第3話 わがままはいい加減にしろよ
地下を流れるマグマの熱で、カンザラ城の床はどこも焼けるほど熱かった。とはいえ、炎のモンスターである俺にとってはむしろ心地よいくらいだ。が、
「あちっ、あちちちっ。ったく、これじゃうかつに歩けやしない」
元々ここの環境に適した体でない生き物にとっては、苦痛以外の何ものでもない。この魔王様に連れてこられたアクアにも、当然慣れぬものであった。全く、何を考えてここによこしたのだろうか。
「黒岩石の上以外は熱いから渡るなと言っただろう。人間が入りにくい造りになっているんだ、うろちょろするな」
ぱたぱたと踊っているアクアを横に移す。黒岩石とは溶岩が冷えて固まったもので、熱を通しにくくいつもひんやりとしている岩石の事だ。そこならば熱気を気にせず歩く事ができる。しかしどうしたものか。これでは面倒を見きれない。いっそのこと、黒岩石に覆われた一室に押し込めてしまおうか。
待てよ? そういえば一室だけ黒岩石のみで構成された部屋があったよな…。よし、そうしよう。我ながら妙案を思いついたものだ。俺は有無を言わさずアクアをその部屋へと連れて行った。
「いいか。今日からここがお前の部屋だ。何度も言ってるが、城内をうろちょろされちゃ困る。したがって、よほど用が無い限りこの部屋を出るんじゃない」
少し語気を強め、俺はアクアに忠告した。こいつがどのくらい約束を守るのかは分からないが、言うだけ言っておこう。
「なんっにも無いな…」
それがアクアの第一印象らしい。用途が無く特に使っていない部屋なので、言葉通り何も置いていないのだ。あるのは、黒々と輝く黒岩石の壁と床のみである。火山の熱気を遮断され、この部屋だけ妙に涼しい。俺にとっては寒いくらいだが、恐らく人間にはちょうどよい温度なのだと思う。
俺はこいつをその部屋に残して踵を返した。が、燃えたぎる髪の毛を後ろから勢いよく引かれ、俺は立ち止まらざるを得なかった。
「フィルバー様! せめてワラか何かありませんか? これじゃさすがに寝にくいから…」
アクアの懇願する声が後ろから聞こえる。引っ張られたのは一瞬だけで俺の髪の毛はすぐに解放されたが、痛みだけは少しの間残った。俺は頭を押さえながら怒鳴る。
「火山にワラなんかあるか!!」
髪の毛を引っ張られた事にも腹が立ったが、それ以上に、よく考えもせず不可能な質問をされた事に俺は憤怒した。怒鳴られて、アクアの深緑の瞳が危うげに揺れる。自分の犬耳をできる限り俺から遠ざけようとし、ふさふさのしっぽは足にぴったりとくっついている。…そんなに俺が怖かったのか。しかし、冷静に考えれば、寝るためのクッションになる物が欲しかったのだろう。そんな物この城にあっただろうか?
「怒ッタ、怒ッタ、フィルバー様、何アッタ?」
不意に声がして、俺はそちらを向く。そこには、炎に身を包んだ獣のような姿をしたモンスターが、数匹集まっていた。恐らく俺の声に反応したのだろう。俺は無理だと思いながらも、そいつらに聞いてみた。
「お前達、こいつを覆えるくらいの大きさで、何か柔らかくふわふわした物が無いか?」
このモンスターは知能がさほど高くないので、できる限り身振り手振りを加えて説明する。炎獣達は互いの顔を見合わせていたが、やがて一匹が答えた。
「ケガワ、フカフカ、大キイ。残ッタ、アル」
意外な事に、答えはイエスだった。この炎獣達は人の大人よりも一回りほど大きく、その燃える毛皮は死ぬと火が消え、二度と燃える事がない。ちなみに、あまり知られていない事だが、こいつらにはきちんと毛が生えている。炎で見えないだけで。
そんなこんなで残っていた毛皮を入手し、アクアに渡した。思いのほか好評で、アクアは早速、部屋に毛皮を敷いて寝っ転がった。
「ああ~気持ちいい…」
とりあえず、一段落。俺はどっと疲れたように感じた。って、何で俺がこんな奴に気を遣わなきゃいかんのだ。しかし、毛皮に体をうずめ、しっぽをちぎれんばかりに振っているアクアの姿を見ると、それも良かったのではないかと思えてくる。まったく、コロコロとよく表情の変わる奴だ。先ほどの怯えはどこへ行ったのやら。
「親父…どこに行ったんだろうな…」
ふっと、寂しそうな声でアクアがつぶやく。その眼差しは遠い。
「…親父?」
俺は聞き慣れない単語に首を傾げた。アクアは寂しそうな目のまま、こちらを向く。
