2-65 605号室-Ⅹ
稔がラクトを連れるように戻ってきて、互いにテレビのモニターを前に見て座る。リモコンが何処にあるかを探す必要もなかった。テレビ台の上に置かれているのだから、当然である。
「それで、これから三時間近くあるわけですが」
「長いな」
「私は大丈夫だけど、稔はトイレとか行かなくていいの?」
「部屋に無かったっけ?」
稔が問うと、ラクトは「有る」と普通に答えた。そうなれば当然、質問は生まれる。
「じゃ、なんで外のトイレを使ったとしたんだよ? 部屋の中でいいじゃん」
「レンタルコーナーに行くから、ついでにってことで」
「そっか。――まあ、あんまり汚い話に関連する事をとやかく聞くのもどうかと思うし。んじゃ、見ようか」
稔は言ってリモコンを手に取ろうと身体を前に出した。乗り出すようにし、右手も同時に出て行く。一方、ラクトは部屋の机を移動させた。電気は付いているから、テレビの画面からの距離を確保するために取った行動だと考えられる。
「そ、そんなことしなくていいよ!」
「近くで見ると目に悪いじゃん。それに、ヘルが一一時半くらいからステージなんでしょ?」
「場所の確保、ということか」
「先を見据えた行動という訳だね。まあ、完全に後付けだけど」
ラクトが先を読んで気の利く行動をしていたのかと思った矢先、返ってきたのは評価を落とそうとしているようにしか見えない台詞だった。『後付け』なんて、本来は言わないほうがいい台詞である。だから稔が、ツッコミとして「おい!」と入れておいた。
「冗談じゃないから、私も返しづらいな。――まあいいや。取り敢えず、起動したみたいだし」
言いながら、ラクトは稔の方へと戻る。机はコンパクトに出来る物ではなかったから、ラクトは向きと場所を変えて移動させていた。ただ、移動させ終わってからラクトは気がついた。
「ソファ、邪魔じゃね?」
ラクトが風邪を引いたと稔に勘違いされて寝かしつけられた場所、それは机の近くである。けれど、それとは別にソファもあった。座り心地が良さそうな白色のソファである。稔もラクトも潔癖症ではないが、汚れは付いていないも同然だ。安心して誰もが座れるソファだと言えよう。
「移動していい?」
「それほど重いわけじゃ無さそうだけど、机を一人で移してくれたお礼に手伝うよ」
「机とソファじゃ大きさが違うから、そもそも一人とか話にならないんだけどね」
ラクトは稔に許可を貰って一人でやろうとしたが、彼女は稔が手伝うという以降を表明した為に甘えることとした。無論、ホテルの一室にあるような机が学習机であるはずがない。デスクではなくてテーブルなのだから、運ぶのは一般女性には苦かも知れないがラクトには容易だった。一方のソファは軽くてもサイズが大きいため、一人で運ぶのは結構な苦である。
「軽いね」
「二人で持ってるからだろ」
互いにコメントを言い合い、見やすい位置にソファを配置する。だがラクトは、最終局面で意地悪をしてくれた。手を離したのである。両端と両端の長さは稔の左右の手が届くくらいではないし、況してや片方だけを両手で持っていた稔としては、重さが数倍に膨れ上がるのを感じれた。
「おいこら、ふざけんな」
「大凡の場所じゃん。いくら視力が下がらない自信があろうと、これ以上近いのはどうかと思うよ」
「まあ、そうだが……」
ホテルの一室はそれほど大きい部屋という訳ではない。ラクトがソファを落すように置いた場所はテレビと二メートル弱ぐらいしか離れていないため、見るには絶好の場所だとも言えた。結局、特に意味も無く吠えたりする奴でもない稔は言い返せなくなって呑んだ。
「この場所でいいよ。しないとおもうけど、見てる最中にはしゃぐとかするんだったら『退場』な」
「退場よりお仕置きがいいです」
「バケツ両手持ち一時間?」
「き、鬼畜……」
「お前がしなければ話は進展しないっての。だから、しなければいい」
稔は「するな」と強く言ったりはしなかった。冷淡な口調が似合う人が会話で入れるような風ではなく、ネットスラングとかを常用する人が軽く入れられるような、会話慣れしている人が簡単に入れられるような言い回しだ。まるで妥協出来るような感じも漂っているが、彼が妥協に応える意思など無い。
「仕方ないな。じゃあ、コーヒーを」
稔はラクトが言った台詞を耳に入れた刹那、背筋が凍るような感じがした。単純な話である。コーヒーを自販機に忘れてきたような気がしたのだ。魔力吸引口に入れて魔力で購入した飲料だから、小銭で払って購入するよりも失ったら損な気がした。
ラクトに魔力は作れない。回復は出来ても、貰うことは出来ても、与えられたものを持っておける最大の量から増大する事は出来ない。俗に言う課金というスタイルも形成されていないから、魔力を作るのは容易ではないのだ。
魔力を無駄遣いした自分を反省しつつ、もう自分の魔力を犠牲にする訳にはないと誓った。なのに、自分の短所のせいでまた失うことになるだとか、そんな話は聞きたくない。だからこそ祈る。召使とか精霊が、自分のために運んできてくれないかと。まるで夢物語のような話だが、それを現実にして欲しいと願う。
目をつぶり、手と手を合わせて祈る。そんな真剣さにラクトも驚いたが、同時にため息を零した。
「え?」
ため息を零してから稔が閉じていた瞼を開くと、自分の首に温かな物体が触れた気がした。振り返ればラクトの姿が有る。見れば彼女は、自分の胸の谷間に挟むという悪手を使用していた。「羨ましいぞ、缶コーヒー」とか思ったりする稔だったが、同じく右頬を抓られて反省した。
「人が二人分のコーヒーを持ってる理由、分かるよね?」
「すいませ……」
「ホント、ここ数時間で本性現してきたよね。まあ、それも含めて好きになってしまったのは私だけどさ」
「男を嫌ってるのに俺だけ許すとか、嬉しいようで変な気もするのは同意だな」
稔はラクトに言い、彼女から缶コーヒーを手渡された。温かいものか冷たいものかの表示が為されていた自動販売機の表示を見て、冷たいものを選択したはずなのだが、既に人肌で温められたようで缶に微熱が残っている。それが誰のものかもすぐに察することが出来たが、缶の上部は冷たいようだったので、そこは気配りが効いていると稔は思った。
「全く。稔がテレポートを急に始めるもんだから、驚いちゃったよ。缶コーヒー置いてけぼりにするギリギリだったんだぞ? それと、『飲みくちに手を置く奴じゃない』って言っておく」
「気が利く以前の問題ってのは、確かに正解かもしれないな」
稔はそんなことを言い、貰った缶コーヒーをソファに置いた。それから、起動しておいたテレビをディスク内の映像などを見るモードへ移すため、リモコンを操作していく。気に留めるくらいの音量ではないことがわかったが、レンタル作品の音量が跳ね上がっている可能性が微粒子レベルで存在すると考え、一応下げておく。
「ディスク」
「単語で話すな」
「おいおい、同年齢だろ。そんなこと言ったら、お前がタメ口で俺に言う事は出来ないと思うんだが?」
ラクトは言い返せずに最後の攻撃として舌打ちをかましたが、稔には全くのダメージだ。そのため、頬を膨らますこともなくしてケースからディスクを取り出すと、ラクトは稔に渡してソファに深く座った。
「テレビにディスク挿入口は……あった。ここか」
稔は右側面にディスク挿入口を発見できず、左側面の方を見て発見できたので挿入した。「このテレビ何万フィクスするんだろう」とか思ったりするが、画質も綺麗なので値段は一〇万は軽く超えるとすぐに分かる。
ディスクを挿入して、そのデータを読み取っている最中。画面に『読み込み中...』という表示が出たままで、稔は膝を擦ってソファまで戻った。いちいち立って動くのは億劫だと感じたのだ。
親しき仲にも礼儀ありというが、礼も過ぎれば無礼になるという。一人の人間と一人の人間との間は、仲が良くても駆け引きが有るのだ。礼儀を重んじる時もあれば、砕けて笑いあうときもある。今は後者というだけであって、稔は前者もしっかり脳裏に刻んでいる。
「お……」
ラクトが声を漏らした。稔がソファに戻ってきた時、丁度映像が動き始めたのである。そんな中で稔は提案をした。ラクトに受け入れてもらえると考えられなかったが、心を読めないのなら、意見を聞いてみなければ分からない。
「電気、消そうぜ」
「映画館みたいに出来るのは賛成だけど、やるんだったら完全に暗くするのはやめておけよ?」
「意外と肯定的なのな」
「まあね。視力が下がる云々は考慮した方がいいけど、演出が制限されるのは嫌だし」
ラクトはそう言って、表現規制に対してメスを入れるような言い回しをした。だが、それは考え過ぎである。そう聞こえるかもしれないが、彼女が言っているのは映画館だとかの雰囲気の話だ。映像内においての猟奇的なシーンを指しての発言ではない。
「取り敢えず、コーヒーを飲み干しちゃいなよ。暗いところで飲むと服が汚れるぞ」
「でも、この服はマドーロムに来るときの服じゃないし」
「だからって汚すなよ!」
「そういうお前は飲み干したのか?」
「コーヒーは至高の飲料だからね。稔がディスクを入れた頃には飲み干してた」
稔は驚愕した顔を見せた。自分はまだ缶コーヒーを開けてもいないというのに、飲み干しているのだ。
「どうせ甘いんだろ?」
「クリーム入ってたけど、口の中に苦味が広がっていって調和して美味しかった」
「甘くなかったのか」
「残念だったね、馬鹿に出来るポイントじゃなくて」
ラクトは稔を嘲笑し、コーヒーの缶の内部に残った水滴一つまで啜っていた。絶品のコーヒーということを表したいのかもしれないが、稔からすると少々下品に感じたりもする。だが、ゴミ箱に捨てられた缶から水滴が垂れてくるよりはマシだと思えば気にはならない。
「稔、一気飲みいく?」
「俺もコーヒーは苦手な輩じゃないからな」
「ホント、厨二病患者だね。自国語他国語の成績がどうであれ、外国語を溺愛し、ブラックコーヒーを飲みつつ、生半可な知識で母国語にルビを振る。弁解の余地は残ってないと言っても過言じゃないくらいだよ」
「俺は厨二病患者じゃないっての!」
『カオス』だの『ガイア』だの、ウィキペディアで神話を調べ情報を改変し、それっぽい文章を日本語で作る。四字熟語を引っ張るのも一手だ。そして、そんな文章や熟語にルビを振っていく。直訳にならないように力を注ぐ者、直訳だけど分かりづらい言語にするなど、工夫を施す者が多数――。
言わば厨二病とは、「馬鹿馬鹿しく痛々しい過去の功績」である。
ラクトはブラックコーヒー云々と言ったが、低糖のコーヒーが子供向けというのは事実である。だからといってブラックコーヒーをガンガン飲むのも論外だ。胃を壊すことに繋がりかねない為である。馬鹿にするのもいいが、それで自分を傷つければ自分が馬鹿にされるということだ。
「必死になって顔真っ赤とか、少しはスルースキルを覚えろ」
「でも、スルーされると嫌だろ?」
「そう? 会話が詰まるようだと悟ったら、無理に返して話を進めてもつまらないだけだと思うけど。まあ、普段の会話でスルーばかりされるのは心に響くね。でも、ある程度は身に付けておいて損はないよ」
ラクトはそう言って稔の問いに答えた。一方の稔は、『厨二病』だと散々罵られたことを考えてスルーすることにした。すぐに実行したため、ラクトを可哀想に思う気持ちを捨てることは出来ない。
「スルーですか、そうですか」
「ラクト、ちょっと涙――」
「出てないから」
稔はラクトの瞳が潤んでいるのを見てしまった。トラウマ持ちで風俗嬢に近い職だったからか、良い記憶が無くて付き合ってきたのも先輩が中心。そんな中での稔の登場で、ようやくタメ口が使える異性が来たと喜んでいた。だから、スルーされたのは結構なダメージだ。
でも、いくらラクトが文句を言おうが、指導をしようが。すぐに謝るところが特徴なのは変わっていなかった。稔はラクトが涙を堪えているのが分かってすぐ、コーヒー缶の中の水滴一つ残さない勢いで缶一つを飲み干し、彼女の背中を擦った。
「魔法の転用はお手の物、家事も余裕のよっちゃん、煽りは大の得意。なのに、本当は弱いよな」
「だから泣いてな――」
「泣いてるだろ。俺は鈍感かもしれないし、人の心情を察することは不得意かもしれない。執事服を二重で着せたのは俺のミスだ。コーヒーを忘れそうになったのもな」
「……」
「でも、その時にお前が居てくれただろ。包容力があって、頼りになるお前が。泣かれちゃ困るとか、そんな鬼畜なことは言わねえよ。だから、泣きたかったら泣いてくれ」
稔が言い切る。同時にラクトへ胸を貸してやったが、映画を見る前に大泣きする気なんて彼女になかった。見ようとするムードが台無しになると思ったからだ。けれども、彼女は少し涙腺を緩めた。
「頼りになるのはお互い様だろ、似たもの同士」
「そうだな。……あと悪いが、ハンカチはない」
「服が変えられたんだ、仕方ないさ」
ラクトは右頬に一滴の涙を流すと、それを手で拭き取った。そして、感謝の気持ちを述べる。遠回しだったが、内心では「ありがとう」と言っての台詞だった。もっとも、そんなの感じ取りづらい話だが。
「格好つけんな、フツメン」
「良いシーンで何てこと言いやがる。まあ、俺も顔面偏差値は五〇以下だろうしな。ほら、見るぞ」
稔はテレビのリモコンのカーソルで上下左右を色々と選択し、二時間半の本編から見ることにした。現実世界で使用していたテレビのリモコンと大差ないものだと認識すると、稔は中央の丸いボタンを押す。そして数秒して、『感動できるアニメ』とラクトが言った為にレンタルした映画の映像が流れ始めた。
「おい」
「なに?」
「見づらいっての」
ラクトは笑顔を見せたまま、稔の左手に手を乗せていた。『変態主人』だの言って稔を罵倒していたラクトだが、結局は部屋が暗くなると同じくして彼に近づき、ため息を貰ってしまう。でも、結局は稔が許すことで話は解決した。
「(なんか、余計に扱いづらくなってないか?)」
反論出来ないこともそうだが、ラクトの攻撃を防ぐことが不可能になってきたと思うと、稔は密着して柔らかな感触を感じる一方で自分の情けなさも感じ、相手が弱気なときにしか自分が強いところを見せられないのを治したいと決心した。
ふと隣を見れば、映画に真剣になっているラクトは居ない。稔から見られているのを察知すると、そちらの方に顔を向けていたからである。数秒で稔が違う方向を向けば「なに?」とか言われないが、映画を視聴している最中に会話が無いのも大変だった。
隣の召使を意識しないよう努力しても、何故か意識してしまう。そんな症状に陥ったままで、稔は二時間半を過ごした。




