3-15 アガリアレプトとサディスティア
その質素な建物はボン・クローネにある『ヴェレナス・キャッスル』よりも質素であり、色遣いに気を付けた配色をしているとは思えなかった。とはいえ、本質的な構造が粗いわけではない。デザイン関連は「シンプルイズベスト」と考えれば余裕で受け入れることが出来るようなものだからだ。しかし――配色はあり得なかった。
「(まあ、ヴェレナス・キャッスルは世界遺産だしな。比べるのは場違いってところか……)」
稔は内心でそんなことを考え、質素な建物にも良さがあることを再確認する。自尊心を満たすような感じで勝手に自分の思うまま話を進め、他者の侵入を許さずして咳払いをして空気を清浄すると、続いて三人の先導をしながら受付嬢が居るというロビーへ早足で向かった。
「そういや、ラクトが反政府運動を起こした時の政府庁舎はどんな感じだったんだ?」
「そりゃ帝都に有ったんだし、ボン・クローネの世界遺産と同じような感じだったさ。塗装色は違うけどね」
「そうなんだ」
ふと思ったことをラクトに聞き、稔は過去のエルダレア帝国政府がいかに豪華だったかを知った。もちろん質問時に足を止めることはない。急いでいるからだ。早足に付いていこうとするラクトの事も少々ばかし考えて多少は遅くした稔だったが、根本的な部分は変わっていなかった。
そんな稔とラクトと影の薄いアニタは、いよいよ臨時政府庁舎の玄関口を足で踏んだ。政府庁舎に大使が来るなんて抗議をしに来たと思いたくなるが、逆である。稔は自分の思っていることをドストレートに伝える方が吉と考え、目に捉えた受付嬢の方へと近づいていった。彼女の背後にある画面モニタには時計と映像が映し出されている。どうやらそれは『テレビ』のようだ。
「帝国政府に何か御用でしょうか?」
「そうだ。帝皇に会いに来た。……それと。騎士からは許可を貰っているんだが、ボディチェックを頼む」
「ボディチェックですか。私と貴方では性別が違いますし、極力私がするのは避けたいのですが――」
「俺は構わん。何か武器を持っているわけじゃないしな」
稔はそう言い、帝皇や側近の可能性が拭えないインキュバスに会うためのボディチェックを早く終わらせたいと、少し気持ちを熱くして変な人間と思われない程度に地を踏んだ。けれど、それは表情に出さないでおく。態度で出せば試合終了なのは分かっていたから、その手前の表情にも気を配っていたのである。
「そうですか。ただ、自己主張は結構です。氏名や役職を確認したいので、身分が確認できる証明書類を提示して頂けないでしょうか。そうでなければ、ボディチェックも受けさせることは出来ません」
「パスポートでいいか?」
「構いません。どうぞ、遠慮なくご提示下さいませ」
だが、そこは受付嬢の対応だ。どんなに怒っている大使が来ようが、結局は店員と客の関係でしかない。面倒なクレームを稔は言ったわけではないが、彼女の冷淡であらゆるものを破壊しそうな目つきからはそんなものが窺えた。かつては根暗だったのかと考えてしまうの視線なのだ。そうなるのも仕方が有るまい。
「パスポートだ」
「拝見させて頂きます」
稔がパスポートを提示し、受付嬢の女は両手で丁寧にそれを受け取る。戦後賠償で捏造なのに追加された慰安婦問題こそ両国間で論争を巻き起こすような話ではあるが、エルフィリア王国とエルダレア帝国は犬猿の仲という訳ではないから、別にパスポートを見ただけで「帰れ」なんて言われることはなかった。もっとも、内戦なのにそんなことをしたら外交官が黙っちゃいない。
「拝見させていただきました。お返し致します」
「それで――ボディチェックの件はどうなった?」
「その話は白紙に返させて下さい。ですがかわりに、付き添いとして一人を派遣させて宜しいでしょうか」「構わないが、どんな奴だ?」
「このロビーからエレベーターにお進み下さい。そちらで御対面となりますので」
「分かった。エレベーターは――あそこか」
受付嬢が「はい」と言うと、稔は「ありがとう」と軽く御礼の言葉を言ってからロビーを前へと進んでいく。戦時下であり、政府庁舎内とはいえレッドカーペットなどに代表される豪華な道は作られていない。それと同時、「エレベーターで対面なんて手の込んだ進行をしてくれる」と稔は嫌な感じを身に覚えた。
「そういや、帝皇って隠れてるんだよな?」
「今更気が付いたんだ。でも、受付嬢さんはサディスティーアと対面することを認めたっぽいけど」
ラクトは自身が殺そうとした相手を前にして手を出すのではないかと思ったが、そういったことは無いと稔は信じることにした。その一方、『帝皇』と『サディスティーア』という言葉に惑わされる司令官。異世界人ということで馬鹿にされることは明々白々ながら、稔は聞かないままに居るのは嫌だと赤髪に問うた。
「その今更なんだが、サディスティーアと帝皇って同一人物――なのか?」
「うーん……」
ラクトは少し悩む様子を見せた。右頬を右手人差し指で掻く仕草を見せ、添えた手を退かしてからは右頬を膨らます。そんな状況が一〇秒程度続いてエレベーターまでの距離が一メートルを切った頃、ようやく彼女は稔に回答を述べた。すぐに分かるようなことだが、考え込む仕草をしていたのは稔の思考回路から参考になる情報を探っていたからだったのである。
「日本の歴史で例えるなら、将軍が帝皇で執権がサディスティーアってところかな。源氏と北条氏の関係に似ているところがあるからね。実権を握っているのは帝皇じゃなくてサディスティーアだし」
「国民が反発心を抱くのはサディスティーアが元凶ってことか。なら、帝皇を殺す意味は無いな」
「かといって、今の強大な権力を帝皇にまるっと移すのは違う気もするけどね」
まだエルダレア帝国を変えたわけではなかったが、既に稔とラクトは先のことを見据えた話をしていた。一方のアニタは政府庁舎内の質素な装飾すら写真に収めておきたいようで、受付嬢と話し合いをしていた。けれども折り合いが付かなかったようで、双方とも折れないで会話は延長線を辿るだけ。なれば、稔の口からため息が出るのも頷ける。
「アニタ。写真撮影なんか後にしろ。早急に事を収束するために来たんだろうが」
「そうでした。すみません……」
「謝るくらいならエレベーターに乗れ。俺とラクトだけじゃなく、付き添いの奴も待っているんだからな」
「分かりました」
稔はアニタの元へ飛んでテレポートして連れてこようと脳内で計画段階まで立てたのだが、弱そうに見えてアニタの足は相当速く、テレポートなんて技を必要としなかったため行動を起こさなかった。そして三人が揃うと、息を整えるアニタを尻目に稔がエレベーターの扉を開ける。その瞬間だ。密室空間に待機していた者の姿が露わになった。
「――」
稔は言葉を失った。ラクトは稔が言葉を失った理由を知って頷く。一方でアニタは写真を取りたそうにしている。当然そんな三者三様をまとめるのは一人しか居ないわけで、その男は嘆息を付いて先導した。そんな中で先導者は、エレベーターの扉が開閉している時間はセンサーによって制御されているところに「結構な技術が入っているんだな……」と感心の念を持つ。
「早くエレベーターに入ってもらえないでしょうか?」
それと同じく、中々エレベーターの中に入ってこないことを怒ったエレベーター内に居た者が言う。一方の稔サイドは、激怒している様子だが立っている後ろの文字が相まって、真剣に言っているとは思えなくなってしまった。笑いを抑えたりする程の露骨さは無かったが、それでも小さな笑いを生んでいる。
「(『戦闘者』じゃなくて『戦闘車』募集ってなんだよ……)」
エルダレアで日本語に限りなく近い言語が使われていることは話を通して分かっていたが、書き言葉としても使われていることを知って驚いた。だがしかし、『スペルミス』と似たような意味の『漢字ミス』があって笑いが起こる。けれども、本当に車を募集しているというどんでん返しが有る可能性もあった。だから稔もラクトも心の中に留めておく。
一応は相手陣営の本拠地であり、ここで怒らせては元も子もない。だから稔は、言い方こそ悪いが気が利くけど足を引っ張るラクトと問題行動連発が発覚したアニタをエレベーター内に先に入れ、速やかに相手が言った事柄の通りに話を進めることにした。そして『CLOSE』と書かれた閉じるボタンを押した頃、付き添い役が自己紹介を始める。
「夜城様ですか。エルダレア帝国政府にて官房長官を務めている『アガリアレプト』と申します。本日は夜城様の付き添いという立場になりますが、私が職務を行う時間帯には休憩室で待機という形になりますことをご了承くださいませ」
「分かった」
稔は言い、ふと目に捉えた『2』のボタンを押した。ボタンの隣に書かれていたのは『First Floor』の文字。どうやらエルダレアでは、一階を『Ground Floor』と呼ぶらしい。日本語に限りなく近い言語と英語に限りなく近い言語が入り交じっている国だと認識した後、稔は『ファーストフロア』が一階と二階のどちらを指すのかという話が結構な問題になるものであると、ボタンに数字を書いた事を評価した。
「ところで。アガリアレプトってのは長いから、『ガリアさん』って呼んで大丈夫か?」
「敬語を使っているのに『さん付け』する意味が分からないんだけど……」
