3-20 再会
稔は紫姫を連れて駅前へと戻ろうとしたが、当の本人はそれを拒んだ。首を左右に大きく振り、急ごうとしている稔の足手まといになろうとしているようにも取れる行動を見せる。だが、彼女にそんな意思は無い。紫姫が左右に首を振った理由、それは『今の稔の考えで戻ったら恥をかく』と思ったためであった。
「稔。貴台が現時点で考えているままの事を戻って言ってみろ。嘲笑される」
「ソースは何だ?」
「カースの発言だ。発言の真偽は、我が彼女の内心を読んだ事を理由として支持できる」
余程の自身があることを見せつけてくれたので、稔は紫姫の考えを聞こうとする姿勢を見せた。自分の価値観を押し付ける正義なんか独裁でしか無いと思い、価値観を伝えて考えさせる活動をしようと思ったのだ。頭が柔らかくないような奴が上に立って何かを押し付けるのは、言い換えれば『洗脳』でしか無い。
「紫姫。理由を頼む」
稔は「自分のプライドを保つ」なんていう子供じみた理由で言葉遣いを常体にしているわけではなかった。けれど「正義を貫こう」と思っている事が複雑に絡み、思想を伝える人間としては丁寧な言葉遣いをするべきなのかと思い始める。だが、一人称や話し方を変えるのは至極難しい。もっとも、独りぼっちなら問題は無いが。
「貴台は大丈夫か。常体も敬体も貶すでない。文面と口頭、それぞれで使い分ければ良いではないか」
「そうだな」
稔は紫姫の言っていることを正論だとし、彼女の発言を支持する立場を取った。一方で紫髪は、稔の内心に渦巻く感情を汲み取る。その時、ラクトがワーストとリリスの捕虜になっている可能性を話そうとしていたことも読み取った。紫姫は会話の相手が重きを置いている問題を中心に話を進めるべきというのも分かっていたから、読み取った内容を元に理由――即ち、回答の台詞を構成していく。
「カースが政府の高い位に居る者達の性処理道具となり得たことは事実だ。けれども――言い方は悪いが、ワーストが貴台とラクトを引き離した理由は、問題の口封じのようなことをラクトにするためではない」
「口封じじゃないとしたら何をするつもりなんだ?」
「対話だ。――更に具体的に言うならば、それは『謝罪』と言うべきだろう」
「謝罪……だと?」
紫姫から――正確にはカースの内心の情報から知り得た情報を聞き、稔は半信半疑だった。ラクトの父親から逃れる事ができた淫魔が、ラクトの母親が失踪した時でも見つかっていなかった淫魔が、なぜ謝罪をするのか。紫姫と妹系エルダーシスターが組んで話した内容には、どうしても疑問点が浮かんでしまった。
「なんで逃げ続けていた淫魔が謝罪できるんだ? 確かに人間の思想には変化が訪れて当然だ。けど、ワーストは女を奴隷としか見ていないような、超男尊女卑思想の劣等奴にしか見えない。そんな奴の考えが変わるのか?」
「貴台の意見も一理ある。だが、それなら何故一時間の猶予を与えたと思う? 同じ駅舎と言っても、延々と平原のような大型百貨店や様々な店が並ぶ地下街があるわけでもない、閑散とした三階だぞ?」
紫姫は稔の考えが間違っている理由を強く述べた。だが稔は、ラクトが捕虜にされている可能性がまだ残っているとして更に議論を続ける。別にカースや紫姫に信頼を置いていないわけではなかったが、「仮に捕虜にされてしまったのなら、自分が取り返しの付かないことをした」という自責の念があったのだ。
「確かに猶予を与えたのは謝罪を行う為に必要な時間と見ることもできる。けど、あの喧嘩腰は何だ?」
「『負け犬の遠吠え』としておけばいい。貴台が彼らに戦勝したからこそ、奴らは自分たちが悪行をしてきたことを認めたじゃないか。もっとも、そこまで簡単に認められると裏があるように見えなくもないが」
「その『裏』こそ、ラクトが捕虜にされている可能性だろ」
「……」
紫姫の意見は成立していたことに変わりはない。AとBが対立したからといって、BがAと同じ考え方を一切持っていないとは限らないからだ。反意するところもあれば同意するところもある。それが議論というものだ。根も葉もない理由で相手方の意見を全て批判したところで、まともな論争が起こるはずがあるまい。
稔の追及で紫姫は口篭ってしまったが、それは言い換えれば彼女が現実を知ったという意味でもあった。自身が『精霊』という立場である以上、『主人』という逆らえない相手から受けた台詞に歯向かって戦闘狂と化す心配はゼロに近い。もっとも、そういった理由で彼女が捻くれた女になるのなら、元も子もないが。
