ヨアキムくんのサンダル
リクエストいただきました、過去の話と後日談です。
あれは私がまだ5歳で、ファンヌが3歳、ヨアキムくんは3歳、お兄ちゃんは15歳になった春先のことだった。ヨアキムくんはやっと呪いを抜く治療が終わって、ある程度は自由に動けるようになっていた。
「ルンダール領の中でも私が仮の当主であることを認めず、オリヴェルやイデオンくんやファンヌちゃんやヨアキムくんを狙って来る輩がいないとは限りませんからね」
外出はできる限りカミラ先生やお屋敷の使用人さんとするように言われていたのだが、ファンヌが唐突に街に出たいと言い出した。
「にぃたま、もうはるよ。わたくち、まちにいきたいの」
「まち?」
ビョルンさんの診療所との行き帰りに馬車で通るが、街というものを知らないヨアキムくんは小首を傾げて不思議そうにしている。ファンヌが持って来たのは、夏の海に行ったときに買った可愛い小さなサンダルだった。
「わたくち、にぃたま、オリヴェルにぃたま、サンダルもってる。ヨアキムくん、もってないでしょう?」
寒さも和らいできたので庭を散歩するくらいならばサンダルでも構わない。畑仕事をするときにはしっかりと靴を履いておかなければ怪我をすることがあるが、庭に出るくらいではそこまで厳重である必要はなかった。
サンダルが快適なのは私もよく知っている。
「にぃたま、ヨアキムくんは、くつちたがまだひとりではけないの」
「よー、くつちた、むつかちい」
靴下を履いてから靴を履くのが普通だが、ヨアキムくんはまだ靴下が一人では履けない。ルームシューズを部屋で履いているときには構わないのだが、外に行くには靴下を履かなければいけなかった。
「リンゴたん、おとと、いちたい。よー、リーサたんにくつちたはかててもらわないと、いけない」
リンゴちゃんがお庭に行きたがったときにヨアキムくんはリーサさんか他の大人に靴下を履かせてもらわないと気軽に外に出ることもできない。外出ができない私たちにとっては、広い庭を散策するのはよい気晴らしになっていた。
「そうだね、ヨアキムくんにサンダルをかってあげたい」
「イデオン、街に行ってみる?」
お兄ちゃんは魔術学校の行き帰りを馬車で送り迎えしてもらっているが、その途中に寄り道をしてもいいことになっていた。
寄り道をしていいのならば、街でサンダルを買うくらいは許してもらえるかもしれない。
「だんさる、なぁに?」
「おくつよ」
「おつく、よー、もってう」
「このおくつなの」
サンダルを見せてヨアキムくんに説明しているファンヌの気持ちも汲んであげたかったので、私とお兄ちゃんはカミラ先生の執務室に行った。一人で仕事をしているカミラ先生は忙しくてとても出かけられそうにない。
「カミラせんせい、わたしとおにいちゃんと、ファンヌとヨアキムくんでまちにいってきてもいいですか?」
「危険ではありませんか?」
「僕がきちんと見ています」
お兄ちゃんが言うと私の周りにマンドラゴラが集まってくる。
「びぎゃ!」
「びょえ!」
「ぎょわ!」
「びょわ!」
私の大根マンドラゴラと蕪マンドラゴラとジャガイモマンドラゴラ、それにファンヌの人参マンドラゴラが「任せろ!」とばかりに声を上げていた。
マンドラゴラの「死の絶叫」は下手な魔術よりも役に立つ。ヨアキムくんは呪いを使えるし、ファンヌは肉体強化の魔術を使える。
「ヨアキムくんにサンダルをかってあげたいんです」
私のお願いにカミラ先生の心は動いたようだった。
「馬車でお店まで行って、馬車を待たせておいて、馬車ですぐに帰って来るのですよ」
「寄り道をしてはいけませんか?」
「まぁ、オリヴェル」
珍しくお兄ちゃんが要求したのにカミラ先生が驚いている。
「街でお昼を食べて来たりしてはいけませんか?」
「それなら、手軽に食べられるものを買って、馬車の中で食べるように」
珍しいお兄ちゃんのお願いは通ってしまった。