稔は特に考えたりせず、直感で脳裏に浮かんだ呼び方でいいかアガリアレプトに問う。しかし伝わる前、『主人を嘲る女』という異名に加えて『歩く発言集音器』なる異名も与えたくなるようなラクトが、彼のそんな行動をバカにする。もちろん、嫉妬心が働いたのではない。思ったことを口に出しただけの話だ。だがアガリアレプトは、目の前でイチャつかれると心が疲れると考えてこう言った。
「それで構いませんが、政府庁舎内でイチャつくという暴挙はおやめください」
「分かった。以後、気をつける」
稔がそう言った時、既にエレベーターは二階フロアで停止していた。扉が開いていなかったので「なんでだろう」と思ったが、どうやら、開けるボタンを示す『OPEN』のボタンを押さなければならないらしい。自動で開くエレベーターばかり見て育ってきた稔にとっては、当然ながら信じられないような仕様だった。
「ではどうぞ、二階になります」
話が一段落したということで、ガリアが『OPEN』ボタンを押した。刹那に扉が開き、寸秒にて床を照明が照らしていることを確認できる。独裁国家の政府ということで議会なんか無いものだと思っていたが、上から垂れ下がっている看板の一つには『議会』と書かれており、隣の矢印が直進を示していたことから、議会があるのだと稔は知れた。けれど、稔が用事を足しに来たのは議会ではない。
「私の後に付いてきて下さい」
ガリアは言って稔ら三人を先導する。話し声から女性の可能性が極めて高いと稔は考えていたが、特に聞くことはしなかった。サディスティーアが待機しているらしい部屋は『執務室』と呼ぶそうで、稔は瞬時に某コレクションゲームを連想する。だが、同時に自分を悔しく思った。オタクカルチャーネタで盛り上がれる人は限られているためだ。
「こちらがエルダレア帝国議会になります。ですが、今回はスルーさせて頂きます」
敵の可能性すらある稔に対して丁寧に説明するガリア。ここまで来ると、罠の可能性が脳内を過るのが恒常化しても「なんで?」と質問するのは難しくなるだろう。けれども、罠かどうかなんて内心を偽ればラクトにすら見抜けないのだし、それこそ悪魔なのだから敵としては非常に厄介だった。
そんな厄介な女らしきガリアに連れて来られ、数分も掛からないうちに執務室へ到着した稔たち。先導役の指示の下、扉を開けて執務室へ入る。そんなとき、断るほうが吉と出るか凶と出るかを見抜けないラクトが心に嫌な感じを覚えた。そしてそれは、現実のものとなる。
「サディスティ――いえ、サタナキア様。エルフィリアより大使一行の方々が参られましたので、ご報告に参りました。どうぞ、夜城様達はソファに腰を御掛け下さい。では、私は職務に戻らさせて頂きます」
「了解した、アガリアレプ――」
いつものような独裁者同士の会話の中で唯一変わっていたのは、紛れも無い爆弾の音だった。「帝国の臨時政府がまた移動するのか……」と、二人の指導者の脳裏に最悪の結末が映る。帝国軍が唯でさえ後退している現在だ。これまで多少は考えたことがあったけれど、二人の目の前といっていい臨時政府の近くで爆破事件が起こったことで、二人の皮膚に戦慄が走る。
「会談は中止させてもらえませんか、夜城様」
「いや、爆破事件は俺が解決してくる」
「そんなことは出来ないと思うがな、夜城氏よ」
「エルフィリアで昨日起こったテロ事件は俺が解決したんだ。だから問題はない」
異国人の謎の自信には、惑わされているのかとサタナキアもガリアも互いの目を見合って視線で会話をしてしまう。だが、救世主となれば帝国軍に希望が見えると思った二人は彼に仕事を依頼することにした。
「ならば、頼んでみようかな」
「そうしてもらえると助かる」
言って直後に笑い、話を進めた稔。続けてラクトとアニタの手を直後に繋ぎ、得意気に自身の特別魔法の使用宣言を行う。
「――テレポート、エルダレア臨時政府庁舎前へ――」
先程は言わなかったが、一か八かで意味が通じれば勝ちだと思って稔は場所の名称をそうした。成功するかしないかの結果は見えていなかったが、最終的には成功という結末を迎えられた。
「駅の方向みたいだね」
「そうらしいな」
政府庁舎の前にてレポートしてきても爆破事件は解決できないと判明し、稔は他二名を連れて火の手が上がっていたロパンリの駅へとテレポートを行った。来た道を引き返すことに抵抗ということはない。むしろ帝国政府の長に認めてもらえる可能性があると見て、稔は事態の終息に全力を持って務めることを心に決した。
そうして駅を前にした交差点付近に戻ってきて、稔が開口一番に現場の状況を表そうとした。しかし、それを遮るように紫髪の後輩が現れる。彼女は稔の方針の殆どに批判点は無かったのだが、唯一の批判点を発すために登場した。
「先輩。政府庁舎に戻って良いでしょうか?」




