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第四話 酒気帯び少女

「そういえば、お母さん大丈夫かな? 何かあってもステラが見ててくれるから安心だけど」

 宿の階段を上っている最中、先を行くミセリアがそんなことを言い出した。外出に際しては珍しく、帽子を被っていない。

 フィリアの様子については食後、宿に戻ってから直ぐにそれぞれの部屋へと向かってしまったためキャスとミセリアは知らない状態だ。

「ちょっと調子が悪くて食欲がないくらいみたいだし、休めば大丈夫なんじゃないかな」

「そうだといいんだけど、旅に出てから今までお母さんが調子崩したことなんてなかったから、心配なんだよね」

 彼女達が放浪の生活を始めたのは確か、二十年くらい前だったはず。出会った当初の様子からあまり健康そうな人物に見えていなかったが、ある意味結構な健康体だったらしい。

「様子、見に行ってみる?」

 階段を上りきったところで、母の容態が気になるらしい彼女へ提案。

「今から? ……流石にもう寝てるんじゃない? 調子悪いんだし、町に着いたばっかりで疲れも溜まってるだろうから」

「ああ、そうかも」

 そこまで遅い時間でもないのだが、確かにその可能性は高そうだった。自分達の部屋を目指して廊下を歩き出す。

「あ、だったらステラも呼んでこようか?」

 途中、そんなことを思いついた。フィリアが寝てしまっているのなら、彼女は部屋で一人暇をしているのではないだろうか。

「んー……退屈だったら向こうから遊びに来るんじゃない? もしかしたら、ステラも早めに寝ちゃったかもだし」

「……それもそうか」

「それに、ステラの分は買ってきてないしね」

 そう言って、ミセリアは手に持っていた瓶を示す。一旦宿に戻ってから、部屋を出てつい先程買った物だ。

 丁度、部屋の前に辿り着く。ミセリアが扉の前から一歩下がり、キャスがそれを開いた。

「ありがと」

 二人共中に入り、扉を閉める。

 改めてこれから暫しの期間を過ごすことになる部屋を見渡した。余裕のある広さ、清潔感の漂うベッド、椅子とテーブルも備え付けられている。

 購入した物以外何も持っていなかったミセリアは真っ直ぐテーブルまで歩いていき、キャスは剣と財布を置いてから彼女の方へ。そして、テーブルの上に置かれた二本の瓶を見下ろす。

 一本は酒、もう一本は果汁を使った飲み物。どちらもこの地域の名産だと聞いている。一本はミセリアのための物で、もう一本はキャスの。

 酒の入った瓶がミセリアの物である。

「さぁ、飲もう!」

 楽しげな様子でミセリアが勢い良く椅子に身を預けた。キャスもまたもう一つの椅子に落ち着いて腰掛ける。

「それにしても、本当に良かったの? フィリアさんからは飲むなって言われてるんだよね?」

「いーの、バレなきゃ。調度良いチャンスじゃん」

 実際に酒を購入しに行く前にも聞いた答えだ。

 どうやら見た目は幼くも三十歳くらいのミセリアだが、飲酒に関しては母親から禁じられて一度もしたことがなかったらしい。いくら飲んでみたがってもフィリアは頑として譲らなかったそうだ。

 その理由に関して訪ねたが、ミセリアにも分からないとのこと。魔法で甦った頑丈な身体だ。酒程度で何かあるわけもない。そう主張しても「心配だから」と言って取り合ってもらえなかったらしい。

 それで、折角当事者公認の下母親の目がなくなったのだから、試しに酒を飲んでみたい。そう言い出したのが現在に至ることのあらましだった。見つかったら自分も一緒にフィリアに謝るのかと思いつつ、キャスもそれを許容したのである。

「っていうか、キャスこそお酒じゃなくてよかったの? ジュースでも付き合ってくれるのは嬉しいけど」

「……僕、お酒はちょっと、ね」

「弱いの?」

「いや、酔っ払うと異能の制御が……」

 過去の恥ずべき失敗を頭の片隅に蘇らせながら答えた。

「へえ、そんなことがあるんだ」

 不思議そうに小首を傾げられる。

「うん」

「どういう感じになるの?」

「……聞かない方が良いと思う。僕も言いたくないし」

「そっか。それじゃあ、聞かない」

「ありがと」

 そう答えて自分の分の瓶を手に。合わせるようにしてミセリアももう片方の瓶を手に取り、二人同時に栓を開ける。

「あ、良い匂い」

 自身の瓶の中から漂ってきた香りを受け、感想が自然と口から漏れた。少々堪能してから視線をミセリアの方へ。

 彼女は神妙な顔付きになって瓶の中から漂う酒の香りを嗅いでいる。可愛らしい子供の姿でそのようなことをしているものだから少しばかり珍妙に見え、ちょっと笑顔になってしまった。

