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第六話 不調の母親

 今日から暫く滞在することになった宿の部屋へステラと一緒に入り、室内に備え付けられていた椅子へと腰を下ろして一息つく。現在は四人での食事を終えて戻ってきたところ。何となく前もって感じていたことだったが、実際に食事が目の前に出てきても全く食欲が湧いてこず、殆ど食べることが出来なかった。

 少しずつ不調が強まっている感じがする。ちょっとばかり寒い。

 座ったまま天井を仰ぎ、目を瞑って軽く溜息。

「フィリアさん、大丈夫ですか?」

 テーブルの向かい側にある椅子に座ったステラに心配そうな声をかけさせてしまったので、姿勢を戻して返事する。

「ええ。そこまで酷いわけじゃないから、明日には治ってるわよ」

「そうですか……。この町には暫く滞在する予定なんですし、時間は幾らでもあるんですから、無理せずゆっくり休んで下さいね?」

「……そうするわ」

 万が一明日以降も不調が続くようならば、言われた通り無理せずに休ませてもらおう。どうせやることといっても観光なのだ。自分一人が宿で寝ているだけで話は片付くのだから、気にすることもない。

「ごめんなさい。折角仲間に加えてもらったのに、早々に体調を崩しちゃったりして。不甲斐ないわね」

「気にしないでください。きっと、疲れが溜まっていたんですよ」

「…………そうかしら?」

 少なくとも、自分が疲れているような自覚はなかった。

「はい。でも、目の下の隈の方は大分薄くなってきてますよね。良かったです」

 微笑みながら告げられた台詞を聞いてつい目の下の辺りに指をやる。旅に出て以来徐々に濃くなり、約二十年の間すっかり自身にとっても馴染みの存在となっていたのだが、それも最近では薄れてきていた。

 思い返すとここ最近、以前とは異なって落ち着いて朝まで寝ることが出来ていたので、多分そのお陰。

 そう考えると同時に、あれだけ濃い隈を抱えた人物が疲れていないわけがないだろうと自分で気が付き、可笑しくて少し笑ってしまう。成る程、確かにこの体調不良の原因が疲労というのは妥当な推測だ。

「全部取れるかしら」

 目元をなぞりながら、無意識にそう呟いてしまっていた。存外、自分でも気にしていたのかもしれない。

「このまま行けば、きっと直ぐに無くなりますよ」

「……そうなると良いわね」

「それにフィリアさん、目元以外も良くなってきてますよ。何だか、ここ数日で更に綺麗になってきています。失礼かもしれませんが、何歳か若返ったみたいで……」

「だとしたら、嬉しいわ」

「はい。増々美人になってしまって、正直羨ましいです」

「あまり、気を引きたい相手もいないのだけどね」

 容姿など良くても不快な男を寄せ付けるばかりなのだが、それでもこうやって嫌いではない相手から褒められれば嬉しく感じられる。

「そういえば、ミセリアはどうしてるかしら」

 親の欲目も甚だしい発想だが、容姿が良いという話で娘のことを思い出してしまった。他所の子供に比べても抜きん出て愛らしい容貌をしている愛娘が、仲間とはいえ、男と一つの部屋で二人きり。心配しすぎだとは思っていても、やはり心配。

「部屋まで遊びに行ってみますか?」

「……止めておく。今日は早めに休んだ方が良いでしょうし」

「心配しなくても、きっと二人で楽しく過ごしてると思いますよ」

 どうやらステラにはこちらの不安が見て取れたようだ。

「そうよね。ただ、……これまでずっと同じ部屋で寝泊まりしてきたから、目の届かないところに行ってしまうと、どうしても心配で」

「………………まあ、母親ですから」

 たっぷりの間を挟んだ返事だった。

「三十を過ぎた娘に心配し過ぎなんだろうなって自覚はあるのだけど、ね。それに、貴方の前でこんなことを言うべきではないのかもしれないけど、…………男の人と同じ部屋だなんて、心配で仕方ないの」