そんな話が延々と続くと見越していた中で突如起こった、紫姫の失言に近い台詞。カースは自分の思いを伝えきれないことを無念に思ったが、それはそれで論争を続ける二人へ正論を与えるエネルギーとなった。
「口を動かしている暇があるのなら、ラクトの居る場所へ戻りましょう。議論だけで事態は変わりません」
議論は確かに重要である。他人の立場を尊重して意見を汲み取り、よりよいを出す事が出来たなら、それ以上に平和的な解決は無いだろう。だが、人間は力を後ろに持っている。行動を起こすことは誰にでもできるのだ。案が可決されても、着手しなければ話にならない。決めてやらない案なんて廃案と同義だ。議論の時間も単なるムダな経過でしか無い。
「そうだな。カースの言うとおりだ」
「稔に同じく、肯定する」
カースの考えに稔と紫姫が同意し、それだけでは追われないので行動に移る。精霊魂石に紫姫を戻して行動しても良かったのだが、助手的な意味も含めて戻すことはしないでおいた。それだけではない。論争した相手無しに結論を見ないのは間違っている気がした事も理由の一つだ。だからこそ、紫姫とカースと稔は手を繋ぐ。
「――テレポート、ロパンリ駅一階へ――」
閑散とした三階に声が響いたと同じく、稔は二人を連れてロパンリの駅舎と整備された駅前の歩道との境界線付近へ向かった。紫姫は自身の頭の上に乗っているモフモフを退かす事はせず、飛びそうになる帽子を押さえつけるようにアカウサギを押さえた。元気が無いわけではなかったが、そもそもアカウサギは活発に動くわけではなかったので容易にテレポートが出来た。
そして駅舎と歩道の境界線。戻ってきて開口一番、紫姫が稔に一言言った。同時にアカウサギを押さえることを止め、左手と右手で身体を下から支えるように持つスタイルに変更する。ラクト程の豊満さは無かったが、それでも胸の大きさは稔が従えている精霊の中では一番豊満な彼女。故に姿は様になっていた。
だが、当の本人は胸を強調するためにアカウサギを支え始めたのではなかった。一方で、動物だから排便も排尿もするというような、飼育する前に知っておかないとまずいような話を重視したためでもない。ただ単に、アカウサギの発する熱で髪が温められていたのである。それは、紫姫の頭部に痒みを生む原因でもあった。
「やっぱり議論してるじゃないか」
痒みを主張したい気持ちで一杯だった紫姫だが、髪の毛を掻く仕草は見せなかった。そんなことは過去の話だと捨て、主人と自分との間で起こっていた論争に終止符を打つ決定的な証拠を抑えようという思いが強かったのである。そしてそれは成功し、紫姫の言い分は成立した。
「悪かったな、カースの考えを疑うような真似をして」
「構いません。では、ラクトの元へ向かいましょうか」
しかし。紫姫の言い分が成立したからといって、稔が彼女への謝罪から入るわけではなかった。むしろ稔は、広報的な役割を務めた紫姫よりも思想を説いた立場のカースの方に謝罪を先に入れたのだ。そんな中で紫姫は頬を膨らますといった態度を見せ、論争をしていた相手へ謝罪を入れるべきと主張した。
「稔。流石に酷くはないか?」
「悪かったな」
「貴台、もう少し丁寧な謝罪を――」
「勝ったからって調子に乗るのは話が違うだろ。負けたやつを『バカ』と勝者がほざくのは聞いて呆れる」
「それは――」
勝者が敗者を支配するのは自然な話である。けれど、だからといって侮辱が許されるわけではないと稔は思った。劣等か優秀かは各々で違うのだから、何かの種族をまとめて決め付けるのはよろしくないという話である。無論、敗者が勝者にそんな主張をしたところで、「ほざけ」と言われて門前払いを喰らうのは目に見えた明々白々な話だが。
「取り敢えず、ここらでアニタを探したいところだが――」
「心配は無用だ。アニタがラクトとワーストの立会人を行っているからな」
「そうなのか。それで、あの店はリリスの働いている店か?」
「よくわかったな」
「いやいや、ついさっきまで居た喫煙席で話してるじゃん。わからないほうがおかしいだろ」
「貴台の意見に同意する」
紫姫はラクトという最大の恋敵を前にして消極的でクールな精霊に戻ろうとしていた。弱々しい姿は稔の前でしか見せないと決めたのである。『ツンデレ』という言葉でお茶を濁せるような内容ではあったが、稔は鈍感さを発揮せずに彼女の思っていることを見守ることにした。
「それじゃ、ラーメン店へ――と行きたいけど、徒歩移動だ。名前がわからん」
「それが主人の言う台詞か」
「完璧な司令官は居ないっての。百戦百勝してる奴だって負ける可能性はあるんだしな」
「確かにそうだな。今回の批判は撤回する」
紫姫がそう言った直後、「分かった」と言って稔は歩き始める。カースはアニタのように存在感を揉み消しており、稔が司会に捉えた時には既に二桁以上の距離を話していた。
それこそカースは土地勘のある人物だ。故に当然とも言える。その一方、稔だって数十分前に見た鮮明な光景を忘れるくらいの睡眠不足では無かった。だから彼は昨日の『二重執事服着用事件』とは異なり、ラーメン店への行き方は覚えていた。つまり、「行き先を知っているか」ということに関しては五分五分だったのである。
「ちょっ、待ってくれ!」
稔は「先に行くなよ……」という思いで、ラクトとワーストが会談している店――要するにリリスが従業員として働いているラーメン店へと向かう。だがこの時、稔が早足で向かったせいで付いていくべき人物を視界から一時的になくし、紫姫は付いていくのがやっとだった。
ようやく稔に追いついた頃、紫姫はこれまで見せたこともないような怒りに満ちた顔を浮かばせた。両頬を膨らまし、胸の下で手を組んで眉間に皺を寄せる。だが、胸の下で手を組むとなれば圧迫される赤い妖族が居たのも事実だ。だから稔は指摘しようとしたが、アカウサギは自分から紫姫の頭の上に移動した。
痒みは既に薄れてほぼ消えており、頭部を掻くこと無しに紫姫は言い放つ。
「いくら彼女では無いとしても、我だって精霊の一人なんだが?」
「悪いな。でもほら、精霊魂石の中に戻れる利点があるんだから――」
「我はラクト代わりのサポート役を務めたいだけだ。人の厚意を踏みにじるな」
「そっか。んじゃ、何か一つ詫びとしてお前の言うこと聞いてやるよ」
稔はそう言って話が終わったとし、店内へ入ろうとした。けれども、紫姫からすれば焦らされているようなもの。言い換えればそれは、即ち『寸止め』である。
「一つ……なのか?」
「変なものじゃないなら、例えば『一緒に買い物』とかなら追加してもいいが」
「なら、その……」
紫姫は自分らしくないことは分かっていたが、どうしても戦闘時以外で交渉するのは苦手だった。誰かに便乗して依頼するのは難なく出来るのだが、どうしても自分から依頼をするとなると困難を極めていたのだ。けれど、そんな紫姫も決心を付けた。「言わなきゃ」と内心で自分に言い、大きく深呼吸して稔に言う。
「『なでなで』と『キス』と『お姫様抱っこ』を……頼みたい」
「三つでいいんだな?」
「追加しても良いならさせてもらうが?」
「バーカ。一つの詫びで四つも奉仕するとか、譲歩しすぎにも程があるだろ」
「尤もだ」
紫姫はそう言い、主人の考えを支持する。一方、稔は奉仕を受ける側が言うべき台詞とは思えなかった。けれども彼は、紫姫にそれよりも重要な事を告げる。
「けど、全部今やる訳じゃないからな。取り敢えず『なでなで』だけしておく」
「何故だ?」
「会議に出席したいからだ。重要な話をしてもらえる可能性があるからな」
「一理あ――」
紫姫が稔の話に頷きながら言うと、その時だ。稔は隙を狙うつもりでは居なかった。けれども、まずはアカウサギを退かさないと頭を撫でることが出来ないために赤い妖族を自分の左手の上へ乗せ、モフモフ感を味わいながら自分の右手で紫姫の頭を撫で始める。ここまで僅か数秒の話だ。
「そういう隙を突く攻撃は……」
「いいだろ。俺の内心はフルオープン状態と言っても過言じゃないんだしさ」
「確かにそうだが、しかし――」
「もしかして、紫姫は撫でてほしくないのか?」
「そういう訳では――」
「ならいいだろ。遠慮無く心を休めて俺に預ければいい」
稔の口から出てきている言葉は反射的なものばかりだ。故に彼は、言ってから「恥ずかしすぎる……」と後悔の念を抱いてしまう。現実世界の自分では到底なれないような立場に居るため多少の暴走ともとれるが、稔はそんな暴走の一つすら消し去りたかった。
「そう言う貴台こそ、我を撫でることは嫌でないのか?」
「俺が言ってる言葉が恥ずかしくて嫌なだけだ。撫でることは全く嫌じゃない」
「それなら良かった」
撫でられるうちに紫姫も慣れてきたようで、話す言葉にも余裕が見えてきた。そしてそれから三〇秒くらい経った頃、稔が撫でるのを止める。続けて紫姫の頭の上にアカウサギを乗せ、紫姫の頭ではなくモフモフをポンポンと優しく叩く。今度は紫姫の右腕をやんわり掴んで、既に入店済みのカースを追ってラーメン店へと入店する。
「残り二つは今度な。で、俺も紫姫も忘れないように脳裏に刻む。いいな?」
「う、うん……」
紫姫は顔を俯け、撫でられた後遺症で顔を紅潮させていた。それと同じく、普段の硬くて意地っ張りな感じが見受けられる紫姫からは感じ取れない、穏和で母性や女性らしさに満ち溢れた姿が見られた。