「こんな感じなんだ……」

「飲めそう?」

「匂いだけじゃ分かんないよ」

 もっともな台詞。

 暫くそのまま黙って見守っているとついにミセリアが酒に口を付けた。眉根をきゅっと寄せて目を硬く瞑っている。

 その様を眺めながらキャスも自分の分の飲み物を飲んでみると、少々の酸味と爽やかな甘さ。風味も素晴らしい。

「んー……きつい、かも。そのうち慣れるものなのかな?」

「そうなんじゃない? 聞いた限りだと」

「そっかぁ。まあ、まだ一口飲んでみただけだしね」

 そう言って再び酒を飲む。

「酔っ払うってどういう感覚なんだろ」

「今に分かるよ」

「うん。そう言えば、キャスの方はどうだった? 美味しい?」

「凄く。もっとあちこちで流通してくれれば良いのにってくらい」

「へえ……。そっちも買ってくれば良かったかなぁ」

 またミセリアが酒を呷る。

「まだまだ滞在するんだし、なんなら明日買ったら?」

「そうする。皆で一緒にお出かけしよ。…………お母さんが良くなってれば」

 最後、付け足すようにぽつりと発せられた声は心配げ。

「ちょっと具合が悪いだけみたいだし、一晩寝たら何とかなるんじゃない?」

 自分の方が楽観視し過ぎているだけなのだろうか。ミセリアの表情は優れない。

「そうだと思うんだけど、やっぱり二十年くらい風邪一つひかなかった人が急に体調崩すのって、何か不安」

「ああ……」

 そう言われると納得がいく。確かにそんな気はしてくるかもしれない。

「まあ、今はあんまり気にしないようにしようよ。折角美味しい飲み物もあるんだからさ」

「そうだね。お母さんの目がないうちに楽しんでおこう!」

 お互い努めて明るく声を上げて、それぞれの手元の物を飲む。

「……やっぱり合わないのかなー」

 しかしながら、また声音をしょぼくれさせてミセリアが呟いた。首を捻りつつ瓶の口に視線を落としている。中々酒の味に馴染めないらしい。

 一旦、酒瓶がテーブルの上に。

「そのお酒が合ってないだけなのかも」

「美味しくないわけじゃないんだけどねー……」

 ミセリアが背もたれに身を預け、ぼうっと天井を見上げる。

「こんな身体だからなのかなぁ。大人は皆美味しそうに飲んでるのに」

「大抵は飲みたくて飲んでる人ばかりだから、そう見えてくるだけだよ、きっと。お酒を美味しいと思わない大人はそもそも飲んでないんじゃないかな」

「んー……」

 子供の身体だから美味しく感じないのではないか。そんなミセリアの台詞に否定の意見を述べつつ、そんな可能性もあるのかもしれないなと心の何処かで思っていた。何故か、それを彼女の前で認めるのには抵抗を覚えたが。

 愛らしい唸り声を上げながら、納得のいっていない表情。

 そのうち、ため息を吐きながら脱力した。

「まあ、お酒を美味しく感じられたからって良いことばっかでもないか。楽しみは増えるんだろうけど」

 そう言いつつも、テーブルの上の瓶を手に取ってまた飲み始める。

「お父さんみたいになりたくないしね」

 珍しく父親の話。キャス自身は彼女の父に関してあまり聞いた記憶がなかったが、この言い方からして良い人物ではなさそうだ。

「聞く?」

「……聞いてもいいなら」

 父親について話を振ってもよいのか迷っていると相手の方から関心を問われ首肯。思えばどうして彼女らは父親抜きで旅をしていたのか、知っておきたいと思った。

「て言っても、あんまりはっきり覚えてはいないんだけど。なんせ子供の時の話だし、その上二十年も経ってるから」

 少しの間が空く。

「どういう人だったの?」

「おっかない人。……まあ、当時のあたしやお母さんにとっては、って意味だけど。あの頃は今と違って普通の子供と主婦だったからさぁ。ちょっと粗暴で態度が大きければそれだけで怖いよね、腕っ節とか関係なく」

「ああ……」

 当たり前だが、彼女らも初めから今のような実力を有していたわけではない。戦闘の技術や気構えを身につける前であれば、大の男の威圧は普通に恐ろしかったことだろう。

「特にお母さんに対しては酷かったな……。しょっちゅう叩いたり、殴ったりされてた。怒鳴りながらね。何が気に入らなかったんだろ?」

 威圧どころか、実際に日常的な暴力があったらしい。

「お母さん、家のことは完璧にやってたと思うんだけどねぇ。毎日言いがかりみたいな難癖つけられてさ……」

「……大変だったんだね」

 キャス自身、捨て子ではあったものの家族には恵まれた身。そういう自覚があったため、父親に恵まれなかったミセリア、夫に恵まれなかったフィリアにかけられる言葉は多くなかった。