私とお兄ちゃんは出かける準備をして、ヨアキムくんとファンヌも出かける準備をリーサさんに手伝って終える。
「ほんとうは、わたくちもくつちたがひとりではけないの……。わたくちだけ、サンダルでおそとにいくのが、いやだったの」
靴下が履けなくてもファンヌはサンダルで庭に行けるが、ヨアキムくんはサンダルを持っていないので行けない。一人きりで庭に行っても面白くなかったのだとファンヌは教えてくれた。
「だんさる、よーのだんさる」
「サンダルだよ、ヨアキムくん」
「だんさる?」
上手く言えないヨアキムくんに私が教えても、ヨアキムくんは首を傾げていた。
馬車はサンダルを売っているお店に連れて行ってくれる。皮で作られたサンダルは色んな大きさがあった。
ヨアキムくんの小さな足に合うものを選んで試着していると、ぴったりのものが見付かる。それを買うためにお兄ちゃんが会計をしていると、ヨアキムくんがお兄ちゃんの手を引っ張った。
「よー、だんさるでかえりちゃい」
嬉しくて、このままサンダルを履いて帰りたいというヨアキムくん。お店のひとにお兄ちゃんが確認してくれる。
「このまま履いて帰ってもいいですか?」
「よろしいですよ。履いてきたお靴の方をお包みしましょうね」
お店のひとの柔軟な対応に感謝しつつ、履いてきた靴の入った包みを受け取って、馬車の中に入れた。
それから近くの露店まで歩いて行く。
ぺたんぺたんとサンダルの音を鳴らしながら、ヨアキムくんが鼻歌を歌って嬉しそうにしているのが分かる。
「よー、だんさる。ふぁーたんとおとろい」
「わたくちとおそろいよ。これで、いつでもおにわにいけるわね」
手を繋いで歩くヨアキムくんとファンヌが可愛い。
お兄ちゃんは気になっていたお店に私たちを連れて来てくれた。
バゲットでサンドイッチを作ってくれるお店のようだ。大きなバゲットを上下二つに切って、たくさんのレタス、ハム、チーズにピクルスが入って行く。
長いバゲットを持って私たちは馬車に戻った。
「切ってもらっても良かったんだけど、これにこのままかぶりついてみたかったんだ」
お兄ちゃんはずっと長いバゲットサンドにそのままかぶりつきたかったようだ。お上品な食事ばかりしている私たちにとっては初めての出来事だ。食事で出されるサンドイッチはほとんど一口サイズに切られている。
大きな口を開けてお兄ちゃんがバゲットサンドに噛み付く。反対の端からファンヌとヨアキムくんがもがもがとバゲットサンドに噛み付く。私もバゲットサンドに噛み付いたが、具を零さずに食べるのが難しい。
「あぁーこぼれちゃう!」
「パンがくずえたうの!」
「むつかちいわ!」
必死に齧りつく私とヨアキムくんとファンヌをお兄ちゃんは目を細めて見ていた。
その日から毎日、ヨアキムくんはサンダルを履いてファンヌとリンゴちゃんと庭に遊びに出ていた。サンダルがとても気に入ってずっと手放さないほどだった。
これから本格的な春が来て夏になる。
サンダルはまた役に立つだろう。
そんなことを思い出したのは、レイフくんのサンダルを買うときのことだった。
小さな足にサンダルを合わせて行く。
「わたくしとエメリちゃんは、うみにいったときにかったから、レイフくんにもかってあげて」
あのときのファンヌのようなことをアデラちゃんが言っている。
「れーの?」
「そうだよ、レイフくんのだよ」
「れーの、なぁに?」
「サンダルだよ」
教えるとレイフくんが笑顔で脚を踏み鳴らす。
「れーのだんさる、はいてかえっていい?」
小さなヨアキムくんと同じことを言ったレイフくんにお兄ちゃんが微笑んでいる。
「お店のひとに聞いてみるね」
無事にサンダルのお会計を終えて、履いてきた靴を包んでもらったレイフくんは、嬉しそうに誇らしそうにサンダルで馬車に乗って行った。
アデラちゃんとの庭遊びがこれからもっと楽しくなりそうだった。
また番外編や後日談を書くことがあればよろしくお願いいたします。