26.オースルンド領へ
薬草市で捨てられたお兄ちゃんを見つけて、お兄ちゃんが泊っているという安宿に連れて行ってもらった私は、そこが悪夢で見たお兄ちゃんが死んでしまった部屋だということに気付いて怯えた。一刻も早くお兄ちゃんをあの場所から逃したかった。必死でカミラ先生に訴えかけると、カミラ先生もあの劣悪な環境にお兄ちゃんを置いておくことはできないと判断して、すぐにオースルンド領の魔術学校に移転の魔術で飛んで、お兄ちゃんが魔術学校に通いながら領で暮らせるように手続きをしてくれたのだ。
オースルンド領に行ったのは、その一度切り。魔術学校と寮の行き来しかしていないお兄ちゃんも、オースルンド領を自由に動いたことはなかった。
領主のお屋敷など、行くはずもない。
お兄ちゃんのお祖父様とお祖母様に会うということは、オースルンド領の領主のお屋敷に行くということだ。領主様はお兄ちゃんのお祖父様とお祖母様で、カミラ先生の両親と言うことになるが、私は着替える手がなかなか進まなかった。
ボタンをもたもたと留めていると、お兄ちゃんが気付いて、しゃがみ込んで目線を合わせてくれる。
「イデオン、行きたくないの?」
「わたしのりょうしんがしたこと、おにいちゃんのおじいさまも、おばあさまも、しってるよね……」
「それはそうだけど、イデオンとファンヌが、僕を助けてくれたことも、お祖父様とお祖母様は知っていると思うよ。叔母上が絶対に話してる」
「わた……わたし……」
「イデオンがどうしても行きたくないんだったら、叔母上にそう話すけど……ファンヌとヨアキムくんはすごく行きたそうなんだよね」
まだ3歳なので仕方がないが、ファンヌはお兄ちゃんのお祖父様とお祖母様に会うことの意味を、よく分かっていない。カミラ先生に可愛がって大事にされているから、同じように大事にしてもらえると思い込んでいるのかもしれない。
けれど、私はそんなに世界は甘くないのだと感じ取っていた。貴族社会は謀略と足の引っ張り合いで、引きずりおろせるものは引きずりおろし、奪える財産は奪おうと誰もが虎視眈々と狙っている。ヨアキムくんの両親だって、私たちを幼いヨアキムくんに呪いを纏わせて害そうとさせたのだ。
カミラ先生のご両親なのだから信じたい気持ちはあったが、裏切られたときのショックは大きい。そのショックをファンヌにもヨアキムくんにも味合わせたくない。
もうほとんど呪いは抜けているが、領主ともなれば相当魔力の高いひとたちだ。ヨアキムくんの呪いの痕跡も、一目で見抜くだろう。
「ファンヌとヨアキムくんがいくなら、わたしもいかないと」
「イデオン、僕が守るよ」
「おにいちゃん……」
「イデオンが僕のためにどれだけ頑張ってくれたか、僕は知ってる。お祖父様とお祖母様に、お話しするね」
ファンヌとヨアキムくんは私が守らなければいけないと思っているように、お兄ちゃんも私のことは守ってくれるつもりだった。着替えを終えて、子ども部屋に行くと、綺麗な余所行きのワンピースを着たファンヌと、私のお譲りのスラックスとシャツにベストにジャケットを着たヨアキムくんが待っていた。
「準備はできましたか?」
「あい」
「リーサさん、いってちまつ」
手を振ってリーサさんに挨拶をするヨアキムくんとファンヌを、カミラ先生が抱き上げる。お兄ちゃんに抱き上げられそうになって、私は慌てて手を繋ぐように手を出した。
「イデオン?」
「おにいちゃんのおじいさまとおばあさまに、まだだっこされてるのっていわれたら、はずかしいから」
「抱っこさせてくれないの?」
「だってぇ」
5歳にもなるのに抱っこされたいなんて、ものすごく言いたいけれど我慢する私を、お兄ちゃんは問答無用で抱き上げた。大きなお兄ちゃんに抱き上げられると、視界がぐんと高くなる。
そのままカミラ先生の移転の魔術で、私たちはオースルンド領の領主のお屋敷の玄関に来ていた。庭は雪で真っ白である。
「オースルンド領はルンダール領よりも寒冷地にあって、山から吹き下ろす湿った空気で雪が降りやすいのですよ」
積もった雪もブーツで平気なのに、お兄ちゃんは私を下に降ろしてくれず、抱っこされたままでお屋敷の中に通された。
白髪交じりの黒髪に青い目の女性と、同じく白髪交じりの黒髪に灰色の目の男性が、お茶の用意をして待っていてくれた。
「父上、母上、ただいま戻りました。今回は紹介したい子たちがいるのですよ」
「待っていましたよ。私の孫たちを紹介してください」
「背が高いんだね。大人と見間違えたよ」
抱っこからようやく床の上に降ろしてもらって、私は二人に深々と頭を下げた。
「ルンダールけのようしになりました、イデオンです」
「ファンヌれつ」
「ようち? よー、なぁに?」
「ヨアキムくんは、ファンヌのこんやくしゃだよ」
「こんにゃくちゃ」
三人で頭を下げると、「まぁ」とか「おぉ」とかいう歓声が上がった気がした。顔を上げると、お兄ちゃんのお祖父様とお祖母様が、膝を付いて私とファンヌに手を差し出している。
「カミラから話を聞いています。オリヴェルを助けるために、こんなに小さいのに頑張ってくれたのね?」
「ファンヌちゃんは、すごく勇気のある強い子だって聞いてるよ」
「わたくち、つよい!」
手を取って感謝されて、私は涙が出そうだった。
どんな罵倒も、文句も、受けて立つつもりだった。私たちの両親がしたことは、それだけ許されないことだと分かっていたから。それなのに、お兄ちゃんのお祖父様とお祖母様は、暖かく私たちを受け入れてくれる。
「ヨアキムくんは、ご両親に呪いをかけられて大変だったのでしょう」
「こんなに小さいのに、呪いを解くために頑張っているんだね」
「よー、がんばう」
ヨアキムくんにも優しい言葉をかけてくれる二人。
「初めまして、お祖父様、お祖母様、僕……じゃない、私が、オリヴェルです」
「僕、で構わないわ。普段はそう言っているのよね。家族ですもの、いつも通りにして」
「来てくれて嬉しいよ。こんなにレイフそっくりになって」
お兄ちゃんのお祖父様とお祖母様が目頭を押さえて、お兄ちゃんの手を握り締めている。カミラ先生も前に言っていたが、お兄ちゃんはお父さんのレイフ様似のようだ。
用意されていたお茶とお菓子をいただいて、ソファに座って話をする。
「オリヴェルおにぃたんのおじぃたまとおばぁたま、わたくちのなぁに?」
「お祖父ちゃんとお祖母ちゃんになれると嬉しいわ」
「オリヴェルは実の弟と妹のように可愛がっているんだろう?」
「わたくちの、おじぃたまとおばぁたま?」
「イデオンくんもそう思ってくれると嬉しいけど」
話題に出されて、私は飛び上がってしまった。
「いいのですか? わたしのりょうしんは……」
「ご両親のことよりも、イデオンくんとファンヌちゃんがしたことの話をしよう?」
「オリヴェルをたくさん助けてくれて、オリヴェルがとても可愛がっているんですって?」
お兄ちゃんの存在が私たちを守ってくれる。
じんと胸が熱くなって、私は泣きたいような気分になった。お兄ちゃんにしがみ付くと、膝の上に抱っこしてくれる。
「両親のことで責められないかと心配してたんです。良かったね、イデオン」
「おにいちゃん……」
胸に顔を埋めて泣き出してしまった私は、なかなか顔を上げられなかった。その間も、ファンヌの「なぁに」は続いている。
「おじぃたまとおばぁたま、どっちがりょうちゅたま?」
「よく聞いてくれたね。オースルンド領は珍しい領地で、夫婦で領主を務めて、領地を治めるんだ」
「互いに間違ったことをしないように監視し合うの」
「かんち、なぁに?」
「いけないことをしないように夫婦で注意し合うんだよ。オースルンド領の領主は夫婦経営なんだ」
「だから、カミラも結婚したら領地を譲れて、私たちも引退できるのに」
「結婚の話をするなら、帰ります」
顔を反らしたカミラ先生は、顔を会わせるたびにいつも結婚の話をされているのだろう。ビョルンさんと良い感じなことは、もう少し黙っていた方が良いような気がする。
「オリヴェルが成人しても、研究課程に進みたいと言っているので、その期間は当主代理を続けるかもしれませんし」
「カミラは本当に自由なんだから」
「まぁ、自由にできるのも私たちが健康なうちだけだから、どうぞ、存分におやりなさい」
破天荒ともいえるカミラ先生のことも、さすがご両親、理解しているようだった。
暖かく迎え入れてもらったことを、私はお兄ちゃんのお祖父様とお祖母様に心から感謝したのだった。
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