 少し悩みながらも、思い切って胸中にある不安をステラに打ち明ける。一人で気を揉んでいるのに疲れたのかもしれない。

 打ち明けられた相手は一度キョトンとした顔になり、それから可笑しそうに笑う。

「そんなに心配しなくても、大丈夫ですよ。相手はキャスさんなんですし。わたしだって何度か同じ部屋で一緒に寝泊まりしたこともありますから」

「……」

「キャスさんのこと、まだ信用できませんか?」

 穏やかに問いかけられる。

「そうかもしれない。でも彼のせいではないの。ただ、……」

 そこまで話して言葉が途切れる。これ以上説明しようとしたら、随分自分の内心を打ち明ける必要があった。

 彼女には出会って間もない頃、父や旦那のことを少しだけ話している。後少しくらい、話してしまっても良いだろう。そう判断。

「男の人のことが、どうしても信用出来なくて」

「えっと、……男の人全員が、ということですか?」

「ええ。悪い人ばかりじゃないはずって、頭では分かってるのだけどね」

 ステラの表情は不思議そうなものだった。男という漠然とした対象に対する不信。普通は理解しかねるだろう。自分でもこの不合理な感情を上手く説明することは出来ない。

「前に、私の父や夫の話はしたでしょう?」

「……はい」

「多分、あの人達が一番の原因……なのでしょうね。それ以外にも二十年以上旅をしていると、色々と……変な男の人も寄って来たりしたわ。娘のいる前でしつこく声をかけられたり。……そういう時は、むしろミセリアが追い払おうとしてくれたり」

 声をかけられる以上の事態に至ったことは幸いにしてなかったものの、彼らのあの表情を思い返すだけでも不快になる。ただ、ミセリアが自分を守ろうとしてくれたことは不甲斐なくも嬉しかった。

「…………綺麗過ぎるのも大変なんですね」

「本当、どうして見た目だけであんなにしつこく食い下がってくるのかしらね」

 返って来た言葉が少し可笑しく感じられて、つい軽く笑ってしまう。

 それから少しの間が空いた。フィリアは小さく息を吐きだし、続きを話す。

「それで、そのうち気が付いたら、男の人が関わると反射的に、そういう昔の嫌なことを思い出したりするようになって……」

 実際に話し終えてみると、内心に横たわる膨大な感情に反してその説明はごく簡潔なものとなっていた。言葉にしてみると、あっさりとしたものになってしまうらしい。それとも自分が上手く言い表せていないだけか。

「だから正直、彼のこともまだ信用出来ないし、苦手」

 取り分け、彼には戦いを挑んだ際、圧倒的な実力差も思い知らされている。そのどうにもならない力の差が、かつての父や夫との関わりを殊更に彷彿とさせていた。

 ステラは何も言わず、視線は床に落とされている。

「ごめんなさい、こんな話をしてしまって。仲間の人のことを信用出来ないなんて、言っては駄目よね」

「いえ、話してもらえて良かったと思います。折角こうして一緒に旅をしているのですし、フィリアさんのこと、ちゃんと知っておきたいですから」

「そう言ってもらえると有り難いわ」

 フィリアとしても、一人内心で抱え込んでいたもの、特に仲間であるはずのキャスに対する不信感などは重たく、それを口に出して聞いてもらえたのはいくらか気分が軽くなる出来事だった。

「どうすれば、キャスさんのことも信頼して頂けるでしょうか……」

「そうね…………。こんな話をしておいてなんだけど、案外時間が解決してくれるかもしれないって、思っている部分もあるの。だから、そんなに心配してくれなくて大丈夫」

 これもまたフィリアの本音。どうせこのまま四人で一緒に旅を続けていくのだ。キャスが本当に問題のない人物なのであれば、そのうち自分の中にある警戒心も解けていくのではないか。そんなふうに思えている。

「では、早くそうなるように応援していますね。四人皆で仲良く出来たら、もっと楽しいでしょうから」

 そう言ってステラは微笑んだ。

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