第二十五話 救いの手
「あ、ありがとう。もう、大丈夫だから」
フィリアがか細い声でその台詞を口にするまでに、どれだけの時間が経過しただろうか。
彼女の魔法により呼び起こされた魔物たちに囲まれて程なく、仕方がないのでフィリアを含めた敵全員に、二、三日結界に閉じ込められてもらおうかと思案していた矢先にキャスが現れた。
その後、ステラは彼の言葉を信頼して素直にその場で事の推移を窺う。それはフィリアが追いつめられ、自身を取り巻く包囲が消えてからも同じ。
二人の戦いはあまりにも一方的に進んで行き、いっそ哀れな程に彼女はなす術なく敗北に向かっていったのだが、終盤、フィリアに馬乗りになったキャスが、何かの交渉を持ちかけようとした際にそれは起こった。かけられる言葉を一切聞こうとせず、相手が彼の武器に手を伸ばそうとしたのだ。
そしてそれは失敗し、彼の拳が、女の顔へ。
キャスに殴られたフィリアがおもむろに、それまでの追い詰められつつも戦うことを諦めない確固とした表情をどこかにやって、大泣きを始めたのである。或いは圧倒的な力で追い詰められ、単に心が折れてしまったのかもしれない。
甘いのかもしれないが、それまで大人の女性としての振る舞いしか見せていなかった彼女の無残な泣き声に、思わずそちらに向けて駆け出していた。尋常でない様子で、酷く心配になってしまったのである。
それはミセリアも同じだったようで、二人して同時にフィリアの下へ辿り着いていた。
「悪いけど、お母さんのこと、お願い」
最初はこちらがキャスのことを引き離そうと思ったのだが、傍らからそんな言葉がかかって、彼はミセリアに連れていかれてしまう。この結果は予想外だったらしく、すっかり困り顔になってフィリアの上にいた彼は、大人しくそれに従っていた。あんな顔の彼を見たのは初めてかもしれない。
どうして娘であるミセリア自身でなく、自分をフィリアの方に付き添わせたのかは謎であったが、ステラは兎に角、目の前の相手が泣きやむように努めなくてはと考えた。
だが、方法が分からない。
結局取ることのできた手段はと言えば、上半身を下着だけにして地面に丸まり、派手に泣き続ける彼女を起こして、抱きしめてやることだけ。それから「大丈夫ですから」と声をかけ、必死に宥め続けた。
最初こそ力尽くでこちらから離れようともがいていたが、次第に大人しくなって、腕の中で泣くだけに。もっとも、それでも結構な声を上げて泣いていた。
途中、ミセリアやキャスが様子を確認しようとしたのか、それぞれ近づいて来ようとしたことがあったのだが、足音でそれに気付いたフィリアの身体が途端に震え出したため、そこでも対処に困ってしまう。
少しばかり距離を置いた状態で話し合った結果、最終的にミセリアの判断で、彼らだけ一足早く町に向かってもらうことになった。一旦、時間を置いて落ち着いてから会おうということらしい。フィリアは些か異常な様子であったために、ステラもそれに賛成した。
彼らの姿が消えてしばらく、それでもフィリアは泣き通していたが、ついにその泣き方は勢いを弱め、今し方止まったのである。
抱きしめていた腕を離し相手を解放すると、その面が上げられた。彼女の美しい顔は当然の如く、泣き続けた影響を受けている。同時にとても疲れた表情だ。
フィリアは、伏し目がちなまま黙していた。
「落ち着きましたか?」
勉めて落ち着いた声音を心掛け、話しかける。
「……ええ」
「すみません。わたしの判断で、二人が先に帰るのを許してしまって」
「いいの。正直、ほっとしたから」
とても静かな空気の中、フィリアの声はとても弱々しい。
彼女から、儚げなため息が漏れる。
「どうしようかしら」
彼女の視線が上を向き、座り込んだ状態から、ミセリアたちの去って行った方角をじっと見つめだす。
「何を、でしょうか」
「分からないわ」
「どういうことです?」
「分からないの。泣いたら、何だか…………色んなものをなくしたみたい」
それは多分、疲れ切っているからこその感覚ではないだろうか。無表情で一方向を見続ける彼女の顔は、何か物悲しい。
そのまま、再びお互いに口を閉ざした時間が過ぎてしまう。
「フィリアさん」
「何かしら」
「わたしたちと、一緒に行動してみませんか?」
「分からない」と告げた彼女に、再度、先と同じ誘いをかけてみた。それが、今の彼女にとって助けにならないかと考えて。
「……ミセリアも、それを望んでいるのだったかしら」
「はい。今のままだと、良くないと心配しているみたいです」
「そう………………。でも、良いの?」
暗に、先程彼女が自分たちに殺意を向けたことを示される。
「わたしは気にしてませんし、多分、キャスさんも同じだと思います」
結局、彼女がああまで泣いた理由は分かっていないし、今尋ねるのは憚られるが、それでもあの涙を見てフィリアの非を気に掛けるつもりは完全になくなっていた。思い返されるのは、ミセリアが母親に関して告げていた「限界」という言葉。
「ありがとう」
それから、躊躇いがちに続けられる。
「その、よろしくお願いします」
そう答えた彼女の姿は、大分に年上のはずであるにも関わらず、酷く頼りのない少女のようだった。