「おれの父親さ。おれと血肉を分けた、正真正銘の。でも、十年以上前にいなくなったきり、一度も帰ってこなくって…」
十年か。数百年生きた俺にとってはとてつもなく短く感じるが、十数年しか生きていないであろうアクアにとっては長いのかもしれない。短くない沈黙が流れた。
しばらく経って俺がアクアの様子をうかがいに行くと、そいつはべつに何をするでもなく部屋の一角に座っていた。俺が入ってきたのを察知し、アクアはこちらに向き直った。
「フィルバー様、風呂ってある?」
「フロ?」
唐突な質問に、俺は固まった。毎度毎度、こいつの単語が理解できない事がある。それを見越してか、アクアは俺に説明し始める。
「風呂ってのはお湯を桶とかに溜めてその中に入るんだけど…ここは火はあるから、水があればいいかな」
水……だと? 俺は頭が痛くなってきた。それと同時に、城中の至る所が振動する。地震並に揺れ動き、岩のかけらが少し落ちてくる。
「これはフィルバー様。小娘ごときでお怒りになるのはおやめになった方が…」
自分より下方から聞こえるしわがれた声に、俺は我に返った。揺れももう収まっている。足下にいたのは熱気に強い部類の小鬼の一種だった。恭しく頭を下げ、長い鼻が床に着きそうだ。
「すまない、取り乱した。ところで、お前は風呂ってのを知ってるか?」
聞いて答えられるのかは分からないが、とりあえず尋ねる。小鬼は元々大きな目を見開いた。
「おや、フィルバー様も入浴されるので? それでしたらこのガロウザ火山のふもとの方に温水のわき出るところがございますが…」
これまたOKだった。ここまで偶然が重なると逆に拍子抜けしてしまう。もっとも、入るのは俺ではなくこいつなのだが。
「温泉があるのか? さすが火山だ。おれ入りたい!!」
アクアは食い入り、輝かんばかりの瞳を俺に向けた。
そんな訳で、俺はふもとの“温泉”とやらに向かった。そこは溶岩で熱せられた水が一面にたたえられていた。小鬼は意気揚々とそこに入る。俺にはその気が知れない。温められているとはいえ、俺の炎のような体温よりははるかに低い。そんな事をしたら、一気に力を失うだろう。小鬼に続き、アクアも湯につかろうとする。その前に、俺の方を向いた。
「フィルバー様って、おれの入浴に興味あるの?」
いたずらっぽい声で、俺にそう言った。はっきり言って興味など無い。だが、一応囚人という扱いなので、見張っているという訳だ。俺が答えないのを見て、そいつは笑顔を浮かべた。
「ま、どっちでもいっか♪」
ずいぶんとご機嫌な様子で、そいつは服を脱いで温泉に入った。裸でいるのを見るのは初めてだ。いや、ひょっとしたら俺は人間の衣服を脱いだ姿というものを初めて見たのかもしれない。もっともこいつは人間だとは言い切れないのだが。白い尻からはしっぽが生えているし、膝から下は毛に覆われている。こうして見ると、ずいぶんとちぐはぐな格好をしているものだ。余計に人間なのかモンスターなのか分からなくなる。俺はただ、湯の中で戯れるそいつを見ていた。
部屋に戻った後、アクアは突拍子もない事を言った。
「新しい服があればなあ…。あ~こんな事なら何着か持ってくればよかった…」
俺は自分の中で何かが切れたのを感じた。城が、いや火山そのものが揺れ、火口から溶岩と噴煙を吹き出した。俺の怒りは、頂点に達していた。
「わがままはいい加減にしろよ!!!」
俺の全身はもはや深紅に燃えたぎる炎で覆われ、何人たりとも寄せ付けなかった。アクアは腰を抜かして尻餅をつき、全身で恐怖を体現している。恐らく、そんな形相をしていたのだろう、俺は。だがもう押さえきれなかった。
「好き勝手言いたい放題言いやがって! ここはモンスターの世界だ! 人間と同じように暮らせる訳無いだろ!!」
爆発した怒りが怒声となって口から飛び出す。それでも、それは俺の腹の中にぐるぐると渦巻いた。足りない。何かまだ言いたかったが、それ以上は言葉にならなかった。はっと我に返ると、目の前にあったのは恐怖に震えるアクアの瞳――
全てが間違いではないだろうが、叫んだ後、俺は虚無感に襲われた。それがどうしてなのか、未だに俺には分からない。
そして、俺は知らなかった。毛皮に顔をうずめて眠るアクアの頬に、赤く涙の後がついていた事を。