「まあ、どっちかというとあたしはお母さんに守られてた感じだから……。それに、あたしがお母さんを庇おうとしたせいで余計に酷いことになったこともあったし。でも、ほんとに大変だったよ」

 ミセリアが勢い良く酒を呷る。

「特にお父さん、お酒が入ってるときは更に酷くて。お母さんにお酌させながら文句言い続けてたり……。しかもあの人、今思うとお酒大好きな人だったみたいで、毎日のように飲んでた気がする。…………お酒が切れてるってお母さんが怒鳴られてた記憶があるから、毎日じゃないか」

 儚げな溜息。

「キャスのところはどうだったの? 赤ん坊の頃、エルフの里でエルフの一家に拾われたっていうのは教えてもらったけど、どういう人達?」

 陰鬱な話を切り上げるようにこちらの育った家庭について尋ねられる。旅の目的地を説明する際、フィリアやミセリアにも自身がエルフの里で赤子の頃に拾われ、エルフの一家の下で育ったことは説明してあったが、逆にそれ以上は説明していなかった。

 自分の想い人がその一家の娘であることも、まだ誰にも話していない。

「良い人達だったよ。皆優しくて、可愛がってもらった自覚はあるかな。……周りの人達は兎も角」

「何かあったの?」

「エルフ以外への風当たりがちょっとね。良い人も多かったけど……。ただ、子供は特に嫌なのが多かった気がする」

 今にして思えば、分別がつきにくい分、露骨に人間への嫌悪を示す者が子供に多かったのだろう。

「ああ、あたしの逆か……」

 ミセリアは周りの子供と仲良くやれていたようだ。彼女の場合は普通の人里で育ったらしいので、周囲の子供と仲良くなるのも難しくなかったのだと思われる。

「でも、好きな人が出来るくらいには仲の良い子供もいたんだよね?」

「まあね」

 あまり掘り下げて欲しくない話だったので、努めて間を空けずに回答。

 会話が一時的に途絶え、それぞれ飲み物を呷る。

 ふとミセリアの顔を見ると、幾分か赤い気がした。

「ところで、お酒の方はどう? そろそろ酔ってきてるんじゃない?」

「そうかな? あんまり自覚はないけど……あっ、でも確かに、何だかいつもより頭が回らないような……。それに、ちょっと暑い」

 ミセリアが袖をまくり、服の胸元をパタパタとさせて風邪を送り込む。キャスはそこから何となく目をそらして自分の飲み物を再度飲んだ。

 視線を戻すと彼女はまた酒を呷っていて、その飲み方からして丁度瓶が空になったらしいと察せられる。

 瓶をテーブルの上に置いたミセリアから小さな溜息。

「何だか微妙だったなぁ……」

 軽く酔いながら目を閉じ、背もたれに身を預けて脱力しているその姿は一瞬、大人の女性のように感じられた。つい、ミセリアの姿を注視してしまう。

「どうかした?」

「いや、何でもない……」

 目を開けたミセリアに自身のそんな様子を訝しまれてしまった。

「ねえ、良かったらそれ、一口頂戴。美味しいんでしょ?」

 先程は後日飲めば良いという話になったはずだったが、急に椅子から身を乗り出してそんなことを頼まれる。

「いいけど……僕が直接口付けたやつだよ?」

 ミセリア同様、瓶から直に飲んでいたのだが、男相手であってもそういったことは気にかけない性格だったのだろうか。

「あ、そっか……。ごめん、そこまで考えてなかった。やっぱりいいや」

 はっとした様子で発言が取り下げられる。

「そうか、酔っ払うとこうなっちゃうのか。気をつけよう……」

 そんな独り言の内容が示すように、どうやら酔のせいでそういったことに意識が周っていなかったらしい。

 こちらが一人飲み物をゆっくりと味わっていく隣で、ミセリアはぼうっと天井を仰いでいる。暫し、そんな状態で時間が流れていった。沈黙ではあるが、居心地が悪いわけではない。のんびりとした雰囲気だ。

「酔っ払ってるからって、あたしに変なことしようとしないでね?」

「しないよ」

 軽く笑いながら徐にそんな冗談が飛ばされ、キャスもまた緩く笑みを浮かべて答えた。そんな真似はしたことがなかったし、その上相手の姿は完全に子供のもの。

「はいはい」

 そう言いつつ、ミセリアは楽しげに笑みを深めるのだった。

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