で、魔物に襲われたのです」
その事故も何かに仕組まれていたのではないかと言われていたが怪しい人物はいたが証拠が出ないまま、アンネリ様の母親の妹夫婦であるビョルンさんの両親が、アンネリ様が成人するまでの後ろ盾となって、ルンダール領を支えた。
アンネリ様の夫のレイフ様が亡くなってから、すぐに再婚を勧められたのは、前の領主も早くに亡くなっていたという事実があったからかもしれない。それがアンネリ様の命を縮めることになるなんて、皮肉なものだが。
「小さい頃は私はこの御屋敷で過ごす時間が多かったのです。アンネリ様は研究課程に進みたがっていた。けれど、当主が仮のものだったのと、女性が勉強に身を打ち込むなんてと言われて、泣く泣く諦めて成人してすぐ結婚したのです」
勉強は諦めたが、結婚相手のレイフ様は、幼い頃にしたお見合いでお互いに惹かれ合って、婚約した仲で、二人はとても睦まじかったという。
「アンネリさまのおすきなはなを、しっていますか?」
話に口を挟むのは良くないと分かっていたけれど、お墓参りのことを思い出した私は、つい喋ってしまっていた。話を邪魔されても、ビョルンさんもお兄ちゃんも怒ったりせず、イチゴジャムを入れたミルクティーを飲んで、落ち着いていた。
「赤い薔薇をアンネリ様がレイフ様からいただいたことがあって」
「母は赤い薔薇が好きなのですか?」
「アンネリ様は、薬草学を専攻していらして、花も葉っぱも、何でも使うものと信じ込んでいたから、赤い薔薇をジャムにしてしまったことがあるんです」
レイフ様はそのことについて何も言わなかったけれど、ビョルンさんの母親でアンネリ様の叔母に当たる方から、「せっかくいただいた薔薇の花束を、千切ってジャムにするなんて、申し訳ないわ」と言われて気が付いて謝ったのだという。
「それ以来、薔薇はジャムにはしませんが、お好きだったようですよ。薔薇園もレイフ様がアンネリ様のために作らせたものです。完成の前に亡くなってしまったけれど」
「母は、薔薇が好きだったんですね。薔薇園も、潰してしまわなくて良かった」
お茶を飲みながらお兄ちゃんとビョルンさんが話していると、騒がしい声が廊下から響いてきた。執務室に直談判に行った貴族が、応接室の横を通っているのだろう。
「アンネリ様は自分が研究課程に行けなかったから、私には絶対行くように言っていました。おかげで私は反対されながらも研究課程に行けたのです」
アンネリ様も研究課程に行きたかった。それならお兄ちゃんが行ってもおかしくはない。
その話をしていると、ドアが開いて、ファンヌとヨアキムくんが飛び込んできた。お外でボール遊びをしていたが、ビョルンさんが来ていると聞いて、応接室にやってきたのだろう。
開いたドアの隙間から、貴族の御令嬢が中を覗いて、「まぁ!」と声を上げた。
「ビョルン・サンドバリ様じゃありませんか。市井に下ったと聞いておりましたが、わたくしの元に戻ってきてくださったのね?」
「あなたの? あなた、誰ですか?」
「忘れましたの? 魔術学校で同じクラスだったではないですか。あの変な髪型と眼鏡はやめたのですね。相変わらずかっこ良くて……」
甘い声を出してビョルンさんの隣りに座ろうとする御令嬢に、ビョルンさんは聞いたことがない冷たい声で対応している。御令嬢を押しのけて、ファンヌがヨアキムくんの腕を引いて、ビョルンさんの膝の上に座ってしまう。
憎々し気にファンヌを睨み付けた御令嬢は、私の方に目を向けた。
「前の当主を毒殺した犯罪者の子らしい、遠慮のないこと。こんな子がどうしてルンダール家の養子になれたのかしら。きっと、ひとを押しのけるのがお上手なのね」
めきょりと、御令嬢の後ろでドアが破壊される音がした。蝶番ごと取れてしまったドアを持って、カミラ先生が冷ややかな笑みを浮かべて立っている。
「ビョルンさんに近付こうとした挙句、イデオンくんとファンヌちゃんに失礼なことを言うようなひとは、ドアと同じ運命を辿っても仕方ありませんね?」
あ、これはヤバい奴だ。
察した私が椅子から飛び降り、立ち上がったお兄ちゃんが素早くカミラ先生の手から外れたドアを受け取る。
「叔母上、お茶の時間でしょう。今日はここでファンヌとヨアキムくんもご一緒しても良いですか?」
「わたくち、ごいっちょ」
「いーの?」
ビョルンさんのお膝の上でファンヌとヨアキムくんがカミラ先生にお伺いを立てている間に、私は御令嬢の手を引いて廊下に逃がしていた。
「このまま、かえってください。そうじゃないと、あなたのいのちのほしょうができません」
「ひゃ、ひゃい」
怯え切った御令嬢が立ち去るのに、私は追い打ちのように膨らんだスカートの背中に声をかける。
「このおんは、いつかかえしてもらいますからね」
悪い笑みを浮かべているところは、お兄ちゃんには見せられない。
部屋に戻ると、修復の魔術でビョルンさんがドアを直していた。
「興奮してしまって、お恥ずかしい……」
「い、いえ、とても素敵でした。凛々しくて」
こちらはこちらで良い雰囲気だが、カミラ先生は恥ずかしくて顔を真っ赤にして、両手で顔を覆っていた。
ファンヌとヨアキムくんとカミラ先生のお茶とおやつも運ばれてきて、応接室でその日はおやつを食べた。ビョルンさんがアンネリ様の従弟だということに、カミラ先生も驚いていた。
「オリヴェルにアンネリ様のことをたくさん話してやってください。いつでも、お屋敷にいらしてくださいね」
「は、はい。カミラ様とも、お話したいです」
「まぁ、私とも!?」
ビョルンさんの言葉に、カミラ先生が両頬に手をやる。
恥ずかしがったり、嬉しそうに照れたりするカミラ先生は、乙女のようで、ビョルンさんもその姿を可愛いと思っているのか、顔を真っ赤にしていた。
あの御令嬢のように、私の両親の罪を忘れていないひとはいる。そのことは、心に刻んでおかなければいけない。オースルンド領のお兄ちゃんのお祖父様とお祖母様が快く迎えてくれたとしても、あれが普通の対応ではないのだ。
その夜、私は両親のことを考えてよく眠れなかった。隣りのベッドで眠っているお兄ちゃんを起こすのが申し訳なくて、部屋から出て、廊下に立っていると、自分がすごくちっぽけに思える。
何とも思っていないひとから浴びせられる罵声でも、心に小さな棘が刺さったように感じるのだ。これがもし、大事なひとだったら。ビョルンさんの両親は私のことをどう思っているのだろう。なにも聞いたことはないし、ビョルンさんは最初から私に感謝してくれていたので、考えたこともなかった。
アンネリ様の母親の妹夫婦ならば、アンネリ様を毒殺した両親の子どもである私とファンヌは、許しがたい存在かもしれない。
「ふぇ……」
視界が歪む。声を殺そうとしても涙が出て来る私の周りを、慰めるように大根マンドラゴラ、蕪マンドラゴラ、ジャガイモマンドラゴラが取り囲む。肩を叩かれても、私は涙が止まらなかった。
ふいに黒い影が現れて、私は飛び上がっておしっこを漏らしそうになってしまう。
「どうしたのですか、こんな真夜中に」
「か、カミラ、せんせい……」
両手で急いで涙を拭っても、カミラ先生は何事か察したようだった。
「イデオンくん、単刀直入に聞きます。ご両親のこと、どう思っていますか?」
「じごくにおちればいいのに」
ここにお兄ちゃんはいないので、正直に口にすると、カミラ先生はにぃっと唇の両端を釣り上げた。
手を繋いで移転の魔術で連れて行かれたのは、暗くてじめじめして、汚いところ。鉄格子があるから、牢屋なのだろうとは分かる。
「イデオン? イデオンなのか?」
「どうか、私たちを助けて」
鉄格子の中から亡者のように手を伸ばしている両親から、私を守るように付いてきた大根マンドラゴラ、蕪マンドラゴラ、ジャガイモマンドラゴラが間に立つ。
冷ややかにカミラ先生が両親を見下ろしている。
「自分の罪を悔いて、生涯苦しみぬくといい」
「さよなら」
踊り出したマンドラゴラの合唱に包まれて、両親が頭痛と吐き気に悶えるのを見て、私は別れを告げ、カミラ先生と牢屋を後にした。その後の記憶はない。
目が覚めるとベッドにいて、夢だったのかと思ったが、私の両親が慢性的な正体不明の頭痛と吐き気に襲われて、他の囚人にうつるといけないので、独房に入れられたと聞いて、あれは夢ではなかったのだと直感する。
カミラ先生と私だけの、誰にも言えない秘密だった。
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