番外編その1 ケイトの場合4
ケイトは『腹ぺこ亭』でカレンと夕食をとってから、帰路についた。
彼女が住んでいるのは北区の安宿だった。
彼女の勤める酒場の2階にある。
「ケイト……お前、最近どこほっつき歩いているんだ」
酒場の主人が呆れた顔で、迎え入れてくれた。
「元からお前は何故か大金を渡してくれてるから、不規則出勤でも雇ってるけど……このままだと他の連中もさすがにこいつはなんかおかしいって思うようになるぞ」
「その時はご主人の愛人ってことにでもしておいてくださいよ」
「あはは、お前みたいな美人が俺の愛人とかないない」
酒場の主人は大笑いした。
そして、少し声を潜めた。
「……で、どうなんだ、『お見合い斡旋所』は」
「いい場所です。いい従業員がいます」
「そうか……」
「……それに、私、勇気をもらいました」
「ほう?」
「ちょっと明日は告白して玉砕してくるので、帰ったらやけ酒をたらふく用意しておいてください」
「お前みたいないい女を振る男がいるのかよ」
「いるんですよ、見る目がないでしょう?」
「ないなあ」
たわいのない会話をしてから、ケイトは私室に引っ込んだ。
「……ふう」
明日、ベンジャミンに告白する。彼女はそう決めていた。
「なんだいなんだい、寂しがり屋か、君は」
相変わらず本を読みながら、ベンジャミンは呆れ顔でケイトを迎え入れた。
「指示はないと言っただろう」
「今日は私用です」
「ふうん? 私用と言えば、ラッセルの奴、また元聖女に告白しに行くつもりみたいだよ。花でも持っていけば? って言ったんだけどね」
「花……ですか」
堅物騎士殿下が花をカレンに差し出すところを想像する。
悲しいほどに似合わなかった。
剣でも捧げていた方がまだ似合うだろう。
「……ベンジャミン殿下、大切なお話があるのですが」
「うげえ……」
ベンジャミンは明らかに顔をしかめた。
「お説教?」
「違います。わたしをなんだと思っているんですか……」
「エリオットの娘」
エリオットとはケイトの父の名だ。
「……父なんかといっしょにしないでください。ほら、本を置いて、こっちを見て、シャキッとして」
「うえええ」
心底嫌そうな声を出しながら、ベンジャミンはケイトの指示に従った。
シャキッと背筋を伸ばしてこちらを見るベンジャミンにケイトはなんとなくラッセルとは似ていないなと思った。
思えばここ最近はベンジャミンよりラッセルと顔を合わせる機会の方が多かった。
似てる似てないの基準がラッセルの方になるほどに。
「……ベンジャミン殿下」
「うん」
「私、好きな人がいるのです」
「へえ」
ベンジャミンの表情に変化はない。悲しいほど、ない。
「……それがですね、その人と来たら、女に興味がないのです。いえ、人間に興味がないのです」
「ほう」
「……いつも本ばかり読んでいて、自分の命の危機すら、本を読んで、のんびりしていたらしいのです」
「ふむ」
「……私、なんでこんな奴のことが好きなんだろうっていつも悩んでいるんです」
「うん」
「でも、あなたが、好きなんです。ベンジャミン殿下」
「そうか」
ベンジャミンから返ってきたのはそれだけだった。
それ以上はなく、ベンジャミンはチラチラと本に視線をやっていた。
「……はあ。どうぞ、読書にお戻りください」
「よし!」
ベンジャミンは本に食いついた。
「……ケイト」
「はい」
「その男はやめておきなさい」
「……殿下」
「君も知っての通り、人というものを、その男は愛してはあげられない。悲しいかな、そういう性格に生まれついた。なあに、お前ほどの美人ならいい男なんてごまんといるさ」
「それでも、私にとっての一番は……ベンジャミン殿下なのです」
「二番でもいいじゃないか……」
「なら、あなたにとっての二番になりたい」
「…………」
「本が一番なあなたの、二番になりたい。わ、私、本より面白い話だって、いっぱい持ってるんですよ!」
「……たとえば?」
ベンジャミンが本から目を上げて、こっちを見た。
「た、たとえば……王都で『お見合い斡旋所』をやっている元聖女の話とか、ですかね」
「……ふむ、まあまあ、暇つぶしにはなりそうだ」
ベンジャミンは本を置いた。
「聞こうじゃないか、その話」
「……はい」
ケイトは穏やかに微笑んだ。
その夜、街の酒場と『腹ぺこ亭』で各々どんちゃん騒ぎが起きた。
街の酒場では美人と評判の従業員ケイトが振られたと泣きながら酒をあおるのに、客が付き合っていた。
そして、『腹ぺこ亭』では新たに生まれた恋人への祝福の酒宴が開かれていた。
「すればいいんでしょ! すれば! 二番目の恋!! した上でまた告白してやるわよ! したけど駄目でした責任取って! ってー!!」
ケイトはそう喚きながら酒をあおり続けた。
彼女のお見合い斡旋所に通う日々は、終わりそうになかった。
ひとまずこの番外編で幕を閉じます。
また何かこの世界で書きたいことが湧いてきたら、ひっそり更新するかもしれません。
ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございました。