24.結婚についての相互理解
ファンヌは3歳にしては賢い方だと思うが、ときどきとんでもないことを聞いて来たりする。
魔術学校でお兄ちゃんがいない午前中、私とファンヌとヨアキムくんの勉強を見てくれていたカミラ先生に、ファンヌの疑問が炸裂した。
「カミラてんてー、けこんて、なぁに?」
常々ヨアキムくんと結婚すると言っているファンヌだが、まだ3歳でよく意味は分かっていなかったのかもしれない。3歳児特有の問いかけに、カミラ先生はヨアキムくんのお絵描きの紙を取り換えながら答える。
「愛するひとと、ずっと一緒にいる誓いを立てて、一生共に暮らすことですよ」
「アンネリたま、あいちてなかった」
「あぁ……それで、不思議に思ったのですね」
結婚が好きなひととすることというのは、ファンヌの中にもあったようだが、アンネリ様は周囲の圧力に負けて、私の父親と再婚させられて、挙句の果てに毒殺された。その事件の解決に関わっていた分、ファンヌなりに結婚について考えることがあったようだ。
「貴族だけでなく、普通の領民も、財産や地位のために愛情のない結婚をすることがあります。それが主流になっているところもあるでしょう」
「どうちて?」
「魔術師は血統でしか引き継がれません。優秀な魔術師が産まれないと、子どもを当主に据えて、老後も安泰、なんてことができないのですよ」
「けっとう、なぁに?」
「血のことです。両親から引き継ぐ才能のある血ですね」
説明してくれているカミラ先生に、ファンヌはクレヨンで書く手を止めて、一生懸命聞いていた。
最終的に、ファンヌが聞きたいことは一つ。
「わたくち、ヨアキムくんと、けこん、できまつか?」
冬生まれのヨアキムくんと春生まれのファンヌは、月齢はファンヌの方が上だけれど、学年は同じだということが分かった。幼年学校に行っても、ずっと一緒に勉強していくだろう。その先もずっとヨアキムくんと一緒にいる方法を、ヨアキムくんの両親に口実として言ったときよりもはっきりと、自分の意志を持ってファンヌは探しているのだ。
「大きくなって、ファンヌちゃんがヨアキムくんを好きで、ヨアキムくんもファンヌちゃんを好きなら、誰が反対しようと、私はあなたたちの結婚を許すつもりですよ」
「いーの?」
「私も行き遅れだなんだと言われていますが、好きな相手以外とは結婚したくないのです。愛情のない結婚の末路は、あなたたちも知っているでしょう?」
愛情のない結婚で、アンネリ様を陥れて、私の父親はアンネリ様を毒殺した。ヨアキムくんの両親にもお互いに愛情があったのか、分からない。愛情があったのならば、産まれた息子を暗殺者にするために呪い塗れにしたりしないだろう。
「おにいちゃんは、だれとけっこんするんでしょう」
ぽつりと呟いた私に、カミラ先生が「大丈夫」とばかりに頷いてくれる。
「オリヴェルも、好きな相手以外と結婚させはしませんよ」
この「魔女」の名にかけて。
カミラ先生のご両親は健在で、オースルンド領を治めているので、しばらくの間カミラ先生に領主の座が回ってくることはない。
それに、とカミラ先生は付け加えた。
「オースルンド領にいると、結婚しろ結婚しろと周囲がうるさいのですよね。私は好きなひととしか結婚しないと宣言しているのに。だから、ルンダール領の当主代理になれて、可愛いオリヴェルやイデオンくんやファンヌちゃんやヨアキムくんを見ていられる私は幸せです」
結婚話から逃げるためにも、カミラ先生はルンダール領の当主代理を引き受けたのだ。確かにカミラ先生は、適当な男性と見合い結婚なんてイメージではなかった。
「カミラてんてー、ビョルンたんは?」
「え? びょ、ビョルンさんが、どうしました?」
「けこん、ちないの?」
3歳児の真っすぐな瞳で見つめられて、カミラ先生の顔が赤くなる。
「そ、そういうのでは、ないのですよ。ひとびとのために心を砕く優しくて素晴らしい方と思っていますが……ビョルンさんの意志も大事でしょう? それに、私の方が年上で、背が高いし……」
照れたり、年齢や身長を気にしたりするカミラ先生は、乙女のようで可愛かった。
学校から帰って来たお兄ちゃんにおやつを食べながらその話をすると、ビョルンさんのことで話がしたいと思っていたと告げられた。
「研究課程のことで聞きたいし、ヨアキムくんの往診のときにおいでって言われてるけど、次の往診はいつ?」
「いつらっけ?」
「カミラせんせいにきこう」
ファンヌと私でカミラ先生の執務室にお邪魔すると、カミラ先生もお茶の休憩の時間で、快く招き入れてくれた。
「そうですね、今週末に行きましょうか」
予約を取るために、カミラ先生はメモ用紙に文字を書いて、鳥の形に折って、指先で円を描く。魔術のかかった鳥は、飛んで行ってビョルンさんに週末に訪ねることを伝えてくれた。
おやつの後は、ファンヌとヨアキムくんはお庭でボールで遊んで、金魚に餌をやっている。私とお兄ちゃんは、鱗草の成長を見守っていた。冬も深まって、そろそろ冬休みに入る。その頃には雪が降って、池にも氷が張るかもしれない。
「氷が張ったら鱗草をどうすればいいか、聞かないといけないね」
「うろこぐさ、ずかんにも、そだてかた、のってなかったの」
「ビョルンさんはそれだけ知識があるんだよ」
貴族は、魔術学校を卒業まではするものがほとんどだが、研究課程まで進むものはほとんどいない。専門知識を学びたいものでも、政略結婚などで研究課程には進ませてもらえないことが多いのだ。
お兄ちゃんはずっと研究課程に進みたいと言っているが、魔術学校を卒業する年に、お兄ちゃんは成人する。そうなると当主代理のカミラ先生から、お兄ちゃんに当主を返すように周囲の圧力がかかるかもしれない。
それに、お兄ちゃんが結婚してしまうかもしれない。
「おにいちゃん……すきなひとが、いる?」
「な、なんで、急に?」
「まじゅつがっこうをそつぎょうしたら、おにいちゃん、けっこんしちゃうの?」
それはお兄ちゃんがすごく遠くに行ってしまうようで悲しくて、私は洟を垂らして、泣き出してしまった。
「結婚は……できればしたくないかな」
大きな手で私を抱き上げて、背中を摩りながら、お兄ちゃんが話す。
「母のことで結婚に良いイメージがないから」
私の父親のせいでお兄ちゃんが結婚しないのは、腹が立つが、どこにもいかないと言われているようで、安心もする。胸の中はもやもやして複雑で、私はお兄ちゃんの肩に顔を埋めて泣いてしまった。
週末には馬車に乗ってビョルンさんのところにヨアキムくんの往診と、お兄ちゃんは研究課程のことを聞きに行った。
ヨアキムくんは問題なく、呪いが薄まっていて、もう少しで魔術具を外しても構わなくなるということだった。
「よー、おくつり、がんばう」
「もうちょっとですからね、頑張りましょうね」
「あい!」
やっとヨアキムくんから両親の呪縛が抜けるのだと思うとめでたくて、ファンヌと私は手を取り合って喜び、足元でマンドラゴラも踊っていた。
研究課程のことは、診療所から少し離れた用水路のある農地を見ながら話すことになった。冬なのでほとんどの薬草は収穫して、刈り取られているが、用水路の中では鱗草が育っていた。
「流れる水で育てるとよく育つのですよ」
「用水路で! それは知りませんでした。池だと氷が張りますが、そのときはどうすればいいですか?」
「氷に穴を空けて、空気が循環するようにしてください」
実地で教えてくれるビョルンさん。
「研究課程では、自ら農地に赴いたり、希少な薬草がある山に登ったり、実践が多かったですね。おかげで、鍛えられました」
「実践授業が」
「研修で泊りがけのことも多かったですよ。研究研究で、家に帰って来ない私に、両親は呆れていたようですが」
サンドバリの家は出ているというビョルンさんは、魔術の才能は極めて高い方ではないが、薬草学と医学の知識が豊富だった。
「私も、医者と薬草学者を両立できるでしょうか?」
「ルンダール領の当主がそうだったら、どれほど心強いことでしょうね」
応援されて、お兄ちゃんは頬を染めていた。
帰りがけに、診療所で干してある薬草に引っ掛けて、ビョルンさんの眼鏡が落ちてしまった。それに気付かずに、天井から干された薬草を避けようとしたカミラ先生の足が、ビョルンさんの眼鏡を踏んでしまう。
バキッと取り返しのつかない音がして、眼鏡は粉砕された。
「も、申し訳ありません」
「いえ、こんなところに薬草を干していた私が悪いのです」
「どうやってお詫びすれば……」
「か、カミラ様に踏まれたのなら、眼鏡も本望です! いえ、じゃなくて……何言ってるんだろう、私。あの、気にしないでください……」
混乱しているのか、ビョルンさんの言動がおかしい。それにしても、眩しいくらいの美形に、お兄ちゃんも私もファンヌも、見惚れてしまう。
「視力を補う魔術をかけましょう」
「眼鏡、新しく作りますから」
「かけさせてください」
カミラ先生が申し出たのは、こんなにかっこいいビョルンさんの顔を隠してしまうのがもったいなかったからかもしれない。魔術をかけられて、ビョルンさんは視力を補正されたようだった。
「また、いつでもお越しください……あ、オリヴェル様とヨアキム様を連れて」
「えぇ、参ります」
美女と美形が話す光景を、眩しく見てから、私たちはお先に馬車に乗った。
ヨアキムくんが、「ふぁーたん、よーの」とほっぺたを膨らませて呟いて、ファンヌの手を握っていた。